ルダの公女とイレスダートの聖騎士
いきなりの毒舌に面食らったものの、ルダの公女の性格を知っているからこそ、別に怒りは感じなかった。とはいうものの、この風雪のなかをやっとも思いで彼女たちを見つけ出したのだ。間一髪で間に合ったとも思っていたので、その一声にブレイヴは失笑しそうになる。
「それで? レオン兄様はどこ? まさか来なかったわけじゃないでしょうね?」
レナードとノエルがぽかんとするのも無理はないと思う。ルダの公女といえば彼らが知っているのはアイリオーネで、あの大人しい気質の人とこの妹だ。本当に血が繋がっているのかと、そう疑っているのかもしれない。
「ちょっと! なに笑っているのよ!」
アイリスには見えないように苦笑したつもりが、しっかり見えていたらしい。詰め寄ってくるアイリスにブレイヴは即白旗を揚げる。
「レオンハルトは来ない。いや、来れないというべきかな」
「どういう意味よ? まさか、ルダを見捨てようってわけ?」
「そうじゃない。……グランルーザとエルグランで大きな戦いがあったばかりなんだ。知らなかった、とでも?」
「なによそれ。グランには不可侵条約があったはずでしょ?」
やはり知らなかったようだ。腰に手を当てながら憤慨するアイリスに、ブレイヴもつづける。
「とにかく、グランはやっと落ち着いたばかりだ。レオンは来ない。でも、俺たちをその代わりだと思ってくれたらいい」
「……へえ?」
アイリスの眉があがる。すこしは興味を持ってもらえたのかもしれない。いや、役不足と返してくるくらいの気概の持ち主がアイリスという人だ。ルダに駆けつけたこの人数と、グランルーザの竜騎士団を比べるまでもない。
「ま、いいわ。そういうことにしといてあげる」
ずいぶんな物言いだが、ここは穏便に事を運びたい。ブレイヴは笑みで返す。しかし、アイリスの毒舌はそれで止まらなかった。
「でも、あなたって叛逆者でしょ? 元老院が躍起になって追っているって噂じゃない?」
よくご存じでと返したいところでも、余計な声をすれば倍以上になって返ってきそうだ。こうなると、あのレオンハルトの説教が可愛らしくみえる。
「あら? 間違っていないわよねえ? アストレアを追われてオリシスに行ったんでしょう? そのあとは知らないけれど……、その聖騎士サマがどうしてルダに出てくるわけよ?」
「話すと長くなるんだ」
「ふうん。やっぱり訳ありなんじゃない。困るのよねえ。そんないわく付きの聖騎士サマが、ルダに関わってくれるのは」
「返す言葉もございませんが、しかしルダもアストレアもそれほど変わりないのでは?」
「セルジュ」
軍師に出てこられると余計にややこしくなる。セルジュを制してブレイヴは視線を横へと流す。少年と目が合った。
「きみたちも、同意見か?」
「あ、あの……、僕は」
「アロイスだね。アイリオーネから、きみとアイリスのことはよくきいている」
少年はおもむろにフードを取ってからまず顔を見せてくれた。髪の色は銀色、姉たちが神秘の紫色の髪をしているのに対して、ずいぶんと色素が薄い。瞳の色は三人それぞれ、アイリスは
アイリスが、禁術に手を出してまでこの少年を守ろうとした理由がわかった。
ルダの公子には姉たちのような魔力がその身に宿っていないのだ。髪の色を見ればよくわかる。強い魔力の持ち主は濃い色の毛髪をし、とりわけ強い者は成長するにつれて、鮮やかな紫へと変わるという。
「上の姉には、いつも心配ばかり掛けていましたから」
くしゃりと笑うアロイスは恥ずかしそうに頭を掻いた。まだ頭には雪がすこし付いている。
「アイリオーネもルダに来ている。とにかく、合流地点まで行こう」
「ちょっと! なに勝手に決めてんのよ!」
アロイスを押しのけながらアイリスが言う。急に押されたせいで、アロイスは雪のなかに突っ込んだ。少年の侍従たちが慌てて彼を助け出す。
「……いつまでここに?」
クライドの姿が見えないと思えば、異国の剣士は他に敵が残っていないか見てきたらしい。しっかり外套を着込んでいるのにルダの寒さは堪えるようで、いつも以上に口数が少ないし鼻の頭も赤くなっている。
