24 器の望み

 シェムが無事、遠とハターイーを連れ帰ってきて、フネは沸きに沸いた。だが歓喜と興奮の熱は一瞬で引かざるをえなかった。彼らには余裕がなかったのだ。

 警備艇はまだしつこくフネを攻撃していたが、頼みの綱の<盾膜>の光はほどけかけていた。マイベリが最初に意識を失い、その後はミゼアと椎椎だけで保たせていたが、二人は遠の姿を一目見た途端に安心したのか、一言も発さないまま、天力のオーバーヒートで倒れ込んだ。意識はあるものの、喋ることもできず、高熱と全身の震えに襲われていた。必然的に、遠が二人の役を変わる。<盾膜>ではなく、むしろフネ自体をさらに加速させてしまうことにした。

『星の息吹よ 命を運ぶ風よ もっと強く、激しく流れて その頃にはもう私がそこにいないように 青嵐』

 フネの下に、嵐が起きる。巨大な風が、フネをぐんぐんと押しあげ、落月門に近づける。フネに乗っている全員がぽかんと口を開ける中、遠は下――小さくなって行く尭球の空中都市群を見ていた。

(……母艦を、壊してしまった。……ていうことは……最初に母艦に命令した……インフラは1年後まで保たせろっていう命令も、意味が無くなっちゃった……)

「結局、わたしはこの星もめちゃくちゃに……滅ぼしてしまったんか……」

 思わず、小さく声が漏れた。

 その時、誰かが、遠の服の裾を引いた。後ろで横たわっていた、椎椎だった。

「椎椎! 気付いたの!」

「……遠。これだけ……これだけは言わないと。……伝言が、あるの。『君は、この星まで、背負うことはない。後は私が確かに引き受けたから、任せてほしい。短い間だったが、ありがとう、優しい風』」

「……誰……から?」

 椎椎は優しい笑顔を浮かべた。

「ジヘル……尭球圏界連合事務局長、から……」

「……!!!!」

 ――ああ。遠は息をすることができなかった。驚愕、感謝、安堵。無数の感情がゆるゆると押し寄せてくる。……青の1を、押してくれた、人。まだ会ったことのない、そしてこれからも決して会うことのない。だが、信じてくれたのだ、わたしを。きっと、椎椎を見たから。

 また涙が溢れそうになって、遠はぐっと歯を噛み締め、拳を握りしめた。

(こんなに……こんなにも、たくさんの人が、わたしに力をくれる……!)

「……遠、安心して……彼はすごくいい人……賢い人……こうなることを見越して動いていた。……あとで、話す。一緒にいれなかった間のこと、いっぱい、話そう……」  

 遠は横たわる椎椎に抱きついた。顔を椎椎の体に押し付ける。涙は、誰にも見えない。

 その時、ふと遠には、見えた気がしたのだ。ジヘルという人の、姿が。――『源海』の畔に立つ、大柄な、男。

「おーい、ちょっとジヘルの話? 俺も混ぜてよー、なんつったって大親友だからさー!」 

 海津が朗らかに叫んで周囲の人間がええええ、と声を上げた時。

「おい、下からなんかすげえ速いやつが来るぞ! 気をつけろ!」

「圏界連合のスピンドルだ!」

 遠は<青嵐>をもっと強くしようとしたが、「ウルバンだ! あいつが乗ってる!」という声を聞いて、組んだ手を思わず解いた。

「……ハーちゃん」

「なんだい?」

「……<青嵐>、ちょっとだけ変わってくれる? ハーちゃんの力で……」

「遠ほど強くできるかは分からないけれど、引き受けたよ。……気をつけてね」

「ありがとう!」

 遠は第一艦橋を後にし、フネの甲板に出た。後ろから追ってくる足音がする。

「シェム」

「……俺が、ま、ま……一緒に行く」

「ありがとう!」

 遠は手すりに駆け寄って、下を見下ろした。ウルバンのスピンドルはすぐ足元にいるが、追いつけはしないようだった。

「おい!! お前のせいでこの世界は滅びるんだ!! お前は稀代の大殺戮者として名を残すだろう……そして私はお前を討った正義の人間として名を残す!」

 ウルバンが手に抱えた銃から弾丸が発射されるのを遠は静かに見た。だが一瞬にして出現した<盾膜>がそれを静かに弾く。

「……くそっ、化け物め……! 逃げるのか! 世界を滅ぼして、さらに見捨てるのか!!」

「そう見えるのであればそれでいい! わたしは故郷のみんなと一緒に歩くんじゃ!」

「片腹痛いわ! お前はその最中に呪われ、殺されるだろう!」

「その時は甘んじて受け止める。けれど、自分から自分の道を捨てはしない」

「お前は常に間違える……世界をかき乱して混沌に突き落とす!」

「そうかもしれない。わたしは『正しくない』。尭球の人々を見捨て、大切な人も見捨てた。生きることは汚く、間違いだらけじゃ。でも生きる! そう覚悟をしたんじゃ。悔いはない!」

