#続節 本当に探偵は破滅していたのか?

 その後、ジェーンの通報でに駆けつけた警察官の手によって、アレクは無事に逮捕された。ジェーンとクリスは、凶悪犯の逮捕に大きく貢献した協力者として、後で表彰されるらしい。については、名乗り出なかったので最初から居なかったことになった。

 カガミの足は、ボブの見立て通りそこまで酷い状態ではなかった。しかし怪我は怪我である。これまたすぐに駆けつけた救急車に載せられ、最寄りの病院まで搬送されたらしい。翌日、経過は良好だと本人から連絡が入った。どうやら、今回の活躍を評価されて退院後に出世できるそうだ。二階級特進ではない。

「――とまあ、そんな感じ。……まあ、知ってるだろうけど」

 いつもの喫茶店。向かいに座るに、ジェーンは一部始終を語っていた。

 無論、相手がそのほとんどを把握していることを知った上で、だ。

「いやあ、まさかバレてるとは思わなかったよ……」

 一ミリも悪びれること無く、ニヤニヤしながら十本目のスティックシュガーを折る瓶底眼鏡の女性――バーミリオンは、砂糖たっぷりのコーヒーを一気飲みしてから、好奇心たっぷりに訊ねた。

「盗聴器の音が私にも聞こえてること、いつ気づいたの?」

 盗聴器――最初の依頼で彼女から譲り受け、クリスに貼り付けたものだ。どうやら彼女は、これをジェーン以外に自分でも聞こえるように仕掛けていたらしい。性懲りもなく盗聴を続けるつもりだったようだ。

 途中でそのことに気づいたジェーンは、しかしあえて追求しなかった。何かあった時に、それを脅し文句に使って利用するためだ。結果、これが功を奏し、最後の最後でアレクの退路を塞ぐことができた。持つべきものはなんとやら、である。

 どこで気づいたのかという質問だが……これについては、逆にジェーンが訊きたいぐらいだった。

「ていうか、あれで隠してたつもりだったの……?」

 呆れ顔で、ジェーンは言う。質問返しだ。

 どこで気づいたのか。具体的なタイミングで言えば、彼女に日記データの復元を依頼した時だ。あの時彼女は、彼女が決して知り得ない情報――アレクのパソコンのOSについてなど――を知っていた。他にも、急に婦警について言及するなど、怪しかった点はいくらでもある。

 あまりにも露骨な物言いだったので、実はわざとやっていたのだと思っていたぐらいだ。

 彼女にも、その自覚はあるのだろう。頬をポリポリとかきながら、躊躇いがちに言う。

「いやー……ジェーンは鈍いから気づかないかと思ってさ……」

 随分と舐められたものである。

「喧嘩売ってるの?」

 冗談半分の言葉ではあるが、半分は本気だ。仮にバーミリオンがやる気なら、受けて立つつもりだった。腕力なら勝てる。

「いーや、鈍いね。これだけは譲れない。喧嘩はしたくないけど」

「何が鈍いのよ」

「まだ気づいてないところかな」

「だから何に」

「教えてあげなーい」

 徐々に顔を近づけながら行われる舌戦――にも満たない幼稚な言い争い。分厚い瓶底眼鏡から瞳が透けて見えた頃に、バーミリオンの方から頭を引くことで終戦した。勝った。多分。

 駄弁が一段落したところで、本題に入る。

「で、例のブツは?」

「できたよー。間に合わなかったけど」

 例のブツ……事前に復元を頼んでおいた、アレクの日記データだ。動機や逃亡先の候補を絞り込むためのものだったが、結局それを待たずに解決してしまった。

「とりあえず貰っておくよ」

 それが彼女の仕事とはいえ、せっかく復元してもらったのだから、突っ返すのもなんだか申し訳ない。何かに使うとも思えないが、報酬も払ったことだし、ちゃんと貰っておく。

「ところでこれ、読んだ?」

 そして、次の雑談の取っ掛かりにするつもりで、適当なことを訊ねてみた。とりあえず質問していくコミュニケーションスタイル。

「かなり酷い壊れ方してたから、読みながら復元したよ。だから、意味は通ると思うけどもしかしたらちょっと間違えてるかも」

「報酬一割減ね」

「だめ」

 一般的な汚れとは違って、綺麗になってしまったお金はもう元に戻らない。ジェーンの言葉が冗談だとわかっていたのか、バーミリオンも苦笑しながら返した。

「で、読んだなら、中身どんなのだったか教えてよ」

 別にもう重要ではない内容だし、雑談の種として消費してしまおう。ジェーンが軽々しく訊ねると、しかしバーミリオンは急に声色を変えた。

「……まさかアレが実在してたとは思わなかったよ」

 彼女らしくもない反応だ。何事かと思い、今度は重々しく訊ねる。

「……アレ?」

「サイコ・クライム……アレクみたいな犯罪者を支援してる団体だよ」

 その名はジェーンにも聞き覚えがあった。もっとも、アングラ系のサイトで、メン・イン・ブラックやバミューダ・トライアングルなどと同等に語られている古典的都市伝説として……だが。

