第一章 日光仮面(3)

 あの頃、日光仮面はしょっちゅう僕たちの傍にいた。しかし、本当の最初からそうだったわけではない。遡れば出会いがあり、出会いにはきっかけがあった。僕たちは、ある日たまたま街を歩いていて偶然彼に遭遇したわけではない。僕たちはある意志の下に彼と出会い、目的を持って彼と知り合いになった。彼がサタンの爪を執拗に追い求めていたのと同じように、僕たち四人にも重要な目的があり、彼に出会ったのはその一環だった。結論から言ってしまえば、彼は僕らのその「目的」を果たすことのできる存在ではなく、あっという間に普段の習慣の一部と化してしまい、単なる「となりの変人」となり、たまに人数合わせで利用するのに都合のよい遊び相手に堕してしまったのだが、最初に僕らが日光仮面に求めていたのは全く別のことだった。

 僕たち四人はただなんとなくつるみ、惰性で毎日遊んでいたわけではなかった。ただの同じ日々の繰り返しではなく、自分たちに許された世界から外に出て、限界を超えて遊びつくすことを望んでいた。そのためには世界の壁をよじ登って越えることも、さもなくばその壁を破壊することもいとわないつもりだった。そして正直に言えば恐らく、破壊することは手段と目的の両方だった。

 僕たちが求めていたのは、冒険だった。

 命を危険にさらし、危機をかいくぐり、勇気と知恵によって困難を乗り越え、仲間との協力によってトレジャーに辿り着く、あの冒険である。

 そうなったきっかけは、初めて僕たち四人で観に行った映画にあった。小学二年生が子どもたちだけで映画館に行くのはそれだけで一種の冒険と言えるが、何よりその時観た映画が問題だった。

 僕たちが観たのは「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」だった。

 この映画が僕たちの運命を決定づけた。そのストーリーはごく分かりやすい。時代は第二次世界大戦を目前に控えた1930年代。アメリカの考古学者インディ・ジョーンズが失われた秘宝を求めて世界を飛び回り、太古の遺跡に秘められた謎を解き、旅した土地の美女をたらしこみ、常に危機を間一髪でかいくぐり、秘宝を見つけ出し、最終的に悪をぶちのめす。

 それはハリウッドの伝統的なアクション映画の類型に他ならない。だが、「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」が僕たちに与えた影響の大きさは、単なる類型という読み解き方だけでは説明がつかなかった。僕たちはこの物語に心酔し、描かれた世界に魂の底から憧れた。この映画の何がそこまで僕たちを魅了し、僕たちにとってリアリティを持ったのか、当時はただ漠然とした印象を全身で受け止めるだけだったが、今では言葉で説明することができる。

 この映画が示していたのは、日常の中に潜む非日常の存在だった。この世界には、街から街へ旅するサーカス団を乗せた列車が実際に存在し、そこに飛び込めば当然ヘビやライオンに出くわすことになる。街に建つ何の変哲もない古臭い図書館の地下に、聖杯への手がかりが潜む迷宮と化した墓所が広がっている。傘で鳥を脅かしてやれば戦闘機の視界を遮り窓を突き破って墜落させることもできる。戦車の砲身に石ころを突っ込んでやれば、砲弾が発射された瞬間暴発する。砂漠を越えた先の三日月の谷に、最後の十字軍が住む神殿がある。そしてキリストの血を受けた聖杯は、器に注いだ水によってあらゆる傷を癒すことができる。

 つまり、こういうことだ。きっかけは、僕たちの身の回りにもある何かにすぎない。それは少しだけ稀なるものかもしれないが、必ずどこかに存在し、見て、触ることができるものだ。僕らがそれに触れれば世界は変化する。その何かを追求することが、日常から非日常に移るためのカギとなる。日常を限界まで推し進めて突破しつづけるとやがて、我々は奇跡にまで辿り着く。美しいことは日常の外にある。

 インディ・ジョーンズは超人でも英雄でもなく、ただの考古学者である。それは極めて重要なポイントだった。彼は、僕たちでさえもやがて辿り着くことができる存在に思えたのだ。

 非日常の究極的なゴールとして本当に聖杯が存在するのかどうかはどうでもよかった。僕たちが惹かれたのは、日常を突破することによって美しい非日常に辿り着くことができるというビジョンであり、知恵と勇気があれば大きな何かを動かすことができるというリアリティだった。それは明確であり、論理的であり、誘惑に満ち、冒険の動機となるには充分すぎるものだった。もしもこの映画を家族で見に行けば、同じことは起こらなかっただろう。

 映画が終わった帰り道、健一が言った。

「まずは基地を探そう」

 いい考えだった。別の世界に旅立つためには、それを準備するための拠点が必要だった。そこには僕たちの荷物と計画と想像が全て集まる。そこは僕たち以外誰も訪れることはなく、知ることもない、僕たちだけの場所だ。




 古い友達であればある程、最初のきっかけというのは思い出し難いものだが、僕たちもそうだった。僕たち四人は小学校一年の時に同じクラスになり、ほぼ最初の瞬間から友達になった。僕は彼らと友達でなかった時間を思い出すことができない。そして、日々の連続によって自然とその関係は強固になっていった。

 僕たちは滅多に喧嘩をしなかったし、互いを尊重することができた。僕たちは同じものを愛し、同じものに興奮した。菓子も漫画もゲームも、全て仲間で共有したし、四人の中の誰かが攻撃されれば四人で立ち向かった。今となっては、そんな友達を何の努力も無く作れたことがどれほどの奇跡だったかは良く分かっているつもりだ。その当時にも、僕は彼らのことを心から大切に思っていた。しかし、彼らのような友達はもう一生作ることが出来ないとまでは、その時は分からなかった。

