#終節 この事件の真相は?

 瞬く間に近づいてきたアレクを、ジェーンは決して見逃さなかった。ちゃんと、目当てのブツも持っている。

 いよいよこの目盛が役に立つというものだ。

 挑発のつもりか、はたまた経路に居たためか、アレクはジェーンの目の前に跳躍してきた。ここで捕まえる――わけではない。彼の跳躍スパンは、映像で測定したところコンマ一秒。人間が目の前の出来事を認識して行動するまでに最低でもコンマ二秒かかるので、今から捕まえたのでは到底間に合わない。

 それが常人ならば。

「アクセルアップ!」

 ほぼ同時に、カガミの声が聞こえた。

 いや。ジェーンにとってはほぼ同時だったが、別の視点では全く違う。瞬きすれば終わってしまうような短い時間の中で、アレクとカガミとの間では、ミリ秒にも達する世界での攻防戦が勃発していたのだ。

 そしてそれは、ジェーンの狙い通りの出来事だった。

 だからコンマ二秒経ってからの光景は、ジェーンの思い描いた光景そのものなのだ。まるでこの世界を掌握しているかのように――最初から、全てが狙い通りに動いていた。

「クソッタレが!!」

 捉えきれない豪速で空間を超えたはずのアレクは、しかし変わらずジェーンの眼前に立っていた。

 が、それもすぐにジェーンの目の前から……消えない。

「クソっ、俺の能力を把握してやがるのか……!」

 アレクは、心底悔しそうに吐き捨てる。目的地はもう目の前なのに、そんなところで邪魔が入るのはさぞ悔しかろう。

 三回目の跳躍――これも失敗。

「クソがっ!!」

 叫ぶアレクを、ジェーンは背後に回りこんで捉えた。羽交い締めの格好だ。数日前にカガミが銃を奪っているので、彼にはもう己の体以外に武器はない。

「あんたが逃げる時、壁なんて無視できるんだからまっすぐ逃げればいいものを、わざわざ家を避けていた。それはなぜ?」

 彼の耳元に口を寄せ、ジェーンは語りかけた。

「答えは、家の中がどうなっているかわからないからだ」

 ズバリ言い当ててやると、アレクが急に大人しくなる。顔を近づけているので、血の気がサーッと引くのがよくわかった。

「あんたの能力は、空間跳躍だ。でも制限がたくさんある。例えば、移動距離……これはわかりやすい制限だね。約三メートル二十五センチ……連続使用できるなら、上等な距離だと思うよ」

 これは現場で測定したものと、カガミにもらった映像に実際に定規を当てて計測したものから推測した、ほぼ正確な数値だ。そしてそれは、確かに正確だった。その結果が、今ここにある。

「それと、もう一つ。……跳躍した先に固体が存在していると、跳躍は中止されることだ」

 彼の超能力は、高速移動ではない。本当に、のだ。故に彼は、一瞬この世界から完全に姿を消した後に、今までとは全く違った場所に、再び現れる。しかしその到達地点に、既に物体が存在していたらどうなるか?

 それが気体であるならば、さしたる問題はない。分子同士の繋がりが弱いために、邪魔な分は押しのけることができるからだ。しかし固体であれば、話は別だった。

「固体は空気なんかと違って、簡単には押しのけられないからね。無理に跳躍を敢行すれば、あんたはと、一生仲良くしていかなきゃならなくなる」

 だから跳躍はキャンセルされる。ジェーンは言外に付け足すと、――先程から何度も移動を繰り返していたカガミに視線を向けた。

「今回はそれを利用させてもらったよ」

 ジェーンの考えた策は、こうだ。

 アレクが瞬間移動を行おうとした瞬間、カガミが高速移動を始める。距離は、昨日の内に用意しておいた目盛。方向は、直前の視線から判断する。彼の能力が障害物に左右される都合上、跳躍先を確認せずに跳ぶことはできないのだ。

