攻防

「敵が、来ます……!」

 竜騎士の声に、ブレイヴは目を凝らした。

 視力には自信がある方だったが、どうも思いあがりだったらしい。北の空には雲が広がっているし、乳白色の霧まで出ている。竜騎士が言う敵の姿はブレイヴにはまだ捉えられない。空を制する者はまず色とにおいを嗅ぎ分けるというが、さすがは熟練の竜騎士たちだ。頼るのは己の目だけではなく、彼らはグランの空を知り尽くしていた。

 グランルーザを発って五日が過ぎた。

 最初に斥候部隊が出発した。つづいて出た第一部隊を率いているのはレオンハルトだ。先発隊では敵の遭遇を想定しておらず、ともかくレオンハルトの部隊はエルグランの王城を目指している。エルグランの主力はグランルーザへと、その残りを引き受けるのはブレイヴたち第二部隊である。

 空中戦は二度目とはいえ、とても慣れたものではなかった。まず飛竜の速度に身体が付いていくのがやっとのことなのに、相手の竜騎士は見境なく襲ってくる。飛竜を操る竜騎士は、なるべくブレイヴの負担にならないようにしてくれているのがわかる。攻撃は竜騎士に任せてともかく自分は援護に努めようとするものの、それがなかなかにむずかしい。

 ほどなくして戦闘がはじまった。途中で飛竜を降りて野営を挟んだが、それでも身体の疲れは感じている。ここが正念場だ。ブレイヴは目の端で味方の竜騎士が落ちるのを見た。出立の前にブレイヴに槍を貸してくれた若い竜騎士だった。

 感傷に浸るよりも先にやるべきことがある。ブレイヴに自分にそう言いきかせる。空中戦では飛竜の力の強い方が有利だが、空飛ぶ獣たちを操る竜騎士たちの力も侮れない。強い信頼関係で結ばれた竜騎士と飛竜、彼らは互いを認め合っているからこそ動きのすべてを任せている。熟練の竜騎士ならわざわざ飛竜に命令を繰り返さずとも、飛竜たちの意思で攻撃させる。飛竜たちがもつれ合っているうちに、竜騎士たちの戦いもはじまる。

 そのうちに小一時間は過ぎただろうか。

 ものすごい早さで襲ってくる敵の槍を撃ち払って、遠心力を利用して反撃に変える。腕の力だけではなく、下半身の力もぜんぶ使ってようやく互角と言ったところか。

「さすがは聖騎士殿。覚えが早くて助かります」

 そう言う竜騎士はブレイヴよりもひとつふたつは年下だった。一応は褒められているようで、しかし慢心は禁物である。

 突然、飛竜が大きく左へと旋回したと思えば、そのまま敵の中へと突っ込んだ。 

 何かの気の迷いかと思ったがそうではなく、飛竜ごと体当たりを喰らわせたのだ。ブレイヴがその衝撃に耐えているだけでも、竜騎士は撃ち損ねた敵の竜騎士に止めを刺す。そうするあいだにもブレイヴの息はだいぶあがっていた。このままでは混戦がつづけば足手纏いになってしまう。

「焦ってはいけませんよ」

 ブレイヴはまじろいだ。こんな戦場で年少者に説教されるとは思わなかった。いや、これは誤りだ。年若い竜騎士は励ましの意味で声を落としている。

「あなたをエルグランへ。殿下とともに、エルグラン王のところへと連れて行く。それが私の役目です」

 背中越しに竜騎士の覚悟が伝わってくる。混戦を極めている第二部隊と、うしろを守るのは第三部隊。レナードとクライドも後方で戦っている。その仲間たちをここに置いて、竜騎士は行くと言っている。振り返るなと、そうブレイヴに忠告する。

「……わかっている。行こう、レオンハルトのところへ」

 友は一足先に敵の牙城で待っている。グランルーザとエルグラン、この戦争を終わらせるのはどちらかが滅びるかあるいはもうひとつ。軍議室で何度も繰り返された口論の結果、レオンハルトはエルグランの王との対話を求めた。

