第五章 二十一世紀(2)

 僕たち家族はあの長い左右に引かれた直線の、右から四分の一の地点に移動した。父の会社の支社がそこにあり、母はもともとの仕事を辞めて新しい仕事を探した。そこは海に近い、風の強い街で、坂道が多く、安くて旨い魚がいつでも食える街だった。気候はほとんどいつも穏やかで、一年に一、二回程強い雨が降る以外には空に大きな変動がない。もちろん、わざわざそういうできるだけ何事も起こらない街を母が父と相談して選んだのだ。僕はその街に新しい名前をつけようとしたが、途中でそうするべきでないことに気が付いて止めた。この町には真中市とは違う特徴があり、それに従って営まれている生活を、途中から来た僕がどうこう言うのはおかしな話だ。それに、名前をつけたところで、僕はどうせ数年の内にここを出ていくことになるはずだった。

 引っ越した先の街や学校で、真中市の事件が話題に上ることは一切なかった。僕がその事件について誰かから質問されることもなかった。少なくとも僕は耳にしなかった。僕や健一の実名はニュースに一度も登場したことはなく、すでに事件から三ヶ月以上が過ぎていたのだから当然と言えば当然だった。真中市民以外はこの事件のことなどすでに忘れ、次々にこの世界のどこかで起こり続ける別の災いに目を向けていた。

 引っ越して二、三ヶ月が経った頃、僕は自分が友達を作ることができなくなっているのに気が付いた。誰と話していても途中で会話が途切れ、興味や集中力が消えてしまう。彼の前にいるのが僕である必然性が全く感じられなくなってしまう。自分を省みてみれば、それはごく自然な避けがたい事態と言えた。友達というのは、僕にとっては嘘をつかないで済む関係のことだったが、僕は、相手が誰であろうと、決して本当のことを言うことができなくなっていたのだ。僕は前に住んでいた街で友達と協力して連続殺人犯を殺したのだ、などと言うわけにはいかない。当たり前のことだったかもしれないが、それを隠すということは、自分にとって大きなことだった。それにそもそも僕には、小学一年生のころからずっと、あの三人以外に友達がいなかった。どのみち彼らとの関係以外に友達のあり方など知らないのだ。

 その結果、高校生活はほとんど何事も起こらずに過ぎ去ろうとしていた。僕は毎日本を読み、映画を観て、一人で音楽を聴いた。部活動にも参加しなかったし、学校の行事に対しても甚だ不熱心だった。僕が通う高校は共学だったから、教室の中で誰かが誰かと付き合い、喧嘩をして、別れ、また別の誰かと出会う化学反応のような感情と関係の変化がよく見てとれた。誰が何を望み、誰が何を憎み、どのようなグループが存在し、その力関係や無関係性、その退屈さや情熱が、僕にはよく見えた。超越的な外側からの視点を持った研究者としてではなく、僕だけが静止していたから、部屋の中の空気の流れがはっきり分かったというだけのことだった。やることが無くて毎日勉強ばかりしていたから、成績は上位の方にいた。ほとんど徹底的に孤立していたのにクラスの中での居心地が悪くならなかったのはそれが理由だろう。しかし自分が何かを学んでいるという実感は全くなかった。小説や映画と同じく、中学校の時からの習慣でそうしていただけだった。僕は地球の衛星軌道上を周回し続ける燃料の尽きたロケットだった。太陽の光を浴び、地球を見下ろし、重力のバランスの間で慣性に任せたまま飛び続けているが、目的地はどこにもない。

 十七歳になった頃、僕は生き方を変えなければならないと思った。

 このままではどこにも行けない。誰を愛することも憎むことも、何かに興味を持つことも嫌うこともなく、このまま生きていって一体どうなるのだろう。

 何も起こらない。

 僕は二つのものを望んでいた。新しい友達と、自分の未来に対する希望だ。それが自分が生きる上で最も重要だということは分かっていた。

 友達を作るためには、まず、僕は本当のこと以外の物事を喋る方法を覚えなければならない。おそらく実際には簡単なことだ。嘘をつくわけではなく、ただとにかく何でもよい何かを喋ればよいのだ。僕は別に自分が誰かを殺そうとしたことを誰かに慰めて欲しいわけではない。誰かに知って欲しいわけでもない。誰かと関係を作ることによって、自分自身に、過去以外の別の本当のことが欲しいのだ。つまり現在の僕の言葉を告げる相手だ。誰かとの関係が、僕を現在の僕自身に更新するのだ。そこには嘘はない。僕は、誰かがグループを作っているところに入り込む。何でもいい。ささやかな話から始まればいいのだ。それを複数のグループの端末に対して行う。少しずつ。そうすれば僕もそれほど長い時間が経たないうちに、何らかのネットワークの一部に形成されるだろう。

