最初の光
「行かない」
予期しなかった幼なじみの声に、ディアスは目をしばたいた。呼び止めた異国の青年も間の抜けた顔をしていた。
ブレイヴの隣でレオナはもじもじしている。ずっと白の王宮の箱庭で育ってきた姫君が、知らない大人に警戒するのも当然だろう。姫君を安心させるように幼なじみはにこっとする。
「行かないよ。僕たちはもう帰らなきゃいけないから」
幼なじみの挙止は姫君を守る騎士さながらだった。
ディアスはちょっと驚いていたし、安心もしていた。そう、ここにいるのはイレスダートの王女。ブレイヴとディアスが守るべき人なのだ。
短い沈黙のなかで、異国の青年は次の声を必死に探していたのかもしれない。
相手は子どもだ。やりこめる言葉なんていくらでも見つかる。けれども、姫君の傍にいるのは子どもではなく騎士である。
「そう。じゃあ、気をつけて行くんだよ」
異国の青年の仲間が彼を呼んでいる。旅の一座はとっくに片付けを終えて、青年を待っていたようだ。
「じゃあね、俺も行くよ。……でも、本当に気をつけて帰るんだよ。王都には余所者がたくさん紛れているから」
急に声を潜めた彼もまた余所者だ。ディアスの視線に気づいた異国の青年はちょっと困ったような笑みをする。
「君たちみたいな騎士がちゃんと付いているから大丈夫だと思うけれど、でもこのところは白騎士団も動いているみたいだから」
ディアスは幼なじみを見た。ブレイヴもおなじ表情でいる。白騎士団。イレスダートを、王都マイアを守護する王の盾であり大陸最強の騎士団の名は、たしかに南の異国にも届いているだろう。マウロス大陸の各地を旅する一座ならばなおさらに、けれども子ども相手に持ち出すような話題でもない。
子どものささいな機微にも敏感なようで、異国の青年は歯を見せて笑った。逆効果だ。ディアスは騎士の
彼はレオナの頭をちょっと撫でてから去って行った。知らない大人にいきなり触られても幼なじみの姫君は嫌がったりもせず、恥ずかしそうにしている。もう一人の幼なじみは物言いたげな視線を送ってきているが、姫君の前だ。声にはけっして出さなかった。
そこからはひたすらに北通りをまっすぐに進んだ。
本当ならもっと南の商業区に寄り道して、甘くて美味しいお菓子をたのしんでから帰っただろう。レオナは疲れたと言っていたし、城下街を歩くのを心待ちにしていた。箱庭の姫君に次の機会なんてないことは、ブレイヴもディアスもわかっている。
それでも、と。弾む会話もないまま人の波に呑まれないようにと気をつけながら先を急ぐ。いつもだったらそろそろ我が儘のひとつくらい零しそうな姫君も大人しく、彼女の騎士もだんまりを決め込んでいる。いや、これは何か考えごとをしているときに出るブレイヴの癖だ。
そんなに焦らなくても、俺だってちゃんとわかってる。
ディアスはずっとうしろを警戒しながら歩きつづける。子どもがいきなり駆け出すのはよくあることでも、それではレオナが怪我をしてしまう。転んで泣いて大騒ぎとなれば、それこそ大事だ。
しかし、いったいいつから付けられていたのだろう。
ブレイヴが来るまで、いや幼なじみが合流してからもディアスは周囲を注視していた。
どこかで気を抜いてしまったのだろうか。それこそ、騎士失格だ。
あなたは兄上のようにならないと思っているけれど、そういうところが一緒なのよ。ソニアの声がきこえる。ちがう。兄を自分よりも下だなんて思ったことはないし、ソニアはそんなことを言わない。
「ディアス」
呼ばれてはっとした。このまま人通りの多い道を進めばたしかに安全だ。ディアスはうなずく。お前の言いたいことは、ちゃんとわかっている。
王宮が近づいたとしても、正面から堂々と入ってしまえばたちまちに混乱が起きる。
レオナの乳母も守り役の老騎士も
約束の時間まであと小一時間といったところ、ただし協力者が時間どおりに来てくれたらの話だ。そしてここからは裏路地を通る必要があり、人の通りも当然減る。行き止まりはなかったはずだ。でも、追い詰められてしまったら?
