子どもはみんな可愛い……例えそれが妖怪であったも。そんな言葉が思わず浮かぶようなほのぼのしたお話でした。
まるで、連続テレビ小説の学校の風景を見ているような感覚に襲われました。個性あふれる妖怪のキャラクター、子どもであるが故の、無邪気さ。
「ああ、自分にもこんな時があったなぁ」と思わず振りかえっていました。
個性的な妖怪の子どもたちが巻き起こす数々の可愛い事件簿。皆様、GWに一読いかがでしょうか?
以下感想です
大人になって必死に泣くのを我慢する泣き女の鈴子先生
対照的に河童の九助君は自分の本能に我慢できずに失敗するシーンがありました。大人になるってことはこう言う事なのかなと少し勝手に考えさせられました。
そしていつか、みんな大人になる。河童が人命救助して、天邪鬼が素直に愛を誓い、泣き女が満面の微笑みを浮かべ、首斬り男が就職する、猫女が犬神と親友になり、雪女が海辺で日向ぼっこ。
少し妄想部分もありますが、そんな事を想像して思わずほのぼのしてしまいました。
大阪に妖怪の子どもが通う小学校があったら?
「妖怪なんとか」流行昨今(※地縛霊は怖い存在)
ユニーク視点と優しい内容驚き展開本作ですが
別視点から「応援レビュー」投稿となります。
以下、帝塚山大学HP人文科学部無断転載です。
妖怪日本紀行「七福神を知ろう」起源を探る
七福神と聞いて何を思い浮かべますか?
舟に乗ったお腹の出た神様の絵?
それともえべっさんの飾り物でしょうか。
最近は一般家庭お目にかかることが少なくなった七福神。
でも招き猫や福助人形など並んで、まだまだ商売繁盛の
守り神などと親しまれている七福神のことを知るために、
まずはその起源からみていくことにしましょう。
私たち知る七福神、恵比須、大黒天、毘沙門天、布袋和尚
福禄寿、寿老人、そして紅一点弁才天、七人の神様集団。
でも神様というより感覚的に招き猫や達磨、福助といった
福を招く縁起物という感じがしませんか?
もちろんそれぞれ神様はちゃんと立派な神社に祭られる
由緒ある神様ですが(毘沙門天を祀った鞍馬寺、大阪の
今宮恵比寿神社など有名)七人まとめてしまうところに、
沢山の福が欲しい!というちょっと欲張った、いかにも
庶民的な思いが見えてくるのです。
七福神起源、帝塚山大学・岩井宏實名誉教授によると
「庶民の間まず恵比寿と大黒天の信仰が始まっていた」
平安時代末期といわれています。が、まだこの時代には
神仏に祈る事柄は国や村の五穀豊穣を祈るという共同体
祈願が中心であり、個人の願いを神社や仏閣祈願に行く
「個人の祈願」習慣はほとんどなかったと考えられます。
庶民は自然発生的に建立されたお地蔵さま地域守る神様、
「恵比寿」「大黒天」神様祈願が中心となっていました。
しかし貴族が国の実権を握っていた時代が終わり戦乱で
世の中が混乱していた室町時代、特に室町後期になると、
京都庶民の間に急速に福の神信仰が広がりを見せ始め、
さらに全国へも広がっていきました。
室町時代といえば応仁の乱(1467~77)など戦乱時代
貴族階級が経済面疲弊していた反面、社会的に商業が
形を持ち始めた頃でもありました。このころになると
庶民の間に蓄財観念も芽生え始め、福徳という現世の
ご利益を求めようとする意識が生まれてきたのです。
妖怪・七福神・絵馬「苦しい時代乗り切る三点セット」
七福神が絵馬と決定的に違うところは、七福神の信仰が
一般庶民から始まったという点にあります。絵馬奉納が
都の平安を願う、地域への平安を願う「共同体の祈願」
時の帝によって始められた、という起源持つのに対し
「七福神信仰」共同体祈願でなく「個人の祈願・信仰」
登場してきた、点で大きく異なるといえるでしょう。
「絵馬」が「祈願」から「私のお願いを聞いて欲しい」
「個人の祈願」へ移り変わっていったのとほぼ同時期、
初めて庶民の個人的な願いを託せる信仰、七福神信仰が
生まれてきたのです。