第二章 夏(3)

 眼を覚まして、天井の剥き出しの木組を見上げた時、何十時間も眠ってしまっていたような気持がした。頭が重い。長すぎる時間が経ち、別の時空へやってきたような違和感が体にあった。僕は夢を見ていたのかもしれないが、全く内容を思い出すことができなかった。

 体を起こし、建てつけの悪いあの入口の戸の隙間から微かに差し込む日の光を見ていると、僕は自分がするべきことを思い出した。三人の仲間の顔を確かめることだ。

僕はまず最初に夏の顔を見た。彼女はまだ眠っている。

 そして、その姿は昨日の夜と何一つ変わらなかった。

 健一も誠二も同じだった。まだ寝息を立てていたが、相貌にも顔色にも、昨日と変わったところは何も無い。腕時計を見ると、午前7時だった。僕は自分でも意識せずに深くため息をついた。

 少し迷った後で、僕は、自分も別の人間に変わっていないかどうかを確かめるために、仲間を起こすことにした。朝だ、ラジオ体操の時間は過ぎてる、僕がそう言って健一の肩を軽く揺すると、彼はすぐに目を覚ました。

 おはよう、と健一は言って、僕の顔をまじまじ見た。「裕司、お前の顔なんにも変ってないな」

「そう言うお前は、誰だ?」と僕はまじめな顔で、健一の顔を指さして言った。

 え、と健一は絶句して、自分の顔を両手で撫でさすった。

 僕はすぐにこらえ切れなくなって笑いだし、冗談だよ健一、と言った。

 健一は手の動きを止め、僕を睨みつけると、馬鹿野郎、と言い、微笑んだ。

「俺たち無事だったみたいだな」

 そんなの今更マジに考えてたのか、と僕は、自分の中でも微かな想像力が膨れ上がっていたのを棚に上げて、笑って答えた。

 そして僕が夏を起こし、健一が誠二を起こした。誠二の顔は、低血圧気味で不機嫌そうな表情なのを除けばいつもと何も変わらなかった。夏は、僕たちの顔を見て心底ほっとしている様子だったのが、僕には分かった。今にも僕たちに抱きつかんとするのを必死にこらえているような表情だった。

誠二が入口の戸を開けると、明るい朝の日差しが部屋の中に入り込んできた。川の音が遠くから聞こえる。僕たちはとりあえず朝食を取ることにした。昨日食べきらずに残しておいたクッキーや菓子パン類を齧っていると、夏が言った。

「おじさんがいないね」

 そうだった。僕は部屋の反対側の隅を見やった。そこには昨日と同じ、男の旅の道具一式が置かれていたが、男の姿はどこにもなかった。寝袋が抜け殻のように敷かれたままだった。散歩か、川に顔でも洗いに行っているのだろうと僕は思った。

 朝食を食べ終えてしまうと、僕たちも今更ながら川に顔を洗いに行くことにした。健一と誠二はすぐに外に出ていき、僕と夏は片づけを先にすることにし、クッキーの入っていたビニールを丸めてリュックに突っ込んだり寝袋を畳んだりした。

 自分の寝袋を畳み終わり、健一と誠二の分の寝袋も片づけておいてやろうかと思った時だった。その瞬間のことは忘れない。その音が聞こえた瞬間に全てが変わった。あたたかい夏の朝の日差しが照らす穏やかな空気が一瞬にして消え、光も温度も何一つ感じられない世界に切り替わった。

 突然辺りに響き渡った音を、僕は耳で聞くよりも全身の肌で聞いた。それが叫び声だったとはっきり分かったのは間があってからで、最初の瞬間、それはもっと別の音のように聞こえた。硬い何かを切り裂くような音、音そのものが張り裂けるような音だ。それが針のように鋭く、いきなり僕の背中に突き刺さった。僕は体を反射的に震わせた。僕は神社の壁が砕け散ったのかと錯覚した。だが違った。爆発や雷鳴のような、物理的に巨大な音ではない。ただそれは周囲の空気を震わせ、凍てつかせ、僕と夏を神社の外に振り向かせた。誰かの声だということは分かったが、そうだとしたら、僕はこんな叫び声はそれまで一度も聴いたことが無かった。

 長い残響の後でその音は止んだ。すると全ての音が消えてしまったかのように辺りはしんと静まり返った。僕は立ちつくしたまま辺りを見回した。神社の中も外の青空も、見た目は数秒前までと何も変わらない。何が起こったのかは全く分からなかったが、不吉な恐ろしいことだということだけは、それ以上何も見なくても聴かなくても、ほんの数秒走り抜けた叫び声が、充分すぎるほど雄弁に告げていた。僕は自動的に動き出していた。あと少しでも立ち尽くし続けていたら、おそらく理由の無い恐怖でそのまま動けなかっただろう。だが僕の背後にいたのは夏で、きっと声を上げたのは健一か誠二のどちらかか、それとも両方だった。だとしたら僕にはするべきことがあった。

