「お前が遅いんだよ」

 翌朝、ヘゼルの目覚めはすこぶる快調だった。

 彼らはラギから用意された小綺麗な宿にて、祭り当日の朝を迎えていた。新鮮な食材での朝食を済ませ、今はゆっくり部屋でくつろいでいるところだ。


 存外に晴れやかな気持ちを抱いている自分に、ヘゼルは少し意外に思う。だが考えてみればウィエルを出て以来、久々のベッドだ。自覚はしていなくとも、それなりに疲れが溜まっていたらしい。ヘゼルはナシカの計らいへ、胸中で密かに感謝する。

 それを口に出せないのは、彼自身がナシカとまだ和解しきれていないという理由もあったが、何より同室の男がこの上なく不機嫌だったからだ。


「気に食わねぇ……」


 ティールは部屋の窓から顔を出し、窓の縁に肘をつきながら吐き捨てた。

 視線の先にあるのは、町の中心部にある広場である。夕方に楽劇が開催される会場だ。


 ナシカは朝一でラギに伴われ、稽古のために宿を出た。衣装等の支度を手伝いたいとの理由から、ヒルドも一緒に着いて行ったらしい。

 特に役割のない残った男三人は、宿に残って手持ち無沙汰にしていた。

 だが寛ぐとは程遠い形相の彼が居るために、身体は元気を取り戻したものの、ヘゼルは今ひとつ心が休まらずにいる。


「……機嫌が悪そうだな」

「当たり前だ」


 今にも噛みつきそうな口調でティールは言う。


「ああ、気にくわない気にくわない気にくわない……」

「お前、半日前は僕に説教してなかったか」

「うるせぇ、それとこれとは話が別だ!」


 ばっと振り返ると、ティールは堰を切ったようにまくしたてた。


「あのラギの野郎、ナシカをつけてたって時点で気に食わなかったが、協力すると分かった途端に馴れ馴れしくしやがって。そもそもどうして村の一大事に、他の町の助っ人をやらないといけないんだよ。

 ナシカもナシカだ、どうしてあんな奴に協力するんだ! お人好しにも程がある!」


 拳を握りしめ、今にもそれをテーブルに叩きつけそうな勢いでティールは言う。

 彼の剣幕に、ヘゼルは何と言葉を掛けたものか悩んで口を閉ざした。

 と、それを見計らったように突然、部屋の扉が開く。

 入ってきたのは、隣の部屋にいた筈のロタだ。


「ようティールくん。ナシカちゃんがいなくて絶不調みてーだな」

「余計なお世話だ」


 ティールは目一杯ロタを睨みつける。だが彼は臆することなく、ティールの隣まで歩み寄った。


「そうやってふてくされてんのは勝手だけどな。ナシカちゃんを責めるっつーのはお門違いだぜ。お前だって分かってんだろう? ナシカちゃんの性格」

「たった数日、一緒にいただけのお前に、何が分かる」

「だからこそ、だ」


 彼は不意に真面目な顔つきになって、低い声で続ける。


「あまり深入りしてないからこそ見えるって事もあるんだよ。

 俺は今まで色んな種類の人間を見てきた。それこそお前等よりも、な。まあ、大体がろくでもない連中ばかりだったが、それはともかく」


 ロタはぐしゃぐしゃと、ティールの頭をかき撫でた。まるで兄が弟にするような仕草だったが、その背丈は自分とほとんど変わらない。


「ナシカちゃんは、類稀たぐいまれに純粋無垢な子だぜ。そのくせ意外に頭も良い。こんな子がいるって事自体が俺にとっては驚きさ。突然現れた人間の頼みをほいほい訊いてやる程、普通の人間はお安くない。

