「これがウィエルの音楽術師だ」

 途端、その細い笛から驚くほど澄んだ旋律が流れ始める。

 ナシカが奏で始めたのはテンポの早い低音の曲であった。その曲を耳にした刹那、ヘゼルは自分の鼓動が妙に高鳴るのを覚える。どうにも気持ちが落ち着かない。腕がむず痒く感じ、ヘゼルは無意識のうちに自分の腕を握り締める。


 と、その腕からなにやら影のようなものが立ち上っているのに気付き、ぎょっとしてヘゼルは腕から手を離した。

 改めて視線を向ければ、緑色の細い植物のようなものが自分の腕を取り巻いているのが見える。まるで蜘蛛の巣に纏わりつかれているかのような感覚だった。


「な……!」


 へゼルは振り払おうとするが、ティールがそれを静かに押し留める。


「振り払えないぜ、それ。それがお前に巣食ってる呪いだ」 

「呪いが、具現化してるっていうのか?」

「その通り。これがウィエルの音楽術師だ」


 呆けた表情でいるヘゼルに、ティールが解説する。


「世間では、音楽術師は医者か何かの延長線みたく思われてるけど、実際はそれだけじゃない。

 人や生き物の心に働きかけて感情を呼び覚ます。そして心が身体に力を及ぼす。音楽を使って心を動かし、結果的に身体や能力にまで効果を及ぼすのが音楽術師なんだ」

「それぐらいなら知っている。だがこれはまた違うだろう」


 不服そうに眉を寄せてティールは続ける。


「あのなぁ、話は最後まで聞けよ。順番ってものがあんだろ。

 俺たちの認識だと、呪いってのは一種の寄生虫なんだ。心と体に巣くう厄介な虫。だから宿主にとって異質な寄生虫をちょちょいと攻撃して、正体を表に出すように促してるんだ。いぶり出しみたいなもんか。

 これは音楽術師がみんな出来るってわけじゃない。こういうことが出来るからナシカは特別なんだよ。ただこれは目に見えるようになるだけで、呪いが解けるって訳でもないけどな。呪いを解くにはもう少し特殊な手段が要る。

 ……それにしても」


 ティールは言葉を切ると、真面目な顔でヘゼルに告げた。


「あんたには随分な虫が付いてるんだな。言っておくが、ナシカにだってお前の呪いは解けないぜ。こいつは正体不明の上、強すぎる」


 へゼルは目を細め、口を堅く結んだ。

 ナシカが演奏を終えると、具現化していた呪いはすっと消えた。ヘゼルはナシカの言を待つが、しかし彼女はヘゼルではなくティールに向かって口を開く。


「うん。これはティールのお姉さんに見てもらった方が良いね」


 ティールはあからさまに嫌そうな表情を浮かべ、口を引きつらせた。


「げっ、姉貴……」


 言ってすぐティールは自分で自分の口を塞ぐ。


「……まさか姉ちゃんの所に行くのか? 行くのか? 逝くのか?」

「だって、どうせすぐ近くまで行くでしょ。刺青だったらジーラ姉さんの専門だし」


 ナシカはヘゼルを振り返り笑顔で宣言する。


「そういう事で、あなたも私達と一緒に行こうよ!」

「……話が読めないんだが」


 怪訝に顔をしかめたヘゼルに説明しようとナシカは口を開きかけるが、先んじてティールが口を挟み彼女に訴える。


「なあ、紹介文書いてこいつだけ行かせればいいんじゃないか?」

「そうはいかないよ、私のお客様だもん。それに人数は多い方が楽しいよ」

「そういう問題じゃない。第一こいつは部外者だろ、巻き込むのはどうかと思うぞ」

「部外者じゃない、私のお客様!」


 双方どうにも譲る気配がない。相変わらず話は飲み込めないヘゼルだったが、意外にナシカが頑固そうだということだけは分かった。

 ヘゼルはため息をつき、助けを求めるように視線をヒルドへ送った。しかし彼女は相変わらずの仏頂面で立ち尽くしているばかりである。業を煮やしたヘゼルは、窓の外を見遣ってからぼそりと言う。


「ところで、この村には大人が居ないのか? さっきから子供の姿しか見ないんだが」


 ナシカとティールはぴたりと動きを止める。

 二人の反応を見て、やはり、とヘゼルは目を細めた。詳しい事情は分からないが、最初の応対といい今のナシカたちの応酬といい、どうにも彼らはこれから何かをしようとしているらしい。おそらくそれは『大人が存在しない』というウィエルの異様な状態が関係しているようであった。


「おかしいとは思ったんだが。この村には今、何かが起こっているんだな」


 ティールとナシカは顔を見合わせ、その後で二人揃ってヒルドに視線を向ける。ヒルドは交互に二人へ目線を移した後で、諦めたように肩でため息をついた。


「お前と同じように、ウィエルもまた呪いに侵されている。大人たちは既にほとんど呪いに取り込まれてしまった。今やこの村には子供しかいない。しかしやがて残りの者も皆、呪われるだろう。

 呪いを解く為に私達は明日、北へ旅立つ。これにお前も同行してはどうか、ということだ。旅の道中には先ほども話に出たお前の呪いに詳しそうな人物、ティールの姉であるジーラルを訪ねることも出来る。それに村の呪いを解く手段を手に入れれば、お前の呪いを解くことも出来るかもしれない」


