氷狼騎士団①
氷狼騎士団は若者たちだけで構成されている騎士団だ。
成人したばかりの少年騎士から壮年の騎士まで、そのなかでもっとも年長者にしても中年と呼ばわるにはまだ若く、戦場では血気盛んな少年たちよりも活躍する。手柄を横取りされたと吠える少年騎士に、年長組は俺たちを出し抜こうなんて十年早いと笑い飛ばす。傭兵さながらの集団だと
没落した一族の再興を願う者に、老いた両親とちいさい兄妹たちを養うために、または上流貴族社会に嫌気が差した者もいたりと、とにかく変わり者だらけだ。
これだけでも人々を驚かせるには十分だが、彼らにまつわる逸話はまだつづく。彼らを纏める指揮官もまた若者で、自らがあげた戦果はただの偶然だとのたまうだけではなく、それに見合った恩賞もほとんど受け取らなかったと言う。国王陛下から
ブレイヴも人伝に氷狼騎士団の噂をきいたことがあった。
イレスダートには王都マイアの白騎士団を筆頭にさまざまな騎士団が存在するから、そういった偏屈だらけの集団がいても特別とは思わない。しかし彼の名をきいたときに、感じたのは懐かしさだけではなかったように思う。交わした約束も果たせそうにない。それだけが、心残りだった。
なんの反応も返ってこなかったのは、自分の声があまりにちいさかったためだと、そう思った。
彼の容貌は最後に会ったときとはたしかに変わっている。当然だ。あれからもう五年が過ぎている。彼は長く伸びた金髪を無造作に括っていて、いまのブレイヴの青髪は襟足がすこし伸びただけ、けれど互いにその顔を忘れたりはしないし、声もちゃんと覚えているはずだ。だからブレイヴはもう一度、彼の名を口にする。
「ロベルト・ベルク」
しかし、やはりおなじであった。彼は瞬きひとつ落とさずに、ただこちらを見つめている。
「きみなのか……? ロベルト」
三度目になればさすがにそれなりの動きが見えた。
ともすれば深いため息がきこえてきそうなほどの、その空白はふたりが過去を取り戻すための時間であったのかもしれない。まったくの想定外とは思えなかった。けれども、頭はまだ混乱をしている。そう。二人は、少年時代を共有していた友であったのだから。
月も見えなければ星もない夜だった。
二人の背格好はよく似ていて、士官生のときと変わっていなかった。いや、ちがう。彼は氷狼騎士団の銀の軍服を纏っていて、ブレイヴはどこにも属さないアストレアの聖騎士の軍服だ。敵と敵で、それだけで二人が戦う理由には十分だった。
「なんだ、おれを覚えていたのか」
声が終わる前にまた攻撃がくる。片手しか使えないブレイヴの動きなどすぐに読まれてしまう。
「それにしては妙だな。おれの知っているお前は、もっと冷静で理知的だった」
「なにが、言いたい?」
呼吸を乱すブレイヴを
「聖騎士サマは騎士の教えを忘れたらしい。なら、おまえはおれの知らない奴だ」
逃げられないのならば、ブレイヴの選ぶべき道はひとつしかなかった。
それなのに最初からブレイヴはそうしなかった。だいたい、逃げたところでどこへ行くというのか。周りはもう氷狼騎士団に囲まれているから戦うしかない。多勢に無勢なことをわかっていてもなお、ブレイヴは仲間を見捨てて行けなかった。
だから、おまえは甘いんだよ。痛みを感じる間もなく意識が遠のいてゆく。彼の声は、やはり懐かしかった。
はじめ目を開けたとき、そこが見知らぬ天井であったがためにブレイヴはすぐに起きあがろうとした。
けれどもそれは叶わず身体は再び寝台へと沈む。遅れて痛みがくれば理解するのもまた早く、まずは呼吸を整えることに専念する。なぜ、こんなところに居るのかと考えるのはそのあとだ。
思考を妨げたのは扉を開く音だった。
