友の忠告、友の助言

 レオンハルトの帰還にグランルーザの民は歓喜した。

 老爺ろうやから年端のいかない坊やまでどの顔も明るく、あるいは涙ぐんでいる者もいる。グランルーザの王子が城を空けていた期間はひと月とすこし、たったそれだけのあいだでも、グラン王国の情勢は目まぐるしく変わっていて、それだけ皆は不安な日々を過ごしていたのだ。

 最初にレオンハルトを出迎えたのは妻のアイリオーネだ。

 愛しき妻との抱擁は見ているこちらが恥ずかしくなるくらいに長々と、ブレイヴとおなじくそっと視線を外した者もいれば、拍手喝采を送る者もいる。なるほど。これが彼らの日常なのだろう。そして、彼がグランルーザの民に愛されているのはこの国の王子だからではなく、レオンハルトという男に惚れ込んでいるからで、自身もその一人だとブレイヴはそう思う。

 しかし、グランルーザに届けられたのは吉報ばかりではなかった。

 レオンハルト救出に向かっていた第一部隊も戻って来た。沈痛な面持ちで帰還した彼らの肩をレオンハルトはたたく。若い竜騎士が唇を開くより前に、レオンハルトはすでに感じていたのだろう。先陣を務めていた妹の顔がどこにも見えない。その意味を、彼は重く受け止めている。

 湯浴みを済ませたレオンハルトは、まず父親のカミロ王のところへと向かった。

 回廊で控えた扈従こじゅうによれば大声はきこえなかったというから、親子喧嘩ははじまらなかったらしい。そのあとすぐにレオンハルトは官吏や竜騎士団を集めて軍議室へと籠もった。三時間後、ようやく出てきた彼がブレイヴを呼びにくる。ずっと地下牢にいたせいか、外の空気が吸いたくなったらしい。二人連れ立って庭園を歩いた。アイリオーネのガゼボには、デルフィニウムの世話をする庭師の姿もなく女性たちも不在だった。

「世話を掛けたな」

 ブレイヴは微笑みで応える。なんだかレオンハルトらしくない。軍議室の外にいたブレイヴには届かなかったが、こってり絞られたようだ。さすがに反省しているのかもしれない。

「エルグランには何て返すつもりなんだ?」

「考え中だ。交渉しようにもジェラールがあれではな」

 くつくつ笑うレオンハルトを見て、反省したのも一部分だけだとそう思った。

「まあ、心配するな。魔道士部隊がうしろに控えていただろう? あいつは直撃を食らったわけだが、是が非でも魔道士たちがジェラールを助ける」

 レオンハルトとジェラールは幼なじみだったのではなかったのか。でも、これがレオンハルトなりの礼なのだとしたら、冗談が通じ合える相手というのもおそろしいものだ。レオンハルトの愛竜リュシオン、飛竜の吐いたあの灼熱の炎を思い出すだけで足が震える。

「言っておくが、そう何度も使える芸じゃないぞ。あいつを宥めるのも大変なんだ」

「そうだろうな」

 今度は苦笑いで返す。リュシオンがレオンハルトの言うことを素直にきいたのも、ひと月もあんなところに閉じ込められていたせいだ。地下牢の壁を壊しただけでは足りなかったらしい。他の飛竜と比べてリュシオンの乗り心地はけっして良いとは言えなかったし、たぶんまだリュシオンは怒っている。

「ジェラールはいい。それよりもセシリアだ」

 グランルーザの妹姫は救出部隊の第一部隊を率いていた。他の竜騎士たちによれば、敵の攻撃をまともに食らってベロニカとともに落ちたという。しかし、それにしては落ち着いている。ブレイヴはレオンハルトを見た。髭も綺麗に剃って衣服も新しく着替えてさっぱりした顔でいる。彼の性格ならばすぐにでも飛び出していきそうなところ、さすがに今回ばかりは懲りたのだろうか。

「リュシオンが落ち着いているからな。ベロニカもセシリアも無事だ。信じていいぞ」

「……あれで?」

「ああ、言ってなかったか? リュシオンとベロニカも兄妹だ。どうだ、めずらしいだろう? 飛竜が一生のうちに宿す子は一匹だけだ。普通はな」

「つまり、リュシオンとベロニカには特別な繋がりがあると?」

「そういうことだ」

 レオンハルトは満足そうにうなずく。むしろそのせいで余計にリュシオンが怒っているような気もする。飛竜の兄妹だって人間のように妹を案じるはずだ。

「ともかくだ。お前には借りができたな。そのうち倍にして返すから、もうすこし付き合ってくれ」

「それはもちろん」

「なら、よかった。お前はあいつとちがって話が早くていい」

 褒められているのかそうでないのか。王子自ら単身で隣国に乗り込んだ挙げ句、俘虜ふりょとなった。彼は反省しつつも後悔はしていないという表情だ。それでも、ジェラールとの対話は上手くいかなかった。思想や理念、育った環境もちがう。幼なじみだとしても譲れない信念と義務があるのだと、思い知らされたのかもしれない。