 ヒルドの話を聞いてヘゼルは合点がいったという風に頷く。ヘゼルはその出発直前に訪ねてきてしまったという訳だ。

 だが彼からしてみれば幸いであった。もし一日でも遅れれば、ヘゼルは子供ばかりの村で途方に暮れることとなっただろう。

 黙って話を聞いていたが、ふと疑問に思いヘゼルは低い声で尋ねる。


「呪いに取り込まれた、とはどういうことだ?」

「それが、ウィエルにかけられた呪いの形だからだ」


 ヒルドの言葉にナシカが補足した。


「いわば氷。それがウィエルの呪いなの。見れば分かると思う。この家の元の持ち主、村長さんが隣の部屋にいるから」


 ナシカは客間から続く隣の部屋の扉を開けた。椅子から立ち上がって部屋の中を覗き、ヘゼルは呆然と立ちつくす。


 そこには氷のように白く透明になり、生ける彫刻として硬直した、かつての人間の姿があった。氷のように冷たくは無いが、形状は氷といって差し支えない。人間としてきちんと活動していた頃の色彩を若干残している他は、氷の彫刻といわれても疑いを差し挟む余地は無いように思える。

 彼は部屋に置かれた安楽椅子にくつろぐ姿勢で座り込んだまま、椅子と共に硬直していた。椅子だけではなく暖炉から本棚から、彼の周りのものは全て彫刻と化している。今や人間のみならず、物ですら微動だにしない。


 ヘゼルの隣に並び、悲痛な表情を浮かべてティールは唇を噛む。


「年齢が高い者から順に次第に身体の動きが効かなくなるんだ。それが進行すると、こういう風に動けなくなってやがてその人間の時間が停止する。周りのものも一緒に巻き込んでな。

 死んでいる訳じゃないんだが、ただそこに存在しているだけで何も出来ない。まるで、氷の中に取り込まれたかのように。

 村中の音楽術師が調べ上げて、解ったのはこれだけだ。おまけに呪いを避けて村から出ようにも、外に出られない呪いまでかかってやがる」


 その言葉に続け、ヘゼルの背後からヒルドが呟いた。


「私達を村に閉じ込めている呪いならばかろうじて突破できる。だが氷の呪いを解くのは現状では不可能で、もっと強力な力を持つ楽器が必要だ。

 その材料があるとされているのは北のスカディ半島。氷の呪いを解ける可能性があるとすれば、それが出来るのはナシカだけだ。そして村で戦力になりそうな人間は、私とティールだけ」

「つまり、だ」


 ティールは深刻な表情で唇を引き結んだ。


「俺たちに村人全員の命が掛かってるんだよ」


 ヘゼルは黙ったまま、ただ視線だけをじっと部屋の奥へ向けていた。人間と共に時を止めた物を眺めながら、完全に時間が静止する瞬間にもしまだ呪いの及ばない人間も一緒に側にいたら、と思いヘゼルは身震いする。

 そういえば、村に赤子の泣き声は聞こえない。気にはなったが、聞く気にはなれなかった。


 ティールはこの状態でも死んではいないという。しかし呪いが解けなければ、それは死んだも同然であった。このまま放って置けば、いずれナシカたちにもその魔の手が及ぶだろう。そして最終的に、今は外を走り回っている子供たちも。

 そうすればもうこの村の人間は、救世主か何かの到来を待たない限り、誰一人助からない。


 面々が言葉少なになる中、ナシカは静かに扉を閉める。

 そしてナシカはヘゼルに凛とした瞳を向けた。


「ね。だから、一緒に行きませんか?

 今のままじゃ私はあなたの呪いを解けない。けど、もし一緒に来てもらえるなら、呪いを解く手がかりを探すお手伝いは出来ると思います。

 村の呪いを解くために、私たちは強力な力を持つ楽器の材料を探しに行く。途中で専門家を紹介出来るし、それが駄目でも、私たちの探す楽器ならばあなたの呪いを解くことが出来るかもしれない。

 一緒に来てくれるのなら両方をいっぺんにこなせるよ。時間や都合で無理なら仕方無いけど」


 ナシカの真っ直ぐな眼差しに少々気圧されながらも、しかしヘゼルは即答する。


「今の僕は、呪いを解くためだけに動いている根無し草だ。そういうことなら北の半島だろうがどこだろうがついていく。手がかりももう無いしな。どうせなら一緒に行って旅の手助けをした方が効率もいいし有益だろう、お互いに」


 ヘゼルの言葉を聞き、ナシカはぱっと笑みを浮かべた。そこまで喜ばれる覚えの無いヘゼルは若干戸惑いつつ、自分もぎこちなく表情を緩める。


「姉貴かぁ、俺はあんまり勧めないけどなぁ……ま、でもそれが一番順当だろうし。人数が増えただけ、安全面では幾分ましか」


 先ほどは渋っていたティールも不精不精、納得した。別にヘゼルがついて来ることそれ自体に反対だったわけでもないらしい。本人が行くと言ったなら、頑なに拒否する道理もないようだった。ヒルドははなから判断を二人に任せるつもりだったらしく、とりたてて何も言わずに黙ったままだ。

 ヘゼルは背負った剣を横目でちらりと見遣ってから、ただ、とやや伏し目がちに付け加える。


「言っておくが。僕は傭兵ようへい代わりにはならないぞ。こんななりだが剣は使えないし、護身できるかすら相当怪しい」

「その辺は大丈夫」


 ナシカは振り向きざまに三つ編みを揺らしながら、気負いの無い語調で言う。


「仮にもお客様にそんなことさせないよ。それにいざって時はなんとかするし、みんながいればきっと全部大丈夫だよ」


 全く根拠の無い理屈を並べてから、屈託無くナシカは笑んだ。

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