第6話 水色の髪(3)

「え? 何? 先生……」

 

 次の瞬間、ミリアの全身に電流が走った。唇に何かが触れている。柔らかくて、濡れていて、ひんやりと冷たい。それがネスィア自身の唇であるとミリアが気付いたのは、更に深く、強く押し付けられてからだった。息が止まりそうで、心臓の鼓動が強くなる。それは、物理的な理由なのか、それとも心理的な理由からなのだろうか。

 

 こんなに冷たい唇なのに、情熱的な接吻だった。ミリアの胸が熱くなる。初めて交わす異性とのこんな接触に、乙女の心はとても正気を保っていられない。

 

 唇を離した後、やや間を置いてからネスィアはミリアの視界を解放した。ミリアはくらっとして後ろに倒れそうになった。慌ててネスィアが抱きとめる。

 

「もうこの部屋には来ない方が良い。オレ自身、これ以上何をするかわからないからな」

 

 ミリアを抱いていた時間はほんの数秒ほど。ネスィアは彼女をしっかりと立たせると、そう言って彼女の傍から離れた。ミリアは、ネスィアの口調の変化には気付いていない。彼の本来の言葉遣いが無意識に出てしまっているのに、ミリアは気付かなかった。

 

「わかりました……」

 

 ミリアはふらふらとした足取りで、部屋を出て行った。内心ではネスィアは彼女が心配ではあったのだが、後を追うことはしなかった。

 

 残されたネスィアが呟く。

 

「見ていたか?」

 

「はい……」

 

 女の声が答えた。まだ大人にはなりきれていない、少女の声。ミリアがこの部屋の扉を叩いたとき、ネスィアが慌てて隠そうとした存在だ。部屋の真ん中のテーブルの下、長いクロスの中に隠れた一人の少女。少女の体は震えていた。何が理由なのかは少女自身にもわかっていない。

 

「そうか。それは良い。そのためにお前は生まれたのだからな」

 

 ネスィアの声に、長いクロスの陰で水色の長い髪がさらりと揺れた。悲しげに。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 次の日、二時限目の教室は喧騒で包まれた。教師の入ってくるはずの入口から入ってきた見知らぬ人物に、教室にいた生徒たちがざわめいた。

 流行の髪型、洗練された服装、スタイリッシュな銀縁の眼鏡。髪をかき上げる姿に、妙な色気を感じてしまう。こんな美青年がいったい、この教室に何の用なのだろうか。

 

 しかし、ミリアにはすぐにわかった。

 

「ネスィア先生……」

 

 信じられなかった。あの野暮ったい姿からこのような美青年に変身することができるなんて。そして、この胸の高鳴りの正体はいったい何だろう。ミリアは無意識に唇に触れていた。あの時、確かに触れたあの感触が忘れられない。

 

「あれ、誰だよ? あんな教員いたか?」

「かっこいい……。新しい先生かしら?」

「モデルか何かなのかなぁ?」

「つーか、ネッシーどこなの? 今日の授業は自習か?」

「本当に綺麗なヒトねぇ……」

 

 男女比三対七の生徒たちは口々に勝手なことを言っている。男子生徒は主に不満の声、女子生徒は主に恋わずらいの溜め息。しかし、そんなざわめきを打ち破るようにネスィアが叱る。

 

「諸君、静かにしたまえ」

 

 言葉遣いに似合わない甘く優しい声に生徒たちも気付く。ネスィアの特徴だ。声だけ聞けば美青年なのに……と噂されることもある美声。

 

「あれがネッシー? マジで?」

「えー! すっごいイメチェンじゃない? 何かあったのかな?」

「あんなに素敵なヒトだったなんて……。授業終わったら質問しに行かなきゃ」

 

 一瞬の静けさはあったが、再び教室は騒然としている。ネスィアは頭を押さえるが、そのとき熱い視線を感じて、ふとその方向を見る。

 そこにはミリアがいた。何も言わずにただネスィアを見ている。見ているだけ。

 

「これからは本気を出していくとするかな」

 

 眼鏡の奥でネスィアが笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アドリンダインの夜明け 桜水城 @sakuramizuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