ほどけてゆくあいを

 その日の遅くまで、ブレイヴたちは話し合っていた。

 まず、グランルーザからルダまでは竜騎士たちに送ってもらう。これであの険しいモンタネール山脈が攻略できたが、問題はそこから先だった。

 長机に並ぶ地図とにらめっこするうちに、来客があった。竜騎士はルダから戻って来たのだという。手に持っていたのは二通目の書状で、送り主は言わずもがなルダの公女だった。

 レオンハルトたちグランルーザの面々は先に引きあげていった。といっても、彼らは彼らで竜騎士団長に掛け合ってみるのだろう。ブレイヴとセルジュが話し合っているあいだに、クライドがレナードとノエルを連れてきてくれた。ルダへと向かう。二人とも無縁だった地名をきいてぽかんとしたものの、いよいよイレスダートに戻ると知ってちゃんと顔を騎士の表情へと改めた。

 ブレイヴの部屋へと移動して、次に扉をたたいたのはクリスとフレイアだった。

 白皙の聖職者と西のフォルネの王女。フレイアはいわゆる取り立て人だ。ブレイヴは西の大国ラ・ガーディアで、王族たちに多額の金を借りている。そのまま持ち逃げだなんて考えはなくとも、見張り役は必要らしい。次の旅路がイレスダートときいてもふたりは特に驚かず、言葉短めに部屋を出て行った。のこりの面々には幼なじみが話してくれるだろう。

「私はもうすこし時宜じぎを待つべきだと思いましたが、こうなった以上は致し方ありませんね」

 軍師の重い嘆息は何度目だろうか。もう数える気にもならない。

 グランルーザの竜騎士団が動かせないなかで、これらの面子を集めてルダに駆けつけたところで多勢に無勢だ。ルダの公女の書状は半月前に送られたもので、もうすでにルダはマイアからの攻撃を受けているのかもしれない。それを見捨てるという選択肢はブレイヴにはない。だからこそ、ブレイヴの性格を熟知している軍師が不承不承でありながらも動いてくれる。

「いったい、王都マイアでなにが起きているのだろう」

 心のなかで落としたつもりが大きな独り言として出ていた。セルジュが拾ってくれないのは疲れているからだろう。

 祖国アストレアを追われてオリシスに保護された。しかしアルウェン公暗殺が発端となり、ブレイヴはふたたびイレスダートを追われる。ブレイヴが知らないのはそのあとだ。

 幼なじみであるディアスの麾下きかオスカー・パウエルは、さらなる悪い報告を口にした。年に一度の花祭り、ウルーグの春祭りの日にきいた報告は最悪だった。

 たぶん、ブレイヴは皆まで信じてはいない。国王アナクレオン、それから黒騎士ヘルムート。二人のあいだでなんらかの齟齬そごが生じていたとしても、騎士が主君に刃を向けるなど考えられない事態だ。白の間が血で穢されたなど嘘に決まっているし、その後の二人の動向にしても違和感が残る。

 そういえば、レオンハルトには怒られたな。

 ブレイヴは思い返す。年長者のする説教はとにかく長くてくどい。イレスダートでは叛逆者の烙印を押されているブレイヴだ。どう足掻こうが王都マイアには戻れないし、アストレアを取り戻すどころではない。では、なぜイレスダートに戻ろうとするのか。答えは皆まで言うつもりはない。

 しかし、時間はそう多く待ってはくれないのが現実だ。

 叛逆者として罵られても、罪人の扱いを受けても、ブレイヴはイレスダートに戻らなければならない。そう、これからブレイヴがやろうとする行為こそ、逆臣だ。それは正義とはほど遠い行いだろう。では正しさとは誰が決めるのか。

 王であると、ブレイヴは疑わない。

 さすれば、次にはオリシスのアルウェンの声が蘇る。王とてただの人間だ。時として道を踏み外すこともあるだろう。誰が王を止めるのか。それこそ、臣下である我らの役目ではないのか。

 思えばアルウェンは真っ直ぐな騎士だった。自分に正直すぎるがゆえに、オリシス公は白の王宮、とりわけ元老院から危険人物扱いされていたのも、いまならその理由がよくわかる。