「見てくる、待ってろ」

 僕は振り返って夏にそう言った。たぶんその声は震えていたと思う。夏は、氷のように固まった表情で、ひたすら何度も首を横に振った。そして僕の手を思い切りつかんだ。その後は眼だけをぎょろぎょろとさせて、それ以外は全く動かなかった。その顔は、絶対に僕の手を離さないという決意に満ちていた。

 仕方なく僕は頷き、夏の手を引いて、靴を履いて神社の外に出た。

 健一と誠二の姿はほとんど探すまでもなく見つかった。彼らは神社の入り口の、あの古ぼけた鳥居の近くで、二人並んで立ちつくしていた。

 その様子がおかしいのはすぐに分かった。だがもっと不審なのは二人ではなく、彼らが見上げる鳥居の方だった。何故か鳥居に足が三本ある。僕はそこに近づきたくなかった。一歩一歩近づくごとに、不吉な予感が明白な現実に変わっていくのを感じる。だが確かめるしかない。鳥居の足が三本あるのではなく、真ん中に大きな何かがぶら下がっている。昨日までは無かった何かだ。次の一歩を踏み出す前に、僕はそれが何なのか分かった。健一と誠二の隣りに辿り着いてしまう前に、僕は夏の頭を抱きかかえて、見るな、と言った。

 鳥居にぶら下がっていたのは、あの男だった。鳥居の左右に渡された柱の途中に結わえられた縄で、首を吊っていた。僕たちから背を向けているから顔は見えないが、特徴的なカーキ色のツナギは間違いなくあの男のものだった。一本の縄で吊られたその体はぴくりとも動かない。両手も両足もだらりと垂れ下がり、完全に弛緩し、停止している。

 僕は自分の口が開き、掠れた息が口から漏れ続けるのを感じた。息を吸うことができない。声も出ない。僕は自分の心臓の音と、抱き寄せた夏の体の鼓動を感じ、意識して息を吸い込んだ。だが、すぐに呻いて口元を手で押さえた。辺りは耐えがたい臭いにつつまれていたのだ。吊られた男の足元をみると、糞尿がまき散らされてまだ乾ききらずに残っている。

 僕たち四人は、吊るされた男の背中を目前に、呆然と立ち尽くした。男の体は時が止まったかのように硬直している。そして再びそれが動き出す気配は全く感じられない。空中に貼り付けられて、本当に鳥居の三本目の足になったように見える。

 誰も何も言わないし、動くこともできなかった。何を言っていいのか分からないし、何をしたらよいのか分からなかった。ただ僕は自分と夏の鼓動の音だけを聞いていた。そして男の体をじっと見上げ続けていた。二人の心臓の音と、男の体だけがそこにあった。僕は目を開いて、閉じて、また開いた。

 僕は強く眼を閉じた。

 死んでいる。自殺だ。

 でもどうして?

 僕は眼を閉じて口を手で押さえたまま、思い出した。昨日僕たちがここにやって来て、男と再会してからのことを。彼は、鏡はここには無いと言った。そしてまた別のどこかに探しに行くと言った。そして夜になると、僕たちにお休みを言って眠った。僕たちは同じ場所で眠った。だが目を覚ました時彼はつい数時間前までいたはずの場所におらず、鳥居に首を吊って死んだ。僕たちが完全に眠りに落ちた真夜中から夜明けにかけて、ひっそりと神社を抜け出したのだ。それは分かる。だが何故いきなり死ぬのか、昨日から今日までの出来事を時間通りに何度辿っても、途中で飛躍がありすぎて理解できなかった。

 誠二と健一が僕の方に振り向いた。二人は同じ顔をしていた。頭は空っぽで、人形のような、完全に自我を失った顔だ。

 僕の腕の中で、夏の体が震えている。夏は泣いていた。健一が彼女の体を抱きしめると、夏は片腕を彼の体に回して、声もなく肩を震わせて泣き続けた。僕は誠二の方を見た。

 僕と誠二は互いの目を覗き込みあった。それは僕と誠二にとって、それまでもずっと続いてきた習慣だった。何かに困った時、一人では解決できないことを考えたい時、僕が頼るのはいつも誠二であり、誠二が最初に相談するのも必ず僕だった。しかしこんな状況は僕たち二人の想像も思慮も遥かに超えていた。誠二の顔は完全な蒼白だったし、僕を見る目の焦点も定まっていなかった。僕たちはしばらく何も声に出すことは出来なかったが、それでも何かを探るようにお互いの眼を見つめ続けた。僕は、抱えた夏の体を健一に預けて言った。

「確かめよう」

 僕がそう言うと、誠二は頷いて、僕たち二人は男が確かにあの男であること、そして間違いなく死んでいることを確かめるべく、顔を前から見ようと、飛び散った排泄物を避けながら、鳥居の脇を通って正面に回り込んだ。

 おそるおそる顔を上げた時、僕は、自分が間違ったことをしたのが分かった。見るべきではなかった。背後から一目見て分かったように、彼は間違いなくあの男で、彼は間違いなく死んでいたのだから、それ以上確かめることなど何もなかったのだ。

