第二章 夏(1)
第二章 夏
当時は、僕たちはあの人たちの奇天烈な差異にばかり目が行っていたが、今考えてみれば、彼らには共通する特徴が幾つもあった。よく歌を歌うこともそうだし、孤独であることもそうだし、規則正しい生活を送っていることもそうだった。何より重要だったのは、彼らは全員必ず、他の人間には感じ取れない独自のものを見聞きすることができたということだ。それこそあの人たちがあの人たちである所以と言っても良い。宇宙人を観たといい、真中市には人知れぬ悪が潜んでいると言う。その過剰に研ぎ澄まされた感覚は、一般社会では幻覚とか神経過敏とか統合失調症と呼ばれるものかもしれない。しかし、少なくとも僕たちは、それを一笑に付すことができなかった。彼らは自分たちが観たものを、隠すことも勿体ぶることもなく率直に僕たちに語った。彼らの真剣さや正直さは、僕たちにその超感覚的存在のリアリティを切実に訴えかけてきた。そのせいで僕たちは、間違っているのが僕たちと彼らのどちらなのかを決めつけることができなかったのだ。何が正しくて、何が間違っているのか。何が現実で、何が幻想なのか。彼らと話をしていると、僕たちにはその境目が分からなくなるのだった。その上僕たちは、四人で作り上げた幻想の中枢たる秘密基地を根城として日々を過ごしていた。僕たち自身が、既に現実と幻想の間を居場所としていたのだから、その差が分からなくなっても当然と言えた。
彼に出会ったのは、小学五年生の年の六月の終わりだった。そのことはよく覚えている。彼と出会ったことによって、僕たちの夏休みの予定が決定し、毎日をその準備に向けて費やすことになったからだ。来る日も来る日も、次の日が訪れるのが遅くて仕方が無い、あのじれったく遅々として進まない時間の感覚を、僕は昨日のことのように思い出せる。
僕たちはその頃、依然として真中市に住むあの人たちを探し続けていた。だが、彼らの中に冒険を見出すことを少しずつ諦めかけてもいた。あの人たちに会うこと自体は冒険だったかもしれないが、彼らと出会っても話しても、そこから次の新しい世界は広がっていかなかったからだ。インディ・ジョーンズがそうであったように、冒険とは一つのきっかけから次の事件へ、事件から更に次の事件へ、ドミノ倒しのように継続し拡大していくものであると僕たちは考えていたのだ。
そうであれば、やはり冒険とは僕たち自身が活動して見出さなくてはならないのかもしれなかった。僕たちは真中市のありとあらゆる場所を自転車で駆け巡った。だが何か物足りなかった。どれだけ走り回っても、僕たちは夕方になればそれぞれの家に帰り、それぞれの家のベッドで眠らなければならなかった。四人とも、そのことに苛立っていた。いつか帰ることになるのは良い、でも今は帰りたくない。太陽が沈んで、真中市が暗闇に包まれると、僕たちは言いようのない焦りに捕われた。ようやく僕たちは、冒険をするということが、より大きな事象、自由になるということの一部であることを薄々理解し始めた。
彼と出会ったのはそんな時だった。僕たちはその日、真中市の西の端に位置する神社に訪れていた。凡庸で退屈な真中市にあって唯一、霊験や文化を感じさせる、須佐之男命を祀ったその場所は、僕たちにとって慣れ親しみすぎ、改めて何かを探索するようなポイントではなかったのだが、僕たちは折に触れてそこを訪ねた。神社そのものには最早用は無い。その神社の入り口の前に、旨いたこ焼き屋があって、その店が僕たち四人の大のお気に入りだったのだ。僕たちはいつも小遣いを持ち寄って、八つ入りのたこ焼きを二つ買い、分け合って食べた。何度食べても飽きなかった。生地は熱くやわらかく、ソースが一面にひたされた上に青のりと鰹節が振り掛けられた、ごくシンプルなたこ焼きだ。だが不思議なことに、僕はこのたこ焼き以上に旨いたこ焼きを、未だに食べたことがないでいる。その店は今もまだ真中市の神社の前にある。今もその味はあの頃とほとんど変わらないように思える。この店のたこ焼きを食べるたびに僕は幸福な気持ちになったものだが、今では食べるたびにあの時の感覚と三人のことを思い出す。
その日も僕たちは神社の境内の前でたこ焼きを食べていた。僕と夏、健一と誠二でそれぞれ一つの皿を持ちあって、にこにこしながら爪楊枝でたこ焼きをつついていた。その時「彼」が僕たちの目の前を横切って行くのに気が付いた。
