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 イギョンとチェイン、それに山吹と従者二人は神和ぎ為りの儀の行われる日の早朝に、北の砦を出た。

 神和ぎ為りの儀へは、各集落の代表者が祝いの品を新しい神和ぎに献上するのだと説明を受けていたので、北の砦からは米を三俵用意した。

 五人はそれぞれに馬に乗り、従者の乗る二頭の馬に米を曳かせるようにする。

 普通、馬が運べるのは米二俵と言われるが、この北の砦で使役している馬たちはもともと山で作業するための体の大きな馬であり、通常の馬の倍ほどの荷を曳くことができるのだ。屈強な従者をその背に乗せたとしても、二匹で米三俵は容易いものだった。

 山吹はこの三日間の間にすっかり北の砦に溶け込んでいた。彼女が小柄で幼く見えることも幸いし、砦の男たちは山吹を女ではなく、子どもとして扱っていた。山吹も、たいていは男物の服を着ていたし、男たちに交じっての肉体労働も厭わなかった。


 イギョンが山吹の様子をうかがうと、後ろの従者たちと馬についてにこにこと語り合っているようだ。

 イギョンはそれを一瞥すると、隣に並ぶチェインに低い声で語りかけた。

「精霊をこの目で見ることができるだろうか」

「さあ、どうでしょうか。神和ぎ為りの儀というものがどういったものか、私たちには全くわかりません」

「まあ、この春に神和ぎたちと長である神主には会っているのだが……。本当にいるのだろうか、精霊というものは」

「兄上は信じていらっしゃらないのですか?」

「おまえは? 信じているのか」

「兄上、わたし達朱の帝国の祖も精霊の子と言われています」

 弟の答えにイギョンは「ふ」と自嘲気味に笑う。

「精霊の血が世を狂わせるとも言われているがな。祖の賜物・・・・を授かった皇子は心と体のバランスを崩すことが多い。彼らの常軌を逸した力は人の世にあっては危険なことが多いな」

 沈黙が二人の間に流れた。しばらくの沈黙の後「まあ、今の時点では何とも言えないな」と、イギョンは言った。

「ええ、ただ、千龍を導いているものは確かに神和ぎたちとその頂点に立つ神主です」

 イギョンは頷く。

「神和ぎたちからは、時の為政者と言った風情は感じられない」

 そう言って、馬上で首を一巡りさせる。

「そうですね、彼らはどちらかというと……」

「五行府の導師たちに近いものがあるな。いや、導師たちに例えたら、神和ぎたちに悪いかな?」

 そう言うと声をたてて笑った。

「兄上は導師様がお嫌いなのですね」

「当たり前だ。あんな予言一つでお前は田舎に追いやられたんだぞ」

 イギョンは不機嫌そうな顔をして見せた。

「ユーリィ大導師は私の育ての親ですよ」

「ふん」

 イギョンは馬腹を軽く打ち、駈歩で先に行ってしまう。チェインは手綱を引き歩を緩めると、後ろの山吹たちに合流した。


 北の砦からの一行は朝のうちにアユの里に到着した。

 そこで、里長の飛沫とその息子であり、山吹の兄である真昼と合流する。

 千龍の郷では、牛や馬を使役することは禁じられていたから、この先馬で行動することは出来ない。

 千龍に住む人々の足は、舟であった。千龍の郷に属する集落は皆オグマ川や、その支流のほとりに点在するのもそのためである。

 米や、アユの里からの祝いの品である川魚の干物などを小舟につける。里長とイギョンとチェインが同じ舟に乗った。山吹と真昼は荷を付けた船に乗る。山吹はまだ十一だったが、舟を操ることも上手にできた。

 神和ぎ為りの儀に参加を許されたのはイギョンとチェインのみであったから、北の砦からの二人の従者は、アユの里で主の帰りを待つこととなった。


 ❋


 朝霧は朝から人形にでもなったようにずっと座りっぱなしだ。

 各集落の代表者は朝霧の前にいろいろの貢物を差し出す。直接話をして貢物を受け取るのは神和ぎの長である神主の仕事だ。受け取った貢物は、朝霧の背後にどんどんと積み上げられていく。