「え、どうして……」

 都市伝説は好きだが、それはあくまで物語のような楽しみ方だ。冗談半分で情報を集めたことはあるが、本気で信じたことはない。それが実在すると言われたのだから、驚きたくもなる。

「プロセッサーと刃物を貰ったって、日記に書いてあった」

「……なるほどね」

 詳しいことは、日記を読んで調べることにしよう。……てっきりこの事件は全て解決したとばかり思っていたが、もしかするとまだまだ裏があるのかもしれない。

 もちろん、アレクが日記に大ホラを書いている可能性もある。しかしプロセッサーはともかく刃物の出処は確かに謎だったし、調べる価値はありそうだ。まあ、本業のついでにはなってしまうが……。

「ところで、ジェーンは探偵続けるの?」

 話を変えて、唐突に切り出された問い。しかし突然の問いかけでも、それに対する答えは既に用意されていた。

「もちろん、続けるよ」

 むしろ、辞める理由を見つけるほうが難しいぐらいだ。



 それから数日後、今日は朝から新聞を読んでいた。

 久方ぶりの、何もない日。ここのところ毎日何かしらの用事に追われていたので、こうして落ち着いて新聞を読むことができるのも久しぶりだ。

 一ヶ月近く溜まった新聞の山。時事問題への対応として購読している新聞なので、新鮮なもの以外は処分しても構わないはずなのだが、ジェーンは律儀に保存していた。

 というのも、連載小説を読むためだ。

 この話題で盛り上がることのできる気心のしれた仲間が居るわけでもなく、趣の深い薫陶が並べ立てられているわけでもないのだが、毎日楽しみにしていた。娯楽とは、そういうものである。

 あまり展開の早い内容ではないし、一回あたりの文章量もそこまで多くないので、一ヶ月経っていても物語に大きな変化があったわけではなかった。この一ヶ月で一つの事件を解決してしまったジェーンと比べると、この主人公は随分とゆったり行動しているように思える。

 今日の分を読み終えて少し暇になったところで、クリスが訪ねてきた。

「こんにちはー」

 ここのところ忙しい生活を送っていたせいかすっかり暇に耐えられない体になっていたので、ありがたい。

「ボブは一緒じゃないの?」

 ジェーンは意地の悪い質問をする。クリスはぬいぐるみ好きを周囲に隠しているのだ。

「……ボブはお留守番です」

 バツが悪そうに言いつつ、もともと何をしに来たか思い出したらしく、態度を百八十度変える。

「今回はありがとうございました。改めてお礼を言いに」

「まあ、仕事だしね」

 あくまでジェーンはクールに決めたつもりだったが、純真な感謝の心に内心ではニタニタと気持ち悪い笑顔を浮かべていた。表に出ていないといいのだが。

「本来の仕事以上にいろいろ良くしてくれて……本当に感謝してます」

 と、そこで彼女は急に話題を変えた。

「ところで、料金はいくらになりますかね?」

 ああ、すっかり忘れていた。確かに仕事をしたのだから、正当な報酬を受け取るべきだ。ダンピングは、業界の寿命をいたずらに縮めることになる。

 初回サービスとして、相談料は無料。それから、調査を行った日数の内、進展がなかった日に関しては特別に割引を適用。それから諸経費――バーミリオンへの依頼に用いた金額を足して、他には……。

 ジェーンが電卓を叩いている内に、クリスの顔はどんどん青ざめていく。顔面蒼白とは、まさにこのことか。

「……諸々セットで、これぐらいかな」

 最後にジェーンが電卓を見せつけると、クリスは遂にもんどり打って倒れてしまった。覗き込むと、目を回しながらも絞りだすように答える。

「……そんなに沢山……とても足りないです……」

 ……確かにそれは、最初にクリスが持ってきたお金ではとても払えないような金額だった。偶然にも一列目の数字は一致していたのだが、残念ながら少しばかりゼロが足りない。

「それは困った……」

 真実の追求や事件の解決を急ぐあまり、なりふり構わず行動してコストが大きくなってしまった。依頼人の存在や状況を忘れてしまうのは、一流の探偵として改めねばならない点だ。

