レナードの憂鬱

 レナードの視線は山盛りサラダに注がれていたが、その手はしばらく止まっていた。

 色取り取りの野菜は新鮮そのもので、白身魚のソテーもよく身が締まっていて美味しい。根菜のスープにしてもせっかくの熱々の料理なのに、このままでは冷めてしまう。レナードは思い出したように時々手を動かすが、咀嚼そしゃくするまでに時間がかかっている。普段のレナードならとっくに食べ終えている頃だ。

「レナード、早く食べなさい!」

 ルテキアの声も三度目だった。しかしレナードは生返事をしたまま、フォークを持った右手は一向に動かないし反対の手はというと頬杖を付いている。ついさっき行儀の悪さを怒られたばかりなのに、本人の耳を見事にすり抜けていた。

「ルテキアさあ、言うだけ無駄だって。こういうときはさ、放っておくのが一番だよ」

「なにも食事中に、考えごとをしなくてもいいでしょう?」

「それ、ちょっとちがうかな。さっきクライドさんにこっぴどく怒られたばかり。でも、レナードはぜんぜん堪えてないみたいだし」

 ノエルはフォークをくるくる回しながら笑う。異国の剣士に剣の教えを請うたのは他でもないレナード自身で、それはオリシスにいた頃から数えて一年が過ぎたいまもつづいている。辛抱強い性格なのはレナードもクライドもおなじだったらしい。とはいえ、今日の出来はあまりにひどく、身の入りなさにクライドという人を怒らせてしまった。

「もう、いいわ。私は先に行く」

 席を立ったルテキアにレナードはやはり適当な相槌を打つ。レナードの隣でノエルがため息を吐いたのは、彼女が苛立っている理由を知っているし、自分に一因があったからだ。

「まだ怒ってるのかなあ、ルテキアは。姫さまの傍付きだからって、そんなに自分を責めなくてもいいのにね」

「……え? ルテキア、怒っていたのか?」

「ぜんぜん、人のはなしきいてなかったよね」

 ノエルのため息なんかまったく気にせずに、レナードはやっと野菜サラダに手を付けた。

 その日一番に届けられた野菜は瑞々しくてとても美味しい。そういえばと、レナードはふいに思い出す。この軍はどんどん大きくなっていて、人もルダにいたときよりももっと増えている。兵を動かすにはとにかく金が要ることくらいレナードだって知っている。公子と軍師はどんな魔法を使ったのだろう。そうでなければ、こんな新鮮で美味しい食事なんかできない。

「いいからそれ、早く食べたら?」

 ノエルにせつかれて、そこで小一時間も自分がぼうっとしていたことに気がついた。相棒はとっくに食べ終えているし、ルテキアも行ってしまった。

 隣の長机にはルダの魔道士たちがいて、その向かいにはグランの竜騎士たちの姿もあった。オルグレム将軍の騎士たちもこの食堂を使う。我が物顔でここを占領しているのに、氷狼騎士団の人たちはなにも言わずにいる。

 敵でも味方でもない氷狼騎士団に、適切な言葉を使うなら同盟軍が正しいのかもしれない。彼らは明日、レナードたちと戦う相手とはならないからだ。

「あのさあ、レナードがそうやって考えこんでも何にもならないよ?」

「なんだよ、それ。お前にそんなこと言われたくない、俺は」

「俺はレナードよりはずっと考えてるつもりだよ」

 きっと、ノエルはレナードの心のなかを読んでいるからこういう言い方をする。

「そういうむずかしいことは、俺たちが考えなくてもいいんだよ」

「わかってるよ、それくらい。でも、俺は……やっぱり戦えないよ」

 固くなったバケットをスープに浸して、咀嚼をするより前に声を返す。

 食べながら物を言うなんて、それこそルテキアに叱られるだろう。ナイフとフォークの使い方、スープは音を立てて飲まない。レナードが貴族の家の子になってからの決まりごとだ。他にも騎士にはたくさん守らなければならないことがある。けれど、それだって誰が最初に決めたのだろうと、レナードは思う。

