炎と月と竜の円舞
漆黒の闇に焔が見えた。
朱と金色に染まってゆく空に月は見えず、彼らは白き乙女を呼ぶための舞をする。
焔が見える。
最初は風に揺れているだけの炎が、そのうち生きもののように見えてくる。篝火も踊っているのだ。月を、呼ぶために。
彼らは大きくなる炎に向かって歓声をあげ、歌と舞いで祈りを捧げる。橙の色がやがて赤黒い炎へと変わり
彼らは恐れることを知らなかった。
幼子につづいて若者たちが炎へと飛び込んでも誰も止めたりはせず、また舞うこともやめない。
焔が見える。
もっと巨大になった炎は伝説の竜さながらに動き回り、彼らもまた炎とともに舞う。一晩中踊り狂った者たちも、暁天に差し込む光を見れば大人しくなった。そして、また夜が訪れる。今宵は満月だった。
イレスダートの中心部ともいえる王都マイアは、光の聖都である。
知識や財産、あるいは強さと武力が集まるのも当然のこと、あらゆる権力と栄誉を手に入れられるのだと老者は謳い、少年少女たちはそこへ行けば夢も望みもなんでも叶うのだと、その純真たる瞳で憧れを抱く。ディアスもはじめて王都に足を踏み入れたその日、おなじ気持ちだったと思う。絢爛たる都はたしかに美しく、それから人の多さにも驚いた。思わずランツェスと比べてしまったくらいだ。
さりとて、イレスダートが公国がひとつランツェスもまた栄し国であることには変わりなかったものの、しかしこの聖都が少年の心に感動を与えたのはたしか、それも何度も訪れるたびにそうした純粋な気持ちもどこか薄れてしまったのだが。
一段と歓声が大きくなった。
物語も佳境を迎える頃だろうか。ディアスは自分よりちいさな手をしっかりと握っている。幼い姫君はとにかく好奇心の塊だから、ちょっと目を離すと大変なことになってしまう。
焔と舞いが見える。
城下街で火を操るのは禁じられていたが、しかしこれも彼らの演出のひとつだという。きれいだね。幼なじみはそう繰り返す。王家の末姫が洗礼を受けた日から十四日、白の王宮の地下深くへと連れて行かれたレオナはあの日からあまり笑わなくなった。やっと、笑顔が見れた。ディアスはおなじ笑みで返そうとしたものの、どうにもうまく作れなかった。
なにをやってるんだ、あいつは。
幼なじみにきこえないように、一人ごちる。噴水広場にはたくさんの人が詰めかけている。親子連れに腰の曲がった老爺に、年頃の娘たちはきゃあきゃあ騒いでいる。浅黒い肌をした長髪の芸者が一番人気のようで、目があっただとか私ばかりを見ているとかで盛りあがっている。一番前を陣取っていたディアスは娘たちに何度か体当たりされた。
旅の一座は大人も子どもも肌の色が黒く、動きも俊敏だし、客向けのいい笑みをする。
老爺とその助手が太鼓をたたき、青年が笛を吹く。陽気な旋律は物語の場面に合わせて哀しい曲調へと変わったり、ともかくふしぎな音色で語りかけてくる。小型の鍵盤楽器をはじめて見た。なんていう名前なのだろう。彼らは魔法みたいに自由自在に楽器を操っている。
音に合わせて娘たちが踊る。あまり夢中にならないように気をつけていても、いつのまにか魅了されていたようだ。娘たちの周りで一緒に舞っている子どもと目が合った。彼、いや彼女かもしれない。少女はディアスを見てにっこりした。
王都マイアには毎日大勢の旅人が押し寄せてくる。
おなじイレスダートの国内からは巡礼者もいたり、西からはラ・ガーディア、南からは砂漠の民ユングナハルの人間もまた。
肌の色がちがうのでユングナハルの民を見分けるのは簡単だ。彼らは旅の一座であったり行商人であったり、広場の隅で異国の神を語っているのは伝道師だろう。聖イシュタニアとは異なる神など教えられても皆は見向きもしないのに、今日も懲りずに神の声を説いている。
また曲調が変わった。とうとう間に合わなかったじゃないか。肩を軽くたたかれても、何度か名前を呼ばれてもすぐ気づかなかったのは苛々していたせいで、そもそも遅れてきた幼なじみが悪いのだとディアスは口のなかで罵った。
「ごめん、遅くなって」
まったくそのとおり。けれども幼なじみはこれでも急いできたんだよと、そういう笑みをする。走ってきたから息は切れているし、額からは汗が流れている。それでは怒る気もすこしは失せてくる。ただ文句のひとつくらいは言っておきたいが。
「遅い。レオナがぐずり出すところだった」
「うん。でも、間に合ったかも」
ちっとも間に合ってなんかない。怒りはすでに呆れに変わっている。ディアスは嘆息した。
「そっちは大丈夫だったんだろうな?」
「うん。うまくいったよ。みんないま頃、ねずみ退治で大変だと思う」
悪戯っ子の笑みでブレイヴが言う。幼なじみがこの作戦を思いついたのは昨晩のことだ。
炎と月と竜の物語。
王都マイアを訪れている旅の一座の演目は、王家の末姫の目を輝かせた。イレスダートの中心部はたしかに王都マイアであるものの、しかしこの聖都がせかいの中心というわけではない。マウロス大陸には他にもさまざまな国があり、西にはラ・ガーディア、山岳地帯のグラン王国、北は敵対するルドラスが、そうして南にはユングナハル。
