「こいつは僥倖、っと」
背に乗った二人ごと馬が突っ込んだのは、港の外れにある小屋だった。潮風でだいぶ痛んでいた木製の壁を突き破ると、その衝撃でヘゼルとティールは馬の背から転がり落ちる。
「なっさけないなー、しゃんとしろよ坊主ども」
「あのな……」
文句を言う気にもなれず、ヘゼルは隣で埋もれていたティールを助け起こすと、自分たちもようやく立ち上がった。
青年は腰に手を当て、険しい表情で後ろを振り向く。
「思ったより、追手が早ぇな」
海賊の姿は目視できない。街中をじぐざぐに駆け巡って来たため、当初よりだいぶ距離は離している。しかし段々と迫ってくる喧騒の気配に、そう遠くない場所まで海賊が迫って来ていることは分かった。
周囲は開けており、他に目立った建物がない。小さな帆船が停泊している他には、半壊したこの小屋以外に身を隠せるような場所はなかった。海賊が現在ヘゼル達の姿を見失っているとはいえ、早く遠くへ逃げなくては見つかるのは時間の問題だろう。
どちらへ逃げるのが都合がいいか、辺りを見回していると。勢いよくドアが開き、一人の娘が小屋の中に飛び込んできた。
「何事ですか!? 凄い音がしたけど、これをやったのはあなたたち!?」
おそらく小屋の持ち主が音を聞きつけてやって来たのだろう。ヘゼルとティールはばつが悪そうに目を反らし、非難がましく青年をじとりと見つめた。彼らの視線には構わず、青年は娘の方へ進み出る。
「ちょうど良かった。お嬢さん、こいつは君の船かい?」
青年は親指で窓の外にある船を差した。怪訝な顔で娘は頷く。
「確かにうちの船ですけど……もしかして、あなた」
皆まで言わないうちに青年は娘の唇に人差し指を当てて黙らせた。いつのまにか後ろの壁に手を付き、娘を挟み込むような体制になった青年は、彼女の耳元で囁く。
「悪いなお嬢さん。俺達は訳あって追われているんだ。ちょーっとあの船を貸しちゃくれないかい?」
そしてもう一方の手で彼は静かに娘の手を握った。動揺した様子で、娘は上ずった声をあげる。
「は、はい……あの、行き先は」
「対岸のスカディ半島。港は任せるよ。準備をお願いできるかな、大至急だ」
娘はこくこくと熱に浮かされたように首を縦に振ると、言われるがままに表へ出た。
満足げに娘を見送る青年に、真顔でヘゼルは一部始終の感想を述べる。
「酷いたらしこみようだな」
「何を言ってんだ、これは正当な取引だろ」
にたりと笑う青年に、何故か動揺したティールがたじろいだ。作業する娘の姿を見守りながら、青年は気楽然として二人に告げる。
「さあて。これで逃走経路は確保できた。この様子じゃすぐに出航できるだろ、早く乗れよ」
「なんで俺たちまであんたに付き合って逃げなきゃならないんだよ」
ティールの苦言に、青年はきょとんとして振り返る。
「お前ら、顔を覚えられてるだろ。ましてその出で立ちだ。田舎者まるだしの様で知らない街をうろついて、逃げ切れるとでも思ってるのかよ。捕まりたいのか? 身ぐるみ剥がれるぐらいならいい方だ。下手すりゃ坊主らが俺の代わりに売られるぜ」
ぐ、とティールは言葉を詰まらせた。青年の言うことはもっともである。青年と別れたとして、地の利がない彼らが逃げ切れる見込みは薄い。まして相手が海賊なら、対岸に渡ろうにも港は見張られているだろう。ここで旅路が
「でも、俺達には連れが居るんだ。勝手に行くわけにはいかない」
青年は、ありゃ、と呟くが、事もなげに手をひらひらと振った。
「待っててあげてーのは山々だが、そう悠長なこたあ言ってられない。こうなったのも運命だ、仕方ないさ。目的地が同じなら対岸で落ち合えるだろ。その方がお連れさんの身も安全ってもんだぜ?」
「確かに、俺たちの目的地も対岸だけどなぁ」
踏ん切りがつかず、ティールが言葉を濁して考えあぐねている時。
「ティールーっ! ヘゼルーっ! だいじょーぶ?」