 敵はグランルーザを落とすために総力を終結させている。守りは妹姫に託してレオンハルトは行く。どれだけ攻撃を受けようともグランルーザは落ちない。だからこそ、エルグランの王には認めさせなければならないのだ。 

 かえってきて。ブレイヴの耳の奥で幼なじみの声が蘇る。彼女の身体を抱き止めたときに感じた清冽な花のにおいも、はっきりと覚えている。はじめてではなかった。彼女のこころを知ったのは。レオンハルトに怒られるのも当然だ。でも、もうすこしだけ待っていてほしい。ちゃんと幼なじみのところに戻って、それからしっかりと彼女の目を見てから言う。

 認めるのが遅すぎなんだよ、お前は。レオンハルトにはまた怒られて、横からアイリオーネが止めてくれる。幼なじみはどうだろうか。やっぱり、レオンハルトのように怒っているのかもしれない。謝罪という名の言い訳を考えるブレイヴに、セシリアは味方となるかそれとも。皆、やさしくてあたたかい人たちばかりだ。皆のためにも、グランルーザに戻らなければならない。












 轟音が響いたかと思えば、すぐに揺れがきた。

 癒しの魔法を発動させていたレオナは、治療中の騎士に覆い被さった。少年の竜騎士だ。まだちゃんと空の戦いを学んでいない少年竜騎士は、敵の集中攻撃を受けたのだろう。ここに運び込まれたとき、彼は死に近しい状態だった。

 だいじょうぶ、かならず助ける。

 レオナの癒やしの魔法がはじまる。緑色の淡い光は少年竜騎士の全身を包み込んだ。損傷が特に激しかったのは左脚だ。腰から下の骨が砕けていたし、敵の槍を受けた傷よりも落下したときに負った傷の方がひどかった。

 レオナは精神を集中させる。このくらいすぐに治せる。教会には少年竜騎士の家族がいたらしく、レオナの背後からは嗚咽がずっときこえてくる。突然の揺れが起こったのは、そのときだった。

 おそらく敵の侵入を許してしまったのだろう。レオナは下唇に歯を立てる。難攻不落と名高いグランルーザの王城だが、そういつまでも持つまい。エルグランの竜騎士団の勢いは衰えずに、攻撃がはじまって三日過ぎても増援が駆けつけている。

 夕暮れが近くなってようやく敵の竜騎士団が引きあげた。そうなると、次に忙しくなるのは治癒魔法の使い手たちだ。

 白皙の聖職者――クリスの隣で彼の助手を務めるのはシャルロットだった。

 オシリスの少女の成長に目頭が熱くなったのも束の間、教会の外にまで怪我人たちで溢れている。重傷者は中へ、そうして一人ひとりを癒やしていくレオナはある不安を覚えた。

 飛竜同士の戦いなら、グランルーザの竜騎士たちはけっして負けない。けれども、予期せぬ者の介入があったならば――。

 その予測は正しかったらしい。グランルーザで貴重な魔道士部隊、そのほとんどが教会へと集まっていたが、防御魔法を得意とする者は東西南北に位置する尖塔で祈りを唱えている。彼らは三日三晩、魔法障壁を掛けつづけていたが、それもそろそろ限界が近かった。魔法壁が弱まったその隙に、グランルーザに侵入する者がいないとは言えない。魔道士たちよりももっと強い魔力を持つ者ならば、容易に入り込むことはできるはず、たとえばあの白の少年がそうだ。

