12月24日木曜日という名の平日

銀狼

第1話

 12月24日木曜日。テレビをつければ朝から晩までイルミネーションがどうだショーがどうだとクリスマス特集一色のこの日だが、氷室翔一ひむろしょういちにとっては何ということもないただの平日の一日であった。授業も、部活も、バイトも無い。起床してからというもの適当にテレビ番組をつけながら三食食べてゲームをしてネットサーフィンをして、といった調子で気付けば夜の7時を迎えていた。

 シャワーを浴びてパジャマに着替え、半纏はんてんを着て炬燵こたつに入る。このまま昼間と同じように、適当に時間を潰す算段だった。

 その計画が崩れたのは、時計の針が10時を指した頃。何の前触れもなく唐突に、インターホンのチャイムが部屋に響き渡ったのだ。思わず眉をしかめる。友人が家を訪ねてくる予定はないし、宅配便を頼んだ覚えもない。不審に思いつつ立ち上がり、インターホンの受話器をとる。

「はい?」

「あ、わた――」

「――あん?」

 声で相手の正体が分かった翔一は、話を聞く前に受話器を置いた。扉に歩み寄って覗き穴を覗いてみる。何の因果か、この部屋の向かいの住人にして小学校以来の付き合いがある幼馴染、菱村彩里ひしむらあいりの姿がそこにあった。

(あのやろこんな時間に何だってんだ)

 お声掛けがあって嬉しいような気恥ずかしいような気持ちと共に、そんな風に思ってしまうことへの悔しさも湧いてくる。相手に一矢報いんと、ふと思いついたことを実行に移した。

 ドアの錠を、音が鳴らないように開ける。ドアノブも同じように注意しながら押し下げると半分ほど一気に開けて一瞬止める。

「――キャッ!? ちょっと、危ないじゃない!! 形が崩れたらどうしてくれんのよ!!」

「クハハハ、良い反応って、崩れる? 何が?」

 飛び跳ねるように後ろに下がったスウェット姿の彩里を見て、意地の悪い笑みを浮かべる翔一。しかし相手の台詞が気にかかりすぐにその表情が消える。よくよく見てみれば、彼女の片手には白いビニール袋がプラプラと揺れている。

「ケーキよケーキ。バイト先でおまけとして出されてたんだけどいくらか余ったからもらって帰ったの」

「ほぉ、そいつぁ儲けもんだな。羨ましいこって」

「……それだけ?」

「それだけとは?」

「アンタ今日が何か分かってる?」

「12月24日木曜日。平日」

「……本気で言ってる?」

「彼女の一人もいない一人暮らしの大学生なんざ、こんなもんでしょ」

 呆れた顔で言い募る彩里に、翔一は肩を竦めて自虐する。分かっていながらあえてはぐらかしていたのだと悟った彩里は、今度こそ深く溜息をついた。

「そりゃまたずいぶん寂しいことで」

「彼氏の一人もいた試しのねぇお前に言われたかねぇわ」

「なっ、だだ誰のせいだとおもっ――!?」

 早口でまくしたてようとした彩里だったが、下手打ったような表情で口を閉ざし目を逸らした。何を言っているのか聞き取れず首を傾げた翔一だったが、どうにも言い直してくれる気配はない。嘆息して、彩里に尋ねる。

「それで? 結局何しに来たんだ?」

「だ、だから、その。ひ、ヒトリマスは流石に可哀想だから、昔のよしみでちょっとくらい情けをかけてやってもいいかなぁって……」

「昔のよしみって、中高4年ほど絶交状態だったろうに」

「そ、それはもういいでしょ!?」

「ハイハイそうですねぇ。建前は分かった。本音は?」

「うぅ……既成事実が、欲しいですぅ……『ヒトリマスでした』は自分でも惨めな感じあるんで……せめて一人じゃなかったという事実が……」

 心底気落ちした様子で俯く彩里に、翔一は苦笑する。

「ハハ、まぁそんなこったろうとは思ってたけども」

「この時間に押しかけて問題無さそうなのアンタくらいしかいなかったし」

「『俺くらいしか』? 貴女ご自分の立場お分かりでいらっしゃる?」

「ッ……どうぞ惨めな乞食なる私めに愛の施しをお与えください天の神様氷室様」

 涙目になりながら恥を忍んで、睨みつけるように見上げてくる。予想以上の必死さに少々面喰ってしまう。

「おいおい落ち着け、分かったから」

「あ、じゃあお邪魔しまーす」

「あ、おい」

 了承の返事が出た瞬間、あっけらかんとした口調で隙間をすり抜け、翔一の部屋へと入っていく彩里。気の置けない仲とはいえあっさり侵入を許したことに焦りを覚え、翔一は慌てて扉を閉めた。

 玄関すぐの右手側にある慎ましいキッチンに立った彩里が薬缶に水を入れながらのたまう。

「炬燵の上空けといてー。あとコーヒーあったよね?」

「一応、親が置いてったインスタントが上の棚に」

「あぁはいはい。使いまーす」

「……たく、こっちはてめぇの部屋じゃねぇぞ」

 我が物顔でキッチンに立つ彩里を見て呟きつつ、諦めたように炬燵の上に広げていたノートパソコンや書類などを片付けていく翔一。まぁ間取りは全ての部屋で同じだし、相手は既に何度もこの部屋に入り込んでいてとうに勝手を知られているわけだが。

 さっさと片付けを終えた翔一は、ベッドを背もたれに真正面にテレビという特等席に陣取る。しばらくして、彩里がコーヒーカップ2つを携えてやってきた。

「まずこれ」

「おう」

 カップを置くと、台所に置いているケーキを取りに踵を返す。翔一は身を乗り出してテレビ横の棚に手を伸ばし、スティックシュガー2本とマドラー、フレッシュ1つを右隣に置く。カップの1つを手にしたところで、彩里がケーキを両手に戻ってきた。

「お、分かってるじゃないか君ぃ」

「ながーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい、お付き合い。は伊達じゃないっての」

 某銀行のCMのパロディで返しながら、コーヒーカップに口をつける。コーヒーフレッシュを入れようとしていた彩里が見とがめて声を上げる。

「あ、乾杯の前に飲みよった」

「コーヒーくらいでやることでもないだろ」

「あのねぇ、ちぃとは雰囲気とか考えなさいよ。そんなんだからモテないんでしょ」

「大きなお世話だ。まぁそもそもモテようだなんて思っちゃいないから安心しろ」

「なっ、安心しろって何よ」

「安心しろ。大した意味無いっての」

 やけに語気を強めた彩里を不思議に思いながら、もう一口コーヒーを啜る。まったく、とこちらに聞こえない程度でブツブツ小言を言いながら全てを混ぜ終えた彩里がコーヒーカップを持ち上げる。

「んじゃ、まぁ」

「ぶつけてくれんなよ」

「分かってるわよ」

 両者共に、仏頂面の中にうっすら笑みを浮かべたような表情でカップを掲げ口をつける。

 無言のメリークリスマス。ヒトリマス回避のための二人だけの聖夜の宴は、まだ始まったばかりである。

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