◇ウルズの追憶:2
君の名前は、と問われたので、無いと答えた。
すると、彼の人は、少し驚いた顔をしてから、自分にかりそめの名前を付けた。
どこか聞き馴染みのある、不思議な響きのそれ。
ひどくしっくりきたその名前は一瞬で気に入ったが、通例通り「変更の必要がある場合にはまた教えて欲しい」と告げると。不思議そうに彼の人は言った。
「
「仮初じゃない」
繰り返してから、首を傾げる。言っている意味が、よく分からなかった。
ずっと閉ざされた空間の中で、自分の意思は一切存在せずに、ただ人の傀儡となって、必要な時に自分が『使える』よう、便宜上の生命活動を維持しているだけだった自分には。
正直、理解が出来ていなかったのだ。
「今の君を現す名前は存在しないのだろう。
だから今、僕が付けた。何か問題でもあるか。それとも自分で付けたい名があるのなら自由にそれを名乗ればいい」
「……自由に」
自由、と言われると、尚更、混乱した。
名前とは。きちんと、自分の物として所有してよいものなのだと、初めて知る。
それと知ると。
「それで、いい」
妙にその名を、手放したくなくて。
妙にその名が、懐かしく感じられ。
縋るように、願うように、彼の人に訴えかける。
「それが、僕の名前だ」
もしかすると。これが、生まれて初めての自己主張だったのかもしれない。
そして。単純な生命体としての人間、という意味合いではなく、自我があり意思もある一人の人間、という意味合いにおいて。
この時、初めて僕は息吹を上げたのだと言えるだろう。
彼の人に名前を与えられ、僕は生まれた。
「それで。何を、すればいいの」
初めて自分で尋ねた。
「あなたも、僕の力で『狩る』んでしょう。どういう風に僕を使うの」
「確かに。私には狩人の力が必要だ。けれど」
「ど?」
「それよりも先に、君には休息と安寧と教養が必要だ」
そう言って、彼の人は温かい食事に柔らかいベッドと、明るい部屋を僕にあてがった。
いよいよ僕は意味が分からなくなっていた。
これは、一体なんなのか。
それは、一体なぜなのか。
あれは、一体いつなのか。
どれが、一体ほんとうか。
そこまで混乱する頭で考えてから、不意に僕は気が付いた。
「あなたの」
深海へ太陽の光を振りまくように美しく、暗闇から僕を連れ出してくれたその人が。
一体何者なのか、全てを一切知らないままだということに。
これもまた、生まれて始めての欲求だったのだろう。
「あなたの、名前は」
それが、知りたい。
すると彼の人は笑って。
「バルドル」
柔和な笑顔を口元に浮かべてそう答え、真っ直ぐ身体を僕に向けた。その拍子に、滑らかな銀の髪がさらりと揺れる。
「今も。そしてずっと昔から、君の兄だよ。ようやく君を見つけられた。
さあ。共に生きてゆこう、『復讐者』ヴァーリ」
彼の言葉に身体が痺れ、ずんと芯から締め付けられるようだった。
目に、光が灯った。
今、思い出しても身震いがする。
この時の感覚を。
この時の感動を。
バルドルが、兄さんが、自分にとってどれだけ眩い光だったのか、なんて。
他の人間には、決して分かりはしないだろう。
僕は。
ヴァーリ、だ。
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