気が付かざるを得なかった。彼はカーキ色の幅のゆったりとしたツナギに身を包み、首に一眼レフカメラをぶら下げ、重々しいリュックを背負い、境内をいぶかしげに右往左往していた。まるでゲリラ兵士のような衣装といい不穏な挙動といい、人の視線を引きつけてやまないオーラを全身に纏っていた。
僕たちは彼が神社の拝殿の柱の裏や庇の下や、周囲に鬱蒼と茂る木々に向かってカメラのシャッターを切るのを、残りのたこ焼きを食べながら眺めていた。やがて僕たちは互いに顔を見合わせ、指先で前歯にこびりついた青のりを擦り取り、近くの屑かごに発泡スチロールの皿と包装紙を投げ捨てると、彼に近づくことにした。
そして僕たちはいつものセリフを言った。
「おじさん、何をしてるんですか」
彼は振り向いた。そして、茫漠とした表情で僕たちを眺めた。顔じゅうに髭がもじゃもじゃと生え、年齢が良く分からない。二十代にも四十代にも見えた。その眼はガラス玉のように透き通り、見開かれすぎていて、どこに焦点を定めようとしているのかさっぱり分からなかった。彼は俯き、カメラを抱え上げ、僕たちに向かってシャッターを一度切った。
「写真撮ってるんですか」
僕がそう訊くと、彼は頷いた。そしてすぐに首を横に振った。何度も首を横に振り、口を開いたまま、掠れた息を漏らした。その動きを見て僕は確信した。彼はまぎれもなく典型的な「あの人たち」の一人だ。
「何か探してるんですか」
そう訊くと、彼は頷いた。何度も頷いた。
「ご神体を探しているんだ」
彼はそう言った。ごしんたい、というのが一体何のことなのか僕たちには分からなかった。
「ご神体ってなんですか」と誠二が訊いた。
彼は首を傾げた後で、口を開いた。
「神の依り代だ」
「依り代って何ですか」
「神様の身代わりだ」
「身代わりってどんなのですか」
「彼らは神社にいる」と、彼は誠二の質問を無視して言った。「だが、ここにはないらしい」
「どこかにご神体があるんですか」と夏が訊いた。
彼は夏の顔をじっと見返して、おもむろに背中のリュックを足元に下ろした。そしてファスナーを開き、中から大判の地図を取り出して広げた。
「ここだ」
彼が示したのは、埼玉と長野と群馬の県境あたりの山奥だった。
「ここには神社がある。この村には今はもう誰も住んでいない」
彼の言葉は謎めいていた。そして不思議な切迫感があり、聴く者の注意を惹きつけた。しかし、話題が前後に著しく曲折し、飛躍も激しく、その上妙にディテールが細かいので、僕たちは彼の話を辿るのに苦労した。
とても長い物語だったので、細かい言葉は忘れてしまった。しかし後に誠二によって整理されたところ、彼の物語は大体次のような筋書きを描いた。
彼は日本全国を旅する紀行カメラマンだった。若いころから日本中の未踏の秘跡を幾つも辿って回り、雑誌に記事を書いて生計を立てていた。ある時、彼はとある山奥の村を訪れた。寂れた村だった。彼のその時の目的地はその村ではなく、もう一つ山を越えた向こう側にある洞窟だったのだが、既にそこを目指して行軍していくには日が傾き過ぎており、止むを得ずその村で一晩を過ごすことにしたのだった。彼は村人を訪ねて、雑草が生え放題の道を歩いて行った。だが奇妙なことにどこへ行っても誰とも会うことが叶わなかった。ぽつぽつとではあるが確かに人の住む形跡がある家屋があり、畑は耕されて幾つかの作物が実りかけており、いくら寂れてはいても廃村とは思えなかった。どのみち一宿一飯に与ることなど期待してはおらず、野宿で済ませる覚悟はできていたのだが、彼の習慣として、訪れた村の者には必ず挨拶をすることにしていたのだった。そうすることで万一の無用なトラブルを避けることができる。だが誰もいないのでは止むを得なかった。更にしばらく歩いてゆくと、小さな丘の上に古ぼけた神社を見つけた。埃は積もり放題で、駒犬の牙は折れていた。彼はそこを一夜の宿とすることに決めた。賽銭箱に小銭を投げ入れて二礼二拍一礼すると、背負ったリュックを神社の母屋の軒先に下ろし、外陣への戸を引いた。戸は、鍵もなくすんなりと開いた。中は板敷きの間が広がるだけで何も無く、ただ埃の黴くさい臭いだけが立ちこめていた。軽食を摂った後、彼は閉ざされた内陣の扉を試しに開けてみた。その狭い空間には、ぽつんと、小さな台座に載せられた扇形の金属片があり、彼はすぐに扉を閉じた。直感的に、それがこの粗末な神社にとって神聖なものであることが見て取れたからだ。閉じた扉に向かって恭しく頭を下げると、さっそく寝支度に入った。