 揺れが収まったら、すぐにレオナは癒やしの魔法を再開させた。少年竜騎士の顔に生気が戻ったのをたしかめると、次にレオナは白皙の聖職者を探した。

「あれはカミロ王の寝室のあたりですね」

 クリスはレオナの問いたかったことを先に答えてくれる。傍で助手を務めていたシャルロットの顔も強張っている。

「あそこにはアイリが」

「ええ。アイリオーネ様はすぐれた防御魔法の使い手だそうですね。もしかしたら、すでに戦っているのかもしれません」

 手が震えるのをどうにかして落ち着かせる。クリスは真っ直ぐにレオナの目を見つめている。

「行ってください」

「え……?」

「軍師殿に言われたのでしょう? あなたにしか守れないものがあるのだと。ここは大丈夫。私たちにお任せください」

 不安そうにうつむいていたシャルロットも顔をあげる。泣きたくなったのはどうしてだろう。あのオリシスの少女がこんなにも強くなっていたからかもしれない。二人に背中を押してもらって、レオナは教会を出る。東翼からカミロ王の寝室まではそれほど遠くなかった。

 そこには王を守るための騎士と侍女が控えていたはずだ。

 しかし、いずれもの侵入を止めることは叶わずに、侍従たちの遺体は扉の外まで吹き飛ばされていた。

 怒りに己を支配されてはならない。レオナはそう繰り返す。壊された扉、その先には侵入者を拒む壁が造られている。アイリオーネの力だ。招かれざる客のレオナもしかし、王の寝室へと足を踏み入れる。寝台で上体だけを起こしているカミロ王、すぐ傍にはアイリオーネがいる。目が合って、やさしいレオナの友人はここに来てほしくなかったと、そんな顔をした。

 だいじょうぶ、ふたりともわたしが守ってみせる。

 レオナは彼女らが対峙している者へと視線を移した。雪花石膏アラバスターの肌、青玉石サファイア色の瞳もそのままだった。ただすこし彼の容貌が変わっていることにレオナは気付いた。白銀よりももっと薄い白の髪は背中まで伸びていたし、彼の背丈だってずっと伸びていた。いまのユノ・ジュールは少年ではなく、青年といった方がいいのかもしれない。人間の子どもがこんなに早く成長するのはあり得ないけれど、しかし彼はレオナと同族だ。

「ユノ・ジュール」

 はじめて、彼の名を呼んだ。

 以前の子どもの姿ならば無邪気に笑って返すか、あるいは癇癪を起こすかしそうなところ、いまの彼はまったくの無表情でレオナを見つめている。

 彼がそれ以上、寝台へと近づけないのはアイリオーネの防御壁のおかげだ。

 レオナは彼とアイリオーネのあいだに割り込むように、身体を滑らせる。たぶん、彼はアイリオーネをルダの公女だと知らないし、その気になれば人間の造った魔法壁など簡単に壊せる。待っていたのだろうか。この場に役者が揃う、そのときを。

「なぜ、殺したの?」

 話の通じるような相手じゃない。それでも、レオナはふたたび彼と会ったなら問いたかった。

「オリシスのアルウェンさま、イスカの戦士たち、それからジェラールという人のことも」

 竜人ドラグナーにとって人間など取るに足らない存在なのかもしれない。だからこそ、レオナは悲しかったのだ。人間の寿命は竜族よりもずっと短い。その尊い命を、彼はまるで花を摘むみたいにあっさり奪っていった。

「あなたはなぜ、たくさんの人を殺してしまえるの?」

「ならば、お前は正当な理由を持って人を殺したのか?」

 レオナの肩が震える。自分を守るためだったと、どこまで言えるだろう。いや、問題はそこではない。レオナもまたその手で人を殺めてきたのだ。おなじ問いをされたら、きっと正しい答えで返せない。