場違いに明るい、暢気な高い声が聞こえた。崩れた壁の向こうから、ひょこりとナシカが顔を出す。ほっとしたようにティールは表情を緩めた。
「大丈夫? 怪我してない? 捕まってない?」
「ああ、大丈夫だ。けどここは崩れてて危ないから、ナシカは外で」
中に入ってこようとするナシカを留め、ティールが外に出ようとした矢先。突然、ナシカは宙に浮いた。
「こいつは
いつの間にか外に出ていた青年がナシカをひょいと抱き上げ、そのまま颯爽と船に乗りこむ。状況がよく呑み込めないまま、しかしナシカは大人しく船に降り立った。
「これで全部解決、だな。置いてくぞ、お前等!」
「あんの野郎……一発殴る……」
ティールは青年の後に続き船に飛び乗る。
ヘゼルも後を追い小屋の外に出ると、腕組みして不機嫌そうに佇むヒルドの姿が目に入った。一瞬、口を引くつかせてから、ヘゼルは彼女と目線を合わさぬまま手短に言う。
「ヒルド……あとで状況は説明する。ひとまず船に乗ってくれ」
「……これから先、お前等はずっと荷物持ちだ」
低い声で呟いて、ヒルドも船に乗る。
全員が乗り込んだのを合図に、準備を完了させた娘の手により船を繋ぎ止めていた縄が解かれ、ゆっくりと陸から離れる。
追い風の本日、船はすこぶる順調に滑り出し、あっという間に陸は遠くなった。人の姿は豆粒ほどになり、やがて認識できないほどの大きさになる。追手が来ないのをみると、どうやら海賊には気づかれていないようだ。
陸からは声が届かない距離まで来てから、青年は大きく伸びをした。
「じゃっあなー、哀れな強欲者よ! 俺様自っ由だー!」
青年は大きく手を振りながら、爽やかに叫んだ。鳥の鳴き声と共に、彼らは海賊達とジェールズに別れを告げる。
今、彼らを乗せた舟は出航した。
+++++
「私は乗船券を取ってくれとは言ったが、船そのものを強奪しろとは言っていない」
「ごめんなさい」
ヒルドの静かな
二人は甲板にて正座しながら、無表情で彼らを見下ろすヒルドと対峙している。
これまでの経緯を説明したいのは山々だったのだが、彼女の剣幕に臆してなかなか本題を切りだせない。顔を上げるのも
しばらく無言のままそうしていた二人だったが、ヒルドの咳払いにびくりを身をすくめ、ティールに小突かれたヘゼルが渋々口火を切った。
「そういえば、ヒルド達はよく僕たちの居場所が分かったな」
「街中で派手に逃げ回っている貴様らの姿を見たからな。遠回りで惑わされた海賊と違い、貴様らの気配を辿って一直線で来たんだから当たり前だ」
彼女の説明には心なしか刺がある。別の話から入り場の空気を少しでも和らげようとしたのだが、その試みは失敗したようだった。
「まあまあ、そう堅いこと言いなさんなよ、お姉様。しょーがなかったんだからさー」
ひらひらと手を振り、空気にそぐわない暢気な声音で青年が言った。鋭い眼差しを今度は彼に向けて、ヒルドは不信感をたっぷり滲ませた口調で吐き捨てる。
「そして何か余分な奴が増えている気がするのは私の思い過ごしか?」
「余分とは酷いなー、お姉様ったら」
「その呼び方を止めろ、
実際ヒルドは腕をさすりながら二、三歩後ずさった。青年はわざとらしく傷心したように腕を広げてみせる。
「俺様、哀しいなー。折角、麗しいお姉様とお近づきになれるかと思ったのに、その言いよう!」
「御託は言いからもう黙れ。そしていい加減ナシカを放せこの変態男!」
甲板に降ろした後もさりげなくナシカの肩を抱いていた青年をヒルドは鬼気迫る勢いで引きはがした。
怒りの矛先が青年に向かったことで、幾分、険の削がれたヒルドへ、ヘゼル達は事の
「要するに、こいつが元凶か」
潮風に滑らかな金髪を遊ばせる彼は、傍目には美丈夫な青年であるが、話を聞く限りただの人物ではない。性格もそうだが、他にも気になる点が多すぎた。
ヒルドが尋ねる前に、今更のようにティールが声を挙げる。
「そうだ。お前、何だったんだ?
