#四節 どんな些細なものでも手掛かりとなりえるのか?
待ち合わせ相手は、取り決めた時間からたっぷり二時間も遅れてやってきた。
「あ、居た」
待ち合わせ場所は、事務所からそこそこ離れたところにある、寂れたオープンカフェ。腕を振りながら現れたのは、ダボついたロングコートに瓶底眼鏡を合わせた女性だ。焦げ茶色の頭髪は芋っぽい三つ編みになっていて、透き通るような肌の白さを際立てる。一応走っているようだが、とても遅かった。
「ごめーん、待った?」
ようやく辿り着いた女性は、息を切らしつつも笑顔で訊ねてくる。
「待った。三時間ぐらい」
三杯目のコーヒーを飲み終えたジェーンが呆れ混じりに答えると、彼女はあれれと腕時計を確認する。
「まだ二時間しか遅れてないよ?」
「一時間早く来てたのよ」
まあ、彼女が遅れてくれるのはわかっていたので、こちらも遅れて……とまでは行かなくても、時間ギリギリぐらいに来ても良かったかもしれない。が、それができないのがジェーンの弱点である。美点とも言う。
「なんだ、そゆこと」
安心したからか、急に興味を失ったかのように淡白な反応をする女性。
彼女は、今回ジェーンが調査を委託した相手だ。マキシーン・クラブマン。バーミリオンと名乗り、あらゆる界隈で凄腕のハッカーとして活躍している。
因みに彼女がこうして直接会う相手は世界でもジェーンの他に五人居るかどうか。いわゆる裏社会の人間なので迂闊に顔を晒せないという理由もあるが、単純に人見知りだという理由のほうが大きい。
ハイスクール以来の付き合いであるジェーンは、顔を合わせる他に彼女の自宅の場所も知っていた。これは世界でもジェーン一人だ。
「じゃあ、早速本題に入るね」
言うと彼女は、懐からモニタデバイス (違法改造品) を取り出す。
「言われたサイトのアクセス履歴をぶっこ抜いたよ。まあ、二ヶ月分しか残ってなかったけど」
「それだけあれば十分」
今回彼女に頼んだのは、ニュースサイトのアクセス履歴の吸い出しだ。サイト管理人に頼んでも貰えないことはわかりきっていたので、こういった手段をとらざるを得なかった。よく考えると、完全に盗人の理論である。
「で、報酬の件だけど……今回は十四番でお願いね」
「うん、わかった」
十四番、というのは口座の番号とかではなく、ルートの番号のことだ。ルートが何なのかは……あまり多く語ることではないだろう。要するにクエン酸だ。マネーロンダリングとも言う。
「それで……そろそろ聞かせてくれてもいいでしょ。なんでこんなサイトのアクセス履歴引っこ抜いたの?」
話題を変え、バーミリオンはこんなことを言い出した。依頼した際にも説明を端折ったので、ここで説明しろ、ということだ。
普段は依頼人の事情を詮索するような女ではないのだが、知人故か気になるらしい。まあ確かに、数ある依頼の中でも突飛なものであることは間違いないだろう。何年も前のニュースサイトの閲覧履歴なんて、誰も気にしない。
しかしこちらにも依頼人のプライバシーがある。いや、確かに散々ネット上に画像をバラ撒いたが、そうではないのだ。
クリスがジェーンに相談に来たのは、周りに知られたくないからだ。彼女にとってバーミリオンは赤の他人だが、だからバラしていいというわけでもないだろう。
真面目に考えていたジェーンは、彼女の口元が歪んでいることに気づかなかった。
「うーん、それはちょっと企業秘密ということで――」
ジェーンが断ろうとすると、バーミリオンは急に笑い出した。まるで、ダムが決壊したかのようだった。
「あっはっはっはっはっは」
「え、ちょっと」
突然の出来事に、狼狽えるジェーン。対するバーミリオンは、ひとしきり笑ってから、口を開く。
「なーんてね。盗聴器仕掛けてたから、全部知ってるよ」
「えぇっ!?」
そんなの知らない聞いてない。
「なにそれ!? 知らない!? 知らない!!」
非常に頭の悪そうな返しに、バーミリオンはおかしそうに笑う。
「言ってないからね」
彼女はこんな嘘を言うような性格ではない。仮に嘘をついても、ここまで引っ張らずにすぐにバラすタイプだ。盗聴器を仕掛けられたのは、本当なのだろう。
なら気になるのは、いつ仕掛けたかである。
「いつ仕掛けたの!?」
冷静になりきれていないが、ようやくまともに言葉を紡ぐことができた。
が、返ってきた恐ろしい答えで、またもやパニックに陥る。
「二年前ぐらいに」
