「ヨウヤク、アエタネ」

 甲板には皆が集まっていた。

 あの後、ティールの怒号で起きたヒルドと、あの騒ぎでも起きなかったロタとをたたき起こして、ひととおり事の顛末てんまつを説明したところである。


「……ひでぇ、な」


 ティールが独り言のようにぽつりと漏らした。それとは対照的に、ロタが陽気に言う。


「まあ、顔に出てないだけいいじゃねーか」

「慰めになってない」


 ため息を一つつくと、ヘゼルはあぐらの上から頬杖を付いた。


「少しずつ模様の範囲が広がっているのには気づいていた。けど、一晩でここまで一度に広がったのは初めてだ」


 同意して頷き、ヒルドが問いかける。


「急にというのが引っかかるな。それに、ここのところはナシカの術で、夢も痛みも抑えられていた筈だからな。何か呪いが進行する引き金になるようなことがあったか、思い当たる節はないか?」

「昨日はあまりにいろいろありすぎて、なんとも言い難いけどな」


 ヘゼルはちらりとロタを一瞥いちべつする。


「大きく状況が変わったとすれば、一人誰かが増えたくらいか」

「おいおいヘゼルくん、善良なロタ様を悪者扱いするんじゃないよ」

「冗談だ。もしお前が黒幕だったとして、ここまで分かりやすく接触してくるほど馬鹿じゃないだろう」


 呪いの進行で苛立っている為か、いつもより幾分、辛辣な物言いでヘゼルは言った。当のロタは物言いたげにはしていたが、ヘゼルの心情をそれなりに察したのか、苦笑いを浮かべるだけで特に言及はしない。

 一拍置いた後でヘゼルは改めてロタに視線を向け、続けて口を開く。


「とはいえ。これまでと一番変わったことといえば、やはりロタが加わった事だ。おそらくロタは、後ろ暗い連中とかなり接触しているだろう。その中の誰かが僕の呪いに関与していて、間接的に影響があった可能性はあるんじゃないのか。人数が多すぎて絞れないだろうがな」

「ま……その線は、拭えねぇな」


 口元を歪めてロタは頷く。


「それこそ大物から小物まで、最近だけでも数多いる。広い範囲まで含めるなら俺様を見に来た一般人数百数千まで、可能性を挙げだしたらキリがねぇ」

「成る程。……厄介だな。手がかりになりそうにはない、か」


 ヒルドは難しい顔つきで口元へ手を当てた。

 彼女の腕にナシカが取り付く。


「でも、これ以上は進行しないように、私、頑張るから。だからロタは責めないであげて。防げなかった私の非の方が、大きいと思うし」


 焦ってロタの代わりに弁解するナシカの頭を、ヒルドはなだめるようにぽんぽんと叩く。


「そう気張るな、分かっている。ヘゼルには悪いが、いくら軽佻浮薄けいちょうふはくな軟弱男とはいえ、こればかりは責められるようなことじゃない。

 ナシカもだ。昨夜だっていつも通りの術はかけていたし、防げることじゃなかった」

「あの、お姉様。気持ちはありがたいながら、言葉がすげえ刺さるんですけど」


 ロタの言は無視し、ヒルドはヘゼルを見つめる。


「お前も、それでいいか?」

「いいも何も。誰も、何も悪くないだろう。起こってしまったものは、仕方がない」


 言いながら、ヘゼルの左腕がぴくりと引きつれた。顔をしかめ、無意識に彼は腕を掴む。

 その時だった。


「ヨウヤク、アエタネ。ニイサン」


 片言の聞き慣れぬ声に、彼らは一斉に振り向いた。

 甲板の手すりに、真っ黒なカラスが止まっている。白いカモメはそこここを飛び交っていたが、この海上で目にする漆黒の鳥は、それだけでどこか異様であった。


「……まさか」


 カラスから目を反らせないまま、ティールが呟いた。彼のみならず、ロタを除いた他の三人もまた同じことを思い返していた。

 数日前にウィエルを経った日。村の入り口で出逢ったのも、やはり言葉を喋るカラスであった。今、船の手すりにいるカラスもまた、出発の日に不吉な言葉を残したカラスと同じく片目がつぶれている。