 しかし、ここまでの額をサービスしてしまうのは、ジェーンの預金的にも問題である。割引ぐらいはしてやれるが、クリスの経済状況で払うことのできる額まで落としこむのは、はっきり言って不可能だ。

 だがこんないたいけな少女に借金を背負わせるわけにもいかない。そんなことをしてしまえば、彼女の将来が潰えてしまうだろう。

 出世払いという手もあるが、彼女が早く払うべく望まない職業に就いてしまうことは避けたいので使いたくない。彼女に負い目を持たせないような妙案が、どこかに転がっていないだろうか。

 ――考えろ。

 ジェーンの思考が加速する。あの時と同じだ。この脳全体に何かが広がる感覚は、もしかすると――まあいい。とにかく、いい案が浮かびそうな、そんな予感がする。

 そもそもお金は、働かないと手に入らない。窃盗や超能力なんかで手に入れる人間も居るには居るが、彼らはアレクのように重い代償を背負うことになる。クリスをそんな目に遭わせたくはない。

 なら……働けば良いのではないか?

 どこで?

 ここで。

「……よし。じゃあ、クリスにはしばらくここでバイトをしてもらおうかな」

 ジェーンが言うと、クリスは頭に疑問符を浮かべた。

「バイトですか?」

「そう、バイト。ちょうど助手が欲しかったところだしね」

 バイト代の一部を報酬の支払に充てれば、いつかは払い終わる日が来る。それに、調査中に何度も考えたことだが、クリスは助手としてぜひ欲しい人材だ。

「……どうかな、ここでバイトしてみない?」

 ジェーンの提案に、クリスは顎に手を当てて少し考えてから、こう言った。

「ええ、ぜひお願いします」



「へえ、事務所の名前変えるんだ」

 ようやく届いた新しい看板を見て、遊びに来ていたカガミが言う。

「うん。新しい時代に、心機一転して立ち向かおうと思ってね」

 届いた看板の端をジェーンが持つと、何も言わずともクリスが反対側を持ち上げる。とても気の利く助手だ。やはり雇って正解だった。

 そんな労働風景を見物しながら、カガミは看板の文字を読み上げる。

「なるほど…… 『ヴァリアント探偵事務所』 ねえ……。まあ、シンプルでいいんじゃない」

 その言い方には嘲笑の色が多分に含まれており、シンプルという表現にも当たり前のように皮肉が含まれていた。まあ確かに自身な変化だという自覚はある。もう少し捻っても良かっただろう。が、続く彼女の言葉にジェーンは絶句した。

「ハイパーエクスタシージャスティス探偵事務所とかにすればいいのに」

 きっと、彼女とジェーンのセンスは相容れないものなのだ。……あまり他人の趣味趣向にとやかく言いたくはないが、その歳でその職業でそのセンスだけはありえないと思う。それとも、今の警察にはこんなのしか居ないのだろうか。

 軽く咳払いをして、気を取り直す。

「まあとにかく……これからは、どんどん依頼を引き受けて、この名を世間に轟かせてやるから!」

 自信満々にジェーンが言うと、しかしカガミは怪訝顔をする。

「君の心境にどんな変化が起きようと、世界は特段変わったりしないからね」

「その心は?」

「君が心変わりしても客は来ないってこと」

 わざとらしくそっぽを向き、冷たく言い放つたれてしまった。言われてみれば、確かにそれは当たり前のことだ。ジェーンの考え方ひとつで変わるほど、世界は甘くない。もし変わるなら、そもそも今の社会がこんな状態になっていることなどありえないのだ。

 その事実は、真摯に胸に受け止めておくべき事実だろう。これを忘れてしまえば、必ずまた悲劇は起こる。

 しかし今ここで肝要なのは、社会の変化の有無ではない。

「まあ、そうだけどね」

 相手の言動を肯定しつつ、ジェーンは言う。

「重要なのは、私がこれを続けることに、未来を見出だせたことだよ」

 今まで、探偵に先はないと思っていた。

 しかし、ジェーンは見逃していただけなのだ。わずかな可能性を探すことなく、そんなものは最初から存在していないと諦めていた。そんな諦観の中では、何をすることもできない。

 だが、今は違う。

 見つけたのだ、可能性を。

「まあ見てなって」

 堂々と胸を張り、自信に満ち溢れた声で、ジェーンは言った。

「こんな世界でも、探偵はやっていけるからさ」

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ヴァリアント異能探偵事務所 抜きあざらし @azarassi

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