「そうだな。いまは大丈夫でも、新手が来ないとも言えない。すぐに発とう」
「ちょっと……!」
「アロイス。まずはアイリオーネたちと合流する。そのあとルダの城に戻ろう。……いいね?」
「あ、はい。私は……」
やっと雪のなかから掘り起こされたアロイスがうなずく。一方で無視されつづけているアイリスはそうもいかない。いまにも噛みつきそうだし、ブレイヴは思い切り睨まれている。
「勝手に話を進めないで。私たちはまだ」
「すでに落ちていた」
いつまでも隠していても、それはやさしさにはほど遠い行為だ。静かに声を落としたブレイヴに、泣き笑うような顔でアイリスは見つめ返している。
「なによ、それ……」
「きみたちは他の部隊と合流する途中だった。でも、王都の騎士団は南からルダを攻めた。南だけじゃない、俺たちは東から来たんだ。集落は落とされていたし、要所となる砦も抑えられていた」
それでも戦うつもりなのだろうか。アイリスとアロイス。ルダの姉弟とともにいるのはたった四人だ。先ほどの騎士たちは斥候にもならない部隊で、それらが戻らずとも本体は歯牙にもかけない。
「いいえ。まだよ」
けれど、彼女は何かに取り憑かれたように戦おうとする。
「姉上」
「まだ西には兵力がある。ヴァルハルワ教会。奴らの力を、いまこそ利用するときだ」
意地だけで戦いつづけるのはとっくに限界がきている。ブレイヴは、彼女が憐れだとは思わない。いきなり王都から騎士団が迫ってきた。ルダはまるでアストレアだ。母エレノアに逃がされる前のブレイヴは、それでも戦うつもりだった。誰だって祖国を危機に晒されたら猛然として抗議するし、最後まで抗う。
おなじものを感じたのだろう。レナードとノエルは黙りこくっている。セルジュとクライドはあきれているのかもしれない。でも、ブレイヴはここで彼女たちを見捨てようとは思わない。死なせてはならない人だ。アイリスもアロイスも。ルダのためには、絶対に。
「アロイス。きみはどちらを選ぶ?」
水を向けられた少年はまじろいだ。
「ここで、引き返すか。それとも、わずかな望みを掛けて前に進むか」
意地悪な質問をするものだと、ブレイヴは思う。退くという行為は敗北を認めるとおなじだった。
「待ちなさい。私は認めないわよ」
「俺は彼に質問をしている。ルダを継ぐのは彼だ。だから、アロイスが自分で決めなければいけない」
たしかルダの公爵はまだ存命だったはずだ。しかしながら彼女たちの父親は温厚で知られる公爵であり、このような事態になっているにもかかわらず大人しくしている。ルダがいよいよ危なくなれば王妃と王子を差し出すような人だ。
それも正しくはある。ブレイヴはそう思う。ルダを守る手段のひとつとして、公爵が選ぶ道だ。だが、きっとそれだけでは済まない。子どもらの方がずっとその先を見ている。だからアイリスもアロイスも戦っている。
「死なせない」
その、どちらも。
真摯な声はどこまでが伝わったのだろう。けれど、彼女たちに与えられた時間はわずかだ。ブレイヴはアロイスを見つめる。成人にはまだ遠い少年は不安そうに視線を彷徨わせる。本当はとっくに心が決まっているのに、姉の手前言い出すことができないのかもしれない。
「とりあえず、先にアイリスに頼みがある」
「なによ?」
「この雪と風を止めてほしい。俺たちをルダに送ってくれた竜騎士たちが、あっちで待っている。でも、飛竜もとてもじゃないけれど、ここまで近づけなかった」
小一時間ほど前まではそれはひどい吹雪だった。行く手を阻む風と視界の悪いなかで飛ぶのは自殺行為だ。それでも、勇敢なグランの竜騎士たちは臆さずに空を翔けてくれる。これ以上無理を強いるのはあまりに酷だし、そのうち全員が雪だるまになってしまう。
「どうして、私だとわかったのよ?」
「こんな芸当ができる人は、ルダで一人しかいないからね」
揶揄で返したところで、それはまんざらでもなかったらしい。アイリスはくくっと喉の奥で笑った。
「私に、殺されなくてよかったわね」
レオナはずっと王都マイアの白の王宮で育ってきた。
