「目は、口よりも、雄弁だ」

 木漏れ日が差し込む長閑のどかな朝。

 引き続き森の中を進む彼らは、暫しの小休止を取っていた。近くで薬草を見つけたというヒルドと一緒にナシカは近くを散策に出ており、男二人は荷物番で、空を仰ぎながらぼんやりと座り込んでいる。


「これ、今どの辺にいるんだよ?」

「僕に聞くな地元民」


 ティールのぼやきはヘゼルに切り捨てられるが、彼は構わず続ける。


「多分まだ半分行ってないんだよな? どう思う?」

「ウィエルに来た時、僕は順当に街道を通ったからな。一言で言えば、知るか」

「三日、とは言ってたけどなぁ……。ちゃんとした道があるわけでもない、案内人がいる訳でもない。そりゃナシカは森に慣れちゃいるけど、それもウィエル近辺の話だぜ。そろそろ感覚で歩いてるんじゃないかと不安だ」

「……それは、僕もそう思う」


 ヘゼルは眉を寄せて頷いた。

 相変わらずナシカは慣れた足取りでヘゼル達を案内しているが、彼女の言う「大丈夫」の根拠を、どこまで信用したら良いものか計りかねていた。初日の道のりはまだしも、既に二日目。村から既にかなりの距離を来ている。

 音楽術師としては一人前のナシカとはいえ、まだ年端もいかぬ若者だ。いくら森に詳しくとも、普段こんな奥まではそうそう立ち入ることはないのではと薄々勘ぐっていたのだが、どうやら懸念は当たっていたようである。


「昨日のあれで、港への道のりも森に聞いたんじゃないのか?」

「そうだなぁ……そうだといいなぁ……」


 期待を込めてヘゼルは聞くが、ティールの解答は歯切れよくない。

 演奏を手伝ったとはいえ、声を聞くことが出来るのはナシカのような一握りの音楽術師のみ。声を聞いていないティールは、確証が持てないのだろう。


 一抹の不安を抱えながら黙り込んだ二人だが、やがてふと、ヘゼルは背筋にぞわりとした寒気を覚え、反射的に後ろを振り返る。

 辺りは相変わらず穏やかな森が広がるばかりで、小鳥や虫の密やかなさざめきが聞こえるばかりだ。しかし、まるで誰かに見られているような感覚がして、彼は肌を粟立たせる。


 次の瞬間。死角となっていた枝の影から、ヘゼルから目視できる位置の枝へと降り立った影があった。考えるよりも先に、ヘゼルは隣のティールに向かって叫ぶ。


「避けろ!」


 言うや否や、ヘゼルの見据えていた方角から一線を描きながら鋭利なナイフが飛んできた。

 直前の言葉かけがあってか、瞠目したティールもすんでの所で身をかわす。ナイフは二人のすぐ横をかすめ、後ろに生えていた木の樹皮に突き刺さった。


「冗談じゃねーぜ……」


 かすれた声でティールは呟いた。ヘゼルは警戒を募らせながら、ナイフを投げた人影を睨み付ける。


 木の上には、幹に手をつきじっとこちらを窺う一人の男の姿があった。一見すれば彼らと大差ない年にも見えるが、今一つ年の頃が掴みづらい青年だ。実は壮年なのだと言われても納得できたし、少年といっても差し障りないような気さえした。どこかで出会ったことがあるような気さえして、思わず彼は鳥肌を立てる。


 彼は灰色の髪に、同じく簡素な灰色の服を身につけていた。短い丈のズボンに素足であったが、さながら隠者のような佇まいである。

 異様なのは、彼が自分の目を覆うように細長い布を何重にも巻き付けていることだった。その所為で表情はほとんど窺い知れないが、僅かに見える口元は一直線に引き結ばれている。


「何なんだよ、お前……」

「…………」


 衝撃から少し立ち直ったティールが問いかけるが、反応はない。ヘゼルも低い声で告げる。


「ぶしつけに何の真似だ」

「…………」


 だがヘゼルの言葉も無視され、彼は沈黙で答えた。

 しばらくの間、張りつめた空気のまま時が流れる。ティールもヘゼルも言葉を発しない。発することができなかった。得体のしれない青年は、自分は何を言うでもなく、この沈黙を乱すことを許さぬ威圧感を二人に与えていた。