 そして彼は、一度消えてから跳躍先に出現する。そのわずかコンマゼロ一秒にも満たない時間で、カガミは跳躍先に先回りするのだ。

 移動先に突然障害物が現れたので、当然、移動はキャンセルされる。それは跳躍を何度繰り返そうとしても同じ事。結果、アレクはジェーンの目の前から離れることが出来なかったのだ。

「クソッタレ、クソッタレ、クソッタレがあ!!」

 なんども罵倒を繰り返し、ツバを吐かんばかりの調子でまくし立てるアレク。負け犬の遠吠えじみたそれは、アスファルトで覆われた広場にただただ虚しく吸い込まれる。

「さて、こいつは返してもらおうか」

 そんなアレクから、ジェーンは無慈悲にボブを奪い取った。これで目的は達成された。後は、ついでに彼を逮捕するだけだ。

「さあ、大人しく捕まったらどう?」

 ジェーンの提案を、既に為す術のないはずのアレクは――しかし、断った。

「……いいや、まだだ」

 四度目の跳躍。カガミが動くも、それは中止されること無く成し遂げられた。

 ――カガミの目の前で、不敵に笑うアレク。

「忘れたのか!? 俺は別にいつでも馬鹿みたいに遠くまで跳ぶわけじゃねえんだよ!!」

 そう。カガミが待ち伏せたのは、アレクが元いた場所から三メートル二十五センチ先。アレクがそれより手前に着地すれば、決して障害となることはない。

「あばよ、間抜けな婦警さんよ!」

 彼は捨て台詞を吐く。しかし、それは誤りだ。もう一度跳躍してカガミから離れた後、ようやく彼は気づく。

「それぐらい私が忘れるわけないでしょ」

 声の主――ジェーンは、未だにアレクを羽交い締めにしていた。

「なんだとっ!?」

 気づいたアレクが慌てて振りほどこうとするも、ジェーンはがっちりホールドしていて決して離さない。

「あんたが跳ぶ時、服やボブをその場においてくなんて間抜けはやらかさない。それはどうしてだと思う?」

 超能力は、対象をはっきり指定しないと行使することができない。特に空間跳躍系はそれが顕著で、自分自身のみを指定すると服だけその場に残して裸で跳んでしまうのだ。そのせいで公然猥褻扱いされて逮捕された例が、過去にある。

 しかしアレクは、ソッチの方面で警察のお世話になることはない。なぜなら、自分で一緒に跳ぶ対象を指定しているからだ。

「あんたは一緒に跳ぶものを選んでる。仮に自身と接触しているものっていう条件だとしたら、あんたは跳ぶ前にジャンプしてないとおかしいしね」

 自身と接触している――それだけの条件では、自身と接地面で接触している地面も一緒に跳躍してしまうことになる。だからアレクは、自分で一緒に跳ぶものを無意識の内に指定しているのだ。

 故にジェーンは、彼と一緒に跳んだ。

 なぜなら――

「おっぱい、好きなんでしょ?」

「!!」

 彼が一緒に跳ぶもの、それは彼が一緒に跳びたいと思ったものだ。跳躍スパンから考えて、それは意識して決めているのではなく、無意識の内に指定していることがわかる。ならば彼の無意識に気に入ってもらえれば、一緒に跳ぶことができるのだ。

 そのためにジェーンは、羽交い絞めにすることによって、その豊満なバストをアレクの背中に押し付けていた。こんな下品な裏通りの売春婦みたいなことをするのは顔から火が出るほど恥ずかしいが、彼を捕まえるためならこれぐらいやってやる。

「男って、どうしてそんなにスケベなの? そんな調子じゃ、人生滅茶苦茶になるよ。こんな風に」

 ジェーンはアレクの足を絡めとり、地面に押し倒した。跳躍を封じる手枷を、彼の腕に取り付ける。事前にカガミから受け取っておいたのだ。これで彼は、翼をむしりとられたカモ同然。もう瞬間移動を使って逃げることはできない。

