第6話 水色の髪(2)

「ほう? どこがわからなかったというのだ? 

この学校でも最も分かりやすいとされる我が輩の講義で、何が分からなかったと言うのだ? 

参考にするから聞かせてもらおうか?」

 

「え、あ、はい、その……」

 

 ミリアの声は震えている。

 泳ぐ眼は部屋を見渡した。

 全体的に薄暗く、窓のあるはずの辺りは、暗幕で覆われ、外からの光を遮っている。

 光は部屋の中心に置かれたテーブルの上の蝋燭のそれだけだ。

 

 蝋燭の周りには試験管が散らばっている。

 薬品がこぼれたりはしていないが、なんとも無造作な印象を受ける。

 

「青い薔薇を咲かせるのと同じ要領で青い秋桜を咲かせられるのかという問いについてです。先生は、はっきりと答えを明示されなかった」

 

 ネスィアはそれを聞いて、鼻にずり落ちてきていた眼鏡を中指の先だけでくいっと上げた。

 

 ミリアは彼を見つめる。

 ボサボサで伸び放題の髪、冴えない眼鏡、色のはっきりとしないシャツの上に羽織った灰色がかった白衣。どうにもこうにも、お世辞にも素敵だとは言えない容姿だ。これでいてアドリンダインの教員の中では一番の若さなのだが、女生徒からの人気は当然集められていない。

 

「それは君自身が自分で解いてみるが良い。我が輩が与えるのは計算式だけだ」

 

 そう言って、ネスィアはテーブルの上にあったメモ用紙の束から一枚剥ぎ取り、さらさらと計算式を書いて寄越した。ミリアはそれを受け取るが、帰ろうというそぶりは見せない。

 

「まだ何か用事でも?」

 

 不機嫌なネスィアの声にミリアは身を縮める。しかし、彼の声そのものは、どこか甘い、耳に心地良い声だ。

 

「ルカはどうしてあんなに感情を押し殺すのでしょう? 元からあんな性格だったんでしょうか?」

 

 言ってしまった後でミリアは口を押さえる。しまった、本題はこれでも、こんな風に訊くつもりはなかったのに。気まずい表情を浮かべたミリアを、ネスィアは目を細めて見つめた。

 

「あいつが感情を押し殺していると? それは違うな。あいつには、そもそも人間らしい感情というものが存在しないのだ」

 

 言い切るネスィアにミリアは違和感を覚える。そうだろうか。ただの親戚にどうしてそこまで言い切ることができるのだろうか。

 

 以前、ミリアは聞かされた。ルカはネスィアの姪であると。姪であるルカの親友として、ミリアはネスィアに彼女のことを任されたのだ。その際、彼はとてもルカを大事にしているようにミリアには思えた。しかし、今、彼の表情は冷たい。ルカに対して何の感情も持っていないような……いや、むしろ、憎んでいるのかもしれない。そんな風にミリアには思えた。

 

「先生はルカのことが嫌いなのですか? ルカは先生のことを慕っているように思えるのですけれど……。それに、あの子は優しい子なのに、自分のことを大事にしていないように思えて……」

 

 ネスィアは指の先でテーブルを軽く叩いている。割と大きなテーブルで、床まで届く長いクロスがかかっている。赤いビロード。そんな素材の上に、試験管やら薬品やらを置いてしまって良いのだろうか。

 

「あいつは別に優しい感情なんて持ち合わせていないさ。そういうヤツだ」

 

 吐き捨てるように口にするネスィアが、まったくもって不可解だ。ミリアは計算式の書かれた紙を握り締め、ネスィアに詰め寄る。

 

「どうして先生自身が彼女のことを大事にしてくださらないんですか? どうして私に託すの? 私はあの子にとってそこまで大切な存在じゃ……」

 

 その瞬間、ミリアは目の前が真っ暗になった。感情だとかの問題ではない。視覚的に目の前が見えなくなったのだ。ミリアがその原因に気付くのには数秒を要した。ネスィアの手がミリアの目蓋の上を覆っている。

 

「え? 何? 先生……」

 

 戸惑いながらミリアは訊ねる。塞がれているのは視界だけなのに、体全部が動かない。

 

「君は大切な存在だよ。ルカにとっても、その他のヤツにとってもね」

 

 優しい声にミリアは小さくうなずく。しかし、手がどけられる気配はない。

 

「ここから先は見ない方が良い」

 

 ミリアはその言葉の意味を理解できない。いったい何が起こると言うのだろうか。

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