ひかりを、みる

 その翌日には難詰されるだろうなと、ブレイヴはそう身構えていたのだが、軍師がそれを口にしたのは彼らがここを発ってから三日が過ぎていた。

「せめて、私に一言あってもよかったと思うのですが?」

 説教よりも先に恨み言をきくのは想定外だった。ブレイヴは苦笑する。

「正直に告げたとして、お前が素直にうなずくとは思わない」

「当然です。勝手に厄介事を増やされては困ります」

 セルジュは、レナードとデューイが失敗すると決めつけている。仮に彼らが戻って来なくても、この軍に大きな支障はでないと、そう思ってもいる。

 嘘が下手だな。ブレイヴは心中でため息をする。軍師は非情であるべき存在でも、セルジュという人間はそんなことを望んではいない。

「二人を信じてやればいい」

 言いながらブレイヴはそれとなく場所を移動する。氷狼騎士団の砦はアストレアとの国境間近にあり、森にも近い。湖のそばには竜騎士たちが野営している。グランの王女セシリアの隊だ。厩舎きゅうしゃはあってもさすがに飛竜を世話する施設などここにはなく、竜たちはともかく目立つので、竜騎士たちにはこうしてもらう他なかった。セシリアには繰り言を言われると思ったのだが、アストレアの湖が気に入ったらしく、彼女は反対に兄レオンハルトがまだしばらく遅れることを詫びたのだった。

 城門でブレイヴを待ち構えていたのは軍師と衛士だ。

 氷狼騎士団の砦にはちいさいが聖堂も設けられているために、ヴァルハルワ教徒たちが足繁く通う。イレスダートの内乱に巻き込まれないよう近隣の住民たちも避難していたのがはじめだったものの、とにかくいまは人の出入りが多くなり、こうして見張りを常駐させる羽目になったと、ロベルトはごちていた。

 この軍はどんどん大きくなる。ルダとアストレアの公子の麾下がすこしだけの、そこにオルグレムの騎士たちが加わって、半月ほど前にはクレイン家が合流した。侯爵を失ってもクレインの名は人を呼び、賛同者の数は増える一方だ。同盟軍と、自分たちをそう呼ぶ。

 子どもたちがおっかなびっくり近づいてくる。聖騎士がめずらしいのだろうか。すぐに母親がすっ飛んできて子どもの頭にひとつ拳を落としてから、逃げて行く。無垢な子どもらは聖騎士が光のように見えるのかもしれないが、大人たちにとってはただの犯罪者だ。

 イレスダートに争いと混乱の両方を起こした悪人を恐れるのは当然で、けれどもいまの王都に不信を抱いているもの事実らしい。税を毟り取られるのは戦争が長引くためでも、それがこの半年のあいだにもっとひどくなった。白の王宮内で王の力が弱まっているせいだと、民は声を震わせる。アナクレオンという人がいるかぎり、こうしたことは起こらなかったはずだ。ブレイヴはそう思う。

「その逆は考えられませんか? トリスタンほど忠直ちゅうちょくな騎士はおりませんが、彼は蒼天騎士団の団長である前にエレノア様の騎士です。主を守るためにその声に従わず、マイアに屈するかもしれない、と」

「それならそれで、かまわない」

 軍師の嘆息がきこえる。あまり下手な嘘を吐くものではないなと、ブレイヴは思った。

 アストレアを占有しているのがあの男でなければ、そこで思考を止める。軍師がいまのいままで言わなかったのは正解だ。いや、正確には自分の口から告げてはいない。セルジュはずっと前からこれを知っていたのだろう。

 おそらくはディアスからだ。幼なじみは自身がイレスダートを離れているあいだに、麾下に情勢を探らせていた。とっくに情報を得ていながら秘匿ひとくにしていた意味など考えなくともわかる。だから、オルグレムも時宜をはかってからブレイヴに知らせた。

「ともかく、アストレアはレナードとデューイに託した。あとは……信じて待つしかない」

「ええ。しかし、私よりも彼女の方がもっと強敵なのでは? かなり怒っているそうですから」

「ルテキアだな。恨まれても仕方ないだろうな。ノエルにしても、止めるつもりで俺のところに知らせに来たのではなかった」

 馬を用意していたのはノエルで、深夜厩舎に忍び込んだ彼らを待っていたのはブレイヴだった。何も言わずに金貨を一枚握らせる。それだけの行為でも聖騎士の行いとしては間違っている。この軍は大きくなりすぎたのかもしれない。王女を連れ出したノエルには軽罰で済んでも、二人は脱走兵だ。そうしなければ他に示しがつかなくなる。軍師には苦労をかけてばかりだ。

 物言いたそうな目で待っている軍師にブレイヴは目顔で促す。セルジュにしてはめずらしく、声を躊躇っているようだった。

「迷わないでください」

 それは、これから先も止まらないでくださいと、言っているようにもきこえた。

「公子。これは、あなたがはじめた戦争です。それでも……、あなたは一人ではありません。私は軍師として、どんな穢れた仕事でもやり遂げましょう」

 いまさら言うことじゃない。だからこれは、きっと確認だ。

「忘れないでください。あなたには軍師がいます。信頼できる部下がいます。友がいます。志をともにした仲間がそろっています。我らは同士であり、同罪です。自分だけがなどと、思わないように。あなたの姫君は、それを望んでなどいません」

 ひかりを、見ているのだろうか。セルジュはいま、そんな目をしている。

 けれども、ブレイヴは自分のなかに光などを感じたことはなかった。まもるべき光は、ひとつだけだ。

「わかっている、セルジュ。俺は、立ち止まったりはしないし、この戦いが最後だなんて思っていない」

「あなたなら、そうおっしゃると思いました。それに、先ほどのは私だけの声ではありませんよ。……たぶん、ジークがここにいたら、おなじ声をしたでしょうね」

 ブレイヴもかつての麾下きかの名をつぶやく。苦笑で返すブレイヴに対してセルジュは微笑んでいた。

 セルジュのこんな顔を見たのは、ひさしぶりな気がする。いつ以来だろうと、遡ってもすぐに思い出せなかった。だからきっと、本当の意味ではわかっていなかったのだろう。気がついていたはずだ。軍師の覚悟に。それなのに――。

 悔やむならば、いったいいつの自分自身になのだろう。ブレイヴはときどき、それを考える。

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