「だがしかし、セシリアが帰って来なかったならば。そのときは、兄としてあいつらを祝福するべきかもしれんな」

「祝福しているような顔には見えないけれど」

「うるさい。リボンを付けてセシリアをくれてやってみたいで腹が立つだけだ」

 人質が逆になったと言わないあたり、さすがレオンハルトだ。彼の救出でグランルーザが手薄になったその隙に、ジェラールは襲撃してこなかった。本気でグラン統一を考えているなら手段は選ばない。エルグランの公子もまだ迷っているのだろうか。それとも求めていたのはセシリアだった、そんな情熱的な人間にも見えなくはない。

「そんなことよりだ。問題はお前の方だ」

 ブレイヴはまじろぐ。彼は真顔になった。

「お前がイレスダートに戻るというなら、俺はそのための力を惜しまない。だが戻ったところでどうなる? いまのお前は聖騎士という名の叛逆者だ」

「まさか汚名がグランにまで届いているなんて」

「茶化すな。俺は真面目にきいている。……お喋りなが勝手に教えてくれたからな」

 敬虔なヴァルハルワ教徒であるジェラールは、教会を通じてイレスダートの情勢を知っているのかもしれない。狭い鉄格子のなかで、ただそれをきかされていたレオンハルトは辟易しただろう。

「王都マイアで、白の王宮で何かが起こっている。アナクレオン陛下が健在かどうか……まずはそれが知りたい」

「なら、必要ない。陛下は病に伏していたようだが、いまは公務にも復帰しておられる」

「白の間が血で穢されたというのに?」

「なんだ。お前の方がよく知ってるじゃないか。どこからの情報だ?」

 ブレイヴは唇を閉じる。オスカー・パウエルはランツェスの騎士、公子ディアスの麾下きかだ。レオンハルトはディアスを知っているが、説明するには長すぎる。

「まあ、いい。それ以上は白の王宮から広がっていない。元老院が揉み消して、ヴァルハルワ教会が教徒たちに広めている。し、アナクレオン陛下はご健在であると」

 ブレイヴは思わずため息を吐いた。ずいぶんと手回しがいい。

「黒騎士ヘルムートは?」

「懐かしい名だな。俺は真面目だったから、赤い悪魔みたいに懲罰室にはぶち込まれなかったが」

「レオンハルト」

「かつての教官殿は王都にはいない。ムスタールに帰った。国王陛下の王命だ」

 頭がまた混乱してきた。ブレイヴは黙り込む。円卓で向かい合っているのに飽きたのか、レオンハルトはやおら立ちあがった。彼の視線は青紫色の花だ。

「どうせお前は信じていないのだろう? ムスタール公爵が陛下に剣を向けたなどと」

「そうするような理由がない」

「どうだろうな。お前はその場に立ち会っていない。どんな声が交わされていたかも、誰も知らないんだ。そこにいたのが本当にヘルムートとアナクレオン陛下だったのかも」

 レオンハルトは青紫色の花に手を伸ばす。そのまま引っこ抜けばアイリオーネに叱られるでは済まない。

「重要なのはそこではないだろう? お前自身の問題はなにひとつ解決していないんだ」

 ブレイヴも席を立った。デルフィニウムの庭園には白や青の色が見える。故郷に咲く白い花を思い出す。郷愁に駆られるのは自然な感情だ。

「アストレアを諦めろとは言わないが、時宜が悪い」

「戻る頃には一年が過ぎている。そんなに長く待たせたくはない」

 それにきっと母は怒る。遅すぎると、そう言う。

「すんなりアストレアにたどり着けると思うな。お前は叛逆者だ」

 わかっている。でも、二度も言われるとは思わなかった。レオンハルトが立ちあがる。その手に青紫色の花は握られていなかった。よかった。これで二人ともアイリオーネには怒られない。

「城塞都市ガレリアも、どうなっているかわからない状況だ。だから俺は待てと言っている。そのままルドラスが攻めてくるなら、それでもいいじゃないか。奴らは聖騎士の力を当てにするし、アストレアも解放する」

「逆だよ、レオンハルト。奴らは戦争をしたがっているんだ。だからアストレアを欲している」

「頭の固い奴だな。だから待てというのに。それとも、他に理由でもあるのか?」

 問われてブレイヴは微笑する。グランルーザにブレイヴの幼なじみがいる。それをレオンハルトは知っているはずで、それなのにあえて問うのだろうか。

「約束はたがえない」

「約束なんてものは呪いとおなじだ」

 年長者の説教がはじまった。こうなると長い。

「いいか、お前は肝心なことを忘れている。いいやちがうな。あえてそれから目を逸らしている」

「急に話が逸れていないか?」

「うるさい。人の話は最後までちゃんときけ」

 大股で歩いてレオンハルトがガゼボまで戻ってきた。それにしては顔が近い。鼻息までしっかりきこえる。

「お前は、何のためにイレスダートに戻ろうとする?」

 さっきの話の繰り返しじゃないか。反論したら今度は殴りかかってきそうな勢いなので、ここは黙っておく。

「聖騎士としての義務、なるほど結構な理由だ。祖国アストレアを取り戻すため、まあ間違ってはいないな」

 どちらも正解だ。レオンハルトは勝手に答え合わせをしてたのしんでいる。ブレイヴは押し黙る。他人に指摘されてはじめて気がついた。国を追われた聖騎士など無力なもので、だからこそブレイヴは力を求めた。その目的はレオンハルトが言ったとおり、彼の声は正しかった。でも、そうじゃない。

