◇ヴェルザンディの悔恨


 一言で言えば。

 兄はひどく美しく、ひどく優秀な人だった。


 彼を表現するのに相応しい言葉はいくらでもあるが、それでも言葉の方が負けてしまうほどに、彼は内外ともに光り輝いていた。


 どこまでも透き通った白い肌に、整った顔立ち。すっと通った鼻筋に憂いを湛えた切れ長の瞳は、人の心を捕えて離さない魔力があった。癖のない輝く髪は腰まで届き、性別すら惑わせるほどに美しい。今がまだ神の息づく神話の時代であれば、神々の嫉妬を買い、さわわれたとておかしくないだろう。

 眩いばかりの容貌にも関わらず、何故だか兄はいつも黒の衣装に包んでいたが、それも当然だったのかもしれない。何一つ、飾り立てる必要はなかった。どんな色であれ、兄を前にすれば色の方がくすんでしまうだろうと思えたから。


 だが輝かしいのは容姿だけではなく、むしろ彼の能力の方だった。機知に富み、あらゆる学問を収め、凡人であれば理解に十を要するところを兄は一で理解した。

 そして言わずもがな、僕らの一族の生業なりわいである精霊使いとしても、遺憾いかんなく才を発揮した。若くして歴代稀に見る精霊使いとなった兄は、まだ年齢が二桁に届く以前より、既にウルズの民を率いる後継者として将来が約束されていたのだった。


 だから。ろくに能のない僕が兄と対比され、無能と指差されるのも仕様がないことだった。始めこそ、あの優秀な彼の弟として周りから期待されていたようだが(もっとも幼少だった僕はその時期の事をほとんど覚えていない)、大して頭も回らず、ウルズの民としての力は中の下が精々、暇さえあれば剣ばかり振り回している僕に、皆は早々に見切りをつけてしまったらしい。物心ついた時には既に邪険に扱われていたことは覚えている。


 とはいえ、兄を妬ましく思ったり、まして憎く感じたことなどはない。一瞬たりとも羨んだことがないかと問われれば嘘になるが、周囲の中傷を疎ましく思いこそすれ、兄に否があるわけではないし。それに村では、兄だけが僕の唯一といっていい味方であったからだ。決しておごることなく誇ることなく、誰にでも優しく穏やかな兄は、どこまでも完璧な人だった。


 誰からも好かれ、誰よりも愛される兄が、誰からも煙たがられ、誰よりも空気に近い存在であった僕の一番の理解者であり、他でもない血の繋がった僕の兄であることが誇らしかった。




 けれども。

 完璧という形容が似合う兄に、僕は、時折底知れぬ怖ろしさを感じることがあった。


 そして僕は、後になってから知ることになる。


 あまりに完璧な人間が、一つ、違えると。

 その破綻の様すら、震えるほど美しく、酷く恐ろしいということを。


 そして、何度考えても、僕には答えが出ない。


 すべての終わりが始まった瞬間。終焉への始まりは、僕に止めることができたのだろうか、と。

 悪夢は阻止できずとも、最悪だけは避けられたのだろうか、と。


 いくら考えても過去は変えられない、どうにも出来ないことは分かっている。

 けれども僕は、何度も何度も無駄な問いを続ける。






 ――僕は、あの時に、兄を殺してしまえばよかったのだろうか?





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