自責の念②
雨が止んでいるのも、きっとわずかな時間だけだろう。
それでも、彼女は庭園へと足を運ぶ。王都マイアの白の王宮、その離れの別塔にはいつもたくさんの花が競い合うように咲いている。純真なる白の色、情熱の赤にやさしさを感じる薄紅色、神秘的な青や紫の薔薇の栽培はむずかしいのだと、
ブレイヴが幼なじみを見つけたのは西の外れの庭園だった。
傍付きも伴わずにここに来たのは、彼女が一人になる時間を望んでいたからだ。働かざる者食うべからず。それが持論の母エレノアは王女だからといって遠慮はしない。アストレアの女たちのところで働き、日中はそうして過ごす。しかし、オリシスではアストレアのようにはいかないから、あくまで幼なじみは客人の扱いだ。
オリシス公もその妻テレーゼも城内を好きに使ってくれていいと、そう言う。でも、それが却って息が詰まるのかもしれない。だからレオナの傍付きであるルテキアも、幼なじみをちゃんと一人にしてくれる。
「やっと見つけた」
急に声をかけられたせいか、幼なじみの肩がびくりと跳ねた。
「あ、ブレイヴ……。どうして、ここに?」
まるで来てほしくなかったみたいだ。彼女の視線はすぐ外れてしまったし、他人のようなよそよそしい声をする。
「シャルロットにきいたんだよ。きみがここにいるって」
「そうなの……。でも、わたし行かなくちゃ」
「どこに?」
そっちには花園しかない。ブレイヴは目顔でそう言う。それなのに幼なじみはまだ逃げようとする。
「花を、見るつもりだったのよ」
「ふうん。じゃあ、教えてもらえるかな? 俺は、あまり花には明るくないから」
「それなら、わたしよりもテレーゼさまの方が」
「今日は朝から出かけているそうだよ。アルウェン様もきっと一緒だ」
何が彼女をそうさせているのだろう。知らない人に話しかけられて早く立ち去りたいときみたいな、そういう顔をいま幼なじみはしている。
「アナベルよ」
短く、それだけ。それが花の名前のようだ。そこで話も終わらせたいのか、幼なじみはにこりともしない。ブレイヴはレオナのうしろに咲いている白の花を見る。アストレアでも白くてちいさいリアの花が有名だが、それよりももうすこし大きい。砂糖菓子を集めたような、白の大ぶりの花はオリシスにしか咲かないのだろうか。他の国では見たことがなかったし、白の他にも黄緑色も見える。
「北から来た旅商人が、わけてくださったそうよ。テレーゼさまがあの花を、気に入ったみたいだから」
それだけじゃ説明に足りない。沈黙をそう捉えたのか、幼なじみはぽつりぽつりと声を落とした。
「そうなんだ。可愛らしい花だね」
「うん……」
いつものレオナならもっとたくさんつづきをきかせてくれる。自分もあの花を好きになっただとか、兄にも見せたいとそう言う。不自然なだんまりの時間が長くなればなるほどに、二人の距離が広がる。そういう気がする。だから、ブレイヴはレオナの目をしっかり見る。幼なじみはブレイヴとは反対のことを考えているのかもしれない。それが、歯痒くてつらい。
「どうして逃げるの?」
「逃げてなんか、ないわ」
ほら、またそうやって嘘を声にする。
「でも、レオナは目を合わせようとしないよね?」
「そんな、ことは……」
「ちゃんと俺の目を見て」
彼女の手を取ったのは逃がさないためだった。卑怯者だと罵られてもいい。嫌われてしまったのだとしても、その理由が知りたいからブレイヴはこの手を離さない。
「わたしの、せいだから」
幼なじみの声は震えていた。泣かせるつもりなんてなかった。こんな顔をさせたくはなかった。それでも、レオナが自分の前で偽りの声を落とすのは嫌だった。苦しみも悲しみも弱さも、全部を隠さずにいてほしいと思うのは、わがままなのだろうか。
「それはちがう」
ブレイヴは幼なじみを抱きしめる。彼女は、逃げなかった。
「きみのせいじゃない。そんなこと思わなくて、いい」
腕のなかで嗚咽がきこえる。幼なじみはずっと一人で抱え込んでいたのだ。アルウェンもテレーゼも彼女にやさしい。でも、幼なじみがここにいるのはアストレアを追われたから、その理由が自分にあるのだと思い込んでいる。そんなものは誤りだ。
「そうじゃない。アストレアが安全じゃなかっただけだ」
そうだ。レオナのせいなんかじゃない。そもそもアストレアは疑われていたのだ。たしかに城塞都市ガレリアにて銀の騎士と接触したのはブレイヴだ。それも大義名分だとブレイヴは思う。最初から元老院はアストレアを欲していた。そう考えると辻褄が合う。
「奴らは何だって利用する。だから、陛下はきみを」
「兄上は……ギルにいさまは言ったの。その目で見なさいって」
幼なじみの目からまた涙が溢れた。
「自分の目で観て、耳で聴いて。王都マイアの外を知りなさいって、そう言ったの」