「さあ、今度こそ大人しく捕まったら?」

 ジェーンが言うと、それに呼応するように、手錠を持ったカガミが威圧感たっぷりに近づき、彼の目の前でしゃがみ込む。

「あんたには黙秘権がある。権利を行使せずに供述した内容は、法定であんたに不利な証拠として牙を剥くこともある。対するあんたは、弁護士を雇う権利がある。仮にそれだけの財力がなくとも、政府に頭を下げれば代わりの弁護人をつけてもらえる」

 いつからのことか定かではないが、今現在、ミランダ・ルールはこの地球上すべての地域で用いられるようになった。一度警察組織が崩壊した際にその概念ごと失われかけたこともあったが、新しい組織の立ち上げ時に、議論の末にまた復活したらしい。このことは一時期、新聞のコラムを独占する話題だったという。

 とは言え、これは現代においては儀式的なものであり、原典から各人それぞれが言いやすいようにアレンジを施されている場合が多い。カガミのものは、まだ原型を留めている方だろう。中にはあまりにも過激なアレンジを施されているが故に、全く意味の通らないモノも存在するらしい。ミランダのような世間知らずは教育の進歩によって根絶されたし、そもそも権利など今の悪人は意に介さないのであまり問題はないのだが。

 カガミは、懐から手錠と数枚の逮捕状を取り出した。どうして逮捕状がそんなに沢山あるのだろうか。

「前口上は終わりだ。アレク・ダンプ、殺人及び脱獄やらその他諸々の罪で逮捕する!」

 手枷と反対側の手首に手錠を嵌め、もう片方をカガミ自身の手首に嵌める。瞬間移動は使えないので、これでもうアレクはお手上げだ。

 立ち上がらせて、歩かせる。カガミが連行用のパトカーを呼んだところで、一件落着――したかのように思われた。

 実際は違う。

「抜かったな!」

 アレクが叫ぶ。その手には、拳銃が握られていた。馬鹿な、拳銃はカガミがこの前奪ったはずだ。まさか、もう一丁隠し持っていたというのだろうか?

「銃が奪われた!?」

 刹那、カガミが叫ぶ。そうだ、大切なことを忘れていた。ジェーンは、すかさずボブをクリスの居る方向に放り投げる。クリスは慌ててそれを受け取った。

 アレクの舌打ちが聞こえた。とりあえず、最悪の事態だけは免れたようだ。

 忘れてはいけない、彼の能力のもう一つの使い方。それは、手を触れずに対象を移動させること。彼はこうやって指紋を残さずにボブを盗んだのだ。

「公僕が!」

 アレクは奪った拳銃で手錠を破壊。次いで、カガミの足元に発砲した。

「あがぅっ」

 足を撃たれたカガミはその場にうずくまり、歯を食いしばる。カガミを助けたいところだが、しかし相手が拳銃を持っている以上は迂闊に近づくことができない。能力をここで使うか? いや、しかしどんな能力にすれば――

 カガミに気を取られていた、その一瞬のことだった。

 アレクは駆け出し、ボブを受け止めるために近づいていたクリスに銃を向ける。まずい。カガミは動けないし、クリスが自力で回避するのも、不可能だ。八方塞がり。やはり能力を――しかしどんな――!!