 もしかしたら、黒騎士ヘルムートにもアルウェンの声がきこえていたのかもしれない。ムスタール公の行いを正当化するつもりはなくとも、ヘルムートが事に及んだ要因がどこかに存在しているはずなのだ。たどり着けるだろうか。どちらにしても、ともかくまずはルダだ。 

「では、私は先に休ませて頂きます」

 ルダの地図と他の資料を交互に見ていたブレイヴは、軍師の声に正直に驚いた。めずらしいな、明日はグランも雪だ。ブレイヴの声を待たずに、セルジュはさっさと出て行った。ほどなくして扉をたたく音がする。忘れ物だろうか。それにしては軍師らしくないことつづきだ。

「ごめんなさい。あの、すこし……いいかしら?」

 扉の向こうで待っていたのは幼なじみだった。春になっても夜は寒いので、まずは部屋へと彼女を招き入れる。カウチに腰掛けるように促してもレオナは落ち着きなく視線を彷徨わせている。軍師を追い出してしまったと、そう思い込んでいるようだ。

「ルテキアとロッテに話してくれた?」

「うん……。ふたりとも、ちゃんと最後まできいてくれたわ」

 用件はそれだけではないのかもしれない。では香茶でも用意しようか。ブレイヴはちらと扉を見る。台所まで行けば誰か起きているはずで、しかしその前にレオナはブレイヴの腕を掴んでいた。

「あの、話したいことがあって。グランを経つ前に、どうしてもあなたに……」

 ブレイヴはまじろぐ。こうして二人だけで話をするのはいつ以来だろうと、そう思った。レオナがその機会を窺っていたことにも気づけなかったのなら、またレオンハルトには怒られてしまう。

「わたし、あの人と……。ユノ・ジュールと、たたかったの」

「うん……」

 エルグランの侵攻の際に、幼なじみはカミロ王とアイリオーネを守った。レオンハルトからもアイリオーネからも、それにセシリアからも礼を告げられて、ブレイヴはどういう顔をするべきかわからなかった。

「あのひと、前みたいに子どもの姿ではなかったわ。もっと大人で、成長した姿だった」

 それもブレイヴの耳には入っていた。エルグランに遣わされたヴァルハルワ教の司祭、ジェラールが白の司祭と呼んでいたのは、ユノ・ジュールと言う名の竜人ドラグナーだ。エルグランの各地でその姿は目撃されていて、いずれも美しい青年だったという。

「ごめんなさい。わたし、あなたとのやくそく、守れないところだった」

 声が弱くて震えているのは、涙を落とさないためだろう。

「きみが無事で、本当に……よかった」

 ブレイヴはレオナの肩をそっと抱く。こんなにも華奢な身体で幼なじみはいつも戦っている。白の少年、白の司祭。いまはその名前なんてどうだっていい。あの竜人ドラグナーはいつもレオナの前に姿を現す。そのたびに、幼なじみは竜の力を使ってしまう。

「わたしは、だいじょうぶ。今回は倒れたりもしなかった。でも……」

「でも?」

「あれは、姉さまだった」

 ブレイヴの呼吸が止まった。幼なじみが姉と呼ぶのは一人だけだ。城塞都市ガレリア、そこから北上してルドラスへと入る。イレスダートの前王アズウェルとともにルドラスの大地を踏んだのはソニア王女だ。

「きいて、ブレイヴ。あれはたしかに、ソニア姉さまだったの。ねえ、ブレイヴ。わたしは、どうしたらいい? だって、ねえさまは、あの人といっしょに」

「レオナ」

「わたしではなく、ユノ・ジュールを庇った。どうして? ねえさまは、どうしてあの人のことを、」

「レオナ、落ち着いて」

 幼なじみの頬を涙が伝っていく。悲しいというよりも悔しいのだろう。ユノ・ジュールは何度もレオナを襲った敵だ。オリシスのアルウェンや、他にも多くの人間の命を奪った恐ろしい竜人ドラグナーだ。

「わたし、見たのよ。ねえさまの姿は、まるで魔女のようだった。あれは、サラザールにいた魔女なのでしょう? そんなのって、おかしいわ。だって、ソニア姉さまはそんな人なんかじゃない」