そこで彼は夢を見た。奇妙な夢だった。彼は寝袋に包まれて眠っているのだが、眠っている自分を少しだけ上空から見下ろしていた。瞼を閉じ、穏やかに眠っている自分自身を見下ろすというのは奇妙な心地のするものだった。そしてそれは全く動きの無い夢だった。眠っている自分は、ぴくりとも動かない。自分をひたすら上から見下ろし続けている自分も、全く動かない。動こうとして動けないのか、初めから動くつもりが無いのかは彼自身にも分からなかった。ただ彼は、これは夢なんだと考えているだけだった。じっと自分自身を見下ろしていると、次第に視界が暗闇に包まれていった。もとより神社の中は微かな戸の隙間から月明かりが差し込むだけの、ほぼ完全な暗黒だったが、それさえも消えて行った。
だが奇妙なのは、暗闇は、周囲からではなく見下ろしている彼自身の体から広がっていくように見えることだった。すでに自分の顔は全く見えず、寝袋も暗闇に溶けてほとんど輪郭が見えない。闇の真中に闇よりも更に黒い霧が立ち込めているようで、周囲の空気はそこに向かって吸い込まれていく。彼は微かな動悸を身の内に感じた。いつの間にか、さっきまでそこで眠っていた自分が、既にそこにいないのではと彼は感じた。ここは一体どこだろうかと彼は考えた。ここは本当に神社の中なのだろうか。彼は周囲を見回そうとした。だがどうしても首が動かない。これは夢だと彼は考えた。目を覚まさなくてはならない、一刻も早く。
そして彼は眼を覚ました。全身に夥しい汗をかいていて、吐く息は荒かった。彼は身を起こし、自分の体を見下ろした。そして気が付いた。寝袋が引き裂かれ、辺りに生地や中身の綿が散乱している。胸元を見ると、シャツも真っ二つに裂けている。両手の指に、鈍痛がある。自分で引き裂いたのだ、そう気が付くと、突然全身が震え、叫びながら立ち上がった。反射的な行動だった。目の前に誰かがいる。彼は後ずさり、目の前の暗闇に眼を凝らした。姿は見えない。だが、まぎれもない何者かの存在をそこに感じた。
誰かそこにいるのか、と彼は問いかけたが、反応は無い。動く気配もない。彼はじりじりと後ずさり、壁に背を付け、暗闇の向こうを睨み続けた。村の者の誰かだろうか、と彼は考えた。だがそうは思えなかった。誰か、という問い自体が不適当なものに感じられた。彼が直感的に得た回答はこう告げていた、今自分の眼と鼻の先にいるのは人間ではない。彼は深呼吸して気を落ち着かせ、暗闇に向かって自分の名を名乗り、語りかけた。「私はカメラマンで、目的地に行く途中でここを宿として借りさせてもらいました」。
彼の話は、ここで唐突に途切れた。僕たち四人は彼の顔を覗き込んで話の続きを待ったが、彼は言葉を継ぐことができない。かくかくと口を開閉し、頭をかきむしりながら、次にどうにか彼が発した言葉は、今でもはっきりと覚えている。
「その時、自分が、全く別の人間に変わったことに気が付いた」
彼はそう言った。僕たち四人は顔を見合わせた。
目が覚めた時、彼は髪の先端からつま先までの全身、全く別の人間に変身してしまったのだと言う。自分の声が、それまでの自分のものではないと分かった時、全身の全てのパーツも別のものに取り換えられてしまったことにも気が付いた。腕も、脚も、胴も、まるで身に覚えのない感触がした。彼は暗闇の中で自分の顔をかきむしった。今すぐ光の下で鏡を見たくてたまらなかった。
そう、鏡だ。眠る前に見た内陣に置いてあったのは、きっと鏡だった。彼は立ち上がった。だが、右足が上手く支えられない。神経が麻痺して、そこに何の感覚もない。鏡を見るため、そして何だか分からない何者かの気配から逃れるため、彼は右足を引きずりながら、内陣への扉を開けた。
だが、そこにあったのは祭壇でも鏡でもなかった。目の前に広がるのは、建物の外、薄い星明かりと宵闇に包まれた竹林だった。そんなはずはない、と彼は思った。確かに数時間前にこの戸を開いた時は、目の前に小さな祭壇があった。それに、神社の周囲には雑草が生い茂っていただけで、こんな竹林はどこにもなかった。