 しかし僕は結局見てしまった。男の、見開かれて飛び出しかけた目、大きく開いた口からだらりと垂れ下がった舌、そしてどす黒く変色した顔全体を。それは朝日を背に受けて薄い影に覆われていたが、全てがはっきりと見え、だが同時にその体の周囲で、光が途絶し消滅していた。大きな何かが唐突に断ち切られ、方向を失って、黒く深く刻まれた皺の一筋一筋が、暗く濁ったまま凍りついていた。男の顔のあらゆる穴が歪んで大きく開かれて、彼の全身から色も音もない言葉が叫ばれて空間を塗りつぶしていた。そこにあったのはゼロではなく桁外れのマイナスだった。僕が見上げていた時間は1秒の半分にも満たなかった。だがその光景は焼印のように一瞬で僕の脳にこびりついた。忌まわしさという概念を凝縮したような造形だ。顔をそむけ、眼をきつく閉じたが無駄だった。瞼の裏にははっきりとその死顔が映っていた。生きていた時の男の顔とは似ても似つかない。しかしその顔は結局、生きていた時の彼の顔よりもはるかに長い時間、僕の脳裏にとどまり続けることになった。

 その時僕はようやく、自分の体ががたがた震え続けていることに気が付いた。全く整理のつかない恐怖が僕の体の隅々まで行き渡って血を凍らせていた。その時僕が思ったことは、最早たった一つだった。それ以外のことは何も考えられなかった。

 そしてそれを誠二が僕の代わりに口にした。

「逃げよう」

 誠二がそう言うと、僕たちは震えながら顔を見合わせて、頷いた。全速力で神社の中まで戻り、荷物をまとめ、入口の戸を閉めると、鳥居にぶら下がる死体から眼を逸らしながら、体力の続く限り全力で走った。黄泉の国から逃げ去る時に決して後ろを見てはいけないというルールと同じように、僕たちは絶対に振り返らなかった。死体がそこにあり、逃げていく僕たちの方をじっと見つめているのが分かったからだ。僕たちは木々に包まれた細い坂道を転げ落ちるように走り降りた。風の音も、木々のざわめきも、昨日はとてつもなくやかましかったあの蝉たちの声も、何一つ聞こえなかった。ただあの男の死に顔のイメージが限りない克明さで脳裏に浮かび上がって執拗に拡大される。恐ろしくてたまらなかったが、それでも僕は夏に一番後ろを走らせることができなくて、しんがりを務めた。すぐ背後にあの男の顔が迫って来ている錯覚からどうしても逃れられず、何度も何度も首を横に振った。体力が尽きても、恐怖に背中を押されて全力で走った。

 やがて隘路の終わりに辿り着き、僕たちは昨日自転車を停めた地点まで戻った。もしそこに自転車が無かったらどうしようと僕は心の底から恐れていたが、無事な姿でそれはあった。誰の自転車も欠けておらず、パンクもしていない。鍵を外すと、僕たちはまた全速力で坂を駆け降りた。自転車は傾斜で勝手に降りていくというのに、僕たちは必死にペダルを漕ぎ続けた。全速力の連続であっという間に体力は限界を超えていたが、誰もスピードを緩めなかった。あのスピードで誰も転んだりカーブを曲がり切れずに事故を起こしたりせずに済んだのは、今考えれば僥倖としか言いようがない。坂道を降りていくと体が風を切り、その感覚はあの場所から僕たちが確実に急速に遠ざかっていくことを教えていた。それは僕の心を少しずつ落ち着かせ、ハンドルを握る手から震えを止めていった。

 下り坂が終わり、平坦な田舎道に差し掛かってしばらくすると、誰ともなく自転車をその場に停めた。そこが僕たちの限界だった。僕はハンドルの上に突っ伏して、荒い息で深呼吸を繰り返した。既に太陽は半分近く昇り、道の向こうは陽炎に覆われていた。川のせせらぎが遠くから聞こえる以外には、相変わらず何の音もしない。風は全く吹いていないし、近くに人影も見当たらない。野菜畑が延々広がっているだけだ。しかし何より僕の眼に映るのは、昨日は決して気が付かなかった、光が落ちた裏の陰影だった。俯せる僕の視界には、僕の体と自転車の輪郭がくっきりと影を落としている。僕はその暗闇をじっと見つめていた。僕たち四人以外の人間はどこにいるのだろうかと僕は思った。とにかく誰でもいいから生きている誰かの姿が見たくてたまらなかった。そして同時に、今だけは決して他人に出会いたくなかった。今の自分を誰かに見られることは、何故か絶対に避けなければならないような気がした。

 顔を上げると、誠二が僕の方を振り返って見つめていた。彼の表情は、普段の半分くらいには、既に正気に戻っていた。僕を見る彼の眼は、僕にも正気に戻るようにと求めていた。僕は頷いて、深呼吸をしながら、落ち着け、と自分に言い聞かせた。

