ガレリア脱出②

「本当によろしいのですか?」

 麾下の騎士の声にブレイヴはすこし間を空けた。思い当たることが多すぎて、何からこたえるべきかを迷ったからだ。物言いたげな表情に先に負けたのブレイヴだった。

「おまえらしくもないな。なにがそこまで気鬱にさせる?」

 わかっていて、あえて問う。騎士は相好そうごうを崩さなかったが、それでもほんのすこし非難する色を宿していた。

 ガレリアを出て、ムスタール公国へと向かうのはジークとレナードを含めた数名の騎士だけだ。残りはアストレアへと帰還させる。ジークはその数では心許ないと言っているのだ。

 しかし、ガレリアまでの道中は騎士と王女の二人だけだったはず、ここまでたどり着くのに危険はなかったのだろうかと、ブレイヴも思う。王都マイアやムスタール公国など大きな都市ならば治安は整っているものの、街道をはずれた街や村には野盗が出る。彼女たちの容貌はあきらかに貴人のそれだ。だとしたら、巡礼者を装っていたのかもしれない。略奪や蹂躙を繰り返す野盗たちも聖職者には安易に手を出さない。神の申し子を殺してしまえば、己が寿命を迎えたときにその魂はあるべきところへとゆかず、異界を永遠に彷徨うのだと信じ込んでいる者もいるからだ。

「いえ……。しかし、急な話です。我々を信頼しているか、そうでないのか」

「両方、かもしれないな。たしかにここは危険だ」

 それに、王女の傍付きは悪戯に目立つことは避けたいと、ブレイヴに伝えた。たしかにそうだろう。人数を増やせば危険は減っても、それだけ物々しくもなる。

「そうですね……。それに、皆は早くアストレアに帰りたがっています」

 ブレイヴは微笑する。正直に告げたジークもだが、騎士たちのことも咎めようとは思わない。ガレリアでの時間はたしかに長く感じたし、となればアストレアに早く兵力を戻したいのだ。イレスダートの公国のひとつとはいえ、アストレアは小国だ。イレスダートとルドラスとの戦争が本格化すれば兵力はそこへと取られる。それがイレスダートのためといえばきこえは良くても、そうではない。ガレリアから南へとルドラスの進軍を許してしまったそのときに、マイアはどれだけアストレアを守ってくれるか。ブレイヴはかぶりを振る。いま、そんなことを考えても仕方がない。ただ、アストレアの民を早く安心させてやりたいとは思う。

「ですが、やはりランドルフ卿にはお伝えするべきでは?」

 ブレイヴはため息を落とす。ジークの忠告は二回目だが、ブレイヴは目顔でそれを諫める。厩舎から回廊へと移動して、人の姿は少なくなったものの、誰もいないわけではない。

「上官殿の気が変わらないとも言えない。幽閉されるか、最悪なのは王都の使者を待たずに殺されることだな」

「公子」

「お前の案じていることはもっともだと思う。けれど、動けなくなってからでは遅い。それに、俺は彼女が心配だ」

 ブレイヴはもうすこし声を潜めた。それだけ、自身は疑われているというわけだ。イレスダートの聖騎士がルドラスの銀の騎士と密命を交わした。裏切り行為に値するのは当然で、その上ブレイヴの元には要人が二人もいる。ジークは賢い男だ。本当はわかっているはずで、だとしてもより可能性の低く、より危険のない方を示唆する。うしろから少年の声がしたのは、そのときだった。

 顔に面皰にきびの跡を残した少年はブレイヴを呼び止めて、おそるおそる言葉を繋げる。

「あの、聖騎士さまは、アストレアに帰るのでしょう?」

 気色けしきばむジークをブレイヴは制する。きかれていたのだろうか。いや、すでに情報が漏れはじめている。アストレアの騎士たちに馬や糧食の準備を急がせたのはブレイヴだ。

「ほんとう、なんですね。あの、きこえたわけではなくて、弟が王都の使者さまを、見たって言うから……」

 いかにも拙い口吻こうふんは少年が考えながら物を言っているからだ。普段の言葉使いでいい。ブレイヴはそういう目顔をする。

「おれ……おれたち、これからどうしたらいいのか、わからなくて。あいつ……いえ、あのひと、ランドルフさまは、」

「心配しなくてもいい」

 それ以上を言わせてはならない。少年兵は自分が吐いてしまった声をひどく後悔したように項垂れる。叱責だけで済むならいいが、事が事だ。少年兵の顔には面皰の跡だけではなく他にも痣が見える。総指揮官には何度も折檻をされてきたから、怯えるのは当然だろう。

「私の代わりに、ランツェスのホルスト公子が来てくれる」

 少年を安心させるための嘘ではない。王女の傍付きがブレイヴにそれを伝えて、そのままを口に出しているだけだ。ホルスト公子はもう一人の幼なじみ――ディアスの兄だ。王命はまもなくマイアより届けられる。

「たしかに、急いだ方がよさそうですね」

 少年の姿が見えなくなったあとに、ジークはつぶやいた。ブレイヴは微笑する。ここは、危険だ。敵だけではなく、味方がいつ敵となるかもしれない。そんな場所だ。

 その夜、ガレリアの大台所では使用人たちが忙しくしていた。

 上質な葡萄酒と羊肉が手に入ったらしく、ランドルフは麾下の騎士たちを集めて宴をはじめたという。葡萄酒は赤と白の二種類で、アストレアとそこからさらに南のオリシスから取り寄せたものだ。ブレイヴの麾下、ジークが密かに大台所へと届けたのだが、上官は知る由もないのだろう。この宴は朝までつづく。

 ブレイヴは馬車へ乗り込む幼なじみの手を取る。不安そうに見つめるその瞳に、ブレイヴは微笑んで見せた。

「大丈夫だよ、レオナ」

 幼なじみはうなずく。彼女の手は震えていて、けれども寒さのせいだけではないと、ブレイヴは思った。

「あなたがそばにいてくれるなら……。わたし、こわくなんてないわ」

 そうだ。ブレイヴは何があっても、どんなときでもレオナを守る。

 ジークとレナードが先導する。王女を乗せた馬車がそれにつづいて、ブレイヴは後方を行く。馬車はすこしずつ城塞都市から遠ざかる。王女が来るはずのなかった場所から、ゆっくりと。

 その日を境に、アストレアの蒼天騎士団とともに聖騎士の姿はガレリアより消えた。白の王宮にて、王女の姿が見えなくなったという報が届けられるのは、これよりもうすこしあとのことである。

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