「高名な音楽術師と見込んでお願い」

 ナシカの術で加速した船は、当初の予定よりかなり早く対岸に到着していた。

 あれから丸一日。翌日の昼には微かに半島の影が見え始め、日の傾き始めた頃合いには船着き場が肉眼で見えるところまで進んでいた。ジェールズを発ったのが一昨日の午後だから、実に二日程で海を渡り終えたことになる。


 彼らが船を停め終えたのは、まもなく日が沈むという時間帯だった。

 彼らから見て右手側にある水平線が空と同じ橙色に染まり、黄金色のさざ波が水面に揺らぐ。反対側の空は早くも群青に沈み、眩いばかりの黄昏はまもなく夜の帳を下ろそうとしていた。


 久々の大地を踏みしめた彼らは、休む間もなく野営の支度を始めていた。近くに町もあったが、どうやら翌日に何か行事があるらしく、既に宿は一杯になっていたのだ。

 仕方なく彼らは町のほど近くを野営地に定め、日の沈みきる前にと忙しなく動き回っていた。


「いつまでそうしてる気だよ」

「……何のことだ」


 怪訝に手を止め、ヘゼルは後ろを振り返った。

 ヘゼルと共にまきを拾い集めていたティールは、その手を止めぬまま何食わぬ顔で続ける。


「お前、あの一件以来、ナシカとろくに口を利いてないだろ」


 率直に言われ、思わずヘゼルは口ごもった。一瞬、硬直してしまった後で、慌ててヘゼルは取り繕うように答える。


「別に。単に話す機会がないだけだ。これといって用事がないなら取り立てて話す必要はないだろう」

「お前がナシカとあまり話さなかったところで、それはお前の勝手だけどな。せめて一回、正面から会話をしろよ。あれでナシカは相当気にしてる」

「……ナシカが何を気にする必要があるんだ。そもそも僕たちは別に喧嘩なんてしていない」


 ティールは大きくため息をつき、薪をまとめて小脇に抱え直した。


「あのなぁ。だったらその不自然にぎこちない態度をやめろよ。

 お前らが会話しようがしまいが、それが普段通りだったら俺だって何も言いやしない。傍目で見て明らかにぎくしゃくしてるから言ってんだろうが、分かれよそんぐらい」

 ぐうの音も出ずに、今度こそヘゼルは黙り込んだ。

 これまでもヘゼルとナシカの会話は決して多い方ではなかった。彼の言うように、必要がなければあまり話すことはない。だが、雑談の一つもしなかった仲ではないのだ。

 今は何か話しかけられても、気の抜けたような音を申し訳程度に漏らすのみで、会話の数は必要以下だった。


「だって、謝るのは違う。けど謝られるのだって違うだろう」

「普通に話せ、普通に。一回そうすりゃ、それだけで元通りだ」


 ヘゼルの手に持った薪も一緒に回収しながら、ティールはざっくばらんに答えた。それができたら苦労しない、と心の中でヘゼルは毒づき、空いた手でヘゼルは再び薪を集め始める。


 その時、近くの木陰から物音がして思わず二人は身を固めた。

 木の影から姿を現したのは、彼らとそう年の変わらない一人の青年である。短い茶髪に、ティール程ではないがすらりと伸びた背。この近くから来たのか、何も荷物は持たず手ぶらである。


「あぁ、すみません。見慣れない船が停まっていたものですから、ちょっと様子を見に」


 二人からの探るような視線に気付き、先に声を上げたのは彼の方だった。こちらへの敵意は特に感じられず、いつかのように手に武器を持っていることもない。まじまじと観察しても、特に警戒するような要素はなかった。

 旅に出てから災難続きだったのでつい身構えてしまったが、どうやら彼は通りがかりの町人らしい。二人は拍子抜けするが、続く彼の言葉に目を見張った。


「ぶしつけにすみません。お尋ねしますが、もしや皆さんは音楽術師の方ですか?」


 ヘゼルとティールは顔を見合わせた。また少し用心しながら、代表してティールが答える。


「全員って訳じゃないが、そうだけど。どうしてだよ?」

「海が、ざわついていましたので」


 視線を海原に向け、彼は遠くを眺めるような目つきになる。


「以前、音楽術師の方が俺たちの町に来たとき、同じように海がざわついていたんです。だから、ひょっとしたらと思って。

 先ほど、町で女性たちが宿を探しているのを目にしました。それで、もしやと思って後を付けてきたんです。彼女も音楽術師なのですか」


 彼が言うのは、ナシカとヒルドのことだろう。男性陣が荷下ろしや手続きを済ます間、二人は先に宿を得るため町へ向かってもらったのだ。結果として寝床の確保は不首尾に終わってしまったのだが。

 彼の質問には直接答えず、ヘゼルが問う。


「後を付けた、とは穏やかじゃないが。何か音楽術師に用事でもあるのか」

「音楽術師にと言うと仰々しいですが。ウィエルの方と見込んで、彼女にお願いしたいことがあるのです」


 青年は二人に向き直り、勢い良く頭を下げる。


「お願いです。彼女に、俺達の祭りの楽劇に出てもらえませんか?」




+++++




 基本的に、音楽術師はウィエルにしか居ない。稀に村の外で活躍する者もいなくはなかったが、例外なく村の出身である。そしてウィエルの音楽術師の評判は、何も村の近郊だけに留まらなかった。客が殺到するというほどではないが、音楽術の優しい癒やしの技術は、一定の層から常に支持をされていたのだ。


