聖騎士の帰還②

「はい、終わりましたよ。もう動いても大丈夫です」

 白皙の聖職者が言う。痛みがまず消えて、傷も綺麗になくなった。左腕の感覚も戻ってくる。

「ありがとう。本当に助かった」

 さすがは聖職者だ。疲れているはずなのに彼は嫌な顔ひとつせずに、完全に傷を癒やすまでの時間にしてもわずかだった。王家の姫君にもけっして劣らない治癒魔法の使い手だ。

「それから、こちらは着替えです」

 ブレイヴはうなずく。血糊で固まったシャツの汚れを落とすのは大変だろう。白皙の聖職者は皆の衣服を籠のなかに詰め込んでいる。これから洗濯に取りかかるらしい。この手際の良さも、彼がずっと後方の仕事を引き受けていてくれたからだ。

 合流が遅れていたならば、そう考えるとぞっとする。

 ブレイヴの傍にはセルジュとアステアがいる。しかしエーベル兄弟の口数は少なめだ。セルジュは右肩をやられてしまい、アステアは魔力のほとんどを使っていた。

 山毛欅ブナの森で突然襲撃を受けた。

 混戦となるのは必須で、それにこんな怪我をしたのもひさしぶりだった。幼なじみが知ったら怒るかもしれない。

 ブレイヴとセルジュの応急処置をしたのはアステアだった。魔道士の少年は短剣を所持しているものの、実戦で使える代物ではなかった。ブレイヴは魔道士の少年を守りながら戦った。それを歯痒く感じているのだろう。主君と軍師と。本来ならば自分が守るべく人間に守られてしまったのだから、アステアの悔恨は深い。

「僕が治癒魔法を使えていたら……」

 ちいさなつぶやきでも、狭い部屋のなかでは全員に伝わる。

 クリスは自分の仕事をつづけているし、彼の主人であるフレイアもそれを手伝っている。セルジュはだんまりを決め込んでいるからきこえていない振りをする。内に眠る魔力をどう使うか。攻撃魔法を極めるにしても、治癒や防護の魔法を学ぶにしても両立はむずかしい。そんなことが可能なのは王家の姫君だけだ。

 ブレイヴは兄弟を見る。やはり二人ともいつもよりずっと大人しい。クリスとフレイアが出て行って、その入れちがいにノエルが戻ってきた。うしろには中年の男がいる。

「お連れしました。話はもうできそうですか?」

 ちょうど着替え終えたところだった。セルジュも軍師の顔に戻っている。

「公子。あなたの帰還を、アストレアの民はずっと信じておりました。しかしながら、私どもがもうすこし早く動けていればと思うと、悔やまれてなりません」

 男は聖騎士の前で膝を折る。ブレイヴはその視線に目を合わせた。

「どうか顔をあげてほしい。あなた方の助けがなければ、私たちはここにいなかった」

 男は驚いて頭をあげたものの、またすぐにうつむいた。その目には涙が見える。

 切望していた公子の帰郷だった。それなのにここに来て間に合わなかったなんて、悔やんでも悔やみきれないと、そんな顔をしている。

 思い詰めることなんてない。ブレイヴは男の肩をたたく。ノエルが先に接触してくれていたおかげで九死に一生を得た。この男はエーベル家の縁者だ。

 エーベル家は動いていた。だから、この男が助けに来てくれた。つまりセルジュの手紙はちゃんと届いていたのだ。

 それから、ブレイヴがアストレアを離れていたこの一年をきいた。

 思ったよりは悪くないのはエレノアの力と、北にバルタザール伯とダミアンがいたからだ。アストレアの蒼天騎士団はもとより、名だたる諸侯らも監視されているために自由は制限されている。それでもこうした目の届かない場所にいる者たちのおかげで、ブレイヴは助けられている。アストレアの城も、もう目と鼻の先だ。

「城内にはランドルフとその麾下きかを含めて、残っている騎士はそれほど多くはありません。蒼天騎士団の力があれば戦えない相手ではないかと……。しかし、城主の許しがなければそれまでです」

