5章 楔
「……嘘だろう」
バルドルの妻ナンナは、悲しみのあまり胸が張り裂けて死んだ。
バルドルを殺したヘズは、弟のヴァーリにより復讐され死んだ。
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「……何で俺が先頭なんだ?」
ティールが思いきり、顔をしかめて後ずさった。ナシカはティールの背中を押し、扉の前に無理矢理戻しながら、自分は後ろに回る。
「え、だって、ティールのお姉さんだし。久々の再会には、やっぱ一番手で弟が行った方が喜ぶと思うよ! 数年ぶりに会うんだし!」
「いや、姉ちゃんはナシカのことをすごく可愛がっていたから、俺なんかよりもナシカが顔を見せた方が喜ぶはずだ。そうに違いない」
「そうは言っても、やっぱり身内が一番だよ。ティールから行った方がいいって」
一見は穏やかにやり取りをしているが、言葉にはやや不自然な固さがある。微笑を浮かべつつ、ティールもナシカも互いに一歩も譲らなかった。
その様子を、ヒルドは腕を組みながら、ヘゼルとロタは不思議そうに見守っている。
楽劇を終えたナシカたちは、海岸線に背を向け、内陸へ続く北へと歩みを進めていた。途中で一つ村を経由し、そこから森の中へ続く道を分け入ると、そう奥深くはないところに一軒の家がある。
ここが目的地の一つである、ティールの姉・『ジーラ姉』ことジーラルの家だった。
だが昔馴染みの人物の家に到着したはずの彼らは、扉の前でその足を止め、誰が扉を叩くのかと逡巡し続けて現在に至る。
押し問答を続ける二人へ、しびれを切らしたヘゼルが尋ねる。
「何をそんなに嫌がっているんだ?」
「何を言う、嫌がるだなんてとんでもない。
そうだヘゼル。姉ちゃんとこに寄るのは、お前の刺青を見てもらうためだろ。当事者のお前が一番に行くか?」
「馬鹿を言うな、初対面の人間がずかずか人の家に入っていける訳ないだろう。一人で来たならともかく、知人どころか身内がいるなら僕が一番に入る理由がない」
「そうだよなぁ……それはすこぶる正論なんだよなあ……」
ティールはため息をついて膝に手をついた。
が、思い出したようにがばりと顔を上げると、今度はヒルドへ矛先を変える。
「ヒルドだって姉ちゃんと仲良かったじゃないか!」
「私は最後尾だ。他の人間が動揺して逃げないよう、後ろで見守り、いざというとき捕獲する義務がある」
淡々と答えた彼女の言葉に、ロタの表情が引きつる。
「逃げるってなんすか姉さん、そんなに、その……ヤバイの?」
「定義による」
「定義て姉さん」
「定義というか、タイミングだな。いつも、とは限らない。ティールとナシカのこれも恒例のやり取りだ、深く気にするな。どのみち大抵、というか必ず一番手はティールだ」
当のティールは、ヒルドの言を聞きながらずるずるとその場に座り込んでいた。眉間に皺を押せ、渋面を浮かべている。
ヒルドはうずくまるティールを見下ろして、静かに促す。
「ジーラ姉には事前にナシカから手紙を出してもらっている。私たちがここに来ることは分かっている筈だ。いつもより確率は低いだろう。
観念して入れ、ティール」
「わぁかってるよ……」
結局は押し切られる形となり、ティールは五人の先頭に立って扉に手をかけた。大きく深呼吸してから、彼は静かに扉を押し開ける。きい、と音を立てて扉はぎこちなく開いた。
「……こんにちはー……」
細く開けた隙間から声を掛けるが、問いかけに返事はない。
室内は全て締め切られ、布で窓からの外光も遮られている。灯りはごく一部に灯されているのみで、中の様子はよく見えない。見渡した限り人影は確認できなかった。
ティールはいったん後ろを振り返って頷いてから、恐る恐る扉を大きく開き部屋の中に入る。
途端。
ひゅっと何かが空を切る音がして、ティールが手をかけている扉に突き刺さった。
ティールは小さい悲鳴を上げる。
「当たりの日じゃねーか!」
「……すまん」