 あの時と同じようにくっと首を曲げ、カラスは鋭い口ばしを開けた。


「サア。オモイ、ダシテ。モウスグ、ダヨ。ニイサン」


 単語を繋ぎあわせ、ひどく無機質な声音でそう告げると。カラスはばさりと翼を広げ、海風に飲み込まれるように姿を消した。


「……喋ってやがるな」


 初めて見た割に、存外冷静にロタが言った。もっとも彼自体が動物に変わることができるのだから、こういった事象に耐性があって当たり前なのかもしれなかった。

 四人の様子を見回し、ロタは目を細める。


「その様子じゃ、……あれが出たのは、初めてって訳じゃなさそうだな」

「村を経つ日にも、あのカラスが居た。

今回と同じように、言葉を喋って」


 カラスの去った方角を見つめながらヒルドが答えた。既にカラスの姿は死角へ消えており、船の下の方に潜んでいるのか、遠くへ飛び去ったのかも分からない。


「……ヘゼル。お前の呪いが進んだのは、あいつが近くに来たからじゃないのか」


 呆然としたままでティールが続ける。


「例えばナシカみたいな音楽術師なら、動物相手でも感情を察することはできるさ。

 けど、向こうから人間にこうもはっきりと話しかけてくるなんて聞いたことがない。神々のいた時代じゃねえんだぞ。

 カラスが人間の言葉を喋るにせよ、人間がカラスに変身して話しかけてきたにせよ、どっちにしたって普通じゃねぇよ」


 一度ならず二度までも、ヘゼル達の前に現れたカラス。村を出た時には不可解でこそあったが、村の呪いとヘゼルの呪い、どちらに関係しているのか、そもそも呪いに関係があるのかどうかすらも不明瞭だった。


 しかし再びカラスは現れた。ヘゼルの呪いが進行した頃合いで、特定の誰かを指し示した台詞でもって、だ。状況からすれば、あのカラスはヘゼルの呪いに関係していると考える方が自然だった。