「えええぇっ!?」
まさか年単位で盗聴されていたとは思わなかった。
ということはつまり、あれもこれもそれも全て聞かれているということだ。屈辱である。酷い辱めを受けた気分だ。いや、既にほとんど受けたようなものなのだが。
「ジェーン用のSSDもあるよ」
「捨てて」
「やだ」
「どうして」
「使うから」
「何に」
「秘密」
「はあ……」
胡乱な会話は嫌いなの。
まあばら撒きはしないだろうが。しかし、後で脅されたり、値上げ交渉に使われたりしたらたまったものじゃない。そういった用途に使えるだけの価値が、あの録音にはあるのだ。まあ、どんな価値とは言わないが。
それにしても、二年間もどこで録音していたのだろうか。
バーミリオンを自宅に上げることは稀だ。大概、用事があってもこのように外部で接触するのに留める。なので家に上げたのは、三年前に一回と半年前に一回だ。二年前に盗聴器が設置されるのも、妙な話である。
「で、どこに仕掛けたの?」
この際、彼女からデータを奪うことは諦める。現状、彼女相手に電子戦を仕掛けて勝てるのは世界でも一握り。そんな一握りでも、無傷で彼女をやり込めることはできないだろう。バーミリオンの技術は、それほどのもの。掛け値なしの天才なのだ。
なので、とりあえずはこれ以降の被害をなくすことだ。
「うーん、もうしばらく隠そうかとも思ってたけど……素材は十分手に入ったし、もう教えてあげてもいいかな」
「素材って何」
「コートの裏地に貼り付けてあるよ」
「素材」
「ちょっと貸して」
そう言うなりバーミリオンはジェーンからコートを剥ぎとり、裏地の隙間に手を入れると、薄いフィルムを剥がした。
「このフィルムが盗聴器」
紙よりも薄く、ともすれば見失ってしまいそうな透明のピラピラ。それはもうオブラートと言っても通じそうな代物だった。こんなものが、本当に盗聴器として使えるのだろうか?
バーミリオンの放った不穏な単語も忘れ、ジェーンは見入っていた。
「こんなの、ほんとに使えるの?」
盗聴器を受け取って、ジェーンはまじまじと観察する。実際に手に持ってみると、その薄さがよくわかる。落ちていたら、ただのゴミと誤認してしまいそうな代物だ。
仕事柄盗聴器を使うこともある (あった) ので、それなりに詳しいつもりだ。だが、こんなピラピラ見たことない。
「使える。音質はちょっとアレだけど、私はノイズとか消せるからモーマンタイ」
「充電はどうするの?」
「静電気で給電してる。ここまで消費電力落とすの苦労したんだ」
このピラピラ、なにやらとんでもない代物のようだ。
それにしても、先程からのバーミリオンの口ぶりがどうにも引っかかる。これはまるで、彼女が自作したかのような物言いだ。
「……なに、作ったの?」
「うん」
あっさりと、首の動きまでつけて肯定する。こんなもの作って、あんたハッカーじゃないのか。
「なんのために」
「盗聴?」
あんたハッカーじゃないのか。
バーミリオンからコートを取り返しつつ、訊ねる。
「……一応聞いとくけど、何を盗聴するために作ったの?」
「ジェーンかな」
なんか狙われてるんじゃないかなこれ。
彼女との今後のつきあい方を考えたほうがいいかもしれないなどと思案しつつ、ピラピラ盗聴器を凝視する。
見れば見るほどオブラートだ。この中に、最低でもマイクとアンテナと給電装置? が入っているのだから、驚きだ。
ジェーンの視線に気づいたのか、バーミリオンは自慢気に言う。
「因みに洗濯しても大丈夫だよ」
「それ一体どうなってるの……」
ハッキングなんていう危ない橋を渡らずとも、それだけで食っていけるのではないだろうか。
「なるほど……とにかくこれは、凄いものなんだ」
「うん。褒めて褒めて」
嬉しそうに言うバーミリオンの様子を見て、ジェーンは意地が悪そうに口の端を吊り上げる。
その一瞬の変化を、油断していたバーミリオンは見抜けなかった。
こんなもの、あってはならないのだ。
「えいっ」
ジェーンはおもむろにピラピラ盗聴器を真っ二つに引き裂く。ビニールが擦れるような不快な音で、ようやくバーミリオンも気づいたらしい。表情を喜びから百八十度反転させ、悲鳴を上げる。
「私の盗聴器がー!?」
だが、目を見開いて頭を抱えていたのもつかの間。ズレた眼鏡をひょいと戻すと、ポケットから何かを取り出した。
「まあもう一個あるんだけどね」
「ボッシュート!」
