フランツと元老院
一堂に会した要人たちはいずれも白の法衣を身に纏っている。
白という色は神聖なる存在の象徴であり、彼らは己が聖王国の王さながらに振る舞う。王都マイアの民は彼らを元老院と呼ばわり、そこには畏敬と同時に畏怖をのぞかせる。だが、白の間の玉座にいるのは真の王であり、彼らは支配者に過ぎない。白騎士団団長フランツ・エルマンはそう思う。
長机には次から次へと贅を凝らした料理が並べられてゆく。焼き立ての鶏肉のパイに、
グラスが減っていないことに気がついた執事が声をかけてきた。
葡萄酒の代わりに
血気盛んな青年貴族たちは口論に忙しくし、老人たちも負けじと唾を飛ばす。いがみ合い、罵り合いは数時間が過ぎても熱が冷めるどころか収まらず、酒が進めばそのうちに殴り合いがはじまりそうな勢いである。
罵詈雑言の嵐はいつもよりももっと酷く、次にため息を落とした者に矛先が向かう。元老院はそれだけ焦っているのだ。彼らはともかく、聖王を玉座から引き摺りおろすことに躍起になっていた。
ところが彼らが厄介者だと称したアナクレオン・ギル・マイアをこちら側へと引き抜くことに成功をする。あとは実に容易い。前王アズウェルのように、アナクレオンが元老院の操り人形と化したのなら、わざわざ敵対する理由もなくなった。彼らの目的はひとつ、イレスダートの王権を自在に操り、そうして北のルドラスを手中に収める。一番の敵を味方に引き入れたのだから、事は何もかもがうまく進むと、そう思われていた。
フランツは彼らのやり取りをすべて見ている。
葡萄酒を煽り、炙った猪肉に被りつく。油まみれになった唇と手をテーブルクロスで拭き取り、咀嚼が終わらぬうちにまた暴言を吐く。まるで大衆食堂のようだ。
交わされている声にしても不潔であり不謹慎であり、ただただ不快だった。だが、フランツの食が進まない理由は他にあった。騎士は己にとって唯一の主君を思う。いったい、我らが王はどうなされたのか。
それこそ、持ってはならない声であった。
だから、フランツ・エルマンは己の声を胸へと仕舞い込む。イレスダートには自身を含めて三人の聖騎士がいたが、この王都に残っているのはフランツだけだ。傍らで補佐をつづけてくれたカタリナ・ローズの行方は知れないまま、最後の一人アストレアの公子はいまや王家に剣を向けた大罪人である。
「ムスタールのヘルムートに、再度出撃を申しつけよ。次こそ失敗は許されぬ」
「さしもの黒騎士もやはり人の子というわけですなあ。敗北もありましょうぞ。しかし、我らが恩を仇で返すとはねえ」
普段は温厚で知られる初老の侯爵が唾を飛ばし、黒髪の男が皮肉を唇に乗せる。王都マイアにも黒騎士団が敗れたという知らせは入っていたものの、そこで公爵が負傷したという報までは届いていなかった。
「方々、過ぎたことを言っても仕様がありませんよ。ムスタールが役に立たなければランツェスを使えばよろしいのでは?」
「ふん! ホルストが言うことをきくものか。あの小僧はイレスダートが裏切り者ぞ」
「だからこそですよ。ランツェスの公子にも機会を与えてやれば良いのです」
気色ばむ年長者にも臆することなく、青髪の青年貴族は
「ランツェスにもいま一度、要請をせよ。それから氷狼騎士団にもだ。未だに返答が得られぬと聞いたがどうなっておる?」
「ベルク将軍ですね。しかし、かの騎士はなかなかの変人……いや、失礼。偏屈だとか? まあ、所詮は下流貴族の成りあがりです。叛乱軍に降っても致し方ないでしょうなあ」
「悠長に笑っている場合ではないぞ! これ以上、裏切り者を増やすなどイレスダートが汚れるばかりではないか! オルグレムの縁者はすべて洗い出し、即刻処刑をするべきだ。奴の
長机をたたきつけて吠える初老の侯爵に誰も異を唱えたりはしない。
正式な軍法会議を前に、彼らに何の権限もないはずだ。にもかかわらず、彼らの独善は留まるところを知らなかった。もし、ここにローズ伯がいたならば。フランツは己の声を飲み込む。伯爵は国王派として彼らに対抗していたものの、娘の失踪を機に病に伏せてしまった。