 矢継ぎ早に繰り返される声に、ブレイヴも混乱する。虚言などとは思えない。幼なじみの声音は迫真に満ちていたし、なにより彼女が嘘を紡ぐ理由がない。

「なにかの間違いなのよ。だって、ソニア姉さまは。わたしのねえさまは、いつだって……」

「レオナ。だいじょうぶだから」

 やさしかった。あのやさしい姉さまが、人を殺したりなんかしない。

 嗚咽を堪えながらも、レオナはそう繰り返す。ブレイヴはただ幼なじみを抱きしめながら彼女の声をきく。ありえない話なのだろうか。ブレイヴはそう思う。サラザールから消えた前王の愛妾。魔女と呼ばれたその人は、処刑人として自らの手で人を殺めていた。演出にしては過剰すぎる炎、その異端な力は竜の力にも似ている。

「いまから話すのは、もしもの話だ。もしも……、本当にその人がソニアであったとしても」

 幼い子どもに言いきかせるように、ブレイヴはゆっくりと言う。

「サラザールから消えて、グランからもいなくなったとしても。ソニアが生きているのだから。きっと、また……会える」

 これを希望というのならば、なんて残酷な言葉なのだろう。

 涙に濡れたその瞳でブレイヴを見あげる幼なじみは、純真な子どもみたいだ。

「そう、だね……。わたし、ずっと信じていたのに」

 騙しているわけでもないのに、罪悪感に胸が押しつぶされそうだ。

「わたし、もっと強くならなければ、いけないのに」

「強くなんて、」

 強くなんてなくてもいいのに。傲慢だと、そう思う。これは勝手な願いに過ぎない。 

「ブレイヴ……?」

 力任せに彼女を抱きしめているから、苦しいのかもしれない。それなのにこの腕を解いて幼なじみを解放したくないと、そう思う自分がいる。

「かなしいの?」

「かなしいよ」

 本当の声をしよう。レオンハルトに怒られる前よりも、レオナがキスをくれたその前よりも、ずっとずっと前からそうするべきだった。

「悲しいよ。でも、悲しいよりもいまは、いとおしいかな。心のなかにある言葉は」

 二人の鼓動がひとつに重なっている。こえも、ぬくもりも、においも。彼女のすべてを手放したくはない。幼なじみがどこかに行ってしまう前に、ブレイヴは彼女の耳元で愛を囁いた。ぴくりと、レオナの身体が震える。レオンハルトは遅すぎると言った。本当にそうかもしれない。 

「もう一度、言って?」

 目尻に溜まった彼女の涙を吸い取ってから、ゆっくりと唇を重ねる。はじめは触れるだけの口付け、それから角度を変えてたしかめ合った。息をするあいだすら惜しくなるその前に、彼女の声に応えなければならない。

「レオナを、あいしている」

 返事を待たなかったのは、これ以上の言葉は要らないと思ったからだ。

 細く、たおやかな彼女の身体を寝台へと押し倒す。かろうじて残っていた理性もとっくに消えてしまったようだ。幼なじみの衣服を順番に脱がしていくその指が震える。彼女は気づいていただろうか。恥じらう声も、あまく落ちる声も、自分を呼ぶ声も、どれもが新鮮で、どうしようもなくいとおしかった。

 唇の次は首筋に、鎖骨へと。順番に口付けを落としていくのは、まるで誓いのように。

 熱に浮かされた声でレオナはたどたどしくも、けれども何度もブレイヴを呼び、そのたびにブレイヴは口付けで返してゆく。舌が絡まり、指が絡まり、そうするうちに未熟なふたりでもその先に何があるのかをわかっていた。緊張と不安が綯い交ぜとなった未熟な二人だった。あとで思い返せば笑ってしまうほどにぎこちなくて、不慣れな二人だったけれど、そのうちにやさしい時間が訪れた。

 ブレイヴが瞼を開けたとき、まだ空は重たい色をしていた。

 どうやらいつのまにか微睡んでいたようだ。幼なじみは静かに寝息を立てている。起こさないように、ブレイヴはそっと彼女の髪に触れる。その一房を取って唇へと運びながら、ブレイヴは幼なじみが目覚めたときの言葉の二番目を考えた。恥ずかしそうに微笑む幼なじみは言う。ブレイヴはいつも早起きね。アストレアにいたら自然に早起きになるよ。そう、応えると幼なじみはまた笑う。

 帰りたいと、幼なじみは泣いた。一緒に帰ろうと、ブレイヴは言った。長い旅路を経てここまで来た。イレスダートはもう、遠くはない。

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