「少しだけ、待ってくれないか」

 彼女から告げられた事実に、ヘゼルは思わず拳を握りしめる。腕組みして話を聞いているジーラルも、ずっと黙り込んでいるロタも、ナシカの言葉に目を見開いた。


「どうして私を楽劇に出したのかは分からない。けれども。言われた以上、私は断るわけにはいかなかったから」


 ナシカは多くを語らなかった。だが彼女もまた、ヘゼルと同じことを考えているに違いなかった。


 楽劇の内容は『バルドルの死』。

 そして呪いをかけた人物――ラギの依頼は、『バルドルの復活』。

 目的に繋がる、何か明確な意図があって、彼はナシカにそれを演らせたのだ。


「さて。――ここから先は、私の推測の話だよ」


 一通りナシカの話が終わったところで、ジーラルが話を引き継いだ。


「我々を呪ったラギとかいう野郎は、一体どんな手段で村を閉ざしたのか。

 まず音楽術じゃあない。それなら調べれば、術を打ち破る方法がナシカや他の誰かに分かるだろうし、そもそもウィエルの外にはそう音楽術師が存在しないからね。

 そして呪術でもない。一人二人を呪うならともかく、村を閉ざすなんて大規模な呪術は聞いたことがないし、やるなら大掛かりな準備や仕掛けが必要だからね。どこかに残ってる痕跡を、やっぱり誰かが気付いた筈だよ。

 だから考えられるとすれば、滅んだとされる神々の力を継承した『ルーネ魔術』か。

 ――ウルズの民の術だ」


 ジーラルは、壁に寄りかかりながら黙って佇んでいるロタへ視線をやった。


「『ルーネ魔術』は、あまり一般には知られていない。けどそれは、呪術より遥かに強力だ。

 古代に滅んだ神々の力を継承した者のみが使える魔術で、ときに今の我々の常識では図れない奇跡のような術すらもたらす。

 ただし。ルーネ魔術は、汎用性は高くない。一人の継承者が使えるのは一種類の力のみ、ある分野に特化した魔術なんだ。

 そうでしょう? 『変身者』さん」

「……言うねぇ」


 口元を歪めて、ロタははっと息を吐き出した。


「その通りだ。さっきも言ったように、俺は呪術めいたものにゃなんの素養もねぇ。呪いだとか癒やしだとか何もかもがさっぱりだ。

 ただ、女や動物に化ける事ができる。それだけだよ」


 あっさり認め、事もなげに答えたロタに、ヘゼルのみならずナシカも驚いて口を開ける。


「ロタ、そうだったの?」

「別に隠してたわけじゃないさ、ナシカちゃん。ただ単に、この能力がルーネ魔術と呼ばれる存在だってことを意識してねーだけだ」


 ロタはひらひらと手を振って、一歩、前へ進み出た。

 彼の顔を灰色の毛が覆う。頭からは三角の耳が生え、鼻先が前へ伸び、口からは鋭い犬歯が覗く。顔だけが、狼に変化していた。


「俺の『変身』の力が、そういう名称で呼ばれるものだってのは聞いたことがある。けど、それがどんなもんかなんてほとんど知らないしな。

 自分は特異なことが出来る、と判ってはいても、それが神代の魔術の残渣である『ルーネ魔術』だと知らずにいる奴は多いらしいぜ。ほとんど忘れ去られちまってるんだ。

 それに。ルーネ魔術の使い手は、俺だけじゃねーでしょうよ」


 ロタはちらりとジーラルを見やった。狼の視線に射すくめられたジーラルは、しかし臆することはなく「そうだな」と頷く。


「おそらく――ヒルドの超感覚もそれだよ。

 言わば、あの子は『超感覚者』だ」


 ジーラルの言葉にまたも驚くが、しかしすぐにヘゼルは納得した。

 常人には聞き取れない物音を拾ったり、遠くの景色まで見通すヒルドの力は、にわかには説明できない。しかしルーネ魔術の話を聞いた今であれば、きっとそこに由来するものなのだろうと理解できた。


「その、『変身者』とか『超感覚者』っていうのは、何なの?」

「ルーネ魔術の使い手は、『変身者』『超感覚者』などと、有する能力の名で呼ばれるんだよ。もっとも、この慣習自体が忘れられて久しいけれどね」


 ナシカの疑問に簡単に答えてから、ゆるゆるとジーラルは首を横に振った。


「正直。ルーネ魔術については、私も詳しいことはさっぱりだ。何しろ実例が少ない。神々が有していた力を引き継いだ者がどれだけいるのかも、どんな力があるのかも、承知している訳じゃないからね。ただ可能性は捨てきれないから、一応ルーネ魔術のことは、頭に入れておいて欲しい。