「させない」
奪い取ろうとした手が空を切る。これ以上盗聴されるのは御免被りたいので、なんとしてでも破壊しなければならないのだが。
と思ったのだが、どうやらその必要はないらしい。
「まあ、勝手に録音してたお詫びにこれはあげるよ。関連付けたSSDも一緒にね」
言いながら、よくある煙草の箱ぐらいの大きさの箱もポケットから取り出す。どうやらこれが記憶媒体のようだ。
彼女はジェーンの手を取り、記憶媒体と盗聴器を一緒に握らせる。指は細く冷たかったが、そこそこ力があるようだった。
「……いいの? 返さないよ?」
盗聴器一式を受け取り、ジェーンは恐る恐る確認する。まだ何に使うかは思いつかないが、探偵業を行っていくならどこかしらで必ず役に立つであろう代物だ。持っていて損をすることはないだろう。
「いいよ。私はもうたっぷり素材集めたし」
バーミリオンがまたしても放った不穏な単語は気になったが、しかし今は重要じゃない。その件については、まあおいおい訊ねればいいだろう。
「じゃあ……」
なんと返すべきか、ジェーンは少しだけ迷ってから、言葉を紡いだ。
「えっと……その、ありがと」
いいものを貰ったのだ。きっちりと礼を言っておくべきだろう。親しき仲にも礼儀あり、だ。
バーミリオンはニッコリと笑った。
「どういたしまして」
無邪気な笑顔。昔から、どこか子供っぽいところがあると感じていたが、笑顔は特に子供っぽい。瓶底眼鏡をかけていてなお幼さを感じさせるその笑顔には、ある種の魔性のようなものが漂っていた。
まっすぐ見つめているのが急に気恥ずかしくなり、視線を逸らす。
逸らしたせいで、気づけなかった。
バーミリオンの笑顔に、わずかな邪気が刺したことを。
※
ジェーンが四杯目のコーヒーを注文すると、バーミリオンも追随して紅茶とたっぷりの砂糖を注文した。
スティックシュガーを何本も折るバーミリオンを見て、ジェーンは思わず呆れ声を漏らす。
「前から思ってたんだけど……なんでそんなに入れるの?」
彼女は、昔からこうなのだ。それこそバーミリオンを名乗るよりも昔から、こんなことをしていた。その日の気分によってシュガーかガムシロップかは変わるのだが、とにかく甘くする。ファミレスなどドリンクバーのある店なんかだと、よくゴミの山を積み上げていた。他にも、トーストにはピーナツ・バターをたっぷりと盛り付けるし、氷砂糖をキャンディ感覚で舐めたりする。はっきり言って、彼女の味覚は異常だ。多分味覚が崩壊しているのだろう。
ジェーンの問いに、バーミリオンはさも当たり前といった風に答える。
「こうしたほうが美味しいからね」
んなわけあるかよ味覚障害などと罵倒しそうになったが、よく考えてみるとジェーンの食生活も三食油まみれのハッシュドポテトなので、人のことを言える立場でもなかった。まあ、別に好きで三食ハッシュドポテトなわけでもないが。いや好きだけどそうじゃなくて。
なので、マイルドな言い方にする。
「そんなわけないでしょ」
これぐらいなら妖怪ハッシュドポテト女にも言う資格はあるだろう。味覚障害まで言ってしまうと、ジェーンの味覚にも問題がありそうなことを突っ込まれるかもしれないのだ。盗聴器のせいで、ジェーンが毎日同じものを食べているのは筒抜けなのだから。
そんなジェーンの葛藤をさておいて、バーミリオンは話を続けた。
「……昔は本気でそう思ってた。子供舌だったから、とりあえず甘くしようと思ってやってた」
それだけは、ジェーンにもなんとなくわかった。特に飲み物なんかは、甘いモノを好んでいたように思う。まあ、それにしたって、あの頃彼女がブチ込んでいた砂糖の量は、控えめに言っても糖分過多……というか、常軌を逸した量だったが。
「でも今はね……こいつのせいで、たーっくさん頭使って、糖分も使うようになったから……」
言いながら、コンコンと額を突く。
そこは、一般的に脳拡張プロセッサーが陣取っているとイメージされている場所だ。実は真っ赤なウソもいいところなのだが、国連が最初期に発表したイメージ図のせいで大体その辺りにあると思われている。
脳拡張プロセッサーの役割は、なにも超能力だけではない。一般的にはあまり知られていないが、単純に計算機として利用することで、脳のスペックを文字通り "拡張" することもできるのだ。
バーミリオンは既にバイオルーターという超能力を取得しているが、超能力に使用するプロセッサーの割合を調整することによって、頭の回転速度にブーストをかけているのだ。
