「音楽自体、魔法みたいなものだからな」

 盗賊の襲来という波乱はあったが、彼らは順調に歩を進め、無事に一日目の日が沈もうとしていた。


 そろそろ野営の場所を探してはどうかとヒルドが提案すると、ナシカとティールとは顔を見合わせ、おもむろに荷を下ろし楽器を取り出した。ナシカは荷の中から、先端と末端とで幅の広さが違う歪な台形の板に、五本弦を張ったものを取りだす。

 見慣れぬ形状の楽器にヘゼルは目を瞬かせた。


「それは何だ?」

「見たことない? これはカンテレって言うの」

「あまり楽器には明るくないからな。……で、それで何をするんだ」

「ちょっと、野営に安全な場所を聴いてみるね。それまでヘゼルは休んでて」


 ヘゼルの問いに答えながら、ナシカはティールの笛を聞きつつ調弦する。彼女の言う意味がよく飲み込めないまま、しかしヘゼルは黙って弦が次第に澄んだ音へ変化していく様を眺めていた。

 やがて調弦が終わると、不意に肩をつかまれヘゼルはヒルドに数歩下がるよう促される。


「下がっていろ。邪魔になってはいけない」


 大人しくその言葉に従い、ヘゼルはヒルドと共にナシカたちから距離を取る。しばらく弦を爪弾きながら音の調子を確認していたが、やがて顔をあげ、ナシカは頷いてみせた。


「じゃあティール、いくよ」

「任せとけ」


 ナシカは息を吸い込み、ぽろん、とカンテレの弦を弾く。

 その一音を合図に、ティールは笛を奏で始めた。

 ナシカとティールの奏でるそれぞれの音色が絡み合い、解け合い、辺りの空気に響いていく。

 こんこんと湧き出る水のように、何かの力が満ちていくのをヘゼルは感じた。辺りは段々と肌寒くなっていたが、二人の周りから何か暖かなものが溢れ出て、近くにいるヘゼルまでもがじっと体中を包まれているかのような感覚に襲われる。


「基本的に音楽術師が働きかけられるのは、人や動物などの生き物だけだ」


 二人の奏でる曲を邪魔しないような声量で、ぼそりとヒルドが呟いた。


「だがナシカのように高い力を持つ音楽術師の中には、草木や風、大地に日の光、そういった自然とすら交流出来る者がいる。一人で事足りる場合もあるが、ここまで沢山の精霊に満ちた場所、恵み豊かな地では、他の音楽術師の助力を借りることもあるんだ」


 彼女はちらりとヘゼルを一瞥する。


「しっかり目に焼き付けておいた方がいいぞ。普通の人間なら、一生に一度見られるかどうかの光景だ」


 だが、彼女の進言はさした意味をもたなかった。言われるまでもなく、ヘゼルは目の前の光景に釘付けとなったまま、逸らすことができないでいたからだ。


 目の前にいるのは二人のまだ若い人間である。場面だけを切り取れば、森で音楽を奏でている、ただそれだけの絵に過ぎなかった。だが派手な動きや奇抜な演出などは一切ないにも関わらず、それは彼の目を奪ってやまない。ナシカが手元で弦を弾き音を奏でるその所作が妙に神聖なものに感じられ、神々しくすらあった。

 曲が終わると、ふつりと糸が切れたような緩んだ空気が辺りに漂う。光景そのものは先ほどとほとんど変わらない。しかし今と数刻前とでは、明らかに空気が異なっているのが判った。

 自分の感じている違和感に、しかし奇妙な心地よさを感じながら、ヘゼルは戸惑いがちに尋ねる。


「結局、今は何をしていたんだ?」


 ナシカはまるで歌うような口調で、辺り全体を慈しむかのようにやんわりと微笑んだ。


「森の意思。木の意思。大地の意思。自然の中は尊い命に満ちてるんだよ。そういうものの声に耳を傾けて、少しいいことを教えてもらっただけ。具体的には、私たちが夜を明かすのに適した場所をね」

「精霊、とは違うのか」

「言い方が違うだけで、同じ存在のことだよ。けどね、私は『耳を澄ませる』だけなの。

 たとえば、今はほとんど姿を見なくなってしまったけれど……精霊の力を借りることのできる人たち。精霊使いの人たちがいるでしょう」


 息を飲んで、ヘゼルはナシカの言わんとする名称を口にする。


「……ウルズの民か」

「そう、その人たち」


 カンテレを仕舞い込み、ナシカは考え込みながら続ける。


「ウルズの民は、精霊と協力関係を結んで彼らの力を借り、不思議な術を使うんだよね。これを生業なりわいにする人たちは、精霊の力を直接借りているでしょ。

 けれど私が出来るのは、精霊の『声』を聴く事だけ。お願いしてやってもらうんじゃなく、ささやきを聞き取るの。だから、精霊と直接関係を結ぶわけじゃないんだ」

「驚いた。精霊使いでなくとも、精霊と交流を図れる者がいるんだな」

「ナシカは例外だけどな。音楽術師だって普通は出来ない」


 ヘゼルの呟きにティールが横から付け加えた。彼の言葉に改めてヘゼルはナシカをまじまじと見つめるが、当の本人はまったく意に介さない様子で軽やかに歩き始める。先ほど教えてもらった場所へ案内してくれるのだろう。


「まるで、古くに滅んだ魔法みたいだな」

「音楽自体、魔法みたいなものだからな」


 ティールの返答に、なるほど、とヘゼルは無意識のうちに頷いた。

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