2章 森

「この剣がただの飾りだとでも思うのか?」

 最高神オーディンの息子、美しき光の神バルドルは、皆から愛されていた。

 一方、弟のヘズは、戦神であったが盲目だった。


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 ヘゼルが度々揶揄していたように、ウィエルは王都からも港からも離れた田舎の村、深い森に囲まれた辺鄙へんぴな場所にあった。

 とはいっても、ウィエルへ行く道程が困難を極める訳ではない。

 確かに大きな街から離れてはいるが、ウィエルに至るまでには町が点在していたし、港町からそれらの都市を経由して村へ向かう整備された道もあった。道を外れさえしなければ、治安もさほど悪くはない。

 そもそもが音楽術師おんがくじゅつしの存在する村として、訪れる人々の安息と療養を、と旅人歓迎の旨をうたっているウィエルである。人が来られないような場所では意味がない。たとえ老人であろうと、時間さえかければウィエルへは辿り着くことが出来るようにできているのだ。

 道中、旅人は朝晩の食事やベッドに困ることなく、平和な旅路を送ることができる、はずだった。


「……で、何で森なんだよ?」


 入り組んだ樹木の根につまずかないよう、足元を注視しながらティールはぼやいた。


「だって普通の道を行くと、港まで二週間かかっちゃうでしょ。森を抜ければ一直線、三日で着いちゃうもん」


 軽い足取りで鼻歌交じりにナシカが答えた。さながら散歩の途中ででもあるかのような口ぶりで、とても鬱蒼うっそうとした森の中を突き進んでいる最中とは思えない。朗らかにナシカが言った後ろで、どこからともなく獣とも鳥ともつかない鳴き声が聞こえ、ティールはびくりと肩をすくめた。


 彼らの目的地があるスカディ半島に向かうには、まずウィエルから一番近い港町、ジェールズを目指す必要があった。

 そして彼らは今、ウィエルの西南西せいなんせいから伸びる平坦な街道ではなく、真っ直ぐ港町のある北を目指して森を分け入っている。


 確かにナシカの言うとおり、森を行く方が遙かに早い。整備された道は安全で快適な代わりに、ウィエルの森を避けるようにして大きく迂回している。港町まで行くには普通にいけば二週間、急いだとしても十日以上かかってしまうのだ。

 その点、ウィエルの森を真っ直ぐ抜けていけば、港町まで数日で到着できる。実際、森を抜けてウィエルと港町とを行き来する者も存在するので、決して不可能な道程ではない。


 だが森を抜ける経路を選択するのは、猟師など森に慣れた一握りの者だけだ。普通の商人や旅人、ウィエルの住人だって、わざわざ森を通り抜けるような真似はしない。狼などの獰猛な獣は生息していないが、それでも危険がない訳ではないのだ。


「いくら近いからって、森だぞ森。何でわざわざ大変な道を行くんだよ」


 垂れ下がったつるをはねのけながらティールは抗議するが、しかしヒルドもまたナシカの意見に同調する。


「子供たちは避難させるとはいえ、早く済むに越したことはないからな。十日の違いはさすがに大きい」


 そりゃあそうだけど、とヒルドの言を肯定しつつも、ティールは顔をしかめて濁した。

 ナシカはどこまでも暢気な笑みを浮かべる。


「大丈夫! 平気だって、何とかなるよ」

「大丈夫って、あのなあ……森は危ないんだぞ? 獣が出るし、盗賊に遭うことだってあるんだ。大体、迷ったら三日どころじゃないだろ」

「大丈夫、小さい頃からこの森で遊んでるし、何かあっても皆がいるから大丈夫だよー」

「何かあったら駄目なの!」


 言い聞かせるように諭すが、しかしティールは諦めたように肩を下げた。

 既に森の中を歩き始めて数十分。似たようなやりとりは何度か繰り返されていたが、彼らは草木を分け入って突き進み続けている。ティールもあがいてはいるものの、期待はほとんどしていないらしい。ナシカのみならずヒルドも賛成しているのならば、彼の意見が聞きいれられる見込みは低いだろう。


 てっきりヘゼルは、はなから森の中を行くのは規定事項だと思っていたのだが、どうやら意見は統一されていなかったらしい。なお成り行きで同行することになったヘゼル当人は、横から異を唱えるべくもないとばかりに、ただ黙々と歩いている。


 森は深い。明るい日の光が射し込み、下草も健やかに生えるウィエルの森は、人を寄せ付けない深林ではないが、内陸のウィエルから海沿いのジェールズまで広がる豊かな森だった。彼らの他にはたまに小動物が顔をのぞかせる程度で、辺りに不穏な気配は感じられない。だが広すぎるこの森のどこに危険が潜んでいてもおかしくはなかった。

 そしてどこまでも広がる森は、人を惑わせる。むやみに歩き回ればすぐに迷ってしまうだろう。一人でウィエルまで戻れと言われたとて、ヘゼルには正しく帰れる自信はなかった。