 そして音楽術師と同様に有名なのが、療養にやってきた客を楽しませるために催す音楽や演劇などの舞台である。

 ウィエルは癒やしと共に、芸能に秀でた村であったのだ。実際、街で活躍する有名な奏者や役者、踊り子には、ウィエルの出身者も時たま混じっていた。

 そして、そういった芸に秀でた者は、近郊の町や楽団・劇団などから、舞台に駆りだされることがままあるのだった。


「俺の町では毎年祭りの時に、万物の神オーディンに奉納する楽劇を演じます。今年の祭りは明日行われることになっているのですが、演者の一人が急病で舞台に立てない状態なのです」


 ラギと名乗った町の青年は、全員が揃った後に改めて状況を説明していた。

 彼の目当てはナシカだ。音楽術師かつ女性、というところで、ラギから目をつけられたらしい。欠員となった役者がまさしくナシカと同年代の少女であったようだ。

 宿が一杯になっていたのも、どうやら祭りの開催期間に当たっていたことが原因のようだった。


「欠員になった役は、舞台を成立させる為に外せない役。その上、ただ台詞を読み上げればいいものではなく、舞台上で実際に笛を演奏しなければならないのです。

 俺の町にはもう代役が出来るような奴はいません。影で誰かが代わりに演奏しようにも、その役すら立てられない状況なのです。

 あなたを高名な音楽術師と見込んでお願いです。どうか、舞台に出ては頂けないでしょうか。勿論お礼は致しますし、今夜の宿も確保します。

 無理を言っているのは承知ですが、どうかお願いします」


 ラギはまっすぐにナシカを見つめ、自分よりも年下の彼女へ深々と頭を下げた。

 隣に座っていたティールが腕を組んですっくと立ち上がる。


「ナシカを見つけた審美眼は褒めてやる。だけどあいにくと、俺たちは急ぎの旅路でな。のんびり楽劇に出ている暇は」

「別にいいよ?」


 ティールの台詞を遮り、あっけらかんとナシカが言った。

 間の抜けた表情で彼はナシカを振り返る。


「……は?」

「私、楽劇に出るよ」


 きっぱり言って、ナシカはラギへ微笑む。


「お祭りは明日なんでしょう? だったらそこまで時間を取られるわけじゃないもの。困ってるみたいだし、私で良ければ力になるよ。

 それに船旅で皆も疲れてるだろうから、町で一日ゆっくり休んだ方がいいと思うの。お言葉に甘えて、宿に泊まらせてもらっていいかな」

「本当ですか?」


 ラギは顔を上げて目を輝かせた。


「うん! でも、付け焼き刃だから上手くは出来ないかもしれないけど……」

「構いません! 出て頂けるだけで十分です」


 ラギは感極まったようにナシカの手を取りかけるが、ティールが素早く間に入りそれを阻止する。


「待て。色々待て。保護者の俺を差し置いて勝手に話を進めるんじゃあない」


 ティールはラギを自分の背で遮りながら、ナシカに詰め寄った。


「ほいほい安請け合いするなよ! どうしてこんな無茶な依頼を引き受けようとするんだ!」

「出来ないことだったら引き受けないよ。これぐらいならたまにあるでしょ。ティールだってよく隣町の奏者を引き受けてるじゃない」

「それは、そう……だけど、あれは前もって言われてるだろ! あと一日しか時間がないのにどうするつもりなんだ!」

「一日、時間があるだけマシでしょ。一日の稽古で到底追いつかない舞台だったらラギだって頼まないと思うし。前、開演二時間前に代役頼まれてやったことあったし」

「そう! だけど! ……あれは、付き合いとか色々関係があってのことだし。ここで舞台に出てもあまり利はないというか、ただお前が大変なだけで」

「お礼はしてくれるって言ってるし、いいじゃない。それに私が稽古してる間に皆はゆっくりできるから、一石二鳥だよー」

「お・ま・え・は! 全然休まらないだろうが!」

「私は別に大丈夫だよー、別に何もしてないし」

「してるの! 充分もって思いっきりやってるしやらかしてるの!」


 二人の言い合いを遮るようにして、ぼそりとヒルドが呟く。


「……ナシカの言うことも一理ある」


 静かな彼女の声に、二人も口を閉ざしてヒルドを見つめた。


「慣れない船旅で、全員疲れが溜まっているだろう。休んでおかねば今後の旅に差し障るかもしれないしな。舞台の翌日もこの町に一泊して、ちゃんとナシカも休むと約束するなら、私は止めない。

 幸いにして一日、旅程は縮まっている。そこまで遅れを危惧するほどではないだろう。目的地の一つはもう数日で着くことだしな。一秒二秒を争う旅路ではない」


 顔をしかめてティールは苦々しげに言う。


「ヒルドはいつもナシカの言うことばっかり賛成するよな」

「私は冷静に考えた結果を言っているだけだ。もし祭りが一週間後だったら流石に反対する。その場合でもナシカが出ると主張したなら引きずってでも連れて行くさ。

 それに分かってるだろう。こうなったナシカは頑として動かない。諦めろ」


 しばらくティールはじっとヒルドを見つめていたが、やがてヒルドからもナシカからも目を逸らして、少し離れた場所に座り込んだ。


「……俺は知らないからな」


 頬杖を付き、ティールはふてくされたようにそっぽを向く。

 ナシカは何か物言いたげにしていたが、しかし困ったように微笑んで、黙ってその言葉を飲み込んだ。

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