 二つ目の望みについては少々厄介だった。こればかりは他人から与えられるものではなく、方法論も見つからなかった。僕は仮定することしかできなかった。つまり、未来に対する希望とは水の中を時折上流からこぼれて流れてくるごく少量の黄金のようなもので、それを見つけたいのであれば川の中を常に泳ぎ続けて、いつかやってくる気付きを待つしかない、と。要するにそれは生き続けるしかないということだった。とりあえず、僕は様々な本を読んだ。これまではほとんど小説しか読んでこなかったが、思想書や歴史書や数学や科学の学術書も手当たり次第に読んだ。おそらく内容は半分も理解できなかったが、とにかく読み続けた。音楽も古いものから新しいものまでずいぶん聴いた。それまであまり興味のなかったニルヴァーナやU2やオアシスやレッドホットチリペッパーズやハイスタンダードといった最近の音楽を、僕は無理から聴き続けた。

 これらの行為は、期待以上の成果をもたらした。始める前は、どうあがいても何一つ変化など起こらないかもしれないと僕は思っていた。だが実際にはあっけないほど、僕が押したスイッチに人々や物事は反応した。僕は何人かの友達を得て、幾らかの新たな知見を得た。それらは僕の生活を穏やかにし、僕の心を安定させた。それらは僕の周辺の時空と僕自身に適度な重力を与え、僕の毎日を滑らかに回転させる習慣となった。高校の帰りにファミレスで繰り広げられる友達との屈託のない会話は、どこまでもくだらなく、楽しかった。今ある音楽は、同じことの繰り返しでも過去の縮小再生産でもなく、真摯な現在の証言なのだと気付くことができた。僕は週末になると友達とともに釣りや買い物に出掛け、連れだって他校の女子生徒たちとカラオケに行ったりした。夜な夜な長電話をし、徹夜でテレビゲームや麻雀をやったりした。

 しばらくの内は、それで上手く行きそうに思えた。

 実際、ほとんど上手く行っていたと思う。

 しかし結局は駄目になった。

 その日僕は、いつもと同じように、ただ普通に友達と話をしていただけだった。授業と授業の合間、借りていた漫画を返してその感想を話していた。とてつもなく長い漫画で、その物語の中で紡がれる歴史が連綿と続いて行くように、僕たちの話にも始まりと終わりが無かった。そうしている途中に、僕はふと窓の向こう側を見た。

 廊下を3人のクラスメートが笑いながら歩いて行く。

 それはただそれだけの光景だった。今までに百万回繰り返されてきた光景だ。

 そして別に、僕もそれに対して何かを考えたわけではなかった。具体的な何かを感じたわけでもなかった。鳥が空を横切っていくのと同じような、ごく自然な光景だったのだから、意味を見出して言及することなど何もない。

 だが、僕はそこから目の前の友達に視線を戻した時、突然全く何も喋ることができなくなった。ぽかんと友達の顔を正面から見つめていて、何故彼が僕の目の前にいるのか全く分からなくなった。やがて彼の顔から意味が消えて、ただそこにあるだけのものになり、自分が誰なのかも分からなくなった。

 友達がずっと話し続けていることだけは分かった。だが僕はそれに相槌を打つこともできなかった。自分が木になったような気がした。言葉が僕の耳から入って脳に到達しているのだが、意味への変換機能が完全に停止していた。やがて、僕がいきなり押し黙ったのに気が付いて、目の前にいた友達が、ってお前聞いてんのか、と軽く尋ねた。

 それで一気に耳に音が戻った。教室内のざわめき、チョークの粉の臭い、白いカーテンを揺らす風、床にこびりついた埃、椅子の堅い感触、そんなものたちが一気に戻ってきた。友達の顔は、一瞬前まで意味が消滅していたことなど忘れてしまったかのようにごく自然に目の前にあり、動いていた。僕が微かに頷くと、彼はまた話し始めた。話題は今僕たちが遊んでいるテレビゲームについてだった。僕は全力で微笑み、ちょっとトイレ、と言い、立ち上がって洗面所まで歩いて行った。