「だけど、そうしなくっちゃあいけない。オリシスも動き出したっていうし、アストレアもそのうち……」 

 ムスタールとの戦いがはじまる前に公子は、アストレアを諦めると言った。軍議室にレナードもノエルもいて、きっとおなじ顔をしていたはずだ。

 失望はしなかった。アストレアは強い国だ。マイアの支配を受けようともレナードの祖国はぜったいに矜持きょうじを失わない。耐え忍んで、その人の帰りを待つのをアストレアの民は苦にしないのなら、レナードを悩ませているそれも杞憂きゆうに過ぎないだろう。

 でも、と。レナードは口のなかで落とす。

 あの男がアストレアにいるのならば話は別だ。粗野そやで凶暴で悪虐あくぎゃくな行いを、レナードはその目で見てきた。あの男を騎士だなんてレナードは絶対に認めない。

「レナードはさ、単純なんだよ」

 これで喧嘩を売っているつもりでないのなら尊敬する。言い返すのも面倒になってきたレナードとは対照的に、ノエルの表情はずっとそのままだ。

「だけど、気持ちは一緒だ。俺も、あいつだけはゆるさない」

 ノエルの弓は必ずあの男の胸を貫く。レナードは自分が射殺されたような錯覚に陥った。おなじ歳、それから同期のノエルはレナードよりもずっと冷静だ。いつだってそうしてレナードを諫めてきたというのに、いまのノエルは抑えきれない怒りで震えているみたいだ。わかってる。俺だって、おなじだ。

「要するに、そのエレノアって人を助け出せばいいんだろ?」

 レナードとノエルの視線が同時に向かう。いつのまにいたのだろう。ふたつ空いた席にはデューイがいた。

「あのね、そんなに単純な話じゃあないの」

「ま、いいから最後まできけって。つまりさ、その人の無事を確認すればいいってわけだ」

 話が噛み合わないとばかりにノエルはため息を吐く。レナードもつづける。

「それだけじゃない。蒼天騎士団にも会って伝えなければいけない」

 アストレアの蒼天騎士団を束ねているのは団長のトリスタンだ。

 トリスタンは亡きアストレア公爵の妻エレノアの騎士だ。つまりエレノアの意思なくして騎士団を動かしたりはしない。けれども、いまは状況がちがう。軟禁状態のエレノアの命を盾に、あの男はトリスタンを恐嚇きょうかくする。そうなれば、公子は自分の国の騎士たちと戦わなければならなくなる。そんなのは絶対に嫌だ。

「とにかくだ。誰かがうまくアストレアの城内に忍び込んで、蒼天騎士団に近づく。まずはこっちの意思を伝えて、もうちょっと我慢してくれってお願いするだろ? それからあわよくば公子の母さんを助ける」

「簡単に言うなよ。それに、誰かがって誰だよ」

「そりゃあ決まってる。俺と、お前とノエルの三人いれば、」

「ちょっと待った。俺は何もきいてないからな。いまの話」

 そこでノエルは席を立ってしまった。相棒があきれるのも当然かもしれない。いつものレナードなら相手にしないような話だ。

「そもそも、これ以上アストレアの領域には近づけないし、うまく入れたとしてもマイアの騎士たちでいっぱいだ」

「あれえ? サリタでレオナを助けたのは誰だったっけ?」

 反論をつづけようとしたレナードの肩をデューイは旧友みたいにたたく。話が話なのでさすがのデューイも小声で、さっきまでノエルがいた席に収まっている。たしかに、そういう生業なりわいを得意としてきたデューイならば簡単にアストレアの城に忍び込めるのかもしれない。

 ちょっとだけ話が現実味を帯びてきたような気がしたレナードに、デューイは人好きのする笑みを見せた。 

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