「ナシカに手を出したら、私が容赦しない」

 外に出ると、既に日暮れだった。森の向こうの空が赤々と色づいている。明日も快晴だろう。

 夕日に照らされる森は、村の悲惨な状況とは関係無しに美しい。長く伸びた影法師が村に陰影をもたらし、どことない寂しさを募らせる。しかし呪いとは無縁の、郷愁きょうしゅうともいうべき暖かな哀愁あいしゅうがそこにあった。遠くからは方々で鳴く鳥の声が聞こえ、地面からは虫の音が響く。

 夕食の気配にはしゃぐ子供の声は、普通の村となんら変わりなく思えた。


「いい村……だったんだな」


 独り言のようにもらしたヘゼルの言葉に、ティールが自信をもって頷く。


「そうさ。前は音楽と癒しの村だって、旅人や療養客でにぎわってたんだ。今じゃこのザマだけどな。けど、過去形では終わらせない」


 ティールはヘゼルに向き直った。


「そういや、自己紹介がまだだったな。

 何回か名は聞いてると思うけど、俺はティール。ティール・ヘイズリアだ。よろしくな」


 ティールはヘゼルに手を差し出す。ヘゼルも手を出し軽く握手すると、少しだけふっと笑いながら言った。


「僕も呪いが解けるまで、精々お前達に協力してやるとしよう」

「ひねくれてんの。ま、いいけどな」


 頭の後ろに腕を組み、ティールもまた笑みを浮かべる。

 その時、客への応対が終わったのをかぎつけたのか、やってきた子供たちがわっとティールの周りを取り囲んだ。


「ティール兄ーっ! あーそーべーっ!」


 ティールは顔をほころばせつつも、しかし若干困ったような表情で言い聞かせる。


「兄ちゃんは忙しいの。あの黒い兄ちゃんに遊んでもらえ」


 体よく逃げようとするティールを、とんでもない、といった表情でヘゼルは睨むが、しかし子供たちの方が異を唱えた。


「やだー。ティール兄ちゃんいじめたいのー」

「俺をいじめちゃいけません! それに俺はナシカの手伝いをしないといけないんだよ。遊んでられないんだ」

「えー。ティール兄、暇そうだしー。それにヒルド姉ちゃんがいればナシカ姉ちゃんはティール兄がいなくても大丈夫だよー」

「それにナシカ姉ちゃんみたいにすごい人は、光の神様の加護がついてって、お母さんが言ってたもん! へーきだよー」


 ティールはその台詞にショックを受けたように狼狽ろうばいする。

 子供たちとの様子を苦笑しながら眺めていたヘゼルは、ふと自分の背後へやってきた気配に気が付いた。

 振り向くと、そこに立っていたヒルドは表情を変えぬままで静かに名乗る。


「ヒルド・ヴァーグだ。孤児院の世話係でもある。……今じゃ村中の子供を集めているから、いわば皆の姉代わりだな」


 おそらく子供たちはヒルドが連れて来たのだろう。納得して、ヘゼルはティールへ少しだけ哀れみの眼差しを送る。対してヒルドは、ヘゼルへ鋭い眼差しを向けた。


「まず言っておく。私はお前のことを信用してはいない」

「……だろうな。初対面でこんな呪いをもらった僕のことを受け入る奴の方が珍しい」


 唐突に言われた割には、存外ヘゼルは冷静な声で答えた。しかしヒルドは「そうではない」と頭を振り、淡々と続ける。


「呪いがかけられたという事は、当然だが呪いをかけた者もいるという事だ。

 何が目的かは知らないが、これだけ大規模な呪いだ。呪いをかけた以上は何らかの意図が存在したはず。

 ……そして。呪いを受けてから、平然とこの村に入ってきた奴などお前が初めてなんだ。村人は村から出られない。それと並行して、ぱったり外からの客は来なくなった。だから、外からも入れないものと思っていたんだが」


 ヘゼルは眉を寄せる。彼が村に入るにあたり、とりたてて変わったことは無かった。しかし他の旅人がウィエルに入れなかったとするのなら妙である。

 ウィエルに来る道中、ヘゼルはこの村の惨状を耳にすることがなかった。村の噂はまだ広まってはいないのだ。だとすれば今ウィエルがほとんど機能していないということを知らず、ヘゼルのように音楽術師を頼るものがウィエルを訪れていてもおかしくはない。だがそれをしたのは今までにヘゼル一人なのだ。


