「命を削る術」
二人の間には、重い沈黙が流れる。
沈黙が支配しているのはこの部屋ばかりではなかった。二人のいる場所のみならず、隣の部屋からすら、不気味なほどに何も物音が聞こえてこない。先程ジーラルは、悲鳴が聞こえるのは仕様だと語っていたが、悲鳴はおろか、耐える呻き声すらも一切が聞こえてこなかった。
そうと分かってしまうと無性に気になり、へゼルは意識をそちらにやった。ちらと隣の部屋へ向けた視線に気付いたナシカが、笑って言う。
「聞こえてこないよ。私が、そうしたから。二人の悲鳴なんか聞いたら、私が耐えられない」
「けど」
困惑してヘゼルは眉根を寄せる。彼らは、この家にやって来たばかりだ。彼女は楽器を演奏していないし、荷物から取り出しすらしていなかった。
「さっき。私、歌ったでしょう」
「楽器がなくても、音楽術は使えるのか?」
「うん。ほとんど知られてないけど、できるよ。あまり、使っちゃいけない手段だから」
「使っちゃいけない?」
「身体に負担がかかりすぎるの」
喉元に手をやり、ナシカは説明する。
「本来はね。自分自身の声で、自分自身の魂を響かせて紡いだ音楽の方が、楽器を使うよりも、いっとう効くんだよ。
けれども、それはとてもとても労力が要ることなの。魂を削って奏でた歌は、何よりも強く術を響かせる反面、反動が全部、跳ね返ってくるから。
音楽術師にとって、それは言葉通りに命を削る術なんだ。
さっきの術くらいであれば、私はなんとか踏みとどまれる。けど実際に、止むに止まれず『歌を奏でて』死んだ人だっている。
だから音楽術師は普通、楽器を介して音楽を奏でるの。そして」
悲痛に顔を歪め、ナシカはぎゅっと自分の拳を握りしめた。
「だから、私は――ここまでやって来て、ユニコーンの角笛を求めようとしている」
何故かナシカは、ひどく苦しげに、胸のうちから絞り出すように言った。
あまりに苦しげな表情に、ヘゼルがなんと声をかけたものか言葉に窮していると。
「その判断は実に的確だったよ、ナシカ」
朗々と響くアルトの声が、彼らの背後から聞こえた。
振り返れば、ちょうど隣の処置室からジーラルが戻ってくるところだった。後ろからは、ひどく疲れた表情のロタも一緒に出てくる。
ぱっと立ち上がり、ナシカはジーラルに駆け寄った。
「二人は!?」
「もう大丈夫だ、安心しなさい。呪いは取り除いた。二人とも今は、ぐっすり眠っているよ。処置中に苦しむこともなかったようだ。ナシカの手腕だな。助力ありがとう」
ジーラルは、ばさりと外套を脱いで椅子の背に放った。
「これで当面の危険は去ったな。
長い旅路に加え、二人にかけられた呪いの懸念も抱えて、さぞかし精神もすり減っただろう。幸いにして、我が家に空き部屋は存分にある。何日でもゆっくり休んでいけ」
「……いや、まだ休むのは早いだろう。まだ、ウィエルの呪いは解かれていない」
思わず口を挟んだヘゼルに、しかしジーラルは気に病む素振りもなく、さらりと言ってのける。
「村の呪いなら、気にすることはない」
「そんな訳にいかないだろう。あのまま村人を放っておけっていうのか」
「そうじゃない。楽器などなくてもウィエルの呪いは解けると言っている」
想像していなかった台詞に、ヘゼルは面食らう。
「……どういうことだ?」
「さっきまでの説明を聞いて、気付かなかったかね、ヘゼルくん」
髪をまとめていた紐を外し、ジーラルはさらりとその長い黒髪をなびかせた。
「私の本業は、
「それがどうしたっていうんだ」
「つまり。君が見えていない部分のことも、重々承知して一枚噛んでいるということだよ。
この件は、君が想像しているよりも、もう少し複雑なんだ。ナシカの立ち回りで事なきを得たが、ティールとヒルドを救うにはそうするしかなかった。そのために少々、村人には助力頂いていたのさ」
回りくどい口ぶりで、ジーラルはそう言いおいて。怪訝な表情でいるヘゼルに、更に重ねて告げる。
「ウィエルの呪いに害意はない。仮に放っておいても問題はないのさ。そもそもあれは、呪いですらないんだ」
意図が分からずヘゼルが黙り込んだままでいると。ナシカを一瞥してから、至極あっさりした口ぶりでジーラルは告げる。
「ウィエルの呪いは、ナシカがやったものだ」
ジーラルの台詞に、ヘゼルは愕然とする。
「どういう、ことだ……!?」
「どうもこうも、そのままの意味だよ。あれは、ナシカがやったんだ。うちの可愛い愚弟と可愛いヒルドに呪いなんざかけやがった、あのいけ好かないクズ野郎から村を守るためにね」
どかり、と音を立ててジーラルは椅子に座った。すっかりポットの湯は冷めていたが、構わずにジーラルは自分の分の茶を注ぎ、カップへ口をつける。一口それを飲むと、ほうっと彼女の口から心弛びの息が漏れた。
先程までの張り詰めた調子から、幾分、彼女の口調が和らぐ。
「さっきのナシカの話は、まだ途中だよ。
確かにヘゼルくんの来訪により、ナシカたちには刺青師たる私の家へ来る正当な理由が出来た。おかげさまで愚弟たちの呪いも無事に解けたというわけ。
だけどね。
言わずもがなの話、ヘゼルくんがウィエルに来たときには、既に村人は氷像のような状態で時を止めていた。
つまりヘゼルくんが来ようが来るまいが、ナシカたちは旅に出ていたんだ。村人にかけられた呪いを解くためという名目でね」