 ややあって、ようやく青年は口を開く。


「……何故、来た」


 彼は懐に手を伸ばす。ヘゼルとティールは口を引きつらせて身をすくめた。またナイフを投げるつもりだろうか。


 が、その時、最悪ともいえるタイミングで、戻ってきたのだろうナシカの声がした。肝を冷やし、二人は青ざめて振り返る。


「来るな!」


 ティールが叫ぶが、二人の思いとは裏腹にナシカは勢いよくこちらへ駆けてくる。

 彼は唇を噛みしめるが、しかし当のナシカは二人が思ってもみない言葉を口にした。


「ルディ!」


 彼女の声が響いた途端。

 ふっと緊張が緩む気配がしたかと思うと、青年は枝の上で座り込んだ。


「……ナシカ」

「久しぶりー!」


 ルディとナシカが呼んだ青年のすぐ下の地面まで駆け寄り、彼女は無邪気に手を振る。


「元気にしてた? 大丈夫? 昨日聞こえてたと思うけど、あと返事もくれたけど、予定変わってないかな。お願いして平気?」

「……ああ」


 ティールとヘゼルは目を見開いて事の成り行きを凝視した。


「知り合い……か?」

「らしい……な」


 二人は同時に、その場へ力なくへたり込んだ。ティールはこれまで何度ついたかしれない溜め息をつく。


「頼むからもうこれ以上俺に負担かけないでくれ……寿命が縮まる」

「全くだ。一体なんだよこの道中は。まるで呪われてるみたいだな」

「呪われてんだろ、実際に」

「あぁ。全力で僕も村もな」


 洒落にならない冗談を交わしながら、二人はまた同時に溜め息を吐き出したのだった。




+++++




「貧弱、……だな」


 急勾配の坂を、息を切らせて登るティールを見下ろし、淡々とルディは言い放った。彼はずっと先にある木の上で、腕を組みながら気怠そうに幹へ寄りかかっている。

 ティールは小声でぼそりと、うるせぇ野生児、と呟いた。


「無理なら、帰れ」

「うわあびっくりした! ごめんなさい!」


 かなり前方にいたはずのルディが、ティールの目前に枝から逆さにぶら下がる形で現れ、思わずティールはのけ反った。

 ルディは地面にはあまり降りず、木から木へ器用に飛び移りながら移動する。同じ速さで付いていくのは元より、見失わないようにするのも一苦労だった。目を塞いでいるというのに、何故こうも正確に危なげなく進めるのかと疑問は尽きないが、しかし彼らは置いて行かれないようにするのが精いっぱいである。


 ナシカの言っていた「大丈夫」の根拠は、どうやらこのルディだったらしい。ナシカは以前からルディと知り合い、たびたび彼と森で遊んでいたようだった。村を経つ前夜、ヘゼルの呪いを可視化させた時に使用した笛は、彼が作成してナシカにあげたものだということだ。これを聞いたティールが、違う意味で警戒心を覚えたのはまた別の話である。


 ルディはウィエルの森に独りで住んでおり、森に精通していた。森中の地理を把握しているという彼は、なるほど港まで安全に通り抜ける案内人に適任である。

 前夜、野営に適した場所を森に聞くのと同時に、ナシカは「声」を介してルディと連絡をとっていたらしかった。何故ルディもまた声を聞けるのかは気になったが、ヘゼルは当人のいる前で聞く気になれなかった。


 ともかく、そうしてナシカは彼に森の案内を依頼し、しかし基本的に人を寄せつけない性格であるところの彼はナシカがいない状態でヘゼル達に遭遇して威嚇し、だが無事に誤解は解け、現在に至る。らしかった。


 らしい、というのは、これらナシカの説明に対し、否定も肯定も補足もまったくルディが行わないからだった。寡黙な彼は、ナシカ相手でもほとんど言葉を発しない。彼女はまったく意に介してはいないが、出会い頭にナイフを投げつけられたヘゼルとティールからしてみれば、やりにくいことこの上なかった。