「俺は、彼女を理由に……、自分を正当化しているだけなのかもしれない」

 言うつもりはなかったのに、唇から勝手に声が漏れた。レオンハルトは無言でいる。怒っているし、失望しているし、落胆もしている。そんな表情だった。

「レオナを白の王宮に、彼女のあるべき場所へと返してやりたい。そう、彼女と約束したのは本当だ。でも」

「ラ・ガーディアの動乱は俺もきいている。西の奴らに上手く借りを作ったようだな」

「そうだよ、レオンハルト。彼らは友のために力を貸してくれると、そう言った。イレスダートに戻るときに必要となるから。でも、そうじゃないんだ」

 ブレイヴはレオンハルトから視線をずらしてデルフィニウムの花を見る。白の色が見える。アストレアに咲く花とおなじ色だ。

「俺はレオナを理由にして、卑怯な手ばかりを使っている。大義名分なんかじゃない。それすらも、アストレアを取り戻すための力に変えようとしている」

 声にして後悔するかと思ったが、そうでもなかった。友の前で恥も外聞もかなぐり捨てたというのに、どこかすっきりもした。レオンハルトのため息がきこえる。

「いいか、俺はさっき忠告をした。ここから先は助言だ」

 説教ではないのか。声を返そうとしてじろっと睨まれた。

「俺も頑固な方だからアイリにはよく言われる。だが、お前は俺以上だ。ここまでくると馬鹿かもしれん」

「馬鹿」

「ああ、大馬鹿だ」

 これは怒った方がいいのだろうか。ひと月前にディアスと殴り合い寸前の喧嘩をした。あとでセルジュにこっぴどく叱られたのでさすがに懲りたし、今回は殴り合う相手が悪すぎる。レオンハルトみたいな大男に挑んだところで返り討ちにされるだけ、そしてきっと幼なじみには泣かれるだろう。

「お前はなんにもわかっていない。自分の心なのに、なぜ自分で開けようとしない?」

「きみから精神論をきかされるとは思わなかった」

「うるさい。いいからきけ。そもそもお前の夢はなんだった? 思い出せ、士官学校からだ」

「そんなに前まで遡るのか?」

「聖騎士は単なるお前の夢だったか? だいたい聖騎士の称号にしても、裏から根回しして貰ってようやく得たものだろうが」

「きみは、なんでも知っているんだな」

「アストレアは小国だからな。いかにイレスダートが公爵家のひとつといっても、親子二代で下賜かしされるのは異例だ。何かの後ろ盾がない限りはな」

 無駄に過去を掘り起こされたくなかったが、本気で怒る気にはなれなかった。いま、ブレイヴが冷静でいられるのは、それ以上に友が怒っているからだ。

「聖騎士になりたかったのはなぜだ? 力を手にしたいと望んだのはなぜだ? お前が、彼女をマイアへ戻してやりたい気持ちは何だ? 守りたいと思うのはレオナが王女だからか? それが王命だったからか? 彼女が幼なじみだからか?」

 そのどれもが、嘘だ。ブレイヴは息を止める。 

「そのなかに正解はない。だから俺が教えてやる。愛しているからだ、彼女を。いい加減に認めろ」

 頭を殴られた気分だった。いや、本当に一発ぶん殴られてデルフィニウムの花に身体ごと突っ込んでいた方がずっとよかった。誰もそんなことは言ってくれなかった。ジークも、セルジュも、ディアスも。当たり前だ。自分で導き出さなくてはならない答えだった。

「ごめん、レオンハルト」

 彼の方が殴られたみたいな顔をしている。とにかく人情家の彼は、他人の失恋話で泣く男だった。 

「レオナが何も知らずにいて、何も感じていないとは言わせないぞ。お前はそこまでの馬鹿じゃないからな」

「二回も馬鹿って言われた」

「三度目は言わん」

 鼻を啜るレオンハルトはそっぽを向いてしまった。どうしたものか。このまま戻れば泣かせたのがブレイヴになってしまう。

「ジェラールを見習えとは言わんが、あれくらいの気概を持て」

 とはいうもの、ジェラールとは一回会ったきりの他人で、なにから参考にすればいいのかと頭を悩ませるブレイヴを置いて、レオンハルトはさっさと帰ってしまった。アイリオーネには怒られて、セルジュにも話が長いと愚痴を言われる。ただ一人、レオナだけがきっとブレイヴを庇ってくれる。

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