さっきの……あれ」
「俺様が女だったり、はたまた馬になったってことか?」
言いにくそうに尋ねた彼へ明言すると、青年は芝居がかった口調で続ける。
「見たまんま、さ。
俺様は自在に自分の姿を変えられるんだ。いわゆる世間で言うところの『変身』が出来るって訳よ」
ヒルドは眉間に皺を寄せる。先ほどの説明でも聞いたこととはいえ、にわかに信じられる話ではない。
「変身、……そんなことが」
「あーあー、非常識にも程があるぜ?」
言いながら青年は、右腕を前に突き出した。
初めは確かに人間の男の腕をしていたそれから、何十枚もの羽が次々に生えはじめ、やがて鳥の翼になる。初めてそれを見るヒルドとナシカは、目を見開き口元に手を当てた。
二人の反応を見て青年は自嘲気味に笑うと、腕を元の皮膚に戻した。
「だから俺様は『異形』として、あちこち売り飛ばされまくってたって寸法だ。今日も今日とてどこか遠くの国に送られようとしてるところを、坊主どもが通りかかったんで助けてもらったって訳」
既に三回、彼の変貌を目の当たりにしていていているヘゼルは、ふと思いついて尋ねる。
「何でも動物に変われるのなら、ネズミにでもなって檻の隙間から逃げればよかったんじゃないか」
「それができたら苦労しねーっての」
苦笑して青年は両手を広げた。
「馬ぐらいまでならなんとかなるが、あまりに自分の身体より大きい動物や小さすぎる動物にはなれない。牛や狼ならいけるけどな、猫や兎、ましてネズミなんかは到底無理だ。実際、そんな化けられる種類はねーのよ。
それから人間の姿も、生れたまんまのこの姿と、さっきの女の姿の二種類しか変われねーんだ。それが出来りゃ、海までわざわざ逃げたりしない。
とはいえ、既に滅んだはずの神々の魔法が意図せず使える俺様は、世にも奇ッ怪な異形には変わらねえからな。だから俺様は小さい時から貴重な商品として売られてきたんだ。
けど、それも今日でおさらばだ」
青年は、にやりと笑いながら四人を見回す。
「俺様、ロタ・グリーマ。これからよろしくな、特に女性陣」
ヒルドが恐ろしいものを見たような顔つきで聞き返す。
「待て。……どういう、意味だ?」
「そういう意味よー」
ロタはけたけたと声をたてて笑ってから、真顔になって告げる。
「俺はお前らに助けられたんだ。俺はお前らに着いていく。
大体忘れて貰っちゃ困るな、この船は俺が譲り受けたんだぜ? 快適な海の旅は、俺様の功績によって成し遂げられたって訳」
しゃあしゃあと言ってのけると、ついでのように彼は付け加える。
「それにお前らも、人手がいるだろう? 村を呪いから解放するための手伝い、謹んで付き合ってやろうじゃねーか」
虚を突かれたようにヒルドは口を開けた。どうやらヒルドがヘゼル達と向き合っている間に、ナシカから早々に旅の目的を聞き出していたらしい。
一つ、ため息を吐き出してから、ヒルドはナシカの肩に手を置いて言い聞かせる。
「ナシカ。知らない男と喋ってはいけない。まして自分の情報は安易に明かすな」
「人を誘拐犯みたいに言わないでお姉様! そろそろ俺様、傷つきそう!」
「似たようなものだろう」
「むしろ俺様、被害者だったんだけど!」
「たちの悪さは悪党のそれだ。どうやってこの船を手に入れたのか話してみろこのスケコマシ」
ばっさりと切り捨てたヒルドだが、例によってナシカが両手を組み合わせながら朗らかに言う。
「いいじゃない。人数が必要になる場面も出てくるだろうし、一緒になったのも何かの縁だよ。
これからよろしくね、ロタ」
「よろしくな、ナシカちゃん」
にっと笑ってロタはナシカの手を取る。途端、ヒルドの手刀により彼の手は叩き落された。
こうして彼らの旅路に、もう一人の人物が加わった。
ティールも交えて騒がしい応酬を続ける彼らを横目に、ヘゼルは甲板の手すりに肘を掛け水平線を眺める。
彼らが経ったジェールズの港は、もう見えない。これから足を踏み入れることとなる対岸もまた、まだ影すら見ることが敵わなかった。
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