「お前は……お前には何も分からない! 造られた機械生物のお前には!」

「そうじゃ、わたしには何も分からない! わたしは機械であって機械でなく、女神であって女神でなく、人であって人でなく……遠でしかない! でも自分のことすらもよく分からない! でも、分からないまま、迷いながら、わたしは生きるんじゃ!」

「何を開き直って……!! 鉱人達、聞いたか! このような腑抜け、このような大馬鹿を拾ってお前達はまさに不幸だ……!! お前はここで何をするというんだ、鉱人達はお前を憎んでいようぞ! 世界を滅ぼした禍々しい力の持ち主、浅はかな考えの機械を!」

 何をするか、何をしたいか、というのは遠がずっと回答を延期してきた問いだった。だが、この時、遠の口からは、自分でも思ってもない言葉が出てきた。

「――わたしはみんなの、王になる」

「……は? ははは、ははははは!! いやいやおかしい! これはおかしい、本当に馬鹿なんだなお前は!! 所詮は権力欲か、いや自己顕示欲か!! これはおかしいな! 綺麗事ばかり並べ立てる機械にもそういう欲があると見た!」

「……違う」

 思ったこともなかった言葉、は、だが言葉にした瞬間に、確かな望みとして顕在化した。そうじゃ。そう、これがわたしの望みじゃ、と、最後のピースが自分の芯にカチッと音を立てて嵌まるような感覚――。

 遠は、ウルバンに背を向け、フネの中にいる皆の方に向き直った。遠の背に、そっとシェムが背を合わせてウルバンに向かって銃を構える。

「みんな……わたしは、最も罪深い者、最も責を持つ者。頭を垂れて全体のため――あなた達一人ひとりのため、に生きるに最も相応しいんじゃ。みんなは自分のことだけ考え、自分のために生き、自分のために生き、自分のために生きて……そして自分のために死んで! わたしはすべての圏民のために生き、すべての圏民のために死ぬ!」

 そして遠は再びウルバンに向き直った。

「……シェム、手つなごう? わたしを、離さないで」

「え、お、おう……」

 遠は口の中で小さく唱える。

『……あなたとわたし 遠くて近い 耳に声がするのに <はなればなれ>』

 遠の体が、2つに、分かれる。より正確に言えば、遠の体から、もう一人の遠が幽体離脱をしたように見えた。

 その、もう一人の遠は、手すりを乗り越え、空を歩き、スピンドルの硝子面をなんなく通り抜けた。恐怖に駆られた顔のウルバンが何発も銃を撃っても、それは透き通っている遠の体を通り過ぎるだけだった。彼女は、そしてウルバンの体にそっと手を回す。――抱きしめる。

「……ウルバン。……あなたのことだって、もう少しちゃんと大切にしたかったよ。さようなら。お兄さんに、よろしくね。そして、ユーちゃん……ユドンがあなたに渡した命を、大切に生きて……」

 そして、静かに遠は、本来の遠の体に戻った。呆然としたまま動かないウルバンのスピンドルはどんどん小さくなり、やがて雲海の下へと、完全に消えた。 


 第一艦橋は、静まり返っていた。皆、何が起きたのか、よく分かっていなかったのだ。ウルバンと遠の会話は聞こえてはいたが、二人の言葉の意味をきちんと理解するのは難しく、ただただ遠の勢いに気圧されていた。

(これが、……これが、女神か。これが、遠……!)

