自責の念①

 ブレイヴたちがオリシスへと身を寄せてからひと月が過ぎた。

 空は鈍色ばかりがつづき、日中だけではなく夜になってもしつこく雨が降っている。晴天の日には城下街を散策できても、そうではないときにはやはり城内に留まるしかない。そのうちに時間を持て余すようになってしまった。

 ブレイヴは回廊で少年騎士たちとすれ違った。少年たちは聖騎士を憧憬の目で見る。さすがに話しかける勇気はなかったらしく、背後から青年騎士が責っ付く。彼らはこれから騎士の訓練があるのだろう。

 回廊の向こうでは霧雨が降っている。でも少年たちは、まだすこし身体よりも大きい軍服を泥だらけにしても逃げたりはしない。オリシス公はそんなにやさしい人ではなかったし、代理を務める騎士はもっと厳しいのだ。

「そういえば、公女に手合わせをしてほしいと、そう頼まれていたな」

 独り言のつもりだったが、ジークは苦笑する。

「断ったのではなかったのですか?」

「いや、公女は真剣だったし、アルウェン様も止めなかった」

 オリシス公の妹ロアのことだ。実直な性格をした公女は兄とおなじように騎士の道を選び、そうしてアルウェンからオリシスの騎士団を任されている。公女が成人するまではオリシス公が補佐するものの、一人前と認められた暁には騎士団をロアに託すのだろう。妹の話をするとき、アルウェンはいつも目を細めていた。

「良い騎士団だと思います。一体感がありますし、少年騎士たちの成長も早い」 

 ブレイヴはうなずく。騎士の訓練に参加させてもらったときにおなじことを感じた。彼らは謹直きんちょくであり誠実であり、何よりも余所者を拒まないたちのようだ。若いレナードやノエルなどはすっかりオリシスが気に入ったらしく、騎士たちの行きつけの酒場も教えてもらっただとか。穏やかな気候がそうさせるのだろう。北のガレリアでは、ブレイヴたちや他の国の騎士が来ても人々はまるで無関心だった。あの目を思い出すとやるせない気持ちになる。

「あれは……」

 ジークがつぶやいた。その視線の先には異国の剣士が見えた。クライドがまだオリシスに留まっているのも、この国に居心地の良さを感じているのかもしれない。中庭を挟んだ回廊で異国の剣士は誰かと話をしている。いや、言い争っているようにも見える。

「レナードとノエルですね」

 嘆息するジークにブレイヴも苦笑いする。

 レナードはクライドから剣の指導を受けているそうだが、あの様子だとそれ以外の時間も一緒のようだ。子犬に懐かれて迷惑そうにしている。

「まったく、あれでは彼も困っているでしょう」

 自身を目付役と称するくらいにジークは同郷の騎士らに厳しい。それもあの二人に期待をしているからで、きっとたっぷりと絞られるだろう。向上心があるのは良いことだ。そう言ってしまえばこっちが説教をきかされる羽目になるので、ブレイヴは黙っておく。ところが、あちらへと向かっていたジークの足が止まる。公子、と。呼ぶ声は低かった。

「すこし、いとまを頂きたいのですが」

 ブレイヴは眉をひそめる。無思慮な声ではない。騎士は時宜じぎを待って申し出ている。

「承諾はできない」

「十日、いえ……七日でもお許し頂けませんか? それまでには戻ります」

 無言で肩をすくめて見せれば、騎士はそれ以上を言わなかった。わかっている。それでも許すわけにはいかない。

「アルウェン公は私にすこしの時間をくれと、そう言った。待て、ということだ。このオリシスにいる以上、従うべきだと思う」

 ブレイヴはここで守ってもらっているのだ。勝手な言動はアルウェンへの裏切りとおなじだ。

「配慮に欠ける発言でした。お許しください」

「お前の考えはよくわかっている。それでも、俺にはお前が必要だ。傍にいてほしい」

「仰せのままに」

 ジークは一揖いちゆうし、異国の剣士のところへと行った。ブレイヴは彼らを見届けずにまた回廊を歩き出した。頼りのない主だ。口のなかでつぶやく。ジークをここまで短慮にさせたのは他でもないブレイヴだ。アルウェン公に保護されている以上、ここが安全な場所であっても心はずっと落ち着かないまま、時間だけが悪戯に過ぎてしまっている。母エレノアを信じていないわけではなかったし、アストレアが強い国だということもちゃんとわかっている。それでも、ときどきどうしようもない焦りをブレイヴは感じている。

 ため息ばかりしている気がする。ブレイヴは意識して顔をあげた。そのとき、一人の少女と目が合った。

 蜂蜜色の髪の毛はオリシスではそう多くない。少女の生まれは西のラ・ガーディア、縁があってアルウェンが養女に迎えたのだとそうきいた。それから、人見知りが強くて内気な性格なのだとも。

「シャルロット、だよね?」

 少女はただ黙ってうなずいた。本当はそのまま逃げてしまいたかったのだろう。でも、書物庫に行くにはここを通らなければならないし、知らんぷりをするには遅すぎた。

「私のことは知っているかな?」

「アストレアの、ブレイヴ公子……」

 答えてはくれたものの、少女の目から警戒心は消えてくれない。ブレイヴは少女を怯えさせないように気をつけて微笑む。

「正解。父上からきいたの?」

「いいえ。レオナが……、あなたのこと、よくおはなししてくださるから」

 なるほど。少女が逃げずにちゃんと話をしてくれる理由がわかった。

「そっか。仲良くなれた?」

「はい。他にもたくさん……、白の王宮のことも、お兄様のことも、それからアストレアのことも」

 やっと笑ってくれた。きっとレオナのおかげだ。シャルロットは腕に数冊の本を抱いている。読書が好きならば趣味も合うかもしれない。ブレイヴは舌で唇を湿らせて、次の話題を考える。ところが次の声は少女が先だった。

「あの、おふたりはおさななじみ、なのでしょう?」

「うん、そうだよ。最初に会ったときにはまだ二人とも小さかったから、よく一緒に遊んでた。マイアに雪がたくさん降った日には、雪うさぎを作ったよ」

「王都マイアはすごく寒いのね……」

「そう。オリシスもだけれど、アストレアも暖かいから王都で雪を見るのがめずらしかった。たくさん遊んで、でも次の日には熱を出してしまったけれど……」

「まあ」

 少女はくすくすと、可愛らしく笑う。

「レオナはすごく心配してくれて部屋に入りたがってた。でもソニアが――彼女の姉上に追い出されたんだ」

 いま思えばあれは体のいい口実で、幼い彼女は邪魔になっていたのだろう。王家の人間は竜の血を受け継ぐ家系だ。大病にはまず罹らないし、普通の人間よりもずっと生命力が強いから熱で寝込むなんて稀な話だ。

「なかよし、なのね」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、すき……?」

「うん?」

「好き、なの?」

 少女の声はとてもちいさくて、ききちがいかと思ってブレイヴはまじろいだ。でも、シャルロットの視線は外れずにいて、その瞳も星みたいにきらきら輝いている。

「うん。好きだよ」

 期待していた返答だったのか、それともその逆だったのか。少女の頬がたちまちに赤く染まった。言葉はそれきり途切れてしまって、けれどシャルロットとの会話が終わる前に、ブレイヴはひとつだけ問いかける。

「そうだ。レオナのことを探しているんだけど、どこにいるのか知らないかな?」



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