ジーラルの言葉に、しかしヘゼルは合点がいかないとばかりに眉をひそめた。
ナシカがウィエルを旅立つには、なるほど相応の理由が要っただろう。けれどもそのためだけに、ナシカが村人を巻き込むとはとても思えなかったのだ。
「……ウィエルから出る口実を作るためだけに、村人に呪いをかけたと?」
「勿論、違う。あくまでそれは、副次的な産物だよ。
さっき言ったように、村人の時を止めたのはナシカの仕業だ。けど、村から出られず入れもしない呪いは、奴のものだ。
その呪いは、『ナシカの音楽術』でのみ、ウィエルを出入りすることが可能なようになっていたんだ。
つまり。それが何を意味しているか分かる?」
足を組み、不機嫌な面持ちでジーラルは目を細める。
「ティールとヒルドは、ナシカを脅す最初の生贄に過ぎないということだよ。ナシカの行動次第じゃ、他の村人をも手にかける準備があるというね。
仮に直接、手をくださずとも。人が来なければ、金も物資も行き渡らなくなり、いずれ村は飢えて潰える」
彼女の指摘に、想像してヘゼルはぞくりと身震いした。
ティールとヒルドだけではない。
ウィエルの村ごと、全てが人質であったのだ。村が壊滅させられていたとして、おかしくない状況ですらあった。
けど、とヘゼルはウィエルを訪れた日のことを思い返して尋ねる。
「僕らが出立した後に、子どもたちは村の外へ脱出する手筈になっていた筈だ。ナシカの他にも、村から出られる力がある音楽術師はいる、って」
「……口裏を、合わせてもらったよ」
横からナシカが答えた。既に茶を飲み干してしまったカップの底を見つめ、ナシカはぽつりと呟くように言う。
「この件はね。ウィエルの何人かの人たちは、知ってるの。ティールとヒルドには余計な不安を与えないように隠していたけど、村長さんを始めとした大人たち、残った子どもたちをまとめてくれた音楽術師の子には話をしてある。
私たちが出発する前に、子どもたちも同じように術をかけてきたよ。怖がらないよう、寝ているうちに。
今、ウィエルの人間で時が動いているのは、私たち三人だけなの。
やろうと思えば、私が一人ひとり、皆を外に逃がすことは出来たよ。
けど。そんなことをしたら、それこそ次に何をされるか分からないでしょう」
唇を噛み締め、やりきれない表情を浮かべたままナシカは顔を上げる。
「だから出られない状況を逆手に取って、村の人たちが何かをされる前に、先に『呪い』をかけてしまうことにしたの。
既に時を止めてしまった状態なら。流石にそれ以上の呪いをかけることはできないでしょう?
そしてティールとヒルドと一緒に、ウィエルの呪いを解くという名目で、楽器を取りに向かった――あの人から命じられた通りに。
人質は減っても、私が望み通り動いているなら、あの人だって文句はないだろうから」
ティールたちに呪いをかけた人間が、ナシカの元へ訪れたのが一月前。そしてウィエルの呪いが始まったのも、同じく一月前だ。
多少は村でも作物を作っているだろうし、備蓄もあるだろうが、資源が滞るには充分な期間だ。それを見越して、いち早くナシカは動いたのだろう。人が少なくなれば、それだけ残りの村人にはゆとりが出る。
全てはウィエルの人たち、ナシカの大事な人たちを守るために為されたことだった。
「ウィエルのあれは呪いなんかじゃない。いうなれば、ナシカの祈りなんだよ」
独り言のように付け加えたジーラルの言葉に、無意識のうちにヘゼルは頷いていた。皆が助かるようにとの祈りが込められたウィエルのそれに、呪いという言葉は相応しくなかった。
一部始終を聞き終え、ヘゼルは改めて、これまでのナシカの行動が腑に落ちていた。
何故、部外者のヘゼルを連れて行くと頑なに主張したのか。
何故、安全な街道を避けて森を通ったのか。
先ほどナシカが話したように、不確定要素はあったものの、ヘゼルがいればジーラルの元を訪れる理由ができたからだ。
ジェールズへの道程に森を選んだのも、呪いの満了時期がいつか分からない以上、とにかく先を急ぐ必要があったからだった。
村の惨状について、他の二人より幾分か冷静に受け止めていたのも、それ自体は安全であると分かっていたからなのだろう。
けれども、これまで彼女の行動へ特段の違和感を感じることはなかった。
そうさせないように、ナシカは至って自然に、誰から見ても違和感ないよう、演じて立ち振る舞っていたのだ。
ただ。これまでのナシカの行動に、一つだけ、どうしても説明のつかない点があった。
とある可能性に思い当たって、ヘゼルは冷や汗を流す。
「ナシカ。……何故、楽劇に出た?」
ヘゼルの問いかけに、ぴくりとナシカの肩が跳ねた。少し顔を強張らせ、ぎこちなくヘゼルへ視線を向ける。
「これまでのナシカの行動は、今の話で概ね納得がいった。けれど。だったら尚更、楽劇なんて出ている場合ではなかっただろう」
「……その口ぶりだと、検討はついているんでしょう?」
乾いた唇をまた少し噛んでから、ナシカは静かに答える。
「ティールとヒルドに呪いをかけた張本人はね。私を楽劇に誘ってきた、あのラギだよ」
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