 ただ、遠とシェムが戻ってくると、その静寂を破って一人だけが大笑いしていた。

「あーはは! 面白い! おもしろーい!」

 遠につかつかと歩み寄り、小首をかしげてその顔を覗き込んだのは、海津だ。

「ねー、俺、海津って言うの」

「それはさっきフネに乗った時聞いたよ……?」

「あれ、……遠ちゃん、随分さっきの剣幕と違うじゃーん」

「そうかな……」

「あはは、何この子ー面白いー」

 海津はピンクのボンボンをいじりながら第一艦橋の中をぐるぐる歩き回った。

「ちょ、ちょっと……」

 弱々しくも毅然とした声が、海津の歩みを止める。

「あまり、遠で遊ばないでくださいます? この子、ただの、食いしん坊で、ぼーっとしてて、変で、……それで、わたくし達の、大切な、王なんですから」

「……ミーちゃん!!!!」

「遠!! 会いたかった!!!!」

 立ち上がったミゼアに、遠が思いっきり飛びついて抱きしめる。

「えー、俺も入るー」

「あんたは全くここに割り込む権利ないだろ……」

 海津を止めるのは、ヘルマンの役目だ。

「ミーちゃん、ミーちゃん、ミーちゃん!! いっぱいごめんねって言いたい、いっぱいありがとうって言いたい、他にも、他にも!」

「遠、わたくしも、わたくしもよ……!! 夜通し話しましょう!! 椎椎も、マイベリも一緒に。……遠、その首からかけている石はもしかして……インファ?」

 遠は頷いた。

「ミーちゃん、でもわたし、今しないといかんことがあるの。2つ」

「するといいわ。遠のしたい通りに」

「はさみ、ある?」

「ええと……小刀、なら……」

「それでいいよ。」

 ミゼアから受け取った小刀を、遠は突然首元に持って行ったので、ミゼアは思わず悲鳴をあげかけた。

「違う違う、こうするだけ」

 遠は笑いながら、すっかり伸びていた黒髪を掴み、首のあたりで思いっきり小刀を払った。

「あ、ちょっと床に落ちちゃった。あとでちゃんと掃除するなぁ」

「え、な、何してるの?」

「……これでミーちゃんと同じ。……髪、切ってたんだね。あんなに長くて綺麗だった髪、切るの、……辛かったでしょ」

「……遠……」

「わたしはもう二度と髪を伸ばさない。伸びてきたときには、この星での日々を思い出して、そして切る。思い出しては忘れて、を繰り返すの。決して、忘れないように」

「……遠」

「あとそうそう、みんなにお話するには、これでいい?」

「そう、それ」

 遠はフネの全てに通じる伝声管を持ち、口にあてた。

「みんな、わたしが、遠じゃ。……母なる星の、最後の果神であり、あの星を滅ぼし、みんなの大切な人を奪った張本人でもある。わたしはこの償いを、みんなのために生きることを以てして行いたい。……わたしはかつて、何も望んだことがなかった。だが今は強く望んでいる。あなた方一人ひとりのために頭を垂れて生きる王という存在になり、あなた方一人ひとりの安寧の地を、再びあの母なる星に築くことを! ……最も罪深い者が王と名乗りを上げる。これを踏み越えようとして、皆、共に生きよう!!」

 わぁ、っと艦内のどこからも歓声が沸いた。遠の言葉を全て理解せずとも、彼らを熱狂させる何かが既に遠には宿っていた。

「遠王! 遠王!」

 いまや誰もが、納得していた。ウルバンと対峙していたときの遠の表情に、今の挨拶に、既に王の風格の片鱗があった。「女神」に統治されてきた彼らは、誰も「王」という存在など知らなかったが、だがそれは確かに、上に立ち、人々を導く者の、強い光を放つ目だった。

 遠の右手を、そっとミゼアが握っていた。起き上がった椎椎が、左手を。

 そして、もう一人。大歓声で意識を取り戻したらした彼女は、小さく呟いた。

「遠様……?」

 その、微かな声を、遠は聞き逃さない。

「やや……ベリ! 大丈夫!?」

「……遠さまあぁぁぁぁ!! うわぁぁぁぁん!!」

 マイベリの顔がくしゃくしゃに歪み、目からは滝のように涙が溢れ出る。思いっきり遠に飛びついたマイベリを、遠はしっかりと受け止めた。横でミゼアと椎椎が顔を見合わせて、笑う。

「ベリ、ありがとう。……頑張ったんだね。本当に、ありがとう」

 小さな子供がいやいやをするように、マイベリは遠の胸に顔を押しつけながら首を振った。そっとマイベリの髪を撫でる遠を見ながら、ふとミゼアは思った。

(この子……お母さんみたい。覚悟を持って全てを受け入れ、愛し、大切なものを守るためには時に激しく戦う……。お母さん。いいえ、そう――女神)


 落月門が、大きく近づく。もう、永遠に閉じることのない、門だ。

「帰ろうね……ミーちゃん。しーちゃん。ベリ。……イーちゃん。帰ろう」

 寄り添う4人の目の前に、漆黒の宇宙が広がる。黒い黒い、だが、新しい世界。

(……帰ろう。懐かしくて、新しい世界に。0から作る。どんなに辛くても……)

(……アーリア様。『新詩編』の言葉を、人間讃歌の言葉を黒術の呪文にしたあなたは、……たぶん、果神に、女神の世界を終わらせることを望んでいた……)

(……夜明けはまだ遠い。風も、土も、水も。……でも、生きる……)

 旅は、始まったばかりだった。



 後に始鉱歴と呼ばれたこの時代は、最後の女神であった遠が女神ではなく「王」を名乗ったことから、ここで一度幕を降ろす。――超常の力を持った人工の神々の時代の、終焉であった。

 鉱球に戻った遠はこの後、鉱遠王と呼ばれることになるが、それはまた別の物語である。


<完>

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彼岸の星へ帰れ 四十最後湖 @songkol

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