 顔を洗い、鏡に映る自分の顔を見つめると、昨日までの、さっきまでの自分と何も変わらない。腕時計を見ても、時間はほとんど経っていなかった。感覚が消えたのは、一瞬だけだった。僕は自分に向かって首をかしげた。僕はただ、ぼんやりしていたな、と思い、深く考えなかった。

 だが、同じことが、その後も何度も起きた。帰り道の電車の中、公園でバスケットボールをしている最中、図書室に向かうまでの廊下、喫茶店で煙草を吸った直後。そして多くの授業中にそれは起きた。目の前に開かれた教科書の言葉が、日本語でも英語でも記号でもない、別の宇宙に存在する、自分とは全く関係が無い、ただ形だけがあるものに見えた。そして頭の中が真っ黒になった。

 その瞬間は、いつも予期ができなかった。必ず僕が忘れた頃に唐突にやってきた。いきなり訪れ、そして大して間を空けず速やかに去って行った。そこに真っ黒な空洞が残り、覗き込んでも何も存在せず、それが僕に何かを訴えかけることもなかった。

 僕は、恐怖も困惑も、何も感じなかった。ただ突然であるだけで、自分にとってごく自然な現象であるように思えた。むしろその瞬間は、感覚が戻った後に味わうと穏やかで心安らぐものでさえあった。

 意識が暗転した時の静寂と暗闇に比べ、普段の生活は眩しいほど光り輝いていた。めまいがするほどの対比だった。騒がしく活気に満ちていて、僕が声を掛ければ反応があり、ほとんどの時間笑いが絶えることが無かった。

 いつの間にか、それが、どうしても耐えられなくなった。

 僕は、その暗転がやって来ない普段の時間の方を苦しむようになった。

 にこにこと笑って友達と話し合うのを楽しみ、本を読んで新たな知識を身に付けることに快感を覚えるのは、おそらく僕の本当の気持ちだった。だが何かが決定的に足りなかった。心の奥底に凄まじい退屈があった。それは押さえつけがたく、僕の感覚のあらゆる内側か裏側に潜んでいた。感覚が全て暗転してしまうのとは全く別の現象だ。僕は全くの正気のままだというのに、誰と話していても集中力が途切れ、何を見聞きしていても興味が失せてしまう瞬間がしばしば訪れた。そうなると、意識を元の場所に連れ戻すまでに長い時間がかかった。どんどんその時間は長くなっていき、ひどい時には僕の周りから人が全員いなくなるまで戻らないこともあった。僕はその意識に、消えてほしいと願った。心の底から願った。僕が退屈かどうかなんてどうだっていい、正直かどうかなんてどうだっていい、今ここで、ここにある物をそれなりに味わって、ただ受け入れて生活したいだけで、他のものは何もいらない。

 僕は自分に対してそう呼びかけながら毎日の生活を送るようになった。表面的な振る舞いは何一つ変わらず、身に付けた新しい習慣は維持し、話す言葉は何も変わらないよう、細心の注意を払った。

 それなのに、僕の周りからは次第に友達が減って行った。彼らはほんの少しずつ、だが確実に遠ざかった。ほんの僅かな会話のずれ、タイミングの合わないすれ違いが無数に積み重なって、放課後に僕に呼びかけられる声は遠ざかり、肩を叩かれる回数は減り、彼らは僕が声を掛けられる間合いのほんの少しだけ外側にいて、僕はまるで中学生の時のように、空き時間のたびに図書室に通って時間を潰すようになった。

 僕には分からなかった。友達が僕の異変に気が付いていたのかどうか。どうして上手く行かないのか。自分が何を間違っているのか。僕は一体何に退屈しているのか。僕は一体何を望んでいるのか。

