◇ウルズの追憶:1


 闇。

 それが、自分を取り巻く状況の全てだった。


 決して比喩ではない。自分の周りには、闇しかなかった。

 闇を閉じ込めた四角い空間の中に、もう一つの四角い空間、表面のざらざらとした冷たい檻があり、その四角の中が自分の居場所だった。自分の身体よりも少しだけ大きい檻の中で、ただ体を縮こませながらじっと居るだけの毎日。


 何か食べ物を出されたら食べて。

 何か飲み物を出されたら飲んで。

 何か着る物を出されたら着替え。

 何か洗う物を出されたら洗って。

 何か命じられたらそれに応じて。

 何か問われたら一言だけ答えて。

 当分は何もないと言わたら眠る。


 それだけ。




 時折、誰かが何かの用がある時に、自分の居る場所の正面にある扉が開いて、光と呼ばれるらしいものが差し込むことはあったが、ただただ目に痛いだけで鬱陶しかった。


 似たような動作を繰り返し。

 似たような日時が過ぎ去り。

 特に変わることは何もない。


 一つ、違ってきたことといえば。自分が段々、大きくなっていることには気づいていたが、別にどうでもよかった。図体がでかくなれば、それだけ居場所が狭くなるので、むしろ厄介だ、と思った。一度だけ、自分の身体に比べあまりに狭くなった檻に見かねたのか、一回り大きな檻に移されたことがあったが、その時は少しだけ嬉しかった。


 ただ、それだけ。

 特に、どうということはなく。

 ただ、闇を食いつぶしていく。




 誰かが何かの為にやってくる時は、闇の中が少し揺れる。普段はずんとして耳に重い空気の中に、音と呼ばれるらしいものが生まれる。そうして振動を伴いながら、闇が揺れると、やがてあの忌々しい光と一緒に扉が開かれるのだ。


 ただ、とある日は、少しだけ勝手が違った。

 闇の中が少し揺れ、それと一緒に鼻がうずく。どうしてかは分からないけれども、嗅覚、と呼ばれるらしいものが、いつもより過敏に反応していた。普段だって、扉を開く誰かによっては匂いがするし、目の前の冷たい鉄からだって、自分の皮膚とは違う匂いがする。けれども、いつも感じる匂いの雰囲気とは、明らかに違う。部屋の匂いが、いっとう強くなっているようだった。


 少し、顔をしかめていると。目の前の扉が、きい、と音を立てて、静かに開いた。

 普段の、ばたり、という開け方とは、まったく違っていた。


「さあ」


 目の前に立つ人物は。

 背後から光が差し込んでなお薄暗いこの四角の中でも、そうと分かる白い腕を、自分に伸ばした。


「行こうか。ずっと、探していたよ。

 僕らで、全てをやり直そう」


 何を言っているのかは分からない。

 何を求められているのかは分からない。


 それでも、何故か。自分は、自分に差し向けられたその手を、取った。まるで、呪術にでもかけられているみたいだった。




 変わることのない闇の中で。

 変わることのない、自分が。


 何がどうなるのかは、その時、全く分からなかった、けれども。

 一つだけ確かなことがあった。




 彼の人が、自分にとって初めての光だった。

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