「みんなと話がしたい」

 誠二はそう言った。その声はいつもの冷静な調子と全く同じというわけにはいかなかったが、実務的な空気をまとった誠二らしい声だった。

「今話すのか?」と健一が訊いた。

「今しか話せない」と誠二は答えた。

 誠二は道の向こうの橋を指さして、あの橋の下の河原で話そう、と言った。

 彼に従って僕たちは河原まで降りて行った。昨日、往路の途中で昼食を取ったあの河原だった。荷物を下ろし、川の流れるすぐ傍で四人で円を組んで座り込んだ。震えている夏の肩を健一がずっと抱えている。健一は誠二の方を見て、話を始めるように促した。

「あの、おじさんの話だ」と誠二は言った。「どうしてあのおじさんが死んだのか、みんな分かるか?」

 誠二は俯いていた。そして自分に言い聞かせるように話した。

「俺たちは何よりもまず、それを知っておいた方がいいと思う。そうじゃないと、俺たちは間違えることになる」

「間違えるって、何だ」と健一が訊いた。

「あのおじさんが死んだのが呪いのせいとかってことになる。俺はそれは違うってことをみんな知ってた方がいいと思う」

「誠二はどうしてあの人が死んだのか分かるのか?」

 健一がそう訊くと、分かる、と誠二は答えた。

「理由は一つしかない。あの人は鏡が見つからなかったから死んだんだ。鏡を探すことにもう疲れて諦めて死んだんだよ」

 僕は頷いた。確かに、生から死までの瞬間には僕たちに見えない飛躍がある。しかし理屈では誠二の言う通り、それ以外に理由があるはずがなかった。

 簡単な筋書きだ。男は、一夜にして自分の姿がまるっきり変わってしまったということを信じ、それが鏡の呪いのせいだということを信じた。呪いを解くには祝福された鏡を探さなくてはならず、それを求めて日本中をさまよい歩いていた。そしてようやくここと見込んだ神社に辿り着いた。しかし、そこには鏡は無かった。何も無かった。どうしたらよいのか。次に鏡のありそうな場所を求めてまた旅に出ればいいのかもしれない。でも男はもうそう考えることができなかった。本当はもうどこにも当てはない。そもそも鏡などどこにもないかもしれない。それとも、自分の姿がある夜突如変身してしまったということ自体が妄想で、狂っていたのは初めから自分だったということにようやく気が付いたのかもしれない。男が死に至るまでにどういう考えを辿ったか、正確な筋道は分からない。しかしどういう感情が最後に彼を包みこんだのかは分かる。

 それは絶望だ。

 僕もそう思う、と僕は言った。

「だからはっきり言っておきたいんだ。祝福された鏡なんか最初からどこにもない。さっきの神社はもちろんだし、あの人が最初に体が別の人間に変わったっていう話も間違いだ。あの人の話は最初から全部嘘だったんだ。あの人に悪いと思うけど、あの人は自分の話を勝手に信じ込んで、勝手に死んだんだ」

 誠二がそう言うと、健一は頷いた。そして首を横に振った。

「でも昨日は、あんなに元気そうだったのに、何でいきなり死ぬんだ?」

 健一が眉をひそめると、誠二は首を横に振って、分からない、と言った。

「俺にもそれは分からないよ。死ぬ人間がどうやって死ぬって決めるのか、その気持は分からない」

 僕は健一に肩を抱かれている夏の顔を見た。彼女の顔は涙に濡れてぐしゃぐしゃになっていたが、もうその体は震えていなかった。彼女は口を半開きにして誠二の方を見ていた。彼女が何かを言いたそうにしているのが僕には分かったが、夏の口は無言のまま何度か開閉するだけで、それはすぐには言葉にはならないようだった。

「だから、俺たちも決めなくちゃいけないと思うんだ。これからどうするかってことを」

 誠二は僕たち三人の顔を見回しながら、ゆっくりとそう言った。彼の顔は、それまで見たことが無いほど真剣だった。

 だが僕には、誠二の言葉の意味が分からなかった。どうするもこうするもなく、男は死んでいるのだから、これ以上僕たちにできることなど何もない、と僕は思った。どうあがいたところで男が生き返ることなど無い。たとえ、男が探し求めていた祝福された鏡の破片が何処かにあって、それを見つけることができたとしても。誠二は、鏡なんて最初から無い、と言った。それでもいいから男の代わりに僕たちがそれを探そうとでも言いたいのだろうか?