彼は何度も、竹林と、さっきまで自分が眠っていた板の間を交互に振り返りながら、ここから一刻も早く出て行かなくてはならないと考えた。荷物を抱え、右足を引きずりながら、彼は神社を出た。
そして建物を振り返ると、それは彼の記憶にあった姿と全く変わってしまっていた。神社ですらなく、ただの古ぼけたあばら家だった。賽銭箱も注連縄もなく、細く小さなひびだらけの参道も、歯の欠けた狛犬も、どこにもない。丘の上でもない。ただ竹林が辺りに広がっているだけだった。
彼はほとんど発狂しながら林をかき分けて逃げ出した。どこへ行ったらいいのか、何から逃げだせばいいのか全く分からなかったが、とにかくその場所から直ちにできるだけ遠ざかりたかった。右足を引きずって何時間か歩き続け、彼はとある県道に出た。通りかかった車を必死の形相で停め、彼は、ここはどこかと尋ねた。
運転手は、ここは岡山県岡山市の外れだと答えた。
彼は首を横に振った。それは彼がさっきまでいたはずの場所から何百キロも隔たった地点だった。そして彼は街に出て、その他のことを知った。自分の顔がやはり本当に全く見知らぬ他人に変わってしまっていること、そして、彼が東京の自宅を出てから三年の時が経っているということを。
彼は完全に混乱しつくした頭を抱えて、東京に戻った。だが、そこでは更なる不幸が彼を待っていた。彼が積み上げてきた一切の物理的および社会的な財産が、既に失われていたのだ。何しろ彼が東京を発ってから三年が過ぎており、体の全てが別人に変わってしまったため、家族も職場も友人も、誰ひとりとして彼が以前の彼から変身した姿であることを受け入れられなかったのだった。それに彼は、あの夜以来、言葉を整然と紡ぐことがほとんどできなくなってしまっていた。たどたどしく、吃音に詰まりながら喋ることしかできず、それは以前の理知的な彼とは全く別人の話し方だった。
何日間か絶望に暮れた後、彼は自分が巻き込まれた出鱈目な災難の原因を探し始めた。図書館に通いつめて、古い伝承や伝説や民話や呪いといった事柄について書かれた書物を手当たり次第読み漁った。医学書の類に答えが無いことを彼は直感的に知っていた。そして彼は一冊の本に辿り着いた。そこにはこう書かれていた。
「日本が誕生した時、その地に住む民へ天照大神から三種の神器が授けられた。一つは天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、一つは八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、そしてもう一つは八咫鏡(やたのかがみ)である。それらを揃えしものは日本の王となる。しかし、歴史の中で生まれた数々の三種の神器をめぐる争いによって、あるものは海中に没し、あるものは燃え尽き、あるものは盗まれたという。三種の神器の正確な行方は誰も知らず、保証することができないというのが歴史上の定説である。
しかしより正確な事実はこうである。元歴二年(西暦一一八五年)、平家が壇ノ浦に逃れ、そこでの合戦に敗れた際、持ち出した真なる三種の神器はその場で砕かれ、いつの日か平家の再興することを祈念する落人たちによって全国に散らばったのだ。日本全国の津々浦々には神社が建っているが、全ての神社にはご神体が祀られている。ご神体とはなにか。神社によって何をご神体と為すかはそれぞれ異なるが、いずれにせよそれはすなわち八百万の神々がこの世に現れるときに依代とする何かである。そして、そのうちの幾つかは、歴史の中で砕け散った三種の神器の欠片である」
そして彼は、八咫鏡について書かれた次の言説を読んで、答えを知った。
「八咫鏡は天照大神を天の岩戸から呼び出した神器であるが、そこには重大な霊力が宿っていた。
それは、真実を映し出す力である。
この鏡に姿を映したものは、その心の示す真実の姿に顕現する。心の清いものが映せば美しき姿に変じ、心の醜いものが映せば醜悪な容姿に変じる。
だが完璧な鏡は最早この世には無い。鏡の欠片があるのみであり、それをどれだけ集めたところで完全になりはしない。したがって、その欠片にはもともとの力は既に失われており、清濁全てを併せ持った鏡であったものが、今や祝福された破片と呪われた破片に分断されてしまっている。
呪われた破片に姿を映したものは、その心の如何に因らず呪われる。その呪いを解くには祝福された破片を探し出すしかない」