 だが、それにしては一点、どうしても判然としないところがあった。


「けど、僕には弟なんかいない。兄弟は、いないはずだ」


 きっぱりとヘゼルは言った。ヒルドはナシカとティールを見回した後で、ロタに視線をやる。


「私達三人にも、年下の兄弟は誰もいないな。念の為聞くが、ロタ、お前にはいるか?」

「いたとしても知らないね。物心ついたときには一人で各地をたらいまわしだったからな。

 心当たりのないものを考えても仕方ねーだろ。向こうさんも俺たちに分かるようにやっちゃいない。呪いの本質がばれたら元も子もないからな。深く考えるだけ無駄だ」


 ロタは投げやりにそう言った後で、そういやあ、と先ほどのティールの発言に補足した。


「それとな。十中八九、あのカラスは人間じゃねぇぜ」

「当のお前が何を言うんだよ」


 小さい動物に変身できる奴だっているかもしれないだろ、とティールが言うのを遮って、ロタは続ける。


「俺様だからこそ、だ。人間が変身した姿なら、飛べるはずがない」


 昨日に引き続き再び、ロタは自分の両腕に羽を生やしてみせる。力いっぱいに翼を羽ばたかせるが、強い風が巻き起こるのみで、一向に身体が持ち上がる気配はない。


「確かに。小さいカラスはともかく、大型の鳥に姿を変える事なら俺にだって出来る。けど、さっきのカラスみたいに空を飛び去っていくことなんざできねぇよ。

 人間が空を飛ぶには、圧倒的に筋肉量が足りねえんだ。それこそ神の御代に散々悪さをしでかした、かの邪神みたいな存在の仕業でもなけりゃな」


 ロタは人間の腕に戻すと、ポケットに手を突っ込んだ。

 彼の説明に、ヒルドは腕組みして考え込む。


「ならば考えられるところとすると。あれはカラスが人の言葉を喋っているか、ないしはカラスを媒介に人間が遠い場所から話しかけているか、だろうか。

 いずれにせよ、ヘゼルの呪いか関連する何かに関与している相手なのは違いないだろう。でなければ海の上まで私達に付きまとう筈ないからな」


 だが思考をまとめたところで、これ以上は特定しきれないと判断したのだろう。ヒルドは気を取り直すように声を張る。


「いつまでもこうしていたって仕方がない。現時点では情報が少なすぎるからな。ひとまずは朝食にしよう」


 ヒルドはきびすを返し調理場に向かう。ナシカもまた手伝いをしにヒルドに着いていった。

 二人の姿が完全に見えなくなったのを見届けてから、別の意味で気を取り直した様子のティールがヘゼルに向き直る。


「さてと」

「何だよ」


 様々な疑念をひとまず押し留め、自分も気持ちを切り替えようとしていたところのヘゼルは、怪訝そうに顔を上げる。彼へ指を差し向けながら、ティールは詰問口調で告げる。


「お前の事情はよーく分かった。大変だって事態も飲み込めた。けどな」


 ティールはヘゼルを少々威圧のこもった目で見据えた。


「俺達もいるのに、どうしてナシカの所に行ったんだ?」

「じゃあお前に言って何とかなったか?」

「……ならない」

「ロタを起こして何とかなったか?」

「全くもってならない」

「ヒルドを起こして何とかなったか?」

「とりあえず朝から怒鳴られただろうな」

「だったらナシカしかいないじゃないか」

「ナシカは駄目だ」

「なんでだよ」

「駄目なものは駄目だからだ」

「お前は子供か」

「ナシカの保護者だ!」


 断言し、ティールは腕を組む。


「と言う訳だ。分かったか」

「あまり要領を得ないな、要点を簡潔に言え」

「断る」


 ティールは数歩、歩き出した後で、再び振り返って釘を指した。


「いいか、間違ってもナシカに変なことすんじゃねーぞ。分かったな!」


 結局要点をまとめてるじゃないか、と思いながらヘゼルは肩をすくめる。

 今度こそティールに続いて立ち去ろうとしたヘゼルに、次はロタが立ちふさがった。


「ヘゼルくんヘゼルくん、俺様ちょーっと思ったんだけど」

「……何だ」


 さっきより、より不信感をあらわにヘゼルはロタを見上げた。


「わざわざ朝早く起こしてまでナシカちゃんに話す必要はなかったんじゃない?」


 彼の言に、虚を突かれたヘゼルは思わず瞬きした。構わずロタは話を続ける。


「起こさなくたって、もう少し待てば皆起き出してきただろ。その時まで待てばよかったんじゃねーの?

 ナシカちゃんのことにしたって、だ。ティールくんが言ってたみてーに、確かに俺達三人を起こしたってどうにもならねーかもしれねぇけど、だからってナシカちゃんを起こす理由にはなんねーと思うぜ」

「……何が言いたい」


 ヘゼルは低い声で唸った。ロタは笑いながらひらひらと手を振る。


「べっつに。ただ、な」


 ロタはヘゼルの耳元で囁く。


「無自覚も大概にしねぇと、余計な火種が増えるぜ?」


 ロタはヘゼルが何事かを言う前に、軽やかに身を翻した。


「じゃーあな、ヒルド姉様の手料理、冷めない内に来いよー」


 そう爽やかに言い残し、ロタは瞬く間に立ち去った。

 残されたヘゼルは、少し呆然としてその場に立ちすくむ。思ってもみなかったことを突かれて困惑し、感情のやり場に困って、泡立つ水面に視線を投げた。


 実際、冷静に考えてみればその通りだった。朝早く起こしてまでナシカに言う必要など、無かったはずなのだ。激痛があるのならばまだしも、朝の段階でそこまでの緊急性はなかった。

 ロタの言うことは、あながち間違っていないのかもしれない。

 気付けば、知らず知らずのうちに彼もまたナシカに安らぎを抱いているかもしれなかった。

 怖かったのか、不安だったのか。それとも。


 そこまで思考してみて、ヘゼルはかぶりを振ってそれを全否定する。


「……冗談じゃない」


 刺青の刻み込まれた手を握りしめると、ヘゼルは朝日に輝いた波立つ海を睨み付け、自分も船内へ入っていった。

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