しかしその分、相応のエネルギーを消費する。
それを補給するための、砂糖の量なのだろう。別に味覚が崩壊しているわけではなく、きちんとした理由があったのだ。いや、既に崩壊している可能性は、まだ捨てきれないのだが。
「私は、こいつを世界でも三番目ぐらいには使いこなせてると思うよ。もったいない使い方してる人、たくさん居るもん」
確かに、脳拡張プロセッサーの真価を引き出せていない人間は多い。全く何の役にも立てていないジェーンなんかが、そのいい例だ。
「ああ、うん……そうだね」
恐らく世界で一番これを使いこなせていないジェーンは、それ以外には何も言えなかった。
多分ここまで手を付けていないのは、世界でも数えるほどしか居ないと思う。
ジェーンが視線を逸らしたことに気づいたのか、バーミリオンは笑った。
「全然全くちっとも使ってないのは珍しいけどね」
「私はどうせボンクラですよー」
「いやあ、そこまでは言ってないけどさ」
ジェーンの自虐に、呆れたように彼女は言う。
「でも、使わないのはちょっともったいないと思うよ。超能力じゃないにしたって、ただの演算装置として使うっていう道もあるし」
それはジェーン自身も重々承知している。使ってもデメリットがない代物を全く使わずに放置しているのは、ただの損失だ。超能力を使っていないからという理由で評価される時代もあるにはあったのだが、すぐに終わった。誰にでも簡単に使えるのが大きいのだろう。
「なーんか使いどきが思いつかないんだよねー」
そもそも、この脳拡張プロセッサーが登場してから、ジェーンは久しく頭を使っていなかった。クリスの依頼でようやく頭を使う機会に巡り会えたが、どう使えば有効なのかがイマイチ想像できない。
「確かに、やりたいことがないとなかなか思いつかないね」
「やりたいことに使えるとも限らないから……。探偵業に役立つ能力って、なんだろう」
腕を組んで考えるジェーンに、バーミリオンは顎に指を当てながら言う。
「ステルス能力とか?」
まあ確かにそれも考えたことがある。
「採用! って言いたいところだけど、そんなの無くてもバレない尾行ぐらいならまだできるしなあ……」
「できるの?」
「他になんかあるかなあ」
「ねえ」
意趣返しだ。
「企業のセキュリティ突破する能力とかあれば役に立つかなあ」
今回も、自分ではアクセス履歴を抜けないのでバーミリオンに依頼したのだ。これが自分でできるのなら、大幅な予算削減が見込める。
しかし、バーミリオンは首を横に振った。
「いや、無理かな。今はどこの企業も官公庁も、超能力対策はバッチリしてあるから。それにデータベースのネットワーク切り離しとか物理的なハッキング対策も行われてるし」
「わかった、わかった……できれば私の知ってる星の言葉で話してくれる?」
「こりん星とか?」
「知らないよそんなの……」
ジェーンは眉をハの字に歪める。友人が何を言っているのかわからない。その友人もこちらの理解力は把握しているのか、冗談はさておいてわかりやすい言語で説明してくれた。
「まあ要するに、今からジェーンがどう頑張っても私みたいにはなれないってこと」
真実は残酷だ。
「そうなの?」
「うん」
バーミリオンは首肯してから――あまり周りには聞かれたくない話なのだろう、少し声のボリュームを落とした。
「そもそも今回だってデータベースは物理的に切り離されてたから、ちょっと裏技を使ったわけだし」
ジェーンもつられて小声になる。
「う、裏技、ね……」
そもそもハッキングそのものが裏技な気もするのだが。
「詳しいやり方は企業秘密。でも、教えてもジェーンにはできないよ。キャリアがモノを言う部分もあるし」
「ふーん……」
よくわからないが、キャリアが必要ということは、要するにコネとか伝手とかに属する要素があるのだろう。閉鎖的で、新参者には厳しい世界だ。いや、ハッカー業界が開放的でもそれはそれで困る気もするのだが。
「そういうことは私に任せて、ジェーンは今やってることに集中するべきだと思うよ。使うよう勧めといてなんだけど、能力は一人一つだからね」
砂糖たっぷりのコーヒーを飲み干し、彼女は言う。
そう、簡単に言われても。
「やっぱりまだまだ決められないかなあ」
何年悩んでも出なかった答えだ。少し友人に相談した程度で解決する……というのも、都合の良すぎる話だろう。