「何人いる?」
「三人。このまま追ってくると思う?」
問い返されたディアスはすこし間を空ける。ディアスが気づいていた数とおなじ、それから思考もほぼ一緒だ。
「どういうつもりだろう? たぶん、むこうはちゃんと気づいてる」
「さあな。それに、いま考えたところでどうにもならない」
幼なじみは反抗的な目を向けたものの、また黙ってしまった。
別にお前を責めたわけじゃない。一方で、姫君はずっと大人しい。いつも喧嘩がはじまる前に姉のソニアそっくりの口調で止めるくせに、そうしないのは本当に疲れてしまったのかもしれない。
早く、白の王宮に帰してやりたい。
たとえあの場所がレオナの箱庭だったとしても、鳥籠に戻るだけの姫君だったとしても、そこがレオナにとって安全な場所なのだ。
起きてしまった事態を嘆いたり、己の取った行動を悔やんだりするのは騎士じゃない。だからブレイヴもディアスも、その先を考えている。
裏路地に入った。ブレイヴが先頭で、そのあとをレオナが付いて行く。焦らせる必要はない。ここは、王都マイア。大聖堂へとつづくこの道を旅人も使うが、道に不慣れな異国人を狙って盗みを働く馬鹿はいないし、違法を重ねる大衆食堂も娼館もない。ここでもし騒ぎを起こそうものならば巡回中の白騎士団がすっ飛んでくる。子どもだって、おつかいくらい幼い兄妹だけで行けるくらいに、治安が整っているのが王都マイアだ。
けれども、ディアスやブレイヴを公子とわかっている上で付き纏う者がいる。
それに兄のいるディアスとはちがって、ブレイヴは嫡子だ。手を出せばただでは済まない。何が目的なのか。また、一緒にいる子どもを王家の姫君と知っているのかそうでないのか。
幼なじみには冷たく返したくせに、自分はぐるぐるとおなじ思考でいる。こんなところを見られたらソニアに笑われてしまう。
ディアスは相手に気づかれていても、あえて何度もうしろを確認した。肌の色はディアスとおなじ、南の異人ではなさそうだ。それにイレスダート人ならばこちらを知っていても合点がいく。
急にブレイヴが止まった。するとディアスたちを付けていた者たちが一気に距離を詰めた。前方からは四人、なるほど奴らの仲間らしい。この先は大聖堂、うまくくぐり抜ければ子どもでもたどり着く場所だというのに、ここで事を起こすつもりなのか。
「何者だ!」
ブレイヴが剣を抜かなければ先にディアスがそうしていた。
レオナが怯えている。大丈夫だ。かならず、守る。それだけの自信はあったし、人を殺す覚悟もあった。たとえ、それがレオナの前だったとしても。
男たちは幼なじみの声には応じずににやにやしている。
「さあて、子どもが相手だ。どうする?」
「どうするも何も。言われたとおりやるだけだ」
「間違っても殺すなよ」
たいした自信だ。それに、目的がすこし見えてきた。
公爵家の子どもを
悲鳴がきこえた。レオナだ。ブレイヴが戦うなら、ディアスは姫君を守らなければならない。大丈夫だ。あいつは、強い。五十勝、四十九敗、一引き分け。手合わせするときはいつも互角、相手が大人だろうが負けはしない。
しかし、それこそが慢心だったのかもしれない。
ごろつきたちの動きはめちゃくちゃで、ブレイヴはそれに翻弄されていた。後方の奴らもいつ動き出すかわからないなかで、ディアスは迂闊に動けなかったし傍にはレオナがいる。剣と剣ならば負けない。だからまさか奴らがいきなり飛び道具を使ってくるとは思わなかった。
「ブレイヴ!」
ディアスとレオナは同時に叫んだ。
幼なじみが刀剣を躱したのも紙一重だった。殺すつもりはないと言ったのは嘘だったらしい。投擲用の短剣は幼なじみの頬をかすめて地面に落ちた。
ディアスはざっと辺りを見回す。他に通行人の姿もなく、密集する家も留守なのか音がきこえてこない。いや古くからこの地に住む人間は外出中でも在宅でも
「俺が動いたら家のなかに飛び込め」
「でもっ……!」
「いいから、早く行け!」
返事を待たずにディアスは駆け出した。
ブレイヴは最初果敢にも大人三人を相手にしていたが、いつのまにか後方の一人も加勢していた。劣勢なのは明らかでも負傷しているのはごろつきたちのようで、最初の命令も忘れているらしい。おそろしい形相で襲いかかってくる。
殺してもいい相手だ。ディアスはそのつもりで剣を振るう。ところが、ディアスの動きを止めたのは姫君の悲鳴だった。振り返ったときはもう遅かった。ちいさな姫君は男の腕のなかだった。
「はなしなさいっ!」
子どもとは思えないしっかりとした声音だった。しかし、ごろつきたちを驚かせたのも一時のこと、洞窟の奥でやっと財宝を見つけたときみたいに、レオナを捕らえた男はにやにやしている。
「レオナに触れるな!」
動揺していたのはブレイヴもおなじだ。ごろつきの剣撃を反射的に躱したものの、別の男がいきなり殴りかかってきた。まともに拳を食らったブレイヴの身体は吹っ飛んだ。
悲鳴がきこえる。参戦していなかったごろつきの一人が、馬乗りになってブレイヴを殴りつけている。
「おい、俺にもやらせろ。そいつに腕を斬られたんだ」
「いいじゃねえか。そこで黙って見てろ」
ごろつきたちは仲間同士で揉めだした。すぐに駆けつけたいのにディアスはまだ残りの奴らの相手をして、それにレオナはまだ捕まったままだ。
姫君が泣いている。起きろ。起きて、また戦え。お前はレオナの騎士じゃないか。心の叫びは届かない。ディアスの相手をする男が目顔で言った。いいのかい? あんたがそうしていると友達は死んじまうぞ。お姫様も無事ってわけにはいかなくなるなあ。
剣を投げ捨てれば、騎士ではなくなる。でも、友だちを見捨てた奴が騎士と呼べるだろうか。
ディアスの葛藤はすぐ消される。レオナだ。ほとんど悲鳴みたいな泣き声が大きくなったとき、ディアスは光を見た。
幼なじみの姫君はひかりを作り出せる。
王家の人間は竜の血と力を受け継ぐ一族だったが、幼い姫君は他の兄妹とちがって満足にその力を扱えなかった。あたたかくてやさしい光は、他者を癒やす力だった。
だけど、これはちがう。
ディアスは空を見た。目が眩んでよくは見えない。ごろつきたちが大人しくなったのも、そのせいだろうか。奴らはあれを聖なる魔力だと知らない。もし、知っていたとしても、あの力から逃げることなんて不可能だったのだ。
それは彼女の怒りだった。
白い光が見える。一人が頭を打ち抜かれた。落雷。おののき、震える姿を見て、ごろつきたちがヴァルハルワ教徒だったとディアスは気づいた。敬虔な教徒は神の裁きを恐れる。いまさら祈りを唱えたところで彼女が許すだろうか。光はごろつきたちを一人残らず打ち抜いた。それが、ディアスが最初に見た光だった。
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