4章 祭

「大丈夫だってこと、伝えたかっただけ」

 万物はバルドルを傷つけないと約束したが、唯一、ヤドリギだけは誓いを免れた。

 邪神ロキにそそのかされ、弟のヘズはそのヤドリギをバルドルに向ける。

 ヘズの投げたヤドリギはバルドルを貫き、光の神は死んだ。


+++++




「ヘゼルのばーか!」

「バカとはなんだ」

「そっちが先にバカにしたんでしょう!」


 ナシカは高い声を挙げ、肩を怒らせてヘゼルを見据えた。

 対するヘゼルはいつもと変わらぬ仏頂面だが、眉間に皺が寄っているところを見ると、彼の方にも少なからず思うところはあるらしい。


 対岸のスカディ半島までは、順調にいっておよそ三日で到着の見込みだった。追い風とロタの操舵そうだにより、航行はすこぶる順調で、暗雲は見当たらない。カラスの一件があったものの、それ以後は波乱続きだったここ数日とうって変わり、至って平穏な船旅を続けていた。

 はずだった。


「ヘゼルのわからずや!」

「うるさいこの脳天気」

「そっちが頭が固いんでしょう!」

「あんたと違って僕の頭は年中お花畑じゃないんだよ」


 へゼルとナシカは一定の距離を開けた状態で互いに睨み合っていた。さほど声を荒げてはいないが、普段の口調より二人とも幾分トーンが高い。

 いつもと違う声音を聞きつけて甲板に上がってきたロタは、二人の様子を見比べてから、傍らで様子を見守っているティールに小声で話しかける。


「何だ? どうしたんだよ、あの二人」

「絶賛喧嘩中」

「見りゃ分かる」


 彼はあぐらに頬杖をついたティールの隣へ腰掛けた。ティールは視線だけちらりとロタに向ける。


「ロタは、俺たちが北を目指してる理由は聞いたのか?」

「楽器の材料を探すんだろう」


 彼の淀みない回答にティールは黙って頷いた。

 ティールたちが旅をしているのは、ウィエルにかけられた呪いを解くため。そして、ヘゼルの呪いを解くためだった。


 村の呪いは音楽術師として一番の実力をもつナシカであっても解くことができない。同時期に村を訪れたヘゼルを蝕む呪いもまた、原因すら分からないままだ。

 しかしより強大な力を持つ楽器さえあれば、村を救う希望はある。ヘゼルの呪いとて打開するすべが見つけられるかもしれないのだ。

 それが彼らの旅の目的だった。


「言い合いの原因はそれだよ」

「なんでまた」


 怪訝に尋ねたロタへ、やや逡巡しゅんじゅんしながらティールが告げる。


「その楽器の材料がな。ユニコーンの角、なんだよ」


 答えを聞くと、ロタは「ははぁ」と声を漏らし得心したようにヘゼルを眺めた。

 ユニコーンは、世界でもっとも有名な幻獣の一つだ。額から長い一本の角を生やし、真白き体毛で覆われた馬のような姿をしている。ユニコーンの存在そのものが神聖な魔力を帯び、あらゆる病を癒やす力を持つという。

 古き時代には、そこここでユニコーンの目撃情報はあった。

 だが今やそれは絶えて久しく、今ではほとんど幻想上の生き物とみなされている。


「スカディ半島にあるレーラズの森には、今でもユニコーンが住み着いているらしい。そこが俺たちの最終目的地だ。

 その話をしたら、ヘゼルが『ユニコーンなんているはずがない』って噛み付いたんだ」

「道理でねえ。ヘゼルくんも大人げねーな。

 ……あぁ。まだガキか」


 一人で納得し、ロタは苦笑気味に続ける。


「気持ちは分からなくもねーけどな。ヘゼルくんからしてみりゃ、いるかいねーか分からない生き物に自分の運命が掛かってるってんだから、もどかしくもなるだろうよ」


 ロタの言葉を聞きつけたナシカが拳を握り、キッと彼を睨む。


「いるもん!」

「ごめんなさい」


 思いがけず自分に矛先が向き、ロタは反射的に答えて首をすくめた。しばらくの間は大人しく黙り込んでから、ややあってロタは先程より声を潜めてティールに言う。


「にしても、意外だな。ティールくんはこういう時、真っ先に止めに飛んで行くものかと思ってたんだが」

「議題が議題だろ。流石に割り込む気にならねぇよ」


 そう言う彼の表情は、確かに呆れ混じりだ。どうにも平行線の言い合いに、ティールとて飽きがきているようだった。


「ヒルドだって事態はとっくに聞きつけてるはずだ。それで来ないんだから、そういうことだよ」


 夫婦喧嘩ではないが、犬も喰わないということらしい。

 とはいえ完全に放っておくこともできず、ティールは側で静観するに留めているようだった。

 なるほどねぇ、と、くつくつと笑い、ロタは不意に目を細める。


「ティールくんは信じてんのか、ナシカちゃんの言う幻の生き物を」

「俺はいつでもナシカの味方だ。当たり前だろ。……ってのは、さておいてもな」


 壁に寄りかかり、ティールは空を見つめながら半ば独り言のように言った。


「俺たちよりよっぽど自然界には通じてるナシカがそう言うんだ、会えるかどうかはともかく、いるはいるんだろうと思ってる。

 けどな。いようがいまいが、俺たちはそれにすがるしかなかったんだ」


 彼らにとっても、それは最後の手段だったのだ。他の確実な手段は、村を出るまでにとっくに試行済みだった。

 もしユニコーンなどいないと認めてしまったら、それは村を諦めることとほぼ同義だった。


「そういうロタは疑わないのか」

「俺みたいなのが生きてるんだ、ユニコーンの一匹や二匹いてもおかしかないだろ」

「ま。……そりゃ、そうか」


 さらりと言うロタの台詞へ、ティールは言葉少なに頷いた。




 ヘゼルとナシカの口論は未だに続いていた。いるかいないかの議論は、確かめようのないこの状況下ではどこまでいっても水掛け論だ。どちらかが引けばいいのだが、生憎と双方ともに譲る気配はなさそうだった。