最後尾でヒルドは謝罪するが、しかし自分はすっと一歩身を引いた。
斜め前方から飛んできたそれは、細長い針だ。ティールの髪の毛をかすめた針は、木製の壁に深々と突き刺さっている。現物を確認し、改めてティールは戦慄する。
離れた位置で事態を見ていたヘゼルは、慄きつつも、以前にも似たようなことがあったなと場違いにも思い返した。しかし今回は、相手は身内の筈なのに、と少し混乱する。
「許可なく私の仕事場に踏みいるな、馬鹿者め。分かっているはずだろう我が愚弟よ」
部屋の奥から、良く通るアルトの声が響いた。続いて、長身の女性が本棚の影からすっと姿を現す。
腰まで届く黒い髪は、あまり手入れが行き届いておらずぼさぼさで、身につけた衣もくたびれていた。しかし陶磁器のような白い肌に彫刻のように整った顔つきは、暗がりからでもそれと分かる
彼女の両手には、針が何本も握られている。顔は無表情だったが、不機嫌なオーラが全面に滲み出ていた。
「お、お久しぶりです、お姉様」
片手をあげてティールは引きつった笑顔で答えた。応じて彼女も笑顔を浮かべるが、薄明かりに照らし出されたその表情は、
「……分かっているはずだな?」
「大人しく外で待っています!」
叫ぶなり、ティールは素早く外に逃げ出し、慌てて扉を閉めた。
外で様子を窺っていたロタは、恐る恐る尋ねる。
「なに? あの素敵にクレイジーなお姉様」
「……俺の姉上」
ティールは目を閉じ、やれやれと肩で大きく息をついた。
閉め出されてから数十分。
うるさくして彼女の機嫌を損ねては大変と、言葉少なに待ち続けていた彼らの耳に、扉の方へ近付いてくる足音が届く。やがて取っ手をひねる音と共に、今度は内側から扉が開かれた。
「さあさあお待たせ。いらっしゃい、この辺境の小屋まで良く来たね!
久しぶりだね三人とも」
晴れやかに高い声でそう言うと、彼女は順番にナシカとヒルドを抱き締めた。大きくなったね、と感慨深く呟いてから、今度はティールの頭をぺしりと叩く。
「そしてお前はでかくなりすぎだね」
「ほっとけ!」
ティールはまたもや渋面を浮かべ、噛みつくように言った。
続いて、彼女はヘゼルとロタへ向き直る。
「そして二人は初めまして。私はジーラル、ご存じティールの姉だ。二人の話もナシカの手紙で聞いているよ。
さあ中に入って。お茶の準備が出来ている」
そう言って笑い、ジーラルは彼らを部屋へ招いた。五人は促されるままにテーブルにつく。
カップを給仕するジーラルを横目に、ヘゼルはひっそりとティールに耳打ちする。
「……さっきと性格が違わないか?」
「姉ちゃんはそうなんだよ。仕事中は人格が変わる。極めて凶暴に」
がつん、と大きな音を立てて、ジーラルは笑顔でティールの前にカップを置く。
「何か言ったかな愛すべき
「何でもございません」
大人しくティールは両手でカップを抱え、静かに飲み物をすすった。
全員に飲み物が行き渡り、各々がカップに口をつけたのを見届けると、ジーラルは頷いて両手を腰へ当てる。
「さて。久々の再会にゆっくりとお茶、……と言いたいところだけれど」
ジーラルは扉に視線をやり、しっかりとそれが閉まっていることを確認すると。
おもむろに、指をぱちりと鳴らした。
「――ナシカ。もう大丈夫だ。術は満ちた」
その声に、ナシカはすっと表情を引き締めた。
「この家は結界が張ってある。外から、中でのことを悟られることはない」
ジーラルの言葉を最後まで聞かぬうち、ナシカは三つ編みを揺らして勢いよく立ち上がる。
「ティールが右手の平。ヒルドが左足のくるぶしだよ。現状は活動を抑えてある」
「分かった。後は私に任せろ」
緊迫したナシカの声に短く答えると、ジーラルは仕事着と思しき薄い白色の外套を羽織った。名指しをされた二人は、何が起きたか分からず目を瞬かせる。そんな二人へジーラルは顎をしゃくり、隣の部屋へ繋がる扉を指し示した。
「ティール、ヒルド。隣の部屋に来い」
「いきなり、なんだというんだジーラ姉」