 先程の邂逅から二人は言わずもがなルディに好印象を抱いていない。それはヒルドも同じようで、出発までには少々押し問答があった。

しかし最終的には半ばナシカに押し切られるようにして、三人は渋々ルディを迎え入れたのだった。


「しっかし、なんでまたこんな険しい道ばっかなんだよ……まさか嫌がらせじゃねーだろうなあの野郎」


 懲りずにティールはこっそりヘゼルに耳打ちする。同じようなことを考えていたヘゼルだったが、しかし自分でそれを否定した。


「ナシカが居るからおそらくないだろう。あまり認めたくはないが、確かにこの数時間で、かなり距離を稼いだようだ」

「……癪だけど、な」


 顔をしかめて、ティールはヘゼルに並んで後ろを振り返る。

 彼らは森が見渡せる高台を登りきったところだった。西に日の傾いた空は橙色に変わり、森の緑すら夕陽の色に染めている。森の途切れる場所が、遥か遠くに見えた。 森と街道との境界には、おそらくウィエルと思しき集落がある。


「……遠くに来ちまったな」


 しみじみと呟いて村の方角を見つめるティールに、ヘゼルは逆方向を指し示した。


「あぁ。だが、そう悪くはないぞ」


 彼の指差す先、この後に彼らが向かうこととなる方角には、やはり深い森が広がっている。しかしそれはウィエルの方角に広がった森よりずっと規模が小さく、森の先にある港街も肉眼で確認できる。街の更に先には、青い水平線がどこまでも続いていた。


「この距離なら、明日は日が暮れる前に街に着けるんじゃないか。昨日と比べて体力は消費したが、旅路としちゃ、上々だ」

「確かに。……癪だけどな、上々だ」


 腰に手を当てて、見慣れぬ水平線を眺めながら、ティールは満足げに頷いた。




 この日は、辿り着いた高台にて夜を明かすこととなった。日が暮れる前に、と早々に準備を始めたヒルドとナシカの手伝いに、二人も加わる。

 ヘゼルとティールが薪を拾いに向かおうとすると、断崖近くに立つルディの姿が目に入った。思わず二人は立ち止まり、彼を凝視する。


 ルディは今まで目の回りに巻いていた布を外していた。そればかりか、両目をしっかりと開け、これから彼らが向かう景色をじっと見渡していたのだ。


「目……見えるのか?」


 思わずティールが問いかけた。真顔で振り返った彼はすぐに目を閉じ、素早くまた布を巻きつける。


「見える」

「じゃあ、何でそんなの巻いてんだよ。盲目の神様じゃあるまいし」

「……目は、口よりも、雄弁だ」


 入念に布を巻き終えてしまってから、ルディは彼にしては珍しく、長い台詞を呟く。


「話してしまえば、後戻りはできない。けれども話は、最後まで聞かなければ全ては理解できない。

 見えてしまえば、一瞬で全てが解る。 

 見えてしまえば、後戻りはできない」


 彼の言う事が理解できないまま。しかし厚く巻かれた布の下から覗く視線はヘゼルに向けられている気がして、彼は居心地悪く拳を握りしめる。

 気のせいだと思い直し、彼はティールと連れ立って薪を拾いに戻った。




+++++




 翌日、ヘゼルが予見した通りに、まだ日の高いうちに彼らは森の外れまで辿り着いた。しばらく歩けば街道に突き当たり、そこを辿ればすぐに港町だ。風には潮の香りが微かに混じっている。

 やはり会話はほとんど一方的なまま、ナシカとルディは別れの挨拶を済ませ、森を後にした。

 が、去り際にルディはヘゼルへ、ひっそりと話し掛けた。


「会ってしまった以上。

 来てしまった、以上。

 後戻りは、できない。

 言えることは……これだけだ」


 ルディは正面からヘゼルを覗き込む。視線は見えない。だが、はっきりと彼に見据えられているのだろうことは分った。


「……ナシカに近付くな」


 ルディはそう言い残すと。来た時と同じように素早く、あっという間に森の奥へと消えていった。

 残されたヘゼルは、しばらく森を眺めてから、少しばかり苛立ったように肩で息を吐き出す。


「ったく、どいつもこいつもナシカナシカ……」


 ヘゼルは頭をかきながら、先に歩き出した三人の方へ小走りに進んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る