 ナシカちゃんがあそこで承諾したのは、俺等を一日休ませたいだとか、ラギが可哀相だとか、そういう考えもあったのかもしれない。

 だけどな、それはあくまで補足で、本心は違ったんじゃねーかな」


 顔をしかめたままのティールを覗き込みながら、ロタはにやりと笑う。


「ナシカちゃんは純粋に助けたいだけなんだよ。お前らがウィエルを救いたいって思ってるのと同じようにな」

「見ず知らずの奴と自分の村が同じだって言うのか!?」

「そういう訳じゃない。勿論、自分の身内に対しては一層甘くもなるだろうよ。

 けど、ナシカちゃんは無意識のうちにみんなをみんな、救いたいと思ってるんだ。それが彼女の本質。……だろう?」


 穏やかな口調でロタは告げた。毒気を抜かれたティールははっとしたようにロタを見つめる。


「馬鹿なくらいお人好しが過ぎても、それがお前の好きなナシカちゃんだろう。だったら、お前がついてなくてどうする。

 ちゃんと祭りには行ってやれよ。ナシカちゃんが心の底で一番楽劇を見て欲しいと思っているのは、お前だと思うぜ?」


 言い残して、ロタはひらりと手を振ると、何かを考えこんだ様子のティールはそのままに、きびすを返して部屋の外に出た。

 扉を閉め、そこから立ち去ろうとした折に、すぐ近くから声がかかる。


「意外だな。お前がそういう事をするとは思ってなかった」


 いつの間にか部屋の外に出ていたヘゼルが、廊下の壁に寄りかかってロタを見上げていた。

 ロタはちらりとヘゼルを一瞥する。


「どういう意味だい、ヘゼルくん」

「お前はあまり、他人のあれこれに深入りするようなたちに見えなかったからな」


 ははあ、と納得したように頷いて、ロタは目を細めた。


「俺の判断基準は、『面白い』か『面白くない』かだ。

 俺は基本、いつだって面白いと思った事に加担する。お前らに着いて来たのだってそうだ。

 けどな。ティールくんが強情張ってナシカちゃんとこじれるのは、このメンバーの誰からしても面白くねーでしょうよ」

「……なるほどな」


 指揮者のように軽快に指を振り、ロタは人の悪い笑みを浮かべながら、ついでに付け加える。


「もっとも同じ理由で、どう転んでも面白そうだからお前の事は放っておいてるんだけどな」

「……いい性格をしてやがるな」

「お褒めの言葉どうも」


 からからと笑い、ロタはヘゼルの前を通り過ぎた。自分の部屋も通り過ぎたところを見ると、どうやら彼も外に出掛けるらしい。


「そもそもヘゼルくんは、俺の言葉ぐらいで気持ちが変わるタマじゃないだろうよ。だったらとっくにどうにかなってらぁ」


 ヘゼルはロタの言葉には答えず、黙って部屋に戻る。

 ロタもまた、振り返ることも返事を待つこともなく、そのまま宿を後にした。

 ヘゼルが部屋に戻ると、ティールはせわしなく荷物の整理をしているところだった。

 今夜も同じ部屋に泊まるのに何を、とヘゼルが訝しんでいると、彼が戻ったのに気付いたティールが振り向いた。


「ヘゼル、支度しろ。出かけるぞ」

「どこへだ?」

「決まってるだろ。祭りだ。まだ楽劇は先だけど、せっかくだから他のところも見て回ろうぜ」

「……切り替えが早いな」

「お前が遅いんだよ」


 平然とティールは答える。まるで最初から何事もなかったかのような素振りだ。

 ヘゼルは心の中で首を振りながら、やれやれとため息をついた。

 けれどもその一方。

 多少はティールのことを見習えればいいのにと、絶対に口には出さないと誓いつつも、ひっそりと思うヘゼルだった。




 +++++




 ティールとヘゼルが祭りを見て回り、夕方に広場へ着いた時には、既に随分と人が集まっていた。

 広場をぐるりと取り囲んで、いくつもの柱が円状に立ち並び、柱と柱の間には細めの綱が渡してある。綱には外と中とを隔絶するように鮮やかな糸で織り込まれた布が下げられ、地面まで垂れ下がっていた。綱には布の他に等間隔でランプもつり下げられ、既に淡い光を放っている。


 二人は人が出入りできるよう布が巻き上げられた所をくぐり、広場の内部に入った。

 布で囲われた広場の内側には、やはりぐるりと円を描いて布の壁沿いに屋台が建ち並んでいる。食べ物が主だが、装飾品や、魔よけのお守りを売っている店、占いの類も軒を連ねている。二人が昼間に見回った町中にも屋台は建ち並んでいたが、広場が一番の賑わいをみせているようだった。