 分かっていたのは、問題が自分にある、ということだった。自分は以前までと同じようには生きられないし、それを望んでいないということも分かっていた。僕はあの夜に、自分の中に狂気があることを知った。過剰な正直は狂気に至ることを知り、それを忘れずに見張って生きることにした。僕はもう、自分のあんな感情には二度と会いたくなかった。あれが自分の中で極点に位置する自分、自分が最も正直になった瞬間、自分の制御を全て外した瞬間だった。しかしそれは自由とはかけ離れているはずだった。あの時僕は、最も正直でありながら、最も自分自身の奴隷だった。僕はそれとは別のやり方を見つけようとして、結局見つけられないでいるのだ。だが僕には分からなかった。こうした自分の状況が、個人的な過去の事件や経緯だけに起因するのか、それとも誰もが同じように抱え得る問題なのか分からなかった。

 音楽と映画だけが相変わらず輝いていた。しばらくの時間の濫読の後、読書は僕の情熱から少し遠ざかり、言語化できないもの、まだ意味に到達していないものを求めるようになり、歌詞の無い音楽ばかりを聴き、古い映画ばかりを観るようになった。どちらも、自分とは違う、すくなくとも今の自分と同じではない、ぼんやりとした情景や感覚を浮かび上がらせる。それらは輝いていた。しかしあまりにも遠くに輝いている、手の届かない星々のようだった。

 音楽が終わり、映画が終わると、僕はそれを反芻し続けた。味が無くなるまで、口の中で跡形もなくなるまで噛み砕くと、また次の音楽を聴いて、次の映画を観た。

 やがて、あの唐突な意識の暗転は起こらなくなった。特にきっかけも無く、いつの間にか、もう二度とやって来ることは無かった。退屈だけが残った。

 高校生活が終わりに近付くにつれ、僕が考えるようになったのは、より遠くへ行くことだった。ほとんどそれしか考えなかった。何物からも、自分自身からも遠くに離れてしまいたかった。




 それだけを動機に大学生活が始まった。そしてその望みはほぼ完ぺきに叶えられたと言える。授業に出席して単位さえ取っていれば、誰も僕のことは気に留めないし、文句も言わない。眼を覚ます時間も眠る時間もすべて僕の自由だ。

 最早僕はあえて友達を作ろうという気力を持つことができなかった。僅かに残った高校時代の友人とは、一切連絡を取ろうとはしなかった。それぞれ各地に散り散りになり、連絡先が分からないので取りようがなかった。僕の高校から、この田舎の大学にやって来たのは僕一人で、知り合いは完璧に一人もいなかった。わざわざそうなるようにするためにこの大学を選んだようなものだったし、もし誰か知っている人間がいたとしても、僕は関係を保つことができなかっただろう。相手ではなく、相手と一緒にいる自分自身に対する退屈を我慢することができなくて。

 自分の生活はこのままで良いのだろうか、という高校生の時と同じ問いは、もちろん折に触れて、というよりもほとんど毎日、自分の腹の底から浮かび上がり、口から這い出て、耳の穴の中に突き刺さって、脳をがりがりとかき回した。そしてそのたびに、良い訳はない、という返答がやってくる。だが具体的な対策案は一切浮かんでこない。

 僕は様々なことをやった。様々な種類のアルバイトをして、免許を取って車で旅に出たり、一晩中ランニングしたり、一人で富士山に登ってご来光を見たり、海の遊泳禁止区域までばしゃばしゃと泳いで行き夕暮れになるまでそこでぷかぷかと浮かんでいたりした。何度か体を壊したくらいで、得るものは特になく、退屈な気分には全く変化がなかった。

 最も時間を費やしたのは、映画を撮ることだった。映画と言っても、街の情景に、時折僕のあまり意味のないナレーションが被さるだけの、ドキュメンタリーとも紀行映像とも言えない何物でもない動画だ。だが僕は自分でそれを映画だと思っていた。誰もそう思わなかったとしても僕はそう思っていた。僕は中古の家電屋で見つけたハンディカムビデオカメラを手に、行く先々でそれを回した。大学に行っても授業が始まる直前までカメラをあちこちに向けていたから、大体の人間は僕のことを変人だと思ったことだろう。お陰で余計に僕に話しかける者はなくなった。

 生きものが正面に映る場合、大抵は人間以外の何かだった。犬や猫や、大学の池に住みついていたアヒルたちだ。僕は彼らに話しかけた。

「どこへ行くんですか?」

 僕がそう聞くと、僕がアフレコした声で、野良犬が応えた。

「飯を探してんだよ。それ以外やることあるかよ」

 犬は走り去っていき、僕はその後ろ姿を追ってカメラを回した。

 そんな映像を撮り溜め、夜になるとパソコンで映像を切り貼りして、編集したものに音楽を張り付けた。威勢の良い映像は一つもなかったから、選ばれるほとんどの楽曲はジャズや静かなアコースティック音楽だった。