 朝霧が座るすぐ背後には大きな櫓があり。楽が奏でられ、人々が踊りの輪を作っている。音楽を奏でるのは神和ぎたちで、演奏には打楽器と、木を叩いて音階を鳴らす木琴が使われる。

 初めのうちは面白く楽を聞き踊りを見ていたけれども、ずっと座りっぱなしの朝霧は、さすがに疲れてきた。朝からこの調子で、もうすぐお天道様が南の位置にやってくるころだ。うつむいて、そっと深呼吸をしていた時だった。

「朝霧!」

 叫ぶような声が聞こえた。

 はっとして顔をあげると、双子の姉の山吹が、飛ぶような勢いでこちらへかけてくるところだ。

 朝からずっと座りっぱなしだった朝霧は咄嗟に反応することも出来ずに、まるで猪のように突進してくる山吹をそのまま受け止めると、二人して派手にひっくりかえってしまった。

「朝霧! 朝霧! 会いたかった!」

 山吹は朝霧にしがみついたまま、一度顔をあげると、今度はすりすりと頬ずりをしてくる。朝霧は摺り寄せられた頬が濡れているのを感じ「山吹……」と、耳元でささやく。

そっと姉の背に手を回し、静かに力を込めた。お互いの無事を伝えあうために。

「山吹! こん馬鹿が!」

 上から声がふってきて、山吹の体が持ち上げられる。上からのしかかっていた重みがなくなり朝霧は体が軽くなるのを感じた。

「真昼!」

 山吹の首根っこを掴み、太陽を背に見下ろしていたのは、兄の真昼だった。

「ぎゃー、真昼。苦しい!」

 首根っこを掴まれた山吹は叫び、体を起こした朝霧は、隣の神主を見やるとあわあわと座り直し、真っ赤になって縮こまった。

「神主どの、お騒がせして申し訳ない」

 真昼の後ろから、ゆったりとした声がかかる。

「お父さん……」

 朝霧が思わず呼びかけると、飛沫は目を細め、しばらくぶりに目にする娘に笑顔を見せた。

「神和ぎ様、今回はおめでとうございます」

 そう言って、飛沫は自分の娘と神和ぎの前に手をついた。

「まあまあまあ、よいわさ」

 神主は枯れた笑い声をカラカラと響かせる。

 そして、飛沫の後ろから、あきらかに千龍の郷の者とは違う人間が二人。

「しつれいいたします」

 そう言って、山吹の前に膝を突いた人物は、まだ大人になりきっていないような青年で、浅黒い肌にくりりとした瞳が朝霧を見つめている。その後ろに控えた人物は、先の青年よりも大柄で背も高く、成熟した大人の男だった。

 年若い青年が拳を地面につき首を垂れる。

「朝霧さま、神和ぎ為りの儀、おめでとうございまする。こちらはお祝いの品にございます」

 そう言うと神和ぎの郷の者も手伝って運んできた大きな米俵が朝霧の目の前に積み上げられた。

「わたくし、朱の帝国北の砦の守護、チェインにございます」

「兄のイギョンにございます」

 ああ、やはりと朝霧は思い、山吹を助けてくれたことの礼をすぐにも言いたかったが、何とかこらえる。

 直接彼らとやり取りをするのは神主である。声をかけることは許されない。

 先ほどは、家族であることもあり許されてはいたが、朝霧とてそこはわきまえていた。

 姉を助けてくれたというチェインに感謝の思いを込めて一礼する。

 チェインは朝霧を見ると、すっと目を細めて口元を微かにほころばせた。少なくとも、朝霧にはそのように見えたのだった。

 神和ぎ為りの儀は滞りなく過ぎていく。今回は朱の帝国からの貢物が花を添えた。

 彼らは献上用とは別にいくばくか米を持参しており、調理棟で接待の仕事をしていた神和ぎたちに米の焚き方を教え、それは、その日のお振る舞いに使われた。お振る舞いは、祭りの日に集まった人々に供される酒や食物のことだ。

 人々は、珍しいコメを喜んで口にした。

 そして、日が頂点を過ぎしばらくしたころ、人々は帰り支度を始める。


 これからが神和ぎ為りの儀式の本番なのだった。


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千龍の郷と朱の帝国 観月 @miduki-hotaru

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