氷狼騎士団②

 カウチに腰掛けるようにと勧められたものの、レオナは従わなかった。相対するその人の手は忙しく動いているし、視線にしてもレオナではなく書面に落ちているからだ。

 このまま小一時間なおざりにされようとも、ここに居座るつもりでいる。ただ、時間は限られているので、表面上は冷静を装っていても呼吸までもは支配できない。そこそこに距離があってよかったと思う。それに、うしろに控えているのがノエルだったことも。

 幼なじみの従者は無言の圧を送ってくる。それには遠慮も何もなく、レオナにはいい緊張になるのだ。

「それで、用件と言うのは?」

 やっとこちらを向いたかと思えば、無遠慮なため息が落ちた。

 きっとそういうたちの人間なのだろう。とはいえ、こちらの要件などすでに耳に入っているはずで、それを問い返すというのなら、はじめから取り合うつもりもないのかもしれない。

 レオナは拳を作る。不安も息苦しさも、悟られてはならない。居心地の悪さなど当然のこと、レオナは招かれざる客だ。

「聖騎士を返して頂きたいのです。彼は、わたしたちにとって必要です」

 彼女ならば何を言っただろう。どんな言葉を用意したところで、彼女を真似たとしても、レオナはアイリスにはなりきれない。ルダの公女ならば幼なじみを見限ると、最初から答えは出ているようなものだ。それでも、試してみる価値はあるのだとレオナは思う。そうでなければ、わざと囚われたりはしなかった。

 夜の森を進むうちにレオナはある集団を目撃した。

 南へと進めばそのままアストレア領に入るが、その反対に抜ければマイアの領域だ。アストレアとムスタール、マイアとちょうど三つの国が境目のとなるそこを管轄しているのは、まだ若い将軍だという。それが、ベルク将軍だ。となれば、集団というのは正しくはない表現で、これは彼の騎士団だと言い換えるべきだろう。

 氷狼騎士団。レオナの耳元にノエルが囁く。たしかに彼らは銀色の軍服を纏っていた。そして、そのなかにレオナは幼なじみの姿を見た。飛び出そうとしたレオナを止めたのはノエルで、騎士がいなければここまではたどり着けなかっただろう。

 ノエルがいてくれてよかった。レオナは口のなかで繰り返す。騎士はレオナよりもずっと冷静だから、見極める目をちゃんと持っている。

 そこから先の決断は早かった。氷狼騎士団を追う。もちろん彼らを付けている者がいることも隠さずに、途中で捕まったのもノエルの策だ。

 そうして、連れて来られたのがこの砦だった。

 ちいさくともしっかりと城塞の役割を果たしているのは、公国同士の境目に位置しているためだろう。周辺にそれらしき街や村は存在しているものの、ひとたび戦争が起これば住民は氷狼騎士団を頼りにする。執務室まで案内されているあいだにレオナは子どもたちの姿を見た。さすがに外には出られないようで、退屈そうにしている子どもたちは並んで歌を口遊んでいた。レオナには覚えのない旋律だった。それが、再びきこえてくる。扉の向こうの、回廊のずっと先から。今度は子どもたちの声ではなかった。ここの騎士たちが歌っているのかもしれない。

「あなたは、こんな戦争をつづけたいのですか?」

 予期せぬ言葉にレオナは瞬く。

「これほど意味のない戦いをして、何になるというのです? まったく無駄な行為だ。理解に苦しむ」

 口を開けばそこそこに饒舌であったことにまず驚き、それから次には怒りがきた。レオナの反応とは逆に彼は相好そうごうを崩さない。目も、唇も、わずかな感情すらそこには残さずにいる。