 エレノアらしいと、ブレイヴは微笑する。心配しなくとも自分の国はちゃんと自分の力で取り戻す。そのつもりだ。

「それに、気になるのがあの黒い騎士です」

「黒い騎士?」

 男はうなずく。

「はい。仮面をつけた黒髪の騎士が、ランドルフの傍にいます。半年ほど前でしょうか。血気に逸る少年騎士たちがランドルフに楯突き、少年らは仮面の騎士の手にかかりました」

 それだけの実力者があの男の麾下というなら厄介だ。しかし、そんな容貌をした騎士がランドルフの傍にいただろうか。城塞都市ガレリア、それにサリタ。見覚えはない。

「わかった。十分に気をつける。他にも気になることがあったなら、報告してほしい」

「はい、もちろんです。……ですが、いまはともかく身体を休めてください。食事もすぐにお持ちいたします」

 ようやく男の顔があがった。退出し、足音が遠くなったのをたしかめてからノエルが言う。

「こちらは攻撃を受けることもありませんでしたし、ここまで特に誰何すいかされることもありませんでした。どの村や町でも歓迎されたのは、クリスさんと一緒だったからです」

 アストレアがこういう状況下にあるからこそ、敬虔なヴァルハルワ教徒は受け入れられる。司祭となればなおさらだ。

「だが、こちらの動きは筒抜けだった」

 セルジュだ。軍師がずっと無言だったのは、こうして匿われても警戒を怠っていないためだ。

「密告者がいると、兄上はそう考えているのですね?」

 魔道士の少年ははっきりと物を言う。ブレイヴもノエルと目顔で会話する。そうだとしても見つけ出すような時間もなければ、疑い出せば動くに動けなくなる。

「エーベル家もですが、他の者たちも戦力は整っているそうです。公子、あとはあなたの声ひとつで」

「わかっている」

 ノエルはめずらしく焦っているようにも見える。あとは時宜じぎを得るだけだ。それなのに妙な既視感があるのはどうしてだろう。ずっと西の果て、サラザールのときみたいだ。国を取り戻すにはたくさんの人間が動いて、たくさんの人間が死ぬ。

「そういえば……」

「どうした?」

 魔道士の少年が急に立ちあがった。

「いえ、すみません。あのあとすぐに混戦となりましたから言うのが遅れてしまいました。魔法の宝玉が割れるのを感知しました。兄上は、気づいていましたか?」

 軍師は首を横に振る。わずかな魔力を感知するのは困難であり、なによりもそのあとが大変だった。

「レナードが」

 皆の視線が集まる。

 先にアストレアを目指していたはずのレナードとデューイ。城内へと侵入して蒼天騎士団団長トリスタン、もしくは城主であるエレノアと接触できたそのときに、あれを割るようにと命じてある。あるいは、自身の身に危険が迫り、これを達成できないことを知らせるために。

「公子はずいぶんとレナードを信用しているようですが、私からすればまだ見習いとほとんど変わらない騎士です。彼らが失敗をしようとも、ここまで来たら関係ありません」

 気色けしきばむノエルをブレイヴは目顔で制する。軍師の言葉はもっともだが言い方が悪い。誰一人欠けずとしてアストレアに戻るなど不可能だった。ジークがここにいたらおなじ声をしただろうか。

「セルジュ、これからの策を」

「必要ありません」

 ブレイヴは目を瞬く。

「我々は帰ってきたのです。策を講じるつもりはありませんし、地下水路を使って裏口から侵入するなどもっての外。堂々となさればいい。あなたは聖騎士である前に、この国の公子なのですから」

 うしろでアステアとノエルがくすくす笑っている。まったく素直じゃない。どこかセルジュらしくないと感じるのも、ひさしぶりの故郷だからだろうか。

 そうだ。ここが、あるべき場所。ブレイヴも、彼らも、ここが帰るべき場所なのだ。

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