 だが彼らは迷う様子もなく、まるで既知の場所であるかのようにどんどんと先へ進んでいる。先導しているのは言い出しっぺのナシカだ。彼女の確かな足取りと態度とには、何かしらの裏付けがあるのだろうとヘゼルは思っていたが、先ほどのティールとのやりとりを聞いてしまうと、一抹の不安を抱かずにはいられない。とはいえ彼も自身を苛む呪いから一刻も早く解放されたいのは同じなので、ティールに共感は覚えつつも、無言で歩き続けるヘゼルであった。

 懸念が表情に出ていたのだろうか。振り返ったナシカは、ヘゼルへ取り繕うように告げる。


「心配しないで、平気だよ。無事に町には辿り着けるから。この森なら」


 だがナシカが喋る途中、急にヒルドが足を止め、手で彼女を制した。


「どしたの? ヒルド」


 首を傾げてナシカが尋ねた。他の二人も足を止め、何事かとヒルドを見つめる。

 ヒルドは何も答えぬまま、微動だにせずじっと耳を澄ませていた。が、やがて微かに焦りの表情を浮かべると、彼女は静かにティールとヘゼルへ目配せする。


「お前達……後は任せた」


 そう言い残すと、ヒルドは首を傾げたままのナシカの手首をつかみ、脱兎の如く脇の茂みに姿を消した。枝葉に隠され彼女たちの行方は見えないが、微かな物音で次第にこの場所から遠ざかっていくのが判る。


「任せたって、何がだ?」


 突然のヒルドの行動に眉を寄せるヘゼルに対し、ティールは口を引きつらせながら汗を流す。


「やばい……」

「は?」


 どういうことかとヘゼルが尋ねようとした矢先。ヒルドとナシカが消えていったのとは別の方角から、ガサリと大きな物音がした。反射的に一歩後ずさろうとして、ヘゼルはティールとぶつかる。

 体勢を整えている間に姿を現したのは、武器を手にした十人弱の柄の悪そうな男達だった。


「何だ、野郎のガキ二人か」

「つまらねぇなぁ」

「まぁしょうがねぇだろ。森を抜けようってんだ、手ぶらってことはねぇだろうからなぁ。おい、てめぇら。命が惜しけりゃ金目の物全部、置いてきな」

「そうすりゃ、あんまり痛い思いはさせないでやるからよぉ」


 さすがに自分も顔を引きつらせ、ヘゼルは背中合わせになったティールに小声で呟く。


「……もしかして、これが盗賊という奴か?」

「もしかしなくてもそうだろうよ、相棒……」

「誰が相棒だ……」


 つられて軽口を叩くが、しかし事態は切迫していた。相手は彼らの何倍もの人数だ。真正面から敵う相手ではない。横目でティールを伺うが、彼は冷や汗を浮かべてそのまま硬直していた。

 ヘゼルは目を閉じて深呼吸してから、覚悟したように目を開ける。

 彼は盗賊へ向き直り、背中の剣に手をかけながら低い声で告げる。


「お前等、この剣がただの飾りだとでも思うのか?」


 盗賊達はヘゼルの背負った大きな両手剣を見て、「何?」と一瞬たじろいだ。

 余裕すら感じさせる笑みでもって、ヘゼルは、にや、と口元を緩ませながら、背のものを掴む。


「その通りだ!」


 そう叫ぶやいなや、剣とは別に背負っていた麻袋を袋ごと盗賊達に投げつける。結び目の甘かった袋の口は空中で解け、上手い具合に盗賊達の眼前で中身を散らした。

 そして盗賊たちが身構えている隙に、ヘゼルはヒルド達の去っていった方角へ、ティールと共に一目散に逃げ出した。


「へなちょこ! へなちょこ! へなちょこ!」

「うるさい、はったりも時には大事だ!」


 逃げながら我に返ったティールの暴言に、ヘゼルは自分も声を荒げながら言い返した。


「俺は思った! お前があいつらを正義の味方よろしくぎったんぎたんに退治してくれるのかと!」

「簡単に退治言うな、相手は何人いると思っているんだ!」

「その剣、護身用じゃないのかよ!」

「ああそうだ護身用だぞ、今みたいなハッタリがよーく利く! そもそも僕は最初に言ったはずだ、護衛を期待してくれるなと!」

「へなちょこ!」

「うるさい! 喋る余裕があるなら走れ!」


 後ろからは、怒り狂った盗賊たちが追いかけてくる。不意をつき多少の距離は稼いだが、向こうには地の利があった。捕まるのは時間の問題だろう。


「ええい、面倒臭い。ヘゼル、お前俺を背負え!」


 言うと、返事を聞かずにティールはヘゼルの背へ無理矢理飛び乗った。突然に加わった重量と、首もとに巻かれた腕のせいで、ヘゼルはくぐもった声をあげる。文句の一つも言いたくなったが、様々な感情をひとまず飲み込み、ヘゼルは必死に走る。

 ティールはヘゼルにしがみつきながら、懐から笛を取りだして片手で持って曲を奏で始めた。素朴だが、緩やかな曲調。どこかで聞いたことがあったような、不思議と懐かしさを覚える旋律である。


 だが、それに聞き入る余裕はヘゼルにない。当然ながら、ティールを背負った所為でヘゼルの走るスピードはがくんと落ちている。必死に走るものの、盗賊との距離はどんどん縮まっていった。やがてその距離が決定的なものになり、ついに追いつかれるかと覚悟しかけた時。

 突然、どさりと盗賊達は地面に倒れ込んだ。


「ふーっ、間ーに合ったぁ……」


 ティールは笛を吹くのを止めた。

 ヘゼルも立ち止まり、汗だくで後ろを振り返れば、盗賊たち全員が地に倒れ伏している。動く気配はない。

 満足げにティールは額の汗を拭う。

 と、おもむろにティールは、硬い地面に投げ出された。


「痛っ、何すんだよ!」

「いつまで乗っている気だ、重い!