入室の合図も何もなく入ってきたのは、ブレイヴとさして歳の変わらない青年だった。腰に
「まだ傷みますか?」
唇を動かしたものの、ちゃんと声になって出てこなかった。青年はひとつため息を落として、グラスへと水を注ぎブレイヴへと渡してくれた。一気に喉へと流し込む。思ったよりもずっと喉が渇いていたらしい。そして、それほど時間が経っていたことにも。
「まあ、我慢なさってください。司祭の卵に頼み込んであなたの傷を治して貰いましたが、聖騎士に近づくことさえも嫌がっていましたので」
ブレイヴは失笑する。敬虔な教徒からしてみれば聖騎士は大罪人で、関わりたくない存在だ。いくらか銀貨を持たされてやっと治癒魔法を使っても、それは気休め程度の魔力だろう。
「ちょうどヴァルハルワ教徒がここに
「いや……、感謝する。ありがとう」
想定外の声だったようで、青年はきょとんとした。けれどもすぐに元の表情へと戻り、ブレイヴの着替えを手伝ってくれる。
「そもそも、あのひとは容赦がないですから」
そう思う。だがブレイヴは生きてここにいるし、そのあとの処遇にしても彼次第だ。
ブレイヴはいま一度青年を見た。青髪はイレスダート人に多い色だが、この青年に見覚えはなかった。とはいうもの、ブレイヴと彼との関係を知っているような物言いをするのだから、王都マイアの士官学校でもしかしたら会っていたのかもしれない。
「一応薬を持ってきましたが、使いますか?」
「いや、大丈夫だ」
ブレイヴは微笑する。どうも薬の知識も豊富らしい。騎士というよりも誰かの
扉の向こうからきこえてくるのは聖歌だ。
これからヴァルハルワ教徒の祭儀がはじまるらしい。きちんとした聖堂も設備されている施設だということはわかった。部屋に入ってくる陽射しはまぶしく、あれから半日が過ぎていることも確認できた。問題があるとしたら、ここからだ。
「ロベルトに会わせてほしい」
甲斐甲斐しく働いていた扈従の手が止まった。
ブレイヴは己の置かれている状況をちゃんと理解している。はじめから殺すつもりならば、あのときとっくにそうしているはずだ。罪人として王都マイアに連れて行くなら牢に入れるはずだし、それが備わっていなくともそれなりの部屋に閉じ込めていればいい。ブレイヴの視線は扈従よりも向こうにある。奪われた剣はご丁寧に壁に立て掛けてあった。それを手にしたとしても、ここから逃れる手段などない。そう言わんばかりに。
「それは、難しい相談ですね。いえ、誤解なさらないでください。ベルク将軍は来客中です。なんでも、ルダの要人だとか」
「要人……?」
ブレイヴは繰り返す。ここで舌戦をする気はないが、含みを持った物言いにすこずつ苛立ちを感じてきた頃だ。扈従はにこりともせずにいる。
「ええ。突然の
そして、次はブレイヴが目を
ルダの公女は二人いるが、姉妹は正反対の性格をしている。姉は他国に嫁いだ身なのでその呼び方をまずしなければ、妹ならブレイヴを見捨てる。ブレイヴは無意識に嘆息していた。できれば、たどり着きたくはなかった答えだ。しかし、ブレイヴには時間がない。それに、必ず戻ると約束した。彼女のところへと。
この扈従はブレイヴの手当をしてくれた。ならば、短刀を隠し持っていることにも気がついていたはずで、それでもすべてを奪わなかった。見縊られていたのだろうか。それとも、試されているのか。
「……それは無駄だとは思いますが、やってみますか?」
どうやら、こちらの考えなどお見通しのようだ。それでいて演者として付き合ってくれるというのなら、乗るしかない。ブレイヴは薄く笑った。
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