思惑と選択

 声を発する前から、セルジュの目は騎士を敵だと認めていたのだろう。

 老将軍は苦笑をし、麾下きかを部屋から追い出した。白髯はくぜん禿頭とくとうは老騎士が若い頃から苦楽をともにしてきた重臣、いや同志である。二人きりにするわけにはいかない。そういう目顔をするものの、しかし言葉はなく老将軍に従った。

 さて、どんな声が返ってくるのだろう。

 したたかな老人だということは知っている。だが、相手が悪い。セルジュが論破されることなどまずなかったし、はぐらかされようとも追及するつもりだ。

 セルジュがただ一人でここへと来た理由はひとつだけ、はっきりさせる必要があると思ったからだ。主君へと告げるのはそのあとでいい。そこに、どんな言葉が用意されていたとしても。

「貴公は良い軍師ではあるな。しかし、良い軍師がいれば必ずしも良い結果を生むとは限らぬ」

 挑発に乗るとでも思っているのだろうか。

 老将軍はそんな物言いをする。それから、わざと過去に触れることをする。そのような安っぽい感情がいまもセルジュに残っているのなら、立場もわきまえずに歯を剥き出しにしていただろう。不快も嫌悪もなくとも、その意図は知りたい。そういう視線を、セルジュはオルグレムに向けている。

「ふむ。たとえば、貴公の考えが当たっているとして、その先はどうするつもりだ?」

「あなたは認めるというのですね?」

 質問を質問で返すのは正しいやり方ではなかったが、老騎士の口から言わせなければ意味がない。オルグレムは微笑した。

「ならば、儂が答えてやろう。貴公にその判断はくだせまい。聖騎士殿を伴わなかったのも、まだ迷いがあるからだろう」

 正解だ。だとしても、セルジュはそれを確信に変えていなかったし、そうであってほしくないとも思っている。舌戦をしたところでこちらの満足のいく答えがきけるとは思わなければ、老将軍は役者を降りるつもりもないのだろう。

 最初に違和を持ったのはいつだったのか、セルジュは正確に覚えてはいなかった。

 けれどもセルジュが老将軍を警戒しはじめたのは、ムスタールの黒騎士団が動き出す前、公子がアストレアを捨てると言ったそのあとだ。

 長机には要人たちがずらりと並んでいたものの、長い軍議のあいだに老将軍が発言したのはほんのわずかだった。

 アストレアの公子はもとより人を疑うことを知らない人間で、老将軍の声を疑いなく受け入れる。そうして、叛乱軍の軍師を捕虜にしたオルグレムはムスタールの侯爵の元へ行く。セルジュという手土産と老将軍の巧みな話術によって侯爵はまんまと騙され、しかし叛乱軍に与したりはせずに、騎士の生き方を全うする。これによって、我らが軍はムスタールの戦力を分断させることに成功し、運命の女神はこちらへと微笑んだのだった。

 そう。ここまではいい。重要なのはそこから先だ。

 一人の若き将軍をセルジュは失念してはいなかった。とはいえ、公子の交友関係をすべて把握しているわけでもなく、だからこそベルク将軍の存在はセルジュにとっては誤算とも言える。

 オルグレムという人間はどこまで読んでいたのだろう。なにより妙なのは、解放されたセルジュよりも先にそこへとたどり着いたことだ。

 それこそ、瞬間移動ワープの魔法でも発動させなければそうならない。老将軍に近しい者のなかには高位の魔道士は居なかったはずと、セルジュは記憶している。

「いったい、どんな魔法を使ったのか。是非とも問いたいところですね」

 幼い頃より他の子どもよりも探究心があった。

 軍師の家系に生まれたセルジュはごく自然に英才教育を受けた。魔法の才能を見出されて、王都マイアより魔道士が派遣された。十歳離れた弟の方が魔力に恵まれているとわかったときでも意欲を失うどころか、よりセルジュの知識欲は深まるばかりだった。さすがに禁術までには手を伸ばさなかったが、魔力のにおいは見逃さない。つまり、セルジュはオルグレムを疑っているのだ。

「まったく、良い目をする」

 オルグレムは慮外りょがいを咎めもせず、相好そうごうも崩さずにいる。

 その笑みが信用ならない。セルジュは歯噛みする。たいした役者だ。他の者には気付かれないまま、しかしセルジュをここまで用心深くさせる。この老人はこれからもまだ芝居をつづけるつもりなのだろうか。