 そして広場でひときわ存在感を放っているのが、北側に設えられた舞台である。木でこしらえた舞台は、造りこそ素朴ながら大がかりなもので、舞台だけ見れば緞帳どんちょうがないこと以外、街の大劇場と比べて遜色ない。がらんどうの壇上には蝋燭の炎の影が妖しげに揺らめき、始まる前から既に物々しい空気を纏っていた。

 舞台のすぐ両隣には屋台はなく、代わりに地面へ布が引かれ、いくつかの楽器が並んでいる。楽隊の演奏に使用するのだろう。


「すっげぇ。結構、大規模なんだな。手が込んでる」

「ウィエルでも舞台は多いんだろう?」

「多い。だからうちには元から常設の舞台があるんだ。舞台は一夜限りだってのに、この気合いはなかなかだろ」


 まじまじと舞台を眺めながら、感嘆混じりにティールは言った。午前までの機嫌悪さはどこへやら、今や彼は純粋に舞台を楽しみにしているようであった。ティールの様子を見て、ヘゼルも密かに期待を高まらせる。

 広場内の北半分は、舞台の方を向いて木の長椅子が用意されていた。既に大半が人で埋まっている。開いている席を探して二人が目を配らせると、最前列にしっかりと席を確保したヒルドとロタを発見した。

 人混みをかき分けて二人の元に歩み寄ると、ヘゼル達の姿を認めるたヒルドは「今までどこにいたんだ」と軽くため息をつく。


「こいつと二人で疲れたぞ、私は」

「ひでぇの、ねえさんってばー」


 軽口を叩きながらさりげなくロタはヒルドの頭に巻き付けた布へ手を伸ばす。が、すかさず彼女の肘が風を切り、ロタの顔面に直撃した。

 既に手慣れた彼女のあしらい方に、二人が来る前にも散々似たような応酬が繰り広げられたに違いないことを窺わせる。


「いいじゃないか。仲良くなったようで」

「よくない」


 渋面でヒルドはヘゼルを睨む。


「それより、手に入れておいたぞ。ここは人が多い。はめておけ」


 ヒルドがヘゼルに投げてよこしたのは、灰色をした薄手の手袋だった。思わず自分の手へ視線を落とせば、数日前に手の平にまで浸食した禍々しい刺青が目に入る。服の裾からちらりと見える手は傍目に目立つ訳ではなかったが、万一見咎めた者から好奇の視線を受けるのも厄介である。隠しておくのが無難だろう。ヘゼルはヒルドの気遣いに感謝し、礼を言った。


「そういえば、ナシカは間に合ったのか。一日あったとはいえ、急ごしらえだろう」

「問題ない。本人も言っていただろう。筋書きも演奏も、昼の時点で概ね形になっていたよ」


 ヒルドの言葉に満足気に頷き、ティールは腕を組んで少しばかり自慢そうに語る。


「ウィエルは療養地ってことばっかり有名だけど、元を辿れば本来は芸能の村なんだぜ。

 どんな奴も、大体は何かしらその手の特技を持ってるんだ。

 俺は音楽術師ってことでそのまんま楽器。ナシカは勿論、音楽も凄いけど、あいつは村でも有数の役者なんだ。例えどんな長い台詞でも、一日あれば覚えるのくらい訳ないさ。舞台に立てばまるで別人だ。

 ラギの奴、出てくれるだけで良いなんて言ってたけど、それどころじゃないだろうぜ。むしろ有能な役者を確保できて万々歳だろうよ」


 ヘゼルは意外そうな表情で聞き返す。


「ナシカが、か? 演技とはほど遠い人間に見えたが」

「普段は素直すぎる程、そのまんま素で生きてるけどな。あれは非日常な舞台で化けるタイプだ。お前だって、ナシカの音楽術ならこれまで何度か見てきただろ」


 ティールの指摘にヘゼルは口を噤む。確かに彼女の演奏と音楽術とに、彼としても思うところは多々あったのだ。


「なぁなぁティールくん。村人が何かしら特技をもってるってことは、ヒルドねーさんは?」


 横からロタが喜々として割り込んだ。彼の問いに、ティールはにやりと笑って答える。


「こう見えて、ヒルドは男連中が目を釘付けにする程の踊り手なんだぜ。だから普段はあんなに重装備なんだ」

「くだらないことを言うな」


 すかさずヒルドは、流れるようにロタとティールをばしりと叩く。

 ヘゼルは今の会話に加わらなかったことに心底安堵した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る