 考えている時間も惜しい。

 あの男は、本気だ。本当に撃つ気だ。あのいたいけな少女を、殺すつもりだ。

 カガミと同じような高速移動か、あるいはバリアか、拳銃を奪うためのサイコキネシスか――

 遅かった。

 引き金は既に、一縷の躊躇いもなく引かれていた。マズルフラッシュが目に焼き付く。排莢の瞬間が、妙にゆっくりと感じられた。

 その凶弾は、決して狙い過たずに、クリスの心臓を貫くべく進路をとりつづけている。助からない。そう思った。

 だが、しかし。

 奇跡は起きたのだ。

 カラカラと鈍い音を立てて地面に落ちる弾丸。何が起きたのか、ジェーンには理解できなかった。

「クソがっ!」

 二発、三発。

 しかしていずれの弾丸も、クリスの前に飛び散っていた。

 無論、クリスは無傷のままで。

「えっ……?」

 何より一番驚いていたのは、クリスだった。

「そのっ、そいつは、そいつは俺が手に入れるはずだったんだ! そのバリアは――!!」

 バリア。

 その時ジェーンは、頭の中で何かが引っ掛かるのを感じた。

 この引っ掛かりはなんなのか。考えろ。考えるんだ。もっと、時間が欲しい。

 その時、自らの思考が急激に加速するのを感じた。

 脳全体に何かが広がるこの感覚は、脳拡張プロセッサーを打った時と同じ感覚だ。

 ジェーンの脳がフル回転する。

 ――アレクは五年前の強盗事件で逮捕されたの。

 ――『奇跡の生還、ぬいぐるみを抱えた少女』 古い記事だ。五年前だから……。

 ――『ぬいぐるみお手柄 少女の命を守る』

 ――あ、あの……すいません、あの時のこと、細かくは思い出せないんですけど……。

 アレクは、なぜであるボブを欲したのか。

 答えは簡単だ。ジェーンは、勘違いしていたのだ。ボブがでしかないと。質が良いことと希少品であること以外には特に目立った価値の無いシロモノであると。そう、思い込んでいたのだ。

 違うのだ。

 ボブの正体は――五年前の強盗事件でクリスを凶弾から救った、バリア発生装置を内蔵するぬいぐるみなのだ。

 ……いや、本当にそうなのだろうか?

 考えろ……思い出せ……!

 そう、前に見た新聞記事だ!!

 ――『バリア発生装置、更なる小型化に成功』

 ――今回の新技術で買い物カゴひとつ分ぐらいまで縮小されたらしい。

 ボブは、そんなに大きなぬいぐるみではない。クリスが抱きしめて収まりの良い大きさだ。買い物カゴほどもある装置を入れるには、とても無理がある。

 どうやらアレクは勘違いしているようだが、バリアの出処は、ボブではないのだ。

 興奮したアレクが、クリスの元へと駆け出す。

 止めなければと思ったが、しかし止めなくていいと思い直した。

 ――「四歳の誕生日プレゼントに、パパがくれたんです。それからずっと、友達でした」

 ――古い記事だ。五年前だから……。

 ――「ぬいぐるみと……話せるんです」

 ――「……私の持ってるぬいぐるみとしか、話せないんです。初めて会った時から、ボブ達とだけ話せたんです」

 ――バリア系の超能力を使っている人はこの粒子を事象制御で操っているとかなんとか。

 クリスは、自分の能力を見誤っている。そんなものがなかった時代から、彼らと交流していたはずなのに。

 ぬいぐるみと話すことができるのは、超能力に由来するものではない。彼女の本来の超能力は――

「そいつをよこせぇ!」

 アレクが、クリスから乱暴にボブを奪い取る。そして、尻もちをついた彼女の脳天に鉄拳を振り下ろした。

「無駄だよ、あんた」

 それはジェーンの声ではなかった。

 あたり一面に響き渡る、背筋を撫でる気色の悪い鈍い音。聞くだけで背筋が震えるような、耳にしたくない嫌な音だ。それは骨が砕け肉が裂ける音に違いなかった。

 しかし。

「何度も言ってるだろ」

 砕けたのは、決してクリスの頭ではない。

「それは、嬢ちゃんの力だってな」

 他ならぬ、アレクの拳だった。

「がああああ!?」

 砕けた右拳を左手で押さえ、うずくまるアレク。一体彼に何が起こったのか、この中でジェーンだけは理解できていた。

 いや、ジェーン以外にも、もう一人――もといもう一匹、理解できていた。

 ジェーンの視界の端を、何者かが横切る。艶がありつつももこもこの毛皮に、困ったような顔の作り。獰猛な肉食獣であるクマを可愛らしくディフォルメしたその姿は――ボブだった。