「北はともかくとして、これから重要なのは南となろう。叛乱軍を王都に近づけるわけにはいかぬ」
「それこそ、首尾は上々でございます。アストレアはもとより、オリシスは」
「オリシスのロアなら問題ないでしょう。あの女は扱いやすいですからね」
初老の侯爵を宥めるのは青髪の青年貴族、声を引き継いだのは黒髪の男だ。すっかり葡萄酒が気に入ったらしく、侍女を呼び止めてお代わりを申し付けている。おまけにオリシスの公女ロアをあの女呼ばわりだ。
反吐が出る。その思いだが、フランツは大人しく席に収まっている。このくだらない会合が早く終わればいいと、心のなかで落としたため息を数えるのもやめた。
それにしても、と。フランツは要人たちの顔を見回した。
元老院議員の構成は十三人からなる。先ほどから主に舌戦を繰り広げているのは、老人と若者が二人だ。それ以外の者は矛先が自分へと向かわないようにとだんまりを決め込んで、ただフォークを動かしている。
お喋りなのはもう一人いたはずだ。しかし、いくつか空席になっている。カタリナの父親であるローズ伯と壮年の貴族だ。二人ともずいぶん前から病欠を理由に、議会に参加していなかった。
フランツは部下からの報告を思い出す。
カタリナ・ローズが救った元老院が、壮年の貴族だった。少年騎士はフランツに言った。異形のものを見た、と。おなじく現場にいた壮年の貴族はそれ以来精神を病んだという噂で、大聖堂の祭儀にも出席していないらしい。敬虔なヴァルハルワ教徒が祈りの時間を蔑ろにするくらいだ。以後、カタリナの失踪と合わせて、彼らは本当に人間ではない存在に出会したのかもしれない。
「そう焦らずともよい」
皆の視線が一斉にそこへと向かった。フランツもまた老者を見る。
痩せた頬、落ち窪んだ
「アナクレオンはすでにこちら側にいるのだ。となれば、叛乱軍などいくら数を増やそうとも我らが敵ではない」
「し、しかし……」
「王命は絶対ぞ? 逆らう者などおるまいて」
先ほどまで唾を飛ばしていた初老の侯爵もさすがに大人しくなった。彼らは老者を自分たちの長と認めているので、それ以上の声は許されていないのだ。それに他の理由もあるのだろう。フランツは注意深く老者を観察する。表情も
陛下に逆らうと殺される。いつだったか、フランツは回廊で元老院たちが話している声を拾った。上流貴族のみが集まる
したたかな老者だ。病から回復したと思えば、ふてぶてしくもその席に戻ってきている。そして、自らが王であるかのような声をする。
「我らは決して歩みを止めてはならない。すべてはイレスダートのために。幸い、駒はいくらでも足りている。……時に、フランツ・エルマン」
来た。老者の双眸が騎士を射抜く。闇のように暗くて冷たいその目が、聖騎士をおなじところへと
「クレイン家が王都を離れたという報告は、そなたが知らせたのだったな? 白騎士団はどう動く? よもや己が王の盾を口実に王都に留まるとでも?」
フランツは呼吸を深くする。白騎士団がなにより優先するは王の声だ。王命は絶対で、しかしアナクレオンという人は敵対関係にあった元老院に従えと、そうフランツに言う。
なにが、起こっているのだろう。
フランツは白の間に呼ばれたときから、違和感を隠せずにいる。ただ表に声を出さずにいるのは、騎士がそういう生きものだからだ。
だんまりを決め込んだのだと、そう思ったのだろう。次いでフランツの耳に届いたのは嘲笑だ。たしかに、白騎士団は王の盾としてこのマイアを守る義務があり、王の傍から離れてはならない。
病のようだとフランツは思った。王都に、白の王宮に、マイアに
「手筈はすべて整っております。閣下の手を煩わせるものは、何ひとつございません」
「ほう、それは実に頼もしい」
老者は満足そうに笑んだ。騎士の挙止を崩さないフランツは、己の吐いた言葉に白々しさを感じていた。
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