「村の呪いは一体いつからなんだ?」

「一月前、だな。たったその期間で大人たちが全滅してしまった。被害者が出てからは来客が皆無だ。しかしお前だけは村に入れた。黒幕でないにせよ、何かしら関係があるとみても仕方の無い状況だろう」

「だったら何故、僕を連れて行くのに同意したんだ」

「二人が決めたことに口出しはしない。それにナシカは、自分の客は全力で救おうとするからな。第一もう出発は明日だ。どうこう言っている余裕はない」


 改めて明日、という期日を聞き、ヘゼルはちらりと横目でティールと子供たちとの様子を窺う。


「……子供たちは、どうなるんだ」


 ヒルドは少し目を見開いて、それからふっと硬い表情を崩した。


「安心しろ。私たちが旅立った後、子供たちは村の外に避難する手はずになっている。ナシカほどじゃないが、他にも村から子供たちを連れ出せる力がある音楽術師はいるんだ。

 だから少なくとも、あいつらが呪いに蝕まれる心配は無い。

 ……今までそれが出来なかったのは、ぎりぎりまで原因や解決方法を調べていたからだ。村の外へ出るすべが分かったのもつい先日。想像以上に呪いの進行は早く、結果的に年長の者は私たちしかいなくなってしまった」


 目を伏せ長く伸びた自分の影へ視線を落としつつ、ヒルドはため息と共に言葉を吐き出した。


「あいつらは少し暢気過ぎる。特にナシカは、人を信用し過ぎだ。一人くらい私のようなひねくれ者がいるのが丁度良い」


 そのナシカは、明日の準備があるからと「これからよろしくね!」と言って早々に家に帰ってしまった。来たばかりのヘゼルを平然と引き入れる辺り、実に無防備なこと極まりない。その言動は、彼女の肩に村の命運がかかっているとは到底思えぬ朗らかさである。


「それは、正論だな」


 風が少し砂埃を舞い上げ、ヘゼルのマントをはためかせた。


「僕は別に構わない。そういう扱いには慣れている。僕は自分の呪いが解ければ、それでいい」

「勘違いするな。私は別にお前を敵と扱いたい訳じゃない」


 ヒルドは取り繕うように言葉を重ねる。


「確かにお前は怪しい。

 だがおそらく村の呪いには直接関与していないんだろうし、自分の呪いを解きたいのも確かなんだろう。怪しまれずに私たちへ近づく方法ならもっといい方法がいくらでもあるからな。

 単に私見を述べただけだ。私がそういう人間だという、な。

 現に、二人は既にお前を受け入れ始めている。特にナシカは、そういう子だ」


 優しい眼差しで子供たちとティールを眺めながら、ヒルドは半分独り言のように呟いた。


「お前と村の呪いとは何か関係が有るのかもしれない。術者が同じなのかもしれないし、本人とは無意識のうちに何かが仕込まれているのかもしれない。

 だが考えても分からないことは、ひとまず保留しておくことにする。現状では、少なくとも問題なさそうだしな。私はただ一つ、お前に言いたい事があっただけだ」


 ヒルドは先ほどとは打って変わった、射抜くような目でヘゼルを見た。


「何があろうと。ナシカに手を出したら、私が容赦しない」


 そう言うと彼女はふっと力を抜き、ヘゼルに背を向ける。


「……それだけだ」


 ヒルドは音も立てずにその場を立ち去った。ナシカの荷造りを手伝いに行くのだろう。

 彼女に言われたことを心の中で反芻はんすうしながら、ヘゼルは自分もまた考え込んだ。しかしやはりヒルドの『保留』の言葉を思い返し、無理矢理に頭から追い払う。既にここに辿り着くまでの間、呪いについて彼は嫌というほど熟考してきたのだ。

 ヒルドの後姿を見送り、自分も室内に戻ろうときびすを返したヘゼルは、ふいに足元に何かはりつくのを感じた。


「黒い兄ちゃん、兄ちゃんも一緒に遊べ!」

「へ?」


 ヘゼルの足にまとわりついたのは目を輝かせた子供たち。その眼差しに射すくめられ、思わず動きを止めると、図体の大きいティールまでもがヘゼルのマントをがしりとつかんだ。


「お前だけ逃がしゃしねーぞ!」

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