つまり、彼は知らず知らずのうちに鏡の「呪われた破片」に身をさらしたためにこの災難に遭ったのだ。謎は解けた。では後は、「祝福された破片」を探すだけである。
そして彼の旅が始まった。日本全国の鏡をめぐる旅だ。彼は鹿児島の最南端からこの旅を始め、長い時間をかけて各地の神社をしらみつぶしに回った。彼に残されたいくばくかの金銭の蓄えはすぐに尽き、コンビニエンスストアの残飯や畑の作物を漁って食いつなぐ浮浪生活となった。しかし、祝福された鏡の破片は見つからなかった。鏡をご神体として祀る神社はいくつかあった。だがそれに身をさらしても、彼の体に何の変化も現れることは無かった。彼の予測では、こういうことだった。三種の神器がこの世にもたらされ、砕かれてから長い時を経た今、既に鏡の持つ霊力は限りなく失われている。呪いも祝福も、もはや限られた欠片にしか残されてはいない。
そして今この街までやってきた。
「祝福された破片があるのは、おそらくここだ。人が踏み入らないような山奥だが、確かに、地図によればここには神社がある」
彼はそう言って地図を僕たち四人に示した。彼が示したのは、真中市からずっと北西に位置する、僕たちの県の外れだった。
「ここが日本のほぼ真ん中だからだ」
そして彼は地図に赤ペンで印を付けた二点を指さしながら話した。
「私が最初に呪われた神社がここ、そして送り飛ばされたのが岡山県のここ。二つを線で結ぶと、このあたりがほぼ真ん中に位置する。今いるこの神社も候補だったが、違うようだ。
古来から、聖なるものを守護するため、都を中心とした東西南北の四方に守護神を配した防衛陣が張られてきた。私が接触したのはその東西の要害だが、おそらくは、南北にも同じ呪われた破片が存在するに違いない。
私は今からこの真ん中に行く。他の神社も辿りながら。この足だから時間はかかるだろうけど、もう少しだ」
彼は、よっこらせ、と呟いて、屈んでいた体を立て直し、僕らに背を向けて歩き出した。
僕たちは呆然とその後ろ姿を見送った。
僕はその彼の背中をじっと見つめているだけだった。彼の話のどこまでが本当で、どこからが嘘なのか、全部本当なのか、全部嘘なのか、僕にはその境目が全く分からなかった。話が長すぎて展開も出鱈目であったため、ストーリーの理解もその瞬間にはできなかった。だが、彼の姿が見えなくなりかける時、唐突に頭の中に一つの疑問が浮かんだ。その疑問は瞬く間に僕の体中を埋め尽くし、興奮剤のように血中を駆け巡り、気が付いた時には僕は彼を追って走り出していた。
彼にはすぐに追いついた。待って、と声をかけると、彼は立ち止まって振り向いた。僕は彼に尋ねた。
「呪われてない人が祝福された鏡を見たらどうなるんですか?」
「もちろん、祝福されるだろう」
彼はそう答えた。だが僕は、肝心なことを知らなかった。
「しゅくふく、ってどういう意味ですか」
「幸せになるということだ。この世の誰よりも」
そう言うと、彼はまた歩き出し、今後こそ本当に立ち去った。
いつの間にか、健一も誠二も夏も僕の隣まで駆けてきていた。健一が僕に、あのおっさんなんて言った? と尋ねた。
「鏡を見つけたら幸せになるって」
僕はそう答えた時には、何が何でもその鏡を見つけ出すことを心に誓っていた。今になっても、この時自分がそう誓った気持ちはよく覚えているし、理解することができる。僕は彼の話が本当かどうかは分からなかった。だが僕たちにそれを確かめる手段があるということが重要だった。これまで僕たちは多くの人の話に耳を傾けてきた。しかしその話はどれも並外れて荒唐無稽だったり、どうあがいても検証が出来ない物だったり、さもなくばすでに解決しているものばかりだった。でも今は、もしかしたら出鱈目なのは同じでも、彼が言う、僕たちからほんの少しだけ隔たったその場所に、自分たちで行けば確認できるのだ。それが僕たちに示されたのは初めてだった。そして、もっと自分に正直に言うならば、僕は話が本当かどうかなどどうでもよかった。そんなことよりもはるかに重要だったのは、僕はそれまでこんないかがわしい話は聞いたことが無かったということだった。だから僕は三人の仲間に言った。
「この話は、絶対に誰にも言ったら駄目だ。僕たちだけの秘密だ」
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