「あなた方のしているものは暴力的で残酷な行為だ。己の正しさを力で示そうとしている」

「……っ、それはっ!」

 兄がと、溢すところで飲み込んだ。レオナはいま、ルダの公女としてここにいる。

「国王陛下はルダを奪うおつもりです。そんなことが許されるはずがありません。戦うしか、なかったのです。わたしたちは」

 震えないようにと気をつけたところで無駄だった。これでは上手く騙せない。けれども、助け船を出すのは逆効果であるから、背後に控えているノエルは黙したままでいる。

「お強いことだ」

 嘲笑ちょうしょう、あるいは憐憫れんびんか。若き将軍はレオナを見る。何ひとつとして面白くなさそうにする目は、もしかしたら試されているのかもしれない。そこではじめて彼の唇が微笑みを描いた。

「いや、失礼。聖騎士とルダの公女がそこまで昵懇じっこんの仲だというのは、私の知るところではありませんので」

 レオナの読みは当たっている。それでいて、演じてみせるように要求しているのだろう。己の考えの甘さを後悔するのはまだ早い。自分の言葉でたたかって見せろと、彼はそう言っている。

「祖国のために戦ってくれたひとを、今度はルダが助ける。そこまでおかしいことでしょうか?」

「もっともなお言葉だ。しかし、現実的ではない」

 たしかにそれは理想であることは認める。とはいえ、彼は何を指摘しているのか、レオナにはわからない。だから、次の声はレオナを絶句させた。

「この戦争を終わらせるのに簡単な方法です。聖騎士を犠牲にすればいい。叛逆者の末路が他にあるとお考えですか? マイアの民は歓喜するでしょうし、これでルダも助かります」

 冷たい、何の感情もないままに紡がれた声色は、まさしく騎士がするものだ。 

「安いものだと思いませんか? 聖騎士の首ひとつで、この戦争が終わるのです」

「なに、を……おっしゃっているの?」

 ようやく、言葉で返せた。けれども震えは止まらずに、心臓の鼓動も速くなるばかりだ。おそろしいものを見る目をするレオナに対して、彼は軽蔑するような声を繰り返す。

「それがもっとも合理的であると言っているのです」

 レオナはかぶりを振る。なにか、悪い夢を見ているのなら、はやく覚めてほしい。これが退屈な時間であるかのように、彼はひとつため息を吐いた。

「あるいは……、」

 そこで止まる。次の言葉を吐き出すための間は、彼が考えながら物を言っている証拠だ。

「王女が白の王宮へと戻ればいい。そもそものはじまりはそこからだ」

 それこそ、矛盾している。ベルク将軍は机上に山積みされている一番上を手に取った。王都からの書状だろうか。送り手は元老院と国王アナクレオン、そのどちらだとしてもおなじだ。そして、レオナはすべてを理解する。彼はおそらくのだ。レオナがではないことを。取り引き自体には応じなくとも話し合う場を設けたのもそのためで、だとすればレオナの取った行動は一番してはならないことだった。

「レオナ・エル・マイアその人が、あるべきところへと帰ればいい」

 彼はもう一度言う。

 たしかに簡単だ。それでこの内乱は終わる。ルダ、ならびにアストレアに関わった者たちの行く末は加虐なものとなるかもしれないが、少なくとも民は餓えずに済む。

 この空白の時間を肯定であると認めさせてはいけない。振り向かなくともノエルの反応が見える。わかっている。屈するつもりは、ない。これではあのときと、サリタで自らマイアの騎士の元へと行ったときの繰り返しだ。もう幼なじみをかなしませることはしたくない。

「いいえ」

 嘘を重ねたところで取り繕えないのなら、ありのままを声に乗せればいい。

「わたしは約束したのです。ブレイヴはわたしを裏切ったりはしない。わたしは彼を見捨てたりはしない」

 だから、必ず返してもらう。

 もしかしたら、すでに幼なじみはここにはいないのかもしれない。聖騎士は大罪人だ。その身柄はとっくに王都マイアへと輸送されていてもおかしくはない。でも、レオナは幼なじみを信じているし、向かい合う騎士の目を偽りだとは思わない。

 堂々巡りだ。そう、つぶやく声がきこえた。ベルク将軍はマイアからの書状を見ていなかったかのように机上へと戻す。交渉が決裂した決定的な瞬間だった。

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