「とはいえ、まったくの想定外というわけではあるまい? これも運命の導きというものだ」

「ずいぶんと夢想的な言葉を使われますね。いい加減、はぐらかすのはやめて頂きたい。交渉には私が邪魔になりましたか? 公子よりもあなたの方がずっと計算高い」

 これにはさすがのオルグレムも瞠目どうもくする。そのまま激昂するかと思いきや、老将軍は声をあげて笑った。見縊みくびられているのだろうか。ここまできたらそう考えるのが自然だ。

「軍師殿は正直すぎるな。主に似たのか、それとも似たもの同士の主従だからこそ、ここまで来れたのか」

「あなたは、すべてが偶然だとでもおっしゃりたいのでしょう? 公子は肯定するかもしれませんが、私は認めない」

「ああ、それでいい。だが、軍師は常に流れを読まなければならない。儂には大きなうねりが見える。我らがしている戦争がまさにそうだ。されども、人の意思ひとつで大局は変わる」

 言われるまでもない。セルジュは歯噛みする。

 ブレイヴとロベルトの邂逅、氷狼騎士団を襲撃した竜族、クレイン家の介入。人の心、その動きのすべてを把握するなど、どんな名軍師でも不可能だ。しかし、オルグレムの言っているのはそうではない。忠告、いや警告だとセルジュは身構えている。

「この軍はまだ若い。集まる光は小さかったものの、次第に大きくなる。いまがまさにそうだ。はじめは良かったのだろう。小さくとも強い光は消えはしなかった。公子の元に集まる者たちの意思はおなじく、しかしじきにそうではなくなる」

「承知の上です。新兵の指導はクライドに任せております。彼はイレスダートの人間ではありませんが、傭兵の経験もあります。クレイン家に賛同する者も増えるでしょう。内通者の可能性ももちろん捨てておりません。……それで? 他にはございますか?」

 この戦いは、一度負ける。

 揶揄やゆではなく、老将軍はたしかにセルジュに告げたのだ。

 若く未熟な、けれども光と希望を携えた未来を進む者たちは、この先もまた幾多の困難が待ち受けているのかもしれない。そうしたときに、老獪ろうかいな者がいなければならないのだと、オルグレムはそう言っている。そして、それができるのはセルジュだということも。

「正直だな、貴公は」

 オルグレムは笑っていた。仮面などではなく、本当に心から笑んでいた。

 騎士のやり口に騙されたりはしない。この老人はセルジュをあざむこうとしている。仕向けようとしている。己が悪人となりて、どれだけ忌み嫌われようとも、疑われようとも、裏切りをつづけるそのつもりでいる。軍師は、それを見逃したりはしない。

「そこまでわかっているのならいい。軍師は兵を上手く使うだけでいい。無論、我らが騎士団も力となろう」

 やはり、そうか。

 セルジュは心中でため息を吐く。大陸最強と謳われるムスタールの黒騎士団を撃破したとして、まだ王都には白騎士団がいる。この戦いが熾烈しれつを極めるのはここからだ。はたして、必要な犠牲など許されるだろうか。

「私は……、もう何度も失敗しております。次はありません」

 先に目を逸らしたのはセルジュだった。

 青碧の双眸には過去が映っている。セルジュは二度も過ちを犯している。オリシスのアルウェンは死線をさまよう重傷を負っただけではなく、のちに王都から引き離された。セルジュの居場所はオリシスにはなくなり、しかしアストレアにも戻れず放浪の末にたどり着いたのが西のラ・ガーディアだ。

 イスカの国で王の連れ合いに拾われ、そこでもセルジュは軍師だった。それなのにまたも敗北をした。かの戦士の魂がイスカの大地に還らなかったのはセルジュのせいだ。それが、結果論だったとしても、誰もセルジュを責めることしなくとも、セルジュ自身は己をいまも呪いつづけている。

 生きることすらやめていたセルジュだった。

 ゆるすと。ただひとり、セルジュに告げたそのひとがいなければ、いまのセルジュはない。

「公子は、どうしようもないくらいに理想家です。勝つための犠牲など割り切ることのできない人間です」

「それを導くのが軍師の役目だ」

「私一人が汚れ役を買うのは構いません。……ですが、口で言うほど簡単ではありません」

「気に病むことはない。恥じることもない。それが、戦争だ」

 選ばなければならないときが来るのだ。老将軍はそう言っている。セルジュは拳を固く作った。

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