魔女と騎士①

 火急の知らせであったために、扈従は入室の許しを得ずに扉を開こうとしたものの、しかしそれより前にそこから三人が出てきた。ブレイヴは彼らの視線を受ける。一人は相好を崩さずに、一人はやや驚きながらも安堵の色が強く、もう一人は微笑みを描いていた。

 思ったとおりだった。

 悪い予感が当たったとしても、これは危機ではなく好機だと考えるべきだ。ブレイヴはまず幼なじみと自身の従者に目顔で伝える。大丈夫だ、と。そうして、ブレイヴ自身も彼女たちの無事をたしかめる。敵陣のなかに二人だけで乗り込んできた姫君を、彼は道具として扱ったりはしない。

「ああ、意外と早かったのですね。しかし、よろしいのですか? このまま帰してしまっても?」

 扈従の声は、どこまでが本気かわからないような響きを伴っていた。不快そうにひとつ息を吐いたのは彼だ。

「あきれたな。なんで、聖騎士がここにいる?」

「仰せつかったのは、この方の手当てと見張りですので」

 小一時間ほど前、ブレイヴはある行動に出た。それは賭けといってもよかった。

 たぶん、扈従はブレイヴを知っていて、その性格も理解していたのだろう。演者としてどこまで付き合ってくれるかどうか。ブレイヴは扈従が剣を抜くよりも先に、隠し持っていた短刀を首に当てた。人質ですか? 扈従の声は、どこか面白がっているようにもきこえた。

「話がしたい。ロベルト、きみと」

 卑怯なやり方をするのはここまでだ。

 ブレイヴは扈従の背中を突き飛ばして解放する。ロベルトのすぐ傍には幼なじみがいて、ノエルは公子の無事を認めてもまだ警戒心を消していない。たしかにこちらの味方はたった三人だけだ。この上、レオナを人質にでもされたら、ブレイヴは何も手出しができなくなる。

「それは取り引きのつもりなのか?」

「いいや。でも、きみは俺を殺さなかった。最初からそのつもりじゃなかった。そうだろう?」

 質問に答えてくれるかどうかなんてどちらでもいい。

 これは、事実だ。だからロベルトはほんのすこし唇に笑みを残していた。彼が、褒章や己の名誉のために動くたちではないことを、ブレイヴは知っている。そうでなければ、はじめからブレイヴを生かしてはいなかったし、こんなところへわざわざ連れてきたりもしない。見定めているのかもしれない。騎士として、いや指揮官として、導くものとして、ブレイヴがそれに値するかどうか。ところが――。

 違和感に最初に気がついたのはロベルトだった。

 におい、それから白煙が見えたときに、彼はもう駆け出していた。せっかく捕らえた聖騎士をそのままにするなんて、そう言わんばかりに嘆息してロベルトの扈従こじゅうもそれにつづく。幼なじみがブレイヴの袖を引っ張っている。わかっている。彼女が危険を冒してここへと来てしまった理由は、何もブレイヴを救うためだけではない。レオナは、どんな魔力のにおいも見逃さない。それが人ならざるものであれば、尚更に。

「これは……」

 外へと出てみれば騎士たちが倉皇そうこうしていた。

 火の手があがったのは納屋からでまだ居館には延びていないものの、暴れ狂う炎はまるで生きもののように見える。住民の避難を最優先とし、逃げ遅れた者の救出と消火を急げと指示するのはロベルトで、氷狼騎士団は将軍の声でやっと我に返ったらしい。まず壮年の騎士たちが動き出し、少年騎士も互いを叱咤する。彼の顔は騎士そのもので、しかし遅れてきたブレイヴを見るなり嫌悪を露わにした。

「これが、叛乱軍のやり方か?」

 彼の目に失望が宿っている。ちがう。けれども、ブレイヴの声は怒りと嘆きと、混乱に消されてしまった。ブレイヴの軍師はまだ合流できずにいる。ルダの公女ならブレイヴを見捨てる。では、他には誰が――。

「おまえを見損ないたくはなかった」

「ちがう、ロベルト。俺は……!」

「まって」

 二人の視線が彼女へと向かう。

「まってください。あれは、ちがう。ただの炎ではないの。魔の力を強く感じる。あのときと、おなじ……」

 ロベルトも彼の扈従も、奇怪なものでも見るような目をしている。けれど、ブレイヴには幼なじみの言葉が理解できる。あれがどんなに危険であるかも、彼らに知らせなければならない。

「すぐにここから離れるべきだ。動ける者もそうでない者も。全員が、だ」

「おれたち氷狼騎士団だけじゃない。あそこにあるのが軍需品だけだと思うか? 民に飢えろと、おまえはそう言うのか?」

「そうだとしても、人の手には負えない。いまは……、耐えるしかないんだ」

 あの炎には強い魔力が宿っている。

 以前とおなじ、ブレイヴは直接その目で見たわけではなかったが、遭遇した者たちがいる。レオナはあれとおなじ炎を見た。西のラ・ガーディア、ウルーグの国境の街にイスカが侵攻したときだ。