 だから僕は誠二に言った。

「でも、もう死んでる」

「死んでるから、決めるんだ。俺は、俺たち四人で、あの人の死体をどうするのか、決めたいんだ。今、ここで」

 誠二は、ゆっくりと音節を区切りながら言った。三人の視線が誠二に集中し、彼は黙ってそれを受け止めた。健一の顔も夏の顔も、深刻そのものの表情と化した。

 僕の顔は、他の二人とは違った。ぽかんと口を開けて、呆然と誠二の眼を見返していた。

 言われてみれば確かにその通りだった。あの死体をどうするのか、僕たちが死体を発見した以上、僕たちが決めなくてはならない。だが僕はただあの死体から逃げ出すことだけを考えて走り出し、この四人で座り込んでいる現在もそうだったのだ。ただあの忌まわしい場所から離れたいと。あれをどうこうしようなどと、完全に僕の思考の埒外だった。一瞬でも眼を閉じればあの男の死顔がまぶたの裏に浮かび、既にそれは決して触れてはならないものとして僕の心臓に刻印されていた。

 僕は誠二に対して何か言おうとした。だが言葉が見つからなかった。

「みんなの考えを聴きたい。俺一人じゃ決められないから」

 二人が頷き、僕も止むを得ず頷いた。

「でも、最初に俺の考えを言っておきたい」と誠二は言い、息を吸い込んだ、「俺は、無視するのがいいと思う。あの死体は、あのまま放っておけばいいと思う」

誠二の声は明瞭で、いつも通りのはっきりとした意図と意志に満ちていた。だがその言葉の意味が僕の中で咀嚼されるのには、いつもよりずっと長い時間がかかった。

今考えてみても、これが、異常な状況下で導き出された、彼にとっては有り得ない例外的な対処策だったのか、それともいつもの誠二らしい結論だったのか、僕には分からない。

「無視した方がいい」と誠二はもう一度言った。「理由は、俺たちが、あのおじさんが死んだことに何の関係もないからだ。確かに俺たちはあのおじさんに会って話を聞いて、同じ場所に辿り着いた。でも死んだこととは無関係だ。俺たちが何か言ったりやったりしたから、あのおじさんが死んだんじゃない。俺たちは何もしてない。あの人は勝手に信じて勝手に死んだんだ。それをはっきりさせておくためには、俺たちはあの死体のことは放っておくのがいい。だから俺たちは、あの死体を見たことも、あのおじさんが死んだことも、あのおじさんに会ったことも、誰にも話しちゃいけない。この冒険が大人たちに秘密だったのと同じに、これは誰にも秘密にしなくちゃいけない。俺たちが誰にも話さなければ、俺たちが死体を見たことは絶対に誰にもばれない」

 誠二が一言話すごとに、周囲の空気が凍りついて時間の流れが遅くなっていくような感覚がした。健一も夏も、顔から表情が失われていた。誠二の背後で、細い川のせせらぎがゆっくりと流れていく。僕はその水の流れと、反射する光と、その水の奥の暗闇と、誠二の目を同時に見つめていた。

 誠二がどうして、今ここでどうするか決めたい、と急いだのか、その理由が彼の言葉を聴いてようやく分かった。この事を誰にも話さないと決めるのならば、まだ誰にも会っていない今決めるしかない。無視すればよい。そうすれば誰にもばれない。その声が僕の胸に突き刺さった。何故ばれてはいけないのか、その説明は誠二の言葉から欠けていた。しかし彼の気持ちは分かった。僕も同じ気持ちだった。

 あの死体とは関わりたくないし、関わるべきではない。誠二のその気持ちはよく分かった。関わっても何の得もないし、関われば男の死の原因にも関わることになる。僕たちはそうするべきではない。何らの責任も負うべきではない。それはあの時、僕と誠二、並んで縊死体を正面から見上げた二人には分かる感覚だった。

 やがて、健一がゆっくりと首を横に振った。

「駄目だ」と健一は言った。

 健一は眉間にきつく皺を寄せて、誠二を睨んだ。そして右目を手で覆いながら、駄目だ、ともう一度言った。誰よりも自分自身にそう言い聞かせるように。

「無視はできない。俺はあのおじさんをこのまま放っておけない。さっきは確かにびびった。まじで怖かった。でも、このまま無視はできない。だってそうだろ。それはなんか違うだろ。おじさんが可哀そうだろ。それに、誰にも話さないって、一体いつまで話さないんだ? 夏休みが終わるまでじゃないだろ。一年か? 二年か? それとも大人になるまでか? 多分、そうじゃないだろ。無視するってことは、一生誰にも話さないってことじゃないのか? そうだろ?」

 そうだ、と誠二は言った。

「そんなことできると思うのか?」

「できるかどうかじゃなくてそうしようって言ってるんだよ」

「無理だ、俺にはできないよ。死ぬまで黙ってるなんて無理だ」

「じゃあどうする?」

「警察に、話そう」と健一はひっそりとした声で言った。「俺はそれが一番いいと思う」

「なんて話すんだ?」

「正直に全部話せばいい」

「駄目だ。そんなことできない」と誠二は言って、首を横に振った。

「どうして?」

「俺たちが殺したと思われる」

 誠二がそう答えると、健一は、眼を見開いて彼を見返した。僕も同時に同じ顔をした。

 夏だけが静かな表情で誠二を見つめていた。

「何で、俺たちが殺したことになるんだよ?」、そう言う健一の声は震えていた。「わけがわかんねえよ。あの人は自殺だろ? 誰がどう見たってそうじゃないか。それに、さっきお前が言ったんじゃないか、『俺たちはあのおじさんが死んだことと何の関係もない』って。何の関係もないのにどうして殺したことになるんだよ?」