「嬢ちゃん、無事か?」

 ボブは尻もちをついたクリスに手を伸ばし、言う。彼は起き上がる手助けをしているつもりなのだろうが、ボブのほうが圧倒的に小さいので、なんとも間の抜けた絵面になっている。

「う、うん……」

 その手を掴みつつ、クリスは自力で起き上がった。多分、ボブを支えにしていたら、彼を放り投げてもう一度尻もちをつく羽目になっていただろう。

 いやあ、しかし。

 これは驚いた。

 一足早く真実に辿り着いたジェーンではあるが、情況証拠が揃っているから信じていられるだけだ。こうしてボブが動いていなければ、恐らく今でも半信半疑だっただろう。

 わかっていたはずだが、こうして目の前で会話されると、まるで白昼夢でも見ているのかのような気分にさせられる。実はまだ目が覚めていなくて、ホテルのベッドで大イビキをかいているのかもしれない……思わずそう考えてしまうほどには、目の前の光景が不可思議なものだった。奇妙奇天烈摩訶不思議、奇想天外ししゃも用。アレクの頭はテッカテカ(スキンヘッド)

 クリスが立ち上がったのを見届け、ボブはこちらに振り向いた。

「そこの変な格好の姉ちゃんも、助けてくれてありがとな」

 は? 一向に探偵の正装ですが?

「いやいやどうも」

 心の声が表に出ることはなく、気前のいい言葉だけを返す。ジェーンの演技は完璧だったらしく、ボブには内心を悟られていないようだった。表情でわかる。

 次いで、ボブはカガミの方を見やった。

「警察の姉ちゃんも、ありがとな。見たところそこまで重症じゃなさそうだが、早く病院に行ったほうがいいぜ」

「あ、ああ、うん」

 困惑するカガミ。話しかけられたことで、彼女はより現実への理解が浅くなったらしい。咄嗟に返事はしたようだが、自分がなぜ返事をしたのかすら理解していない様子だった。

 そろそろネタばらししてもいい頃合いだろう。ボブへの確認も兼ねて、ジェーンは語り出す。

「まあ驚くよね。ボブと話せるのは、クリスだけだと思ってたんだし。でも、実際は違った」

 この場にいる全員が、ジェーンに注目した。ボブやアレクでさえもだ。ピンク色のうねうねなんかより何倍も気持ちがいい。

「クリスがボブと話せてたのは、超能力でもなんでもなかった。だって、ボブはそのために作られたぬいぐるみなんだから」

「どういうことだい? もったいぶらずに教えてくれないか」

 カガミが急かす。ジェーンはまあまあとなだめるようなジェスチャーをしつつ、話を続ける。

「クリスは多分、記憶が混ざってたんだよ。だから、昔からぬいぐるみと話せたはずなのに、超能力で話せてると勘違いした。おかしいよね、脳拡張プロセッサーが出てきたのは六年前なのに」

 まず最初に驚いたのは、クリスだった。

「えっ。そ、そんな、私は……」

 困惑してまともに話すことができないらしい。そんな状態の彼女でも理解できるように、ジェーンは順序立てて説明した。

「だってクリス言ってたじゃん。 『初めて会った時から、ボブ達とだけ話せたんです』 って。クリスは今いくつ?」

「十六です」

「四歳の誕生日は、何年前?」

「あっ……」

 重大な事実に気づいたらしく、クリスは目を見開いた。

 そうなのだ。

 クリスが初めてボブ達と会ったのは、今から十二年前。対して、超能力が使えるようになったのは、せいぜい六年前のことだ。

「多分、ある時疑問に思ったんだよ。自分はどうしてぬいぐるみと話せるのかって。それで、超能力っていう都合のいい理由を見つけたんじゃないかなあ。まあ、子供の頃ならよくある話だね」