 時々、アパートの一階自室の窓際に腰掛けて、夜空を見上げてカメラを回していた。月の横を薄い雲が横切っていくのを延々と映し続けた。足元に猫が近寄ってきても気がつかない。三日月も、上弦の月も、下限の月も、満月も撮った。しかしそれは真上の階に住む住人に中断させられることがあった。上の階の住人は僕と同じく学生で、彼がしばしば恋人を家に連れ込んでセックスを始めたからだ。それもかなり激しいセックスだった。彼らは窓を開けてやっていたので、声は何のフィルターにもかけられずに僕のもとに直接落下してきた。我慢とか理性とかは全く感じられない大学生らしい嬌声だった。田舎に住む大学生にとってセックスは極めてポピュラーな習慣であり、僕が住む地域はほぼ学生専用のアパート街であったため、そこかしこからセックスの声が集まって合唱となる夜もあった。まるで、乱交パーティの真っただ中で僕一人だけが相手を見つけられずにカメラマン役を押し付けられたようだ。大体は僕は撮影を止めて、ヘッドホンで音楽を聴きながら本を読んだが、時々は撮影を続行して、足元に寝転がった猫を映して、女たちの喘ぎ声が吹きこまれていくままに任せたりした。

 かつて僕が真中市じゅうを回って、行くところがどこにもなくなってしまったのと同じように、大学に通う日々の周辺での撮影を続けている限り、早晩撮影するネタは尽きてしまう運命にあった。どこへ行っても変わり映えのしない退屈な田舎町としか言いようのない対象だけになってしまい、わざわざ映像として記録しておく理由が見つけられない。大学二年の後半にもなると、僕の撮影は単なる悪癖となって続いているだけだった。映像をカメラに収めても、それをわざわざ編集することはない。ただ素材としてハードディスクの中に溜まっていき、電源を抜かれて半永久的に床の上に転がっていた。

 僕はやがて人間を映すようになった。大学の構内を行き交う人々を映し、道行く人々を映し、公園で遊ぶ子供たちを映し、八百屋のおばさんや農作業中のおじさんを映した。そんな中で、最も長い時間撮影をした人間が二人いた。そして、彼らにだけはセリフがあった。

 一人は僕と同じ大学に通う学生だった。学部は違ったが、彼女は僕の一年先輩で、いつも大学近くの公園にいた。足元に古いラジカセを置いて、大体はそれから古めのポップソングを流しながら、一人黙々と踊り続けていた。彼女のスタイルはたぶん基本的にはジャズダンスと呼ばれるものだった。それが少しクラシックバレエ寄りの動きを取り、緩急の差と回転の激しさに特徴があった。具体的な何かを体で表現するというよりは、流れるサウンドに身を任せるのと、そこに重なる感情に従って素直に体を動かしているという感じがした。誰かに教わった風でないことは、初めて観たときから感じていた。そのせいで彼女の踊りにはでたらめさと繊細さが、彼女が望んだ以上の量で同居していたのだ。

 初めてこの光景を目撃した時は、遠巻きにカメラを回した。名前など無い、どこでもない公園の昼下がり、見物人は僕だけではなく、近所に住む小学生たちも、サッカーや縄跳びをしながら眺めていた。僕は彼らの背後に回り、ゆっくりと歩いてその光景全体をカメラに収めた。踊る彼女は、短く切った髪を揺らして、汗を流して、どこでもないどこかに視線を向けていた。僕はもちろん、子供たちも眼に入らないようだった。ほとんど休憩もなく踊り続けていたが、十数分の内にカメラのバッテリーが切れてしまい、そこで撮影を切り上げざるを得なかった。