 急いでたとはいえ一言ぐらい説明しろ!

 大体首を絞めすぎで苦しいだろ!

 それにまず僕は馬じゃない!

 突然飛び乗ってきてどういうつもりだ!」


 抑えていた言葉の数々が爆発し、ヘゼルが勢い込んで怒鳴る。

 負けじとティールも言い返した。


「他にどうしようもなかっただろ!

 慌ててたんだからゆっくり懇切丁寧に説明してやる暇なんてあったかよ!

 こっちだって必死だったんだ配慮する余裕なんかねーよ!

 それにお前、他の方法で盗賊を何とか出来たのかよ!」


 言い合っていると、ごん、と二人の頭が同時に叩かれた。彼らが頭を抑えて見上げれば、そこには目の据わったヒルドの姿がある。


「っ……てヒルド! 今までどこにいたんだ!」


 ティールの言葉を無視し、ヒルドはヘゼルの胸ぐらを掴んだ。


「貴様、オートミールをどうしてくれる」

「な……こんな時にオートミールって、お前」


 彼女の言い分に、ヘゼルは脱力する。

 彼らは旅の荷物を四人で分担して背負っている。さっきヘゼルが盗賊に投げつけたのが、その食料の一部であるオートミールの袋だった。


「貴重な食料をどうしてくれる。投げるならもう少し考えて投げろ」

「あの状況でそこまで頭が回るか! 多少はこちらも慮ってくれ! 大体、何で投げたって知ってるんだ」

「一部始終を木の上から見ていた」

「助けろ」

「馬鹿言え、私にはお前らのような馬鹿力はない」

「だったら判っただろう、こっちにだって力なんかないぞ!」


 ヘゼルの訴えに、思うところはあれどそれなりに納得はしたのか、ヒルドはようやく手を離した。


「それにしても。何故分かったんだ? 盗賊がいると」


 我に返ったヘゼルは、訝しげにヒルドへ尋ねた。あの時、彼らの周りには何の物音もしていなかった。ヘゼル達が盗賊の気配に気づいたのは、ヒルドとナシカがかなり遠ざかった後だ。

 黙っているヒルドの代わりに、ティールが答える。


「……ああ。そういえば言ってなかったな、お前には。

 ヒルドは目と耳がすごく良いんだ。勘も良いから、何か危険が迫った時とかは、誰よりも早く気がつく」


 自分で言ってから、ティールは思い出したようにヒルドへ不満を漏らした。


「ヒルド、何で俺達を置いていったんだよ……」

「まずはナシカの安全が先決だろう。安全な場所に行った後で、ナシカの術で盗賊どもをどうにかするつもりだったんだが、少々遅れてしまったようだな。すまない」


 まぁ助かったからいいけど、と肩をすくめて、ティールは息を吐き出す。


「なあナシカ、分かっただろ? 今からでも安全な道を行こう」


 ヒルドに遅れて彼らの元に戻ってきたナシカは、ティールの言葉に両手を握りしめ、真剣な面持ちで頷く。


「大丈」

「大丈夫じゃない!」


 皆まで言わせずにティールが言葉を断ち切った。しかしそれでもナシカは朗らかに言う。


「今度似たようなことがあっても、そしたら絶対私が皆を助けるし平気だよ。明日になればもっと順調に進めるし」


 嫌々ながらヘゼルもぼやく。


「……もう随分奥にきた。中途半端に引き返すなら、このまま行った方が効率は良いだろう」


 ティールは額に手をやりながら、やれやれと首を横に振った。だが、特にそれ以上は異を唱えない。渋々ながら彼も納得したようだった。

 気を取り直してまた先に進もうとしたところで、そういえば、とヘゼルはティールを振り返る。


「お前も音楽術師だったのか」

「何だよ、そのさも意外そうな目は。まあ、俺の場合はナシカみたいな治療とか高尚な術は使えないけどな。もっぱら家畜とかの世話係だ」

「あの盗賊達はどうなったんだ?」

「よく使う術だ、眠らせただけさ。数時間もすりゃ起きるだろ。とはいえできるだけ遠くに行っといた方がいいからな、さっさと行こうぜ」


 ちらりとヘゼルは背後の盗賊を一瞥する。

 地面に突っ伏して豪快な寝息を立てる彼らを眺めながら、なるほど手っ取り早くて一番無難な手段ではあったなと、ヘゼルも渋々ながら納得したのだった。

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