「森で演奏したとき精霊の存在は信じてくれてたのに、なんでユニコーンは疑うの!」

「信じているとは一言も言っていない。僕にはあの時、何が起きたかなんて分からなかったからな。ただお前が演奏しているようにしか見えなかった。そもそも精霊がいるからといってユニコーンがいて良い理由にはならないだろう。一緒くたにするな」

「似たようなものだよ、自然の精霊か動物を模した精霊かって違いだけだもの」

「違う。あんたの理屈じゃそうかもしれないが僕の見解じゃ違う」

「ヘゼルの強情!」

「うるさい!」


 段々と高ぶってきた声を沈めるようにヘゼルは一息付いた。わざとらしく咳払いしてから、彼は平静を装って続ける。


「仮にそいつがこの世のどこかにいたとしよう。だが会ったところで、たかだか人間に力を貸してくれる筈がないだろう」

「きちんと礼節に則って頼めば協力してくれるよ」

「それこそ馬鹿を言うな」


 声を張ってヘゼルは言い返す。


「ウルズの民でもないのに、精霊をぎょせる訳がないだろう!」


 彼の一言で、場に一瞬の沈黙が訪れる。

 虚を突かれヘゼルは何事かと顔を上げた。


「言ったね」


 目の前には、ナシカの顔があった。

 真顔になった彼女の真っ直ぐすぎる眼差しに耐えきれず、思わずヘゼルは視線を逸らす。


 と、その隙をついてナシカはひらりと船の舳先へさきに飛び乗った。


 制止する間もなかった。

 だがあまりに軽やかなその身のこなしは、仮に暇があったとしても、止めることなど出来ずに手をすり抜けてしまったことだろう。

 舳先に立ち、ナシカは携えていた横笛を構える。唇を寄せれば、流れ出てくるのは軽快なメロディだ。


 海風を受け、笛は風の中へ解き放たれたように滔々とうとうと歌う。

 そして、同時。


「……まさか」


 何が起こっているのか、森では彼女の意図を感じ取れなかったヘゼルにも、今回は嫌でも分かった。

 目に見えて、いや、肌を切る風の早さから、船の速度が明らかにいや増していることが感じられたからだ。船が切り裂く波の飛沫は白く立ち上り、驚く間にもぐんぐん速度を上げている。


 海の精霊たちに、ナシカが命じたのだ。

 船をより早く、より疾く、対岸まで運んで欲しいと。


「嘘だろう……」


 呆然と、無意識のうちにヘゼルは呟いた。

 村から出た時、森を抜けるとき、そして自身に掛けられた呪いを軽減してもらう時。ヘゼルがこれまでに体感した音楽術は、いずれも人間に影響を与えるか、少しばかり自然界に関与することができる程度のものだ。

 だが今ナシカの起こした事象は、到底人が及ぼすことの出来る力の範囲を超えていた。


「言ったでしょう。精霊はいるんだから。歩み寄ろうと願えば、人間とだって手を取ることができるのだもの」


 ナシカは身軽にとんと元いた場所へ降り、そう勝ち誇ったように告げるが。ふと、視線を宙に彷徨わせたかと思うと、そのまま力なくへなへなとその場に崩れ落ちた。


「ナシカ!」


 声を挙げ、ティールが立ち上がる。が、その前に背後で大きな音を立ててドアが開き、思わず彼らは振り返った。

 立っていたのは、それまで船内にいたヒルドである。彼女は据わった目で彼らをひと睨みすると、ティールとロタに詰め寄り、流れるような仕草で二人の胸ぐらを掴みあげた。


「ナシカをたきつけたのはどこのバカだ」

「違う違う! 俺たちじゃない!!」

「お姉様! 濡れ衣!!」


 ヒルドの手から逃れようともがきながら、ティールは必死に言い募る。


「ヘゼルだよ。聞こえてただろう、二人で言い合いをしてて、その成り行きだ」

「ヘゼルが?」


 彼女はぱっと手を離した。解放された二人もまたその場にへたり込むが、構わずヒルドはナシカの元へ向かう。

 手早くナシカを抱きかかえ、ヒルドは彼女の身体を壁にもたれかけさせた。


「お前も呪いを受けた身なら、その手の知識は多少なりともあるだろう。

 大きな力には代償が要る。音楽術だって扱う事象が壮大であればあるほど、相応の反動が術者に跳ね返るんだ。この世のどこかには見返りなしの力だってあるかもしれんが、私は知らん」


 ヒルドは努めて穏やかな口調でヘゼルへ告げる。


「お前の気持ちが分かるとは言わない。お前の不遇はこちらが想像するより確かに余りあるのだろう。

 けれどこの子の心情も少しは察してくれ」

「大丈夫!」


 ヒルドの言葉に被せるようにして言ったのは、ナシカだ。彼女は重いまぶたをこじ開けながら、いつものように微笑む。


「私は。大丈夫だってこと、伝えたかっただけ、だから」


 彼は何も答えない。何と答えればよいのか、ナシカが再び気怠げに目を閉じてもついぞ言葉を見つけることができず、じっとヘゼルは自分の拳を握りしめた。

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