「今は何も関係なくても、警察に話したら、関係するんだよ」と誠二は恐ろしく静かな声で言った。「健一も、みんなも、よく聞いてくれ。それと、よく思い出してくれ。あのおじさんは最後に、俺たちが眠る前に最後に見た時、何をしてた?」

 僕はそれを咄嗟に思い出すことができなかったが、夏は覚えていた。

彼女は小さな声で、おじさんは何かノートに書いてた、と言った。

「何を書いてたと思う?」

 誠二がそう訊くと、夏は、分からない、と言って首を横に振った。

「遺書だよ。死ぬ前に書いたものはみんな遺書になる。何を書いてもそうなるんだ。遺書には何を書く? 普通は、残していく人たちに自分の持ち物の何を配るかを書くんだ。お金とか、家とか、車とか。でも、あの人には知り合いはいない。独りぼっちだ。だから自分の残したものをあげる相手もいない。それにあの人の持ち物はあのぼろっちいリュックだけだ。最初からあげるものもない。じゃあ何を書くかって言ったらそれは、自分が今から死ぬ理由を書くんだよ。それしかわざわざ死ぬ前に書くことはない。あのノートには、何であの人が死んだのかが書いてある」

「それが何なんだよ。分かんないからはっきり言ってくれ」と健一は苛立たしげに言った。

「あのノートには俺たちのことが書いてあるんだよ」と誠二は言った。「間違いなく書いてある。俺たちのせいで死んだって」

 健一は、あんぐりと口を開いて、はあ? と言った。

 僕は、誠二の話を聞きながら、自分の全身に鳥肌が戻ってくるのが分かった。誠二が何を言いたいのか、僕には分かり始めた。しかし僕は、彼の話の筋書きとそれが辿り着くであろう意味よりも、彼の膨れ上がった思考そのものの方が恐ろしかった。誠二の頭の良さは異常だ、と僕は思った。

「考えてみろよ。あの人は俺たちよりも何日も前にあの神社に辿り着いてたんだ。鏡が無いことは、着いた最初からすぐ分かってた。あの人が鏡が無かったことにがっかりして死んだのが本当なら、その日のうちに自殺しててもおかしくない。それでも、何日間か分からないけど、あの人は生きてたんだ。それが、俺たちがやってきた最初の夜の後で突然死んだ。理由は俺にも全く分からない。分からないけど、あの人は俺たちがやって来たから死んだんだ。俺たちが鏡を探しに来たことがむかついたのかも知れない。俺たちがはしゃいで遊んでるのが許せなかったのかもしれない。俺たちが鏡を見つけられなくても気にしなかったことがショックだったのかもしれない。俺には理由は全然分からない。でも俺たちが来るまで、あの人は普通に生きてた。だから、俺たちが来たことがあの人が死ぬきっかけになったのは間違いないんだ」

「お前が何言ってんのか、俺は分かんない」と健一は首を横に振りながら言った。「俺たちが来たせいであの人が死んだっていうのが本当でも、あの人は自殺したんだろ。俺たちが本当に殺したわけじゃない。もし遺書に俺たちのことが書いてあっても、俺たちが首を絞めて殺したんじゃないんだから、警察に逮捕されるわけじゃないだろ?」

「誰が警察に逮捕されるなんて言ったんだよ。そんなことあるわけないだろ。問題はそんなことじゃない。俺は、俺たちが殺したと思われる、って言ったんだ。本当に殺したかどうかじゃない。殺したと思われるかどうかだ。殺したと思われるのは、駄目だ。だって俺たちは殺してないんだから」

「でもあのノートを確かめなくちゃ本当に何が書いてあるかは分かんないじゃないか。あのノートに俺たちのことが絶対に書いてあるかどうかは、見てみなきゃ分からない」

「だからだよ。これはまだ全部、俺の想像だ。ただの想像だ。でも、俺たちが警察だろうと誰だろうと、大人たちを連れて来て、その誰かにノートの中身を読まれたら、それが本当になる。もしノートに子どもたちのことが書いてあれば、その子どもたちは俺たちってことになる。放っておいてもいつか誰かがノートを見つけるかもしれないけど、俺たちがこの話を誰にも言わなければ、もしそこに俺たちのことが書いてあっても、それが俺たちのことだなんて誰にも分からない。このままなら本当に俺たちとあの人が死んだことは何の関係もない。想像のままなら本当じゃない。だから無視しようって言ってるんだ」