ひとつ一つをたしかめるように、幼なじみは声を紡いでゆく。
「わたし、言うとおりにしたわ。北のガレリアは、すごくこわかった。あの城壁の向こうには、父上と姉上を奪った人たちがいる。そう思うとこわくて、わたし……あなたがいるのがわかっていても、行きたくなんてなかった」
彼女は無理して笑みを作ろうとする。笑わなくてもいいよ。ブレイヴは先に微笑んで見せる。
「アストレアでは、みんながやさしかった。わたしのこと、王女だって知らないから。むかしからの知り合いみたいに、なかよくしてくれて。ここだって、そう。守られているって、わかってはいるの。でも、わたし……」
人のやさしさがつらく感じるときがある。それは自分を責めているときだったり、自分の心に余裕がないからだ。
「わたし、いまもこわいの。オリシスにいればだいじょうぶって、アルウェンさまもテレーゼさまもそう言うわ。でも、ギルにいさまはそんなことのために、わたしをマイアから離したんじゃない」
「レオナ……」
じゃあ、何のために? 幼なじみの目がブレイヴに訴えている。けれどブレイヴには答えられない。アナクレオンは
「ねえ、ブレイヴ。わたし、どこにいてもなにもできないわ。わたしには、なにもないもの……」
たとえレオナが身分を公にしていても要人として動く力はない。彼女は側室の子として生まれて、白の王宮の外れに閉じ込められていた。早くから公人として表の舞台で生きてきた姉のソニアとはちがう。
「レオナ」
彼女を落ち着かせるために、もう一度呼ぶ。
「レオナ、大丈夫だよ。俺がいるから。傍にいる。約束する、必ずきみを守るから」
何を声にすれば幼なじみを安心させられるのだろう。どうすれば幼なじみを守れるのだろう。言葉だけでは足りない。それが、もどかしい。
「わたし、むかしのままだね」
「うん?」
「ちいさい頃、泣いてばかりだったでしょう? だからいつもあなたやディアスを困らせていたし、ねえさまには怒られてしまった」
「そうだったね……」
レオナはブレイヴよりも二つ下の女の子だった。男の子は簡単に木に登れるのに自分だけがうまくできなくて、幼い姫君は大泣きをした。ブレイヴとディアスが白の王宮を訪れるのは限られていて、数日ともに過ごした幼なじみが国に帰るとき、やっぱり姫君は泣いた。
泣いてもいいよ。ブレイヴがそう伝えるよりも前に、彼女はもう泣き止んでいた。衝動的に抱きしめていた。どうにか落ち着かせようとして、力を込めすぎていたのかもしれない。一人分の距離を空けると、レオナはとっさにブレイヴの袖を掴んだ。
「まって、ブレイヴ。わたし……まだあなたに、言っていないことがあるの」
「言っていないこと?」
幼なじみはうなずく。
「白の王宮には王しかいない。わたしだけじゃない。義理姉様も、マリアベル王妃も王都にはいないの」
ブレイヴはまじろぐ。レオナ同様に王妃も王都の生まれだ。他に縁のある場所が思いつかないし、内密にする理由もわからない。
「隠していて、ごめんなさい」
「いや、謝らなくてもいいよ。でも、だとしたらマリアベル殿下はどこに……?」
「ルダ、よ」
ルダ。ブレイヴも口のなかで繰り返す。城塞都市とおなじく、イレスダートの北に位置する公国だ。春や夏が短く、一年でもっとも冬が長い。国として機能しているのはそこに魔道士が多く生まれるからであり、しかし他国の人間には耐えられまい。王妃マリアベルは身体の弱い人だった。なぜ、そんな場所に送ったのか。いくら考えてみても王の真意は読めない。
「ねえさまのお腹にはちいさな命が宿っているの。ギル兄さまも知っているはずなのに……」
ブレイヴには声が紡げなかった。王妃が懐妊したのはこれがはじめてだった。いまがもっとも大事な時期だというのに、アナクレオンという人は何を考えているのだろう。
「もしかしたら、兄上はひとりで戦おうとしているのかもしれない」
近しい者を王都から遠ざけた理由は、北のルドラスとの戦争がそれほど逼迫しているからか。あるいは、外からの敵よりも内の敵を警戒しているのか。
「だから、わたしたちを王都から離して」
「もし、そうだとしても、陛下は一人ではないよ」
そうだ。イレスダートには、王都マイアには白騎士団がいる。彼らは王の盾であり、何があっても王を守る。
「だいじょうぶだよ、レオナ」
気休めの声なんかではなかった。動揺しているのはブレイヴもおなじだった。けれど、この形容のできない違和感はなんだろう。アルウェンの声が蘇る。王もまた、ただの人なのだと。道を
大丈夫だ。ブレイヴは口のなかで繰り返す。アナクレオンはけっして間違ったりはしない。
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