「話は後だよ。おとなしく着いてきてくれ。今から緊急解術作業をする」
彼女の台詞にやはり困惑したままの二人へ、畳み掛けるようにジーラルは告げる。
「お前ら二人には『死の呪い』がかけられている」
その言葉に、当事者のみならずヘゼルもどきりとして息を飲んだ。
な、とかすれた声を漏らした後で、ティールは動揺しながら立ち上がる。
「待ってくれ、どういうことだよ姉ちゃん!? 身に覚えがないぞ。そもそも呪いがかかってるのは、俺達じゃなくそこのヘゼルだろ?」
「つべこべ言わずに早く移動しろ。でないと呪いの方に気付かれる。急がないと死ぬぞ! もう数分もしないうち茶に入れた睡眠薬が効いてくる。それまでに処置室へ動け」
有無を言わさずジーラルはティールとヒルドの腕を掴み、隣の部屋へ放り投げるように二人を押し込んだ。
続いて、長い髪を紐で一つにくくりながら、ジーラルはロタへ目線を向ける。
「そこの『変身者』さん」
「……俺様?」
虚を突かれて、ロタは怪訝に目を細めた。構わずにジーラルは早口で言う。
「手伝ってくれ。人手が要る」
「別に構いやしないが。俺は、呪術にゃなんの素養もねぇぜ」
「構わんよ、体格を買ってるだけだ。眠らせはしても、おそらく呪いの方が暴れまわる。動かないよう二人を押さえつけてもらいたいだけだからね」
さらりと告げたその言葉に、ロタは刹那、息を飲む。だがすぐさま気を取り直して立ち上がると、彼もまた隣の部屋に消えていった。
最後に自分も部屋へ入ろうとしたジーラルへ駆け寄り、ナシカは口早に言葉を投げる。
「お願い、ジーラ姉」
「任せときな。小一時間はかかるけど、心配するな。悲鳴の二つや三つ聞こえても、仕様だから心配はしなくていいよ」
「分かった。待ってるね」
気丈に頷き、ナシカは胸元で拳を握りしめる。
ばたり、と思いの外、大きい音を立てて、処置室とを隔てる扉は閉まった。
四人が別室に行ったのを見届けたすぐ後。ナシカは脱力して崩れ落ち、膝をついた。
「おい!」
大丈夫か、と声をかけようとして、ヘゼルは言葉を飲み込んだ。
ナシカの目は、真っ赤だった。
今にも零れ落ちそうな大粒の涙を滲ませ、うわ言のようにナシカは呟く。
「よかった。よかった、着いた……間に合った……」
堰を切ったように、彼女の双眸からぽろぽろと涙が溢れ落ちる。両手で顔を覆い、ナシカは床にへたり込んだ。
何と声をかけたものか皆目見当が付かず、ヘゼルはおろおろとうろたえて、視線と腕とを彷徨わせる。
だが、彼が声をかけるより前に、ナシカの方が顔を上げた。
「……ねぇ、ヘゼル」
彼の腕を掴み、かすれた声で彼女は尋ねた。
既にナシカは泣き止んでいた。しかしいつもの明るい彼女とは違い、その瞳には暗い色が浮かんでいる。何かに怯えたようなその眼差しに、何故かヘゼルは既視感を覚えた。
ナシカは、へにゃりと泣き笑いに顔を歪め、ヘゼルを見上げる。
「ヘゼル。私は、あなたに違和感なく、映っていた?」
ナシカの問いかけに首を傾げて、どういう意味かと、はたと考え。ヘゼルは、目を見開く。
「……嘘だろう」
ヘゼルは、楽劇での彼女を、ティールたちから聞いたことを思い返す。
――あいつは村でも有数の役者なんだ。舞台に立てばまるで別人だ。
最初から、彼女は全て演じていたのだ。
村の呪いから解き放つために友人と旅に出た、暢気で快活な音楽術師を。
その友人二人が死の呪いにかかっているとは微塵も感じさせず、何事も起きていないかのように振る舞う『いつものナシカ・メルディウス』を。
呆気にとられ、ヘゼルは続く言葉を見つけられなかった。
しかし先ほどヘゼルが漏らした呟きに、ナシカは満足したようだった。ナシカは安堵したように、そっと息を吐き出す。
彼女のやりきったという表情を、ヘゼルはただ眺めていることしかできなかった。
彼の腕を掴むナシカの手は震えていた。
ヘゼルが初めて見る、ナシカの素顔だった。
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