 健一は眼を細めて誠二の顔を見つめた。悲しげな表情だった。

「それでいいのか?」

「俺はそう思う。そうするのがいいと思う」

 健一は、それ以上は何も話さなかった。首を縦にも横にも振らなかった。誠二の言うことは理解できたが、賛成も反対もできないのだった。

 それは僕も同じだった。

 誠二の語った筋書きは論理的だった。そして彼の気持ちは心の底から良く理解できた。殺したと思われるのは駄目だ。想像のままなら本当じゃない。その通りだと僕も思った。でも僕は同時に、それは何かが間違っている、とも直感的に思った。だがその何かは、恐怖と混乱の中でもやもやとして、僕の中で明確な言葉にならなかった。それに誠二の論理は僕の思考が及ぶ遥か先を行きすぎていて、彼の物語に対抗できる別の物語など、僕の頭で咄嗟に作れるはずもなかった。賛成もしないが反対もできないのは、それ以外にどうしたら良いのか分からないからだ。

「駄目だよ」

 そう夏が言った。すすりあげていた鼻が乾き、深呼吸を何度か繰り返し、夏は僕たち三人を見まわした。その顔からは怯えが消え、怖いくらいに何かに集中していた。

 僕はそんな顔をした夏を、かつて一度だけ見たことがあった。発表会でピアノを弾いていたときの彼女の顔に、そっくりだった。

「私も健一と同じことを思った。放っておくのは駄目だよ。誠二の言うことは本当だと思う。でも私は、もっとずっと本当のことがあると思う。

私たち、あのおじさんを放って置いたら後悔するよ、絶対。一生無視するなら、一生後悔すると思う。だから放って置いたら駄目だよ」

 夏はそう言いながら、何度も首を横に振った。彼女の顔には恐怖とは別の感情がこみ上げてきていて、今にも眼から涙が零れそうだった。

「じゃあ、どうするんだ? 警察に行くのか?」と誠二が訊いた。

「違う」と夏は首を横に振った。「私は、そんなことしなくていいと思う。色んなことがばれるのが怖いからじゃない。警察の人もやることないと思うから。だって、あのおじさんは一人で、自殺したんだから。誰かに殺されたんじゃない。誰が犯人なのかを見つけるのが警察の仕事だよね。じゃあ今は仕事することなんてないよね。警察に話したって、自殺した人が山の奥で見つかりました、って、何かの紙に書かれるだけだよね? それが新聞とかに載るのかもしれない。でも、あの人には家族は誰もいないし、一人ぼっちでお金もなくて旅をずっとしてたんだから、連絡してあげる人なんかどこにもいない。警察にしかできない、あのおじさんに何かしてあげられることなんて、なんにもないよね? だったら、後たった一つあのおじさんにできることは、私たちがしてあげるのがいいと思う」

「なんだよそれ」と誠二が訊いた。

「私たちであのおじさんのお墓を作ろう」と夏は言った。「私たちがそうするのが、私は一番いいと思う。穴を掘って、おじさんを埋めて、お墓を立てる、そうするのがいいと思う。それで、そうしたことを誰にも言わないって四人で約束する。そうしたら私たちはきっと一生秘密にしてても平気だよ。だって、後悔しなくていいから。

 それと、健一も、誠二も、裕司も、信じてなくて、信じてたのは私だけみたいだけど、私はあの神社に鏡があると思ってた。今でも信じてる。私たちにも、おじさんにも、見えないところに鏡はあるって。鏡には映ってるよ。おじさんが死んだのが映ってる。だから私たち、おじさんを埋めてあげた方がいいよ」

 夏がそう言うと、僕を含めた残りの三人は、口をつぐんだ。

僕は昨日の夜の夏のことを思い出した。その前に山道を歩いていた時のこともだ。彼女は震えながら、悪い予感に怯えていた。結局それはその通りになった。だから彼女にとっては、その予感を自分にもたらした根拠、「鏡はどこかにある」という直感もまだ正しいままで残っているのだった。

僕は健一と誠二、二人の表情を覗き込んだ。僕たち三人が同じことを考えているのは明らかだった。

「ねえ裕司、そう思わない?」

 夏は僕をじっと見つめて、答えを促した。彼女の眼は透き通っていた。僕は彼女に嘘をつくことはできなかった。

「そうかもしれないけど、俺にはできない」と僕は答えた。

「どうして?」

「夏にはできるのか? あのおじさんの死体を下ろして、運んで、土に埋めるなんて。俺はできないよ。俺はどれだけ頼まれても、もう二度と、あの顔は見たくない。夏はあのおじさんの顔を見てないだろ? もう一度あの顔を見たら、一生後悔するのと同じくらい、一生忘れられなくなる」

 僕がそう言うと、あ、と短く呟いて、夏は絶句した。

 思った通り、彼女は実際のその作業がどんなものになるのか、全く考えていなかった。

 僕たちはまた四人で顔を見合わせた。だが互いに顔色を伺うまでもない。もう二度とあの死体に近づきたくはないという気持ちは、暗闇を本能的に避ける幼児のように、四人全員に避けがたく打ちこまれていた。あの死体がぶら下がった縄を切り、死体を下ろし、死体を運び、穴を掘り、埋める。その一連の動作と時間がもたらす忌まわしさは、僕に一生拭いきれない痕跡を刻むだろうという理屈を超えた直感があった。