それに、最後は結局自分のことなのだし、自分で決めなければ意味が無い。最後の最後に頼れるのは自分だけ。自分を信じて――Believe yourself、というやつだ。動き出している未来は止められないのだから、挑むことを恐れてはいけない。
だからジェーンも恐れずに超能力を……使えていないのが、現状なのだが。
まあ、この出し渋りは恐れというよりも貧乏性からくるものなのだが。
「決まったら教えてね」
「やだね」
「ひどい」
バーミリオンなんかにこちらの情報を渡したら、絶対に対策される。彼女と敵対するつもりはないし、それは彼女も変わらないだろうが、だからといってわざわざこちらから隙を作るつもりはない。
また盗聴器とか仕掛けられても困るし。
「それより、もしかしたらもう一回仕事頼むかもしれないから」
ジェーンは頭を仕事に切り替え、バーミリオンに告げた。おふざけの時間は終わりとでも言うかのように、二人の間の空気がしんと静まり返る。
「へえ、どんな仕事?」
興味ありげに目を細め、挑発的に問うバーミリオン。
「履歴から私が最頻アクセスを探すから、そのIPの発信地を特定してほしいの」
IPアドレスは、超能力が生まれるほどまでにハイパー・テクノロジーが進歩した現代でも健在だ。場合にもよるが、しかるべき手段を用いれば、ここから個人情報に辿り着ける。
無論、その中には対象IPの発信地も含まれているので、一発で犯人に迫ることができるのだ。
「そこまで外注で進めちゃうんだ?」
疑問符には否定的なニュアンスが含まれていたが、しかし咎めるような声音でも責めるような口調でもない。半分は好奇心、もう半分は……彼女なりの、仕事へのポリシー、といったところだろうか。
彼女なりに、思うところはあるのだろう。事実、クリスの依頼に対してジェーンが自分の力でできたのは、クリスとボブを過去に取り上げたニュースサイトの発見までだ。それ以降は、ほとんどバーミリオン頼み、ということになる。
下請け発注を行うのとは、わけが違う。ほとんどバーミリオンに任せることになるこの仕事を、果たしてジェーンは自分の仕事と胸を張って言えるのか……バーミリオンは、それが言いたいのだろう。
多分。
「依頼の解決が最優先。ヴァリアント探偵事務所は、お客様満足度を第一に考えています」
事務的な口調で、ジェーンは返した。
ところで全く関係のない話なのだが、"事務的" という表現があるのなら、"現場的" や "営業的" といった表現も存在するのだろうか。例えば、無茶な命令に曖昧な返事で返すのが現場的な表現で、出来もしないのに調子のいいことをぺちゃくちゃ話すのが営業的な表現、みたいな。後は、大きな主語と曖昧な単語を使って中身の無い話を延々とする官僚的な表現とか、相手を人間と思わない管理職的な表現とか。
閑話休題。
ジェーンの返答が気に入ったのかどうかは知らないが、バーミリオンがケラケラと笑う。
「満足度ね。まあ、客からすれば、目的が達成できれば後はあんまり関係ないもんね」
ひとしきり笑ってから、彼女は再び疑問符を浮かべた。
「でもいいの? 私は高いよ?」
そんなのは言われなくてもわかっている。
「あんた雇うぐらいの金はあるの知ってるでしょ」
無収入のジェーンにとって高額出費は自らの首を絞めるようなものだが、必要経費とあれば話は別だ。依頼達成のための経費を惜しんでいては、仕事にならない。
が、彼女にとってこの回答は満足できるものではないようだ。
「違うよ。まあ、いいけどね……」
いまいち要領を得ない回答にほんの少しだけ困惑したが、気を取り直して話を戻す。
「とにかく、ね。今回もらったデータの精査が終わったら、もしかしたら……そこから先を頼むかもしれないから。その時は、またよろしくね」
「はいはい。とりあえず、予定は空けとくね」
こう見えてバーミリオンは売れっ子だ。裏社会だとか、そういった表沙汰にされない部分では、それなりに多くの実績を上げている。そんなバーミリオンにこういった曖昧な予約が取れるのは、全世界でもジェーン一人だけだろう。
「ありがと。じゃ、今回は私のおごりね」
礼を述べると、友人は悪い笑みを浮かべた。
「それならパフェも食べようかな」
「だめ」
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