 クリス以外にも理解できるように、はっきりと丁寧に説明する。説明スキルは、探偵を続ける上では必須だ。

「まあ、親御さんがボブをどうやって手に入れたのかまではわからないけどね。でも、プレゼントにボブを選んだ理由はよく分かるよ。クリスは一人っ子みたいだしね」

 最後にそうつけたし、次の問題へ。

「で、本当の超能力だけど……これは、クリスが銀行強盗に巻き込まれた時に覚醒したんだと思うね」

 アレクを指で指し示し、続ける。

「五年前の強盗事件で、クリスはアレクの手で人質にされた。それからなんやかんやあって、ひどく興奮したアレクがクリスに発砲……もうわかるよね」

 アレクが逮捕された強盗事件というのは、クリスが巻き込まれた銀行強盗事件だったのだ。だからアレクは、クリスやボブを知っていた。

 見れば、アレクの顔からは血の気が引いて真っ青になっていた。それが自分のこれまでの愚かさに気づいてしまったからなのか、砕けた拳の痛みによるものなのかは、ジェーンにはわからなかったが。

「超能力の覚醒には、強い想いが必要。死にたくないっていう必死の想いは、それに見合うものだと、私は思うね」

 銃を向けられ窮地に陥ったクリスは、バリアを発生させる能力に覚醒。結果、凶弾はクリスに当たらず、彼女は無事だった。

 改めてアレクに向き直り、ジェーンは止めとばかりに言い放つ。

「勘違いしちゃったんでしょ? を見て」

 その場に居たアレクは、クリスを何かの力が守ったことをしっかりと認識していた。彼のパソコンにあった閲覧履歴 『ぬいぐるみお手柄 少女の命を守る』 ――これを見て、勘違いしたのだ。それの出処が、ボブであると。

「ク……クソがっ!!」

 アレクは立ち上がり、走りだす。まだそれだけの余力があったのかと、ジェーンは内心で驚いていた。しかし、焦りはしない。もう彼が逃げる手段は残されていないからだ。

 カガミが追いかけようと立ち上がって、しかし歩き出す前に足を押さえて再びうずくまる。無理をするのはよくない。怪我人は、大人しくしていればいいのだ。

 アレクが向かうのは、エレベーター施設の入口――事前調査で、そこが自動ドアであることはわかっている。

「聞いてるんでしょ、ねえ?」

 ジェーンは、語りかける。この場には居ない――しかし、しっかりと話を聞いている彼女に。

「あれ、閉めてくれる? 今回の件は、許してあげるから」

 言葉での返事はない。それだけの手段を、彼女は持っていないからだ。

 だからジェーンが求めるのは、行動だけだった。

「あばよ、畜生共が!!」

 アレクは、もう自動ドアの目の前まで迫っていた。もう逃げられると、きっと確信しているだろう。自動ドアの先に行ってしまえば、もう自らを追いかける術はないと。確かにそれは事実だ。彼がエレベーターに乗ってしまえば、こちらが追いかけるのは困難になる。

 しかしそれはあくまで、彼がエレベーターに乗った場合だ。

 うずくまりながら必死に手を伸ばすカガミ。目の前に居ながらも相手を捉えられない悔しさに、表情を歪ませている。

「待て! くぅ……っ、このままじゃ……!」

 沈痛な面持ちで絞りだすように言う彼女に、ジェーンは告げた。

「大丈夫」

 一見無責任とも取れるジェーンの発言に、カガミは激高する。

「どこが大丈夫なんだよ!? このままじゃ逃げられる。それこそ、奇跡でも起きなきゃ――!」

「だから大丈夫だって」

 視界の真ん中にアレクを見据え、ジェーンは続けた。センサーがアレクを捉える。通常であればドアが開いて、彼を自らの内に迎え入れるはずだ。

「ごがっ!?」

 ――しかし、ドアは開かなかった。強化ガラスに肉を打ち付ける鈍い音が、ロータリーに響き渡る。

「えっ……」

 その場に、騒然とした空気が流れる。ジェーン以外の誰もが、目の前の出来事を理解できないでいた。

 そんな中で一人悠然と、ジェーンは語る。

「私が本気を出せば、奇跡だって起こせるから」

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