「わたしは、あなたとはちがう」

 罪であると、レオナは思う。レオナの答えに彼ははじめて嗤った。 

「知りたいというのなら、教えてやってもいい」

 謳うように、すべらかな声で彼は言う。そして、彼の掲げた右手は寝台へと向けられた。庇おうして一歩遅かった。彼の放った炎の球が、寝台の王とアイリオーネを襲う。

「アイリ……っ!」

 寝台を取り囲むようにして造られた魔法壁、それは並の炎ならばはじき返せる代物だ。そう、対峙した相手がならば。

 レオナはぞっとした。

 赤い色をした炎が邪悪な黒へと色を変えていく。消えるどころか威力を増していくその炎は、二人を殺してもなお消えない炎だ。

「老王には死んで頂く。それが彼の運命だ」

「さだめ、ですって?」

 レオナは怒りをそのまま声に乗せる。

「いいえ、ちがう。あなたの行っているのは、ただの殺戮よ」

 たったひとつの、その言葉だけで、彼らの命は奪われたというのか。あるべき流れを捻じ曲げたのはユノ・ジュールだ。その、危険な思想に耳を貸すことなどない。

「あなたは私欲のためだけに、人のせかいに介入している。それだけのために、人の命を奪った」

「守るためだと言ったら?」

「なに、を……」

 言っているのだろう。以前の子どもの姿とはちがう。無垢な声を発していたあのあどけなさも、レオナに向けていた悪意も怨嗟もそこに感じない。ユノ・ジュールはことさらやさしい笑みをする。まるで近しい者にだけに見せるように。

「お前は、そのために力を望んだのではなかったのか? お前と私のなにがちがう? もう知っているのだろう? お前と私は同族だ」

「わたしは……っ!」

「人の世に竜族が関わらないというのなら、なぜお前たち王家の人間は南を統べている? なぜ我ら竜族は身を潜めながら、そうして生きていかなければならない?」

 ついにレオナは声を失った。竜の谷であった竜人ドラグナーの青年もそうだった。レオナを憎んでいる。そうだ、他の竜人ドラグナーたちはマイア王家の人間を憎んでいるのだ。

「だから、なの? あなたが人間の世界に干渉するのは、わたしが憎いから?」

「これ以上、話したところでお前に理解はできない」

 敵と敵であるからだ。レオナにとってユノ・ジュールは敵であり、またユノ・ジュールにしてみればレオナは彼の敵なのだ。正しさを謳う者だけが善となるわけではない。その逆も然り、不善となる者が悪となるのではない。わかり合えないから敵と敵になる。それだけだ。

「悠長に会話をつづけていてもいいのか? 私を殺さなければ、あの二人は死ぬぞ」

 レオナは弾かれたように振り返った。黒い炎はまさにアイリオーネの魔法壁を呑み込もうとしていた。

「あなたを、止めます」

 刹那、炎の玉がレオナを襲った。アイリオーネの悲鳴がきこえる。だいじょうぶ。爆風で吹き飛ばされた身体を起こしながら、レオナは言う。案じてくれる友人に微笑み返したいのに、レオナにはその余裕がない。でも、どうにか間に合った。見様見真似でもやってみる価値はあるものだ。兄のアナクレオンならばもっと早く魔法壁を作れるし、アイリオーネならばもっと強い魔法壁を作って炎に耐えられる。実際、レオナの背後で彼女は戦っている。自分の身は自分で守らなければならないし、二人を助けられなければ何のためにここに来たのかわからなくなる。 

「お前にそれができるとでも?」

 ユノ・ジュールの魔法の発動は早い。印も結ばすに、詠唱もなしに魔力を具現化させる力はまさしく脅威だ。それでも、何度だってレオナは立ちあがってみせる。

「あなたに、屈したりはしない。負けるわけにはいかない。わたしは、死ねない」

 死ねない、のではなく、死なないのだ。レオナはその意味をもう知っている。だから、そのことわりを乱す者を許すわけにはいかない。

 レオナの放つ雷は連続的にユノ・ジュールを襲う。彼が平気な顔でいられるのは、彼もまた身体の周りに魔法壁を張っているからだ。

 想定内だと、レオナは攻撃をつづける。反撃がこないのはレオナの力量を試しているのだろうか。その余裕の表情はさすがに不愉快だ。

 なら、彼とおなじように人間の力なんて捨ててしまえばいい。レオナのなかで、誰かの声がきこえた。

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