 けれど私の推測の本命は、もう一つの方だ。

 結論から言ってしまおうか」


 一瞬、彼女は迷う素振りを見せてから。

 ややあって、すっと顔を上げた。


「村を閉ざしたその術は。ウルズの民が、村へ部外者を寄せ付けないそれによく似ている。

 これは皆も知識として知っているでしょう。ウルズの民の村は、一般人は見つけられないし易々と立ち入れない。招かれた者しか訪ねることができないんだ。

 そしてもう一つ。……これはもしかしたら、完全な言いがかりになるかもしれないけれど、あくまで可能性の話だから怒らずに聞いて欲しい」


 固い表情でジーラルは続ける。


「ウルズの民は通常、煌めく銀色の髪をしている。だがその髪色は、街では否応なしに目立つ。

 だからウルズの民は外に出る際、目立ちたくない時は黒髪に擬態ぎたいしていると聞いた」


 彼女の目は、まっすぐにヘゼルへ向けられていた。

 ヘゼルは答えない。

 ジーラルだけでなく、ナシカとロタの二人の刺さるような視線も感じていたが、彼はぴくりとも動くことが出来ずにいた。


「さあ。これまでの話で、きっと自分でも分かったろう、ヘゼルくん。

 私はヘゼルくん本人を疑っているわけではないよ。見る限り、君もその呪いに相当やられているようだし。

 けれど、全ての状況を総合して。

 私には、君を取り巻く何かが関係していると思えてならないんだ。

 君は無関係じゃない。

 それどころか、まさに渦中の人間。違う?」


 ヘゼルは、答えない。

 室内は水を打ったように静かになった。誰一人、身じろぎすら出来ずにいる。棚の上に置かれたランプの火だけが、芯をじりりと燃やして揺らいでいた。

 ナシカは彼を案じた素振りで何かを言おうとしたが、しかし深刻な面持ちで考え込んでいるヘゼルを見て、口を開くのをやめた。

 やがて痺れを切らしたか、柔らかい口調でジーラルは促す。


「喋りたくない理由はあるんだろう。けれど、ウィエルもナシカたちも十分に巻き込まれた当事者なんだ。考えてはくれないかな」

「……違う。違うんだ」


 ジーラルの言葉に、慌てた様子でヘゼルは立ち上がった。


「話したくないんじゃない。……今は、まだ、話せない」


 そう答えてから、言葉に窮してまたヘゼルは黙り込む。どう答えたものか、彼自身も悩んでいるようだった。

 やがて彼は唇を噛み締めてから、慎重な口ぶりで告げる。


「喋ったら。おそらく僕をむしばむ呪いは完遂してしまうか、取り返しのつかないところまで侵食されてしまう。

 呪いが進んだ結果、死ぬか正気を失うかどうなるのかは分からないが。きっと、今までの僕ではいられなくなってしまうだろう」

「……どういうこと?」


 困惑したナシカの言葉に、ヘゼルは刺青の浮き出た腕を握りしめながら答える。


「元々。この刺青がここまで浮き出てきたのは、僕の周りで起こった一連の出来事を、人へ話そうとした時だったんだ。

 にじみ出てきた刺青を見て話は中断した。とにかくまずはこの呪いを解こうと旅に出て、そして僕は最終的にウィエルに辿り着いた。

 きっと話せば、呪いは否応なしに進行する。

 そして呪いが進行すれば、僕が自我を保てる保証はない。

 そうなる前に、やるべきことがあるんだ」


 ヘゼルは、祈るように両手を組み合わせ。懇願するように、頭を下げた。


「頼む。少しだけ、待ってくれないか。

 ここからもっと北、フィヨルドに囲まれた山の中に、いずれ訪れようと思っていた場所がある。そこで、全てを話す。

 ウィエルもナシカたちも、おそらく僕が巻き込んだ。なのに勝手な言い分だというのは分かっている。

 ……けれど、どうしても他に事情を話さなければならない人がいるんだ。話したら僕がどうなってしまうか分からない今、出来ることなら一度に済ませたい」


 必死なヘゼルの様相に、誰も口を挟むことはできなかった。彼が口を閉ざしてから、ナシカは穏やかな口調で尋ねる。


「話すべき人が、ヘゼルの目的地にいるんだね」

「ああ。全てのウルズの民の長、僕の幼少期の育ての親だ。あの人には、全部を」


 一旦、言葉を切ってから。

 ヘゼルは、じっと目を閉じて、握り合わせた手に力を込めた。


「僕が、僕の村の最後の生き残りだから。

 村の最後を、これからどうすべきかを、あの人には話さないといけない」


 彼の台詞を聞くやいなや。ナシカはぱっと立ち上がり、三つ編みを跳ねさせて外に続く扉をじっと見つめた。


「分かった。行こう、その場所へ」

「……ナシカ」

「大丈夫。絶対にヘゼルを見失いさせやしない。私が、そうさせないから」


 物言いたげなヘゼルの言葉を遮るように力強く言い、ナシカは微笑んだ。


「最後まで、ヘゼルが伝えたいことを伝えられるよう。やるべきことを為せるよう。私だって当事者だよ。ヘゼルは、ひとりじゃない。

 行こう。きっと私が、あなたを守るから」


 ヘゼルは言葉を失ってナシカを見つめた。その瞳に、不安や恐れはない。ただ、確固たる強い意思がそこにはあった。

 が、ぐっと拳を握ったその後で、彼女は気がついたように「あ」と声を上げる。


「勿論、ティールとヘゼルが元気になってからだけど。ジーラ姉、二人はあとどれくらいで動けるようになるの?」

「目覚めれば、日常生活に問題はないけれど。消耗してるから、無理はしないに越したことはないよ。けど、北に向かうならちょうどいい。この森を抜けた先に、アルクレールという街がある。そこは名のしれた温泉地だ。道中、ついでに療養してくればいいよ」


 急に意気込みだしたナシカの気迫に圧倒されながらも、ジーラルもまた笑って言った。

 気が早っているナシカから、目的地までの地図がないかと尋ねられ、ジーラルはそれを取りに向かおうと立ち上がる。

 しかしその途中、思い出したように彼女はヘゼルを振り返った。


「一つだけ、聞いていいかな」

「今の状況で、答えられることなら」


 慎重に切り返したヘゼルに、ジーラルはごく淡々とした口調で尋ねる。


「ヘゼルくん。君の剣は、『楔』か?」


 その問いに、彼は小さく息を飲んで。


「……そうだ」


 静かに認めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る