 夏は悲しげな表情で首を横に振った。

「私一人でも、やるよ」

 その声には誰も答えることができなかった。どう考えてもそんな事は無理に決まっていた。夏一人ではあの男の首にかかったロープを切ることさえできないだろう。

どんな道を選ぶにしても、四人全員の協力が要る。

 どうしたらいいのだろうか、と僕は思った。誠二が言うことも、健一が言うことも、夏が言うことも、僕にはそれぞれ理解できた。そしてそのどれも、今の自分には遂行することができないということも分かっていた。

 結局、健一の言う通り、警察に連絡するのが一番合理的だということは、この時の僕にも分かっていた。誠二の筋書きは仮説に過ぎず、たとえ僕たちが殺したと思われるのだとしても、自分たちで解決できない以上、誰かの手を借りるしかないのは明らかだ。健一が言う通り一生隠し通すのは無理だし、夏の言う通りそこには必ず致命的な後悔が生まれるだろう。誠二の説には他の誰にも無いリアリティがあった。その恐怖を僕はそっくり自分のものとして感じることができた。それでも、僕が混沌とした自分の言葉と感情の渦の中で見出していた最も鋭敏な感覚は、殺したということの真偽を問われることへの恐怖ではなかった。僕の想像力は、厳密にその意味を把握できるほど広大でもなく、またその意味を受け止められるほど繊細でもなかった。僕は、基本的な倫理とか道徳とかいう感性に、究極的には乏しい少年だったのかもしれない。だから僕は健一の意見に賛成してよいはずだったのに、自分の心の奥底を覗いてみると、誠二や夏と同じように、警察にこの問題を委ねるのには反対だった。そしてその反対する理由が、僕の場合は、誠二とも夏とも少しずつ違っているのだ。それがどう違うのか、どうしてなのか、僕は考えた。難しすぎて良く分からない。しかし、後になって振り返ってみれば、この時僕が思っていたことは他の三人と同じかそれ以上に単純なことだった。それはこの時決して明確な言葉にはならなかったが、僕が思っていたのはつまり、「この物語にふさわしい終わりは何か」、ということだった。誰かにおおっぴらに話したり、知りもしない他人にその行く末を委ねることは、僕たちが悪を成したかどうかという問題を超えて、このプライベートな冒険が死という結末で終わったことの締めくくりとして、ふさわしくないと僕は思った。その感覚は僕の中で一人の人間の生死の問題を超えていた。誠二が言った通り、この冒険は、最初からそうであったように、そして最後までそうしようと僕たちが決めていた通り、誰にも秘密でなくてはならない。それは僕たちと、僕たちにこの話をしたあの男とが、暗黙のうちに結んだ約束だった。僕たちは個人的にあの男と出会い、個人的に旅に出てここまでやってきた。そんなこの物語の最後を飾る役として、僕たちに全く関係の無い他人である警察は適していないと僕は感じていた。僕たちは一つの物語を全うしなくてはならない。だが、だからと言ってどうしたらよいのかは分からない。このままではどうやっても自分たちだけで解決することができない。誰かの助けを借りなくてはならないことははっきりしている。この冒険を秘密のままに終わらせることのできる、僕たち以外の誰かの。

 こうした考えが頭の中で全くまとまらないうちに、僕は自分の結論を口に出していた。

「日光仮面に話そう」

僕がそう言うと、三人の視線が僕に集中した。そして僕は簡潔に自分の考えを言った。

「日光仮面に話せばいいと思う。きっと相談に乗ってくれる。それに、僕たちが頼めば、日光仮面はこのことを絶対に他の誰にも話さないと思う。僕たちが、今ここで、警察に話す必要もないし、埋める必要もないし、無視することもない。どうするかは、日光仮面に相談しよう」

 最初の瞬間は、何故ここで突然日光仮面の名前が登場するのか、言いながら自分でも分からなかった。だが言い終わってしまうと、それが唯一の現実的な解決策だと思えた。

 ただ一人彼だけが、僕たち以外にこの物語を理解し受け入れることができる大人だろうと僕は思った。そしてただ一人彼だけは、僕たちの気持を分かってくれるだろうと。

 最初に夏が、僕の方を見て頷いた。「いい考えだと思う」

 そうか、と健一が呟くように言った。「きっとそれが一番いい。そうしよう」

 誠二は腕を組んで、しばらく頭の中で考えを巡らせていた。そしてやがてゆっくりと頷いて、僕を見つめて、分かった、と言った。

 そうと決まれば、僕たちは立ち上がり、真中市に向かって帰り道を自転車で再び走りだした。漠然とした捉えどころも底もない不安と恐怖は消え、明確な目的が僕たちの背中を押した。僕たちは逃げているのではなく、解決に向かっているのだと、ペダルをこぎながら僕は考えた。

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