 あの炎は外側から消すことはできない。そう、あの炎は生きている。術者が魔力を解くか、あるいはすべてを燃やし尽くすのが先か。どちらにしても、選択肢はない。

「まって、ブレイヴ。わたし、わたしならできるわ」

「だめだ。レオナ、きみには……、」

 ブレイヴは幼なじみの手を強く握る。そうしなければ、彼女はあの炎に立ち向かっていただろう。行かせない。あんな危険なものにレオナを近づけさせたくない。たしかに、幼なじみの力を持ってすれば、被害を最小限に留めることができるのかもしれない。それでも、ブレイヴは認めない。ここで恩を売っておくことが、かつての友と交渉する材料になったとしても。

 取り残されていた人々が運ばれてくる。負傷者の程度はさまざまで、肩を貸されながらも自分の足で歩いている者も、ひどい火傷を負っている者もいる。ここにはヴァルハルワ教徒たちが逗留とうりゅうしているときいたが、治癒魔法の使い手はとても足りないくらいだ。

「べ、ベルク将軍……」

 救出された騎士の一人が彼へと近づく。外傷はなさそうでも白煙を多く吸い込んだせいか、激しく咳き込んでいる。何があったと問うロベルトに、青年騎士は涙ながらに訴えた。

「お、お願いです……。弟を、止めて、ください。あいつは、仲間を……、」

 青年騎士はつづいて助け出された騎士を見る。ブレイヴも目をみはった。ひどい傷だ。火災が原因でああはならない。やっと来た聖職者たちが負傷した騎士の治癒をはじめるものの、癒しの光は間に合わずに騎士は吐血した。

 ブレイヴを呼ぶ声がする。幼なじみだ。繋がっていた手が解かれる。

「どいてください」

 治癒を諦めかけていた聖職者たちに割って入ると、彼女は跪いて祈りのための時間を使った。

 緑色をした淡い光がレオナの手から零れている。それはやがて、傷つき倒れた騎士の全身を包み込んでゆく。ほんのすこしの、瞬きをするそのあいだに。絶え間なく流れていた血が止まり、皮膚を裂き、骨まで届いていた傷がまもなく消える。傷が塞がったというよりも、抉られた肉片と皮膚が再生したといった方がいい。身体を巡る血液もまた、新しく生まれ変わったかのように、土気色だった騎士の頬に色が戻っている。

 おお、と。感嘆にも畏怖いふにも取れる声が漏れた。聖職者たちは異端な力を恐がっているのかもしれない。

「おまえの弟はどっちに行った?」

 はっとしてブレイヴは振り返った。空咳を繰り返す青年騎士に彼は問うている。そうだ。不可解なことはまだ終わっていない。

「アストレアの、森に……」

「味方殺しは大罪だ。逃してはおけない」

 ロベルトの声に青年騎士は苦しそうな表情をし、また咳き込んだ。負傷者の数が増えてきた。救出に急ぐ騎士たちのなかにノエルの姿がある。いつの間に加わっていたのだろうか。従者は怪我人を聖職者たちに預けると、ブレイヴの前に進み出た。

「あの炎を放った者と、それからもう一人がいるようです。近くにいた者が証左となるために、いきなり攻撃されたのだと……」

 ノエルは氷狼騎士団の者たちを見て、またブレイヴへと視線を戻した。

「公子。行ってください」

 従者にはブレイヴの性格も次に取る行動もお見通しだ。逡巡の時間はわずかで、ブレイヴはうなずいた。

「申し開きはあとできく。いまはここを、レオナを頼む」

「待って、ブレイヴ」

「大丈夫だよ、レオナ。きみはここに残って。彼らを、」

「ええ、わかっているわ。でも、気をつけて……」

 レオナの言わんとすることがわかる。ブレイヴは次に彼を見た。ロベルトは扈従に細かい指示を与えていた。さすがは氷狼騎士団だ。まだ混乱しているものの、騎士たちの行動は早い。

 良い騎士団だと思う。戦場で敵対する相手でなかったら、きっと良き仲間となれたはずだ。その彼らの指揮官を失ってはいけない。ブレイヴは彼の前に立つ。 

「なんのつもりだ?」

「監視だと、そう思えばいい」

 彼を、一人では行かせはしない。

 望まぬ共闘だったとしても、いまは協力者が必要だ。答える声はなく、けれどもロベルトはブレイヴを拒否せずに、謹直きんちょくらしい目をする。昔と何も変わっていない。そういう顔を、彼はしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る