十歳の頃に聖なる儀式にて額に竜の聖痕が現れた。ほどなくして竜の力に目覚めたレオナは、白の王宮から遠ざけられて修道院へと入れられる。未熟な精神を安定させるためだった。
王都からマイア北西に位置する修道院では、冬に雪がよく降った。でも、こんな大雪に見舞われるのははじめてだったし、風雪で荒れた天気にはぞっとする。これはルダの自然と魔道士たちの力がそうさせたものだと、アイリオーネが言う。おそろしい力だ。彼らはマイアの騎士団に抗う力を持っている。
「あの子は、決して無思慮な子ではないのだけど……」
カップを両手で包みながらアイリオーネが言う。実の妹だ。擁護したい気持ちはあっても、庇いきれないといった感情が滲み出ている。
レオナは窓の外を見つめる。灰色の雲が空を支配して五日以上にもなる。そのあいだに絶え間なく雪は降りつづけているし、ときどき嵐を呼ぶ。
グランルーザのときみたいだ。レオナはそっとつぶやく。嵐を呼んだのはユノ・ジュール、彼はグラン王国をその力で引っ掻き回した。
「ルダの冬はとても長いの。子どもたちが雪を喜ぶのは最初だけ。あとはみんなこうして家に籠もって長い冬が空けるのを待つのよ」
気の遠くなりそうに長い冬だ。人々は保存食でどうにか食いつなぐ。王都からの支援は届いても主要な城に届くのが先で、ちいさな集落はどうしても後回しにされる。だからそういった場所にはヴァルハルワ教徒が多い。困窮する民のために教会は支援を惜しまないからだ。
「公女さまが戻って来てくださり、我々は嬉しく思っていますよ。ですが、ここはもう十分。あとはどうぞ他へと回してください」
最初に駆けつけた集落でも、次の場所でもおなじ返答だった。遅すぎたのだろうか。いいや、そうじゃない。ヴァルハルワ教会の動きが速かっただけだ。
「でも……、みんなどこに行ってしまったのかしら?」
こんなちいさな集落にも教会はある。クリスはシャルロットと教会周辺を見に行った。フレイアも一緒だから心配していなかったが、なかなか戻ってこない。グランの竜騎士たちと一緒に物資を運んだのはルテキアとアステアで、この二人も戻ってこなかった。
「皆はムスタールに行ってしまいましたからね。残っているのは私を含めたわずかな者ばかり。なあに、じいさんたちの方がたくましいのですよ」
除雪作業を行っていた
レオナはアイリオーネを見つめる。彼女も逡巡する表情だ。集落には少なくとも五十人はいたはずで、それが隣の集落と合わせると百を超える。そんな数でもムスタールの大聖堂は受け入れてくれるのだろうか。
「戻って来てくださいましたからね、あの方が」
「あの方……?」
レオナたちの心を読んだみたいに司祭は言う。冷えた身体を暖めるために香茶を淹れ直す。レオナにもお代わりを注いでくれた。ルダの香草をしっかり蒸らした香茶は舌に乗せるとぴりっと辛い。そこにはちみつを落としてゆっくり味わうと、いつのまにか身体もぽかぽかしてくる。
「はい。お二人もよくご存じではないでしょうか? ワイト家の当主となられる方、その方がイレスダートに戻って来られたのです」
レオナとアイリオーネは顔を見合わせる。
ワイト家はイレスダートでも有数の貴族の名前だ。ワイトの名を持つ者はいずれも白金の髪と薄藍の瞳を持っていて、白磁のような肌が特徴だ。その見目麗しい一族は離散したのではなかったのか。レオナは途中で声を呑む。
「では、エセルバート様が?」
「はい。噂では、いまランツェスにいらっしゃるのとか」
ランツェス。レオナは口のなかで言う。もう一人の幼なじみの国だ。ディアスは西の国の果て、サラザールで別れた。迎えに来た
どうしてだろう。レオナはそのとき、ふと違和感を覚えた。消えたワイト家の当主と幼なじみの繋がりを探しても見つからないはずなのに、糸を辿ればひとつのところに結びつくような、そんな気がしてならない。
不安を鎮めるように、ルダの香茶を喉へと流し込む。ブレイヴたちはアイリスと合流できた頃だろうか。
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