 数日後に似たような時間に同じ公園に立ち寄ったところ、再び彼女はそこにいて同じように踊っていた。前回よりももう少し近づいてカメラを回した。今度は他には誰もいない。ズームインして彼女の顔を正面からとらえると、一瞬だけこちらに目を向けた。僕は地べたに座り込んで、彼女の踊りを映し続けた。腕が振り上げられ、汗が散って、音楽よりも彼女の動作の音の方が聞こえてくる。やがて音楽が終わり、彼女の動きが静止し、空を見上げたまま動かなくなった。僕も彼女も動かず、風がひらひらと木の葉を舞わせて通り抜けた。しばらくすると、彼女は動き出し、足元のラジカセを拾い上げて歩き去っていった。僕の方は見もしなかった。僕は、去っていく彼女をカメラに映さず、いなくなった空洞に向けたままにさせて、じっとそのままでいた。公園には誰も訪れず、静寂が立ち込めて、空は曇っていった。

 彼女の名前を知り、会話をしたのは三度目に会った時のことだった。場所も時間帯も全く同じだ。この時、僕がカメラを向けると、彼女は直ちに踊りを中断した。足元のラジカセの停止ボタンを押し、僕に向かってつかつかと歩いてきた。

「あんた誰? 何やってんの? 変態?」

 第一印象は、思ったより細い声なのだな、ということだった。

「そこの大学の文学部の中原。映画を撮ってる。変態じゃない」

 僕はそう答えた。

「映画って、あの映画?」

「あの映画だ」

「なんで私を撮ってんの」

「何でも撮るんだ。眼に映るものは何でも」

「大して内容変わらないのに、何で三回も撮りに来てんの」

「観ていて飽きなかった。まだ撮り足りないと思って。不思議な踊りだ」

「わたしゃドラクエの『どろにんぎょう』か」

 彼女はそう言って鼻で笑った。

「今日はもう踊らない?」と僕は訊いた。

「踊らないよ、文学部の中原君。踊ってほしい?」

「そのために来たから、どっちかと言うと踊ってほしい」

「でも変態の前じゃあ踊れないな」

「じゃあカメラだけここに置いておく」と僕は言った。「回しっぱなしにして。俺はいなくなるから、好きに踊ればいいんじゃないか。しばらくしたら戻ってくる」

 僕がそう言うと、彼女は、その言葉の意味を少し考える風だった。やがてすぐに、彼女は声をあげて笑った。

「なにそれ。馬鹿じゃないの」

 僕も笑った。笑ったのは久しぶりのことだった。

 私、横沢燈、と彼女は名乗った。「ひへんに、のぼるって書いてアカリ。法学部の3年生」

「中原裕司」と僕も改めて名乗った。「余裕のユウに、つかさどる」

 その間も僕はカメラを回し続けていた。

「なんていう映画?」と横沢燈はカメラに指を向けて尋ねた。

「『なんていう』って?」

「タイトル。題名」

 僕は首を横に振って、この映画に題名はない、と答えた。一度も考えたことがなかった。

「題名はつけた方がいいよ。話が終わらないからね。終わんないでしょ?」

「どうして分かる?」

「私の踊りにも題名がないから」

 僕は納得した。

 結局その日彼女は踊らなかった。代わりに僕たちは近くの喫茶店に寄ってアイスコーヒーを飲んだ。

 僕たちはいくつかの話をした。大学のこと、音楽のこと、小説のこと、映画のこと、そして就職活動のことを話した。大学の授業の内容は僕たちにとってほとんど重なるところがなく、燈はほとんど本を読まず、彼女は就職活動から逃れたくて仕方がない状態だったから、自然と話すのは音楽と映画の話ばかりになっていった。彼女は驚くほど多くの音楽を聞き、多くの映画を観ていた。コールドプレイは聴いたことあるか、と尋ねられて首を横に振ると、彼女はかばんの中からCDを取り出して、テーブルの上に置いたラジカセで再生した。神経質で弱弱しく美しいギターとボーカルがスピーカーから流れ始め、僕は、いい歌だ、と言った。やがて押しも押されぬビッグバンドに成長する彼らだったが、時は二〇〇一年、外界からの情報がほとんど入らない環境に生きている僕はその存在を全く知らなかった。新しい音はどこにもないけれど、奏でられるメロディは何故か、確かに二十一世紀の到来を僕に感じさせた。とっくにカメラのバッテリーが切れているのに、僕は席を立つまで気が付かなかった。

 別れ際、燈は僕にコールドプレイのCDを貸してくれた。いつ返せばいい、と僕が訊くと、多分いつもあの公園にいるから返しに来て、と彼女は答えた。僕はありがとうと言って、自転車に乗って去っていく彼女の背に、バッテリーが空になったカメラを向けた。

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