国土のほとんどを砂に覆われしユングナハルには、たくさんの伝説が残されている。語り手となるのは星詠みであったり、楽師であったり、あるいは旅の一座のような流浪の民もまた。彼らは炎と舞を操り、それから竜に近しい存在だとも言われている。流浪の民はあちこちを旅しながら伝承を演じているらしく、そのなかでも人気作は炎と月と竜の円舞だった。
イレスダートのほかの国でも、竜は伝えられているのね。もちろん、そうだよ。マウロス大陸は広いんだ。僕らの知らないおはなしも、たくさん残っているのかもしれない。
きっかけはブレイヴがレオナに、南から来た旅の一座の話をしたことだったと思おう。幼なじみの姫君はもっとたくさん彼らの話をききたがったし、彼らの演技を見ていたいと、そう言った。
されどもそんなことは叶わない。姫君の零した言葉にブレイヴもディアスも静かになる。わたしはきっと、この箱庭から一生出られないのね。
レオナを連れて行こう。幼なじみの声に、ディアスはぎょっとした。危うく強い口調になるところ、ぐっと声を呑み込む。彼はディアスのひとつ年下で、もうすぐ士官学校に通うディアスとはちがってまだ子どもだ。
けれども、ブレイヴは本気だった。
いつもの彼ならばレオナをたのしませる話はしても、悪戯に悲しませるようなことは絶対にしない。幼なじみはそういうやつだ。ディアスは内心でため息を吐く。元気がないのは、お前だって一緒じゃないか。
王都の末姫は十歳になっていた。
マイア王家の子どもは十つの歳に洗礼を受けるのが習わしであり、しかし結果は行う前からわかっていた。白の王宮の地下深くの聖堂にて己の血を捧げる。受け継がれし者ならばその身は光に包まれ、そうして身体のどこかに聖なる印が現れるはずだが、長子のアナクレオンも妹のソニアも、そのどちらにも聖痕は出なかった。
白の王宮はその事実を隠すことはなかったものの、しかしあくまで儀式に拘っていた。アナクレオンやソニアとはちがう。レオナが側室の子だからだ。ディアスは大人たちの言葉の意味をちゃんと知っている。つまり、正室ではない妾の子どもに聖なる印が現れては困るのだ。
歓喜と落胆と。どちらが大きかったのだろう。ともかく、末姫が
「後始末はきっと大変だろうな」
つぶやきは勝手に唇から零れていたらしい。幼なじみはにこっとした。
「だいじょうぶだよ。ねずみがいなくなった方が、みんなだって嬉しいでしょ?」
たしかに、それはそうだ。別に幼なじみがどこからか鼠を捕まえてきたわけじゃない。たまたまそのうちの一匹を見つけてしまっただけ、まず大騒ぎしてレオナの乳母を誘い出す。あらかじめ仕掛けておいた鼠用の罠に乳母が引っ掛かってさあ大変。何事かなと、レオナの守り役の老騎士がやって来る。そこでまた大騒ぎ。ディアスはそのあいだにレオナを白の王宮から連れ出した。
もちろん、子どもだけの知恵と力では白の王宮から抜け出すなんて不可能で、ほかにも協力者はいる。
それは、偶然だった。ミランダ王妃のために白の王宮を訪れていた薬師はレオナの別塔に迷い込んだ。あのね、レオナが風邪をひいてしまって大変なんだ。ううん、熱はさがったんだけど、でも咳が残ってて。でも、ここには他の大人はなかなか来てくれないから、僕たちでレオナを助けたいんだ。ああ、心配要らない。ちょっと協力してくれるだけでいい。あとは自分たちでどうにかする。
たぶん、いつものディアスだったら乗ったりしなかったし、真っ先にソニアに報告した。でも、と。ディアスは幼なじみの姫君の顔を見た。レオナは他の客たちとおなじように満面の笑みで、旅の一座に拍手を送っている。
「たのしかったね」
演目が終わってそれぞれが解散している。ほとんど終わりしか見られなかった幼なじみのために、姫君は最初からちゃんと教えてくれる。興奮冷めやらずといった様子だ。
「ああ、そうだ。途中で林檎をもらったんだ。はい」
ブレイヴは最初にディアスへと手渡した。
「なんで、俺に」
「レオナに先に食べさせるの?」
毒味役に選ばれたらしい。幼なじみは真顔でとんでもないことを言い出す。ディアスは幼なじみからひったくると、おもむろにそれを囓った。すっぱい、おいしくない。毒なんて入っていなくとも、こんなものをレオナに食べさせるわけにはいかない。
「おなか、空いたね。それにちょっと、つかれちゃった」
「そうだね。あっちにおいしそうなお菓子がたくさん売ってたよ。行ってみる?」
人に毒林檎を食べさせておいて、幼なじみはもう次の話題に入っている。
夕暮れまでには戻らないといけない。空を見つめながら、やっぱりソニアには言っておくべきだったとちょっと後悔する。次の目的地が決まったようで、幼なじみたちがディアスを呼んでいる。早く付いて行かないと二人から文句を言われそうだ。
「ねえ、君たち。一番前にいた子たちだよね?」
ディアスが立ちあがったとき、男が一人声を掛けてきた。
浅黒い肌にはまじない用の入れ墨が入っている。イレスダートではめずらしい民族衣装にしても、旅の一座と知らなければ警戒するところ、しかし声音は穏やかでやさしい。
「すごく楽しんでもらえたみたいで、皆も喜んでいたんだ。そんな君たちに、とっておきのおはなしがあるんだ。特別に見せてあげたいんだけど、いいかな?」
旅の一座で一番人気の青年は、人好きのする笑みでそう言った。
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