過去と罪②

「貴族同士の派閥争いなど白の王宮内では良くある話だ。好きにさせておけば良い。……だが、アナクレオンはわずかな綻びさえ見逃さない」

「私は、陛下を疑ったことなど一度だってありません。ですが、ときどきわからなくなるのです」

「正直だな。それを陛下の前で言えば良かったのだ」

 存外、アルウェンという人は意地悪だとそう思った。ブレイヴはかぶりを振る。できるわけがない。できなかったのだ、自分は。

「国王陛下を擁護するわけではないが、しかしその選択はただしい。派閥争いで対立し騒動を起こすだけならばともかく、武力を集めるとなればそれはもう叛意と見做される」

 ブレイヴは歯噛みする。そうだ、。あの頃、いったいいつから不協和音が生じていたのだろう。ブレイヴが王命でとある伯爵家に入ったとき、騎士はすでにそこにいた。あとから来たブレイヴの友人は何も知らなかった。はじめは派閥争いを収めるために、そうしてブレイヴたちは呼ばれたはずだ。しかし、国王派と元老院派の貴人たちは衝突を繰り返し、次第に事は白の王宮まで動かしてゆく。

「双方を鎮めるためには誰かが悪人となる必要があった。それが、君の教官だな?」

「いいえ、彼は犠牲となったのです。貴族たちの、白の王宮の、国のために」

 そして、ブレイヴは生かされた。裏切りの騎士と、彼はいまも王都の人間からそう呼ばれている。大貴族や商家、それから騎士に。錚々そうそうたる人物らがそこには関わっていて、しかし彼らを利用していたのがかの騎士だった。

「あの日ののはわずかな人間だけです。だからこそ、私は彼をいまも友とは呼べないのです」

 声が、震える。過去に戻れるわけでもないのに、それで手に入れたものだってあるのに、それでもブレイヴは悔恨と懺悔を口にする。ふた呼吸の沈黙があった。騎士とは思えない醜態だ。きっとアルウェンには失望されただろう。

「君は陛下を恨んでいるのか?」

「……いいえ」

 ため息がきこえた。やはり、そうなった。

「正直すぎるのだ、君は。だが、こうも考えるべきではないかな? 陛下はそうまでして、君を聖騎士にしなければならなかった」

 ブレイヴはまじろいだ。罪の意識に囚われてばかりで気づけなかった。アルウェンが笑んでいる。出来の悪い弟を見るときのような、そういう目をしている。

「かの騎士は罪人となったが、それで派閥争いもなくなった。失ったものは多くとも、その反対に得たものもあると、そう考えるべきではないのかな?」

「それを犠牲と呼ばずにして、何と言いましょう?」

 拳が震える。怒りは誰に対してでもなく自分自身に向けてだ。領地を押収され、没落した貴族がいる。己が身の潔白を明かすために死を選んだ貴人がいる。他者を守るために正義に背いた道を選んだ騎士がいる。彼らの未来を奪った側にいるのがブレイヴだ。その後日、騒擾を鎮めた一人としてブレイヴは白の王宮に呼ばれた。王はブレイヴに聖騎士の称号を下賜かしした。

「正しくはない。しかし、間違ってなどいなかった。私は、ずっと自分にそう言いきかせてきたのです。戦争に犠牲は避けられません。それは、わかっています。だとしても、王都も白の王宮もけっして戦場なんかじゃない。それなのに騎士である私が生き残ってしまった」

「それは詭弁だな、ブレイヴ。君は騎士だがいずれは国を治める立場にある。アストレアの公子は君だ。ならば、戦場だけではなく内政も忘れてはならない」

「教えてください、アルウェン様。私の言っていることは理想なのでしょうか?」

「その答えは、君自身が良くわかっているのではないか?」

 ブレイヴは視線を外す。オリシス公は自分の過ちを受け入れているし認めているからこそ、ブレイヴを諭している。己がどうあるべきなのか。他者に教えてもらわなければ理解できないブレイヴとはちがう。権道けんどうを認めよと、そう言っている。

「私には君が死にたがっているようにも見える。罪の意識に苦しまなくてもいい。誰かの代わりになる必要もなければ、君の代わりにしても他にはいないのだ」

 母エレノアとおなじことをアルウェンも言う。年長者の声は素直に受け取るものだと、たぶんこれは説教なのだろう。

「騎士の仕事は戦場で死ぬことだけがそれではない。母親は覚悟をして息子を北へと送り出すとしても、幼なじみはそうにはいかない。君が帰ってこなければ、一番泣くのはレオナだな」

「それは……、」

「そうだ。それこそが、答えだよ。ブレイヴ」

 ブレイヴは呼吸を止めて、二拍置いてからゆっくりと息を吐き出した。どうして忘れていたのだろう。いや、失念していたわけではない。聖騎士だった父親に憧れを抱くのはいずれ騎士となる少年には自然な感情だ。でも、それだけじゃない。聖騎士でなければならなかった。そうでなければ、きっと彼女は守れない。

「綺麗事です、それは」

「単純で良い理由だと、私はそう思う。何も間違ってなどいない」

「ですが、それでは私は騎士ではなくなってしまいます」

「そうではない」

 アルウェンは微笑する。半人前の生徒だと教師は苦労する。そう言いたいのかもしれない。 

「そうではないのだよ。それでは人形と何も変わらない。私たちには心がある。だから正義も不善も、悪意も欲心も見極めることができる。ブレイヴ、これだけは覚えておきなさい。騎士は王命に従わなければならないが、しかし王の言葉がすべてが正しいとは限らない。私たちは人間であるし、王もまた人間だ。人の道に背けば誰かがそれを正さなければならない」

「まさか、陛下が……」

「仮定の話だ。だが、そのときが訪れたら君はどうする?」

 考えられない。しかし、オリシスに来て最初に二人きりで話したそのときにアルウェンはおなじことを言った。見定めなければならない。まるで、君主が道を踏み外すかのような物言いをする。もしかしたら、白の王宮はブレイヴが考えているよりもずっと腐っているのかもしれない。アナクレオンという人は英邁えいまいな王だが元老院の跳梁ちょうりょうを許してしまっているのだと、そう言いたいのだろうか。

「奴らは白の王宮の、いやイレスダートの毒となる。少なくともアナクレオンはそう見ている」

 ブレイヴには否定が紡げない。あの軍事会議の日に場を支配していたのは元老院だ。オリシス公は預言者でもなかったし、狂言を口にするような人でもない。そうだ。これは騎士の言葉とはちがう。親しい友を案じる声なのだとブレイヴは思う。

「年寄りの説教にしては長すぎたかな? だから私は教師には向いていなかった」

「いえ、そんなことは……」

「ふむ。君はどうにも真面目を通り越して堅物の人間だな。それでは講義から抜け出したこともないのだろう?」

「それくらいは、私にだってあります」

「ふふふ、それが本当ならばヘルムートがよく見逃してくれたな」

 アルウェンはもう一人の友人の名前を出す。ムスタール公爵であるヘルムートは爵位を継ぐその前にブレイヴの教官だった。強がりを言っているのだと思われているのなら、ちょっと面白くない。アルウェンが意地悪っぽく笑うからなおさらだ。

「さて、戻ろうか。あまり遅くなるとテレーゼが心配するし、なにより宰相がうるさいからね」

 オリシス公でも叱られることがあるのだろうか。それは見てみたいような気もする。

「ええ、アルウェン様にたっぷり説教をされたと、皆様にはそう申しましょう」

 アルウェンはまじろぎ、それからブレイヴの肩をちょっとたたいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る