 僕たちが喧嘩をせず、協力し合うことになったのは、僕たちの性格や能力に明確な差異があったからだと思う。その差異は衝突ではなく、お互いを補完しあうように作用した。それが必然だったのか幸運だったのかは、僕には分からない。

 健一は四人の中で最も身体能力に恵まれていた。それもずば抜けて恵まれていた。逆上がりだろうが跳び箱だろうが懸垂だろうが持久走だろうが、何をやらせても学年で一番の成績だった。体も大きく、喧嘩も誰より強かった。典型的な昭和のガキ大将タイプだったが、心根は穏やかで、四人の中の誰よりも寛容な性格だった。

 誠二は飛び抜けて頭が良かった。学校の成績がトップだったのはもちろんだが、たとえば日光仮面の素性を推測した時のように、人よりも一歩も二歩も先を行く洞察力に優れていた。僕たちが何事かの判断に迷う時には、大体の場合に誠二の案が採用されることになった。その論理的で冷静な視座のため、彼が四人の中で最もクールな性格の持ち主だった。

 夏は大人しく、学校の成績も平凡で、運動も大して得意ではなかった。だが他の三人が決して持たない才能があった。芸術の分野への才能である。バイオリンとピアノとギターを弾きこなす小学生など、文化の掃き溜めたる真中市始まって以来の才能だっただろう。そして夏の描く絵は驚くほど緻密で正確だった。空間を認識する力と、色彩感覚に並外れた才能がある、とその絵は県の展覧会で評された。だが夏は大人しく微笑んで、その功を僕らに誇ることはなかった。

 そして、このチームの四人目たる僕は、どうであったか。

 僕には何も無かった。健一ほどの運動能力もないし、誠二ほどの切れ者でもなく、夏ほどの芸術的才能もなく、他にも特に誰かに向かって自慢できるほどの能力は、何も無かった。

僕が密かに自らに冠したコードネームは、「オール4」だった。何をやらせても平均点以上は取る。しかし、それより上には決して到達することができない。馬鹿でもないけれど賢くもない。愚鈍でもないが、鋭敏でもない。至って中途半端な、日本中のどこにでもいる存在の一人だった。

 だから僕は自分に無い才能を持つ三人のことがうらやましかった。そして、彼らと一緒にいるのが好きだった。僕は彼らに嫉妬するより、彼らの才能に憧れ、尊敬した。それが凡人たる僕に残されたたった一つの才能だったように思う。彼らと行動をともにすることで、僕は僕一人では決してできない何かを成すことができるように思えた。

 

 

 

 基地の探索は、上手くいかなかった。都合のよい小屋とか空き家とか洞窟とかを探して僕たちは近所を自転車で走り回ったが、適当な物件を見つけることはできなかった。探索範囲を広げればいつか見つけられたかもしれないが、僕たち四人全員の家から離れすぎてしまうと、基地の意味がなくなってしまう。

 誠二が結論を出した。

「じゃあ四人で作ろう」

 いいアイデアだった。僕たちは直ちにそのアイデアの実現に取り掛かった。簡単なイラストを夏が描き、それを誠二が設計図に落とし込んだ。僕と健一で木材や釘などの資材や工具を探し集め、誠二の家の近くの雑木林のすぐ傍の空き地に運び込んだ。僕たちが作ろうとイメージしたのは、まるで中からトム・ソーヤが飛び出してきそうな小さな小屋だった。

 一ヶ月か、二ヶ月か、長い時間がかかった。僕たちは何度も失敗し、何度も最初からやり直すことになり、大量の資材を駄目にしてしまった。何しろ四人が入れるような小屋だから、いくら小さいと言ってもそれなりの確固とした構造と工法と材料が必要になる。考えてみればすぐに分かることだが、それらを満足に実現するのは、8歳の少年たちには難しすぎた。だが僕たちは諦めなかった。誰かと一緒に何かを作るのは初めてのことで、僕たちはそれに夢中になった。それに何よりも、ここでいきなり諦めてしまったら、決して冒険の旅に出ることはできなくなってしまうと、僕たち四人全員が分かっていた。だから僕たちは諦めなかったというよりも、「僕たちにこの基地が作れないわけがない」と信じ込んでいた。学校が終わると毎日この雑木林に直行し、全ての土曜日と日曜日を使い尽くした。手を擦り傷だらけにして、顔を真っ黒にして、僕たちは小屋を建て続けた。

 そしてそれは完成した。とても小さな小屋だ。設計の段階では、屋根に潜望鏡が付き、エアガンで敵を撃つための射出口を兼ねた窓があり、作戦会議を行うための円卓があり、四人が寝泊まりするための2段ベッドが2セット備え付けられることになっていたのだが、都合により全て省略されることになった。そこにあったのは、ただの何も無い立方体の空間だった。四人が並んで立つほどの高さもなく、座っていてもぎゅうぎゅう詰めで身動きが取れない。大人になった今では、背を精一杯屈めても入ることはできない大きさだ。扉は無く壁の一部が四角く切り取られているだけで、床は段ボール製だった。屋根も壁も隙間だらけで、雨の日には中にいても雨粒が突き刺さり、そのたびに床を張り替えなくてはならなかった。冒険の道具や本や漫画や武器を運び込むために作った小屋だったが、狭すぎてそんなものを置いておくゆとりは全くなかった。

 だが、僕たちは満足だった。四人で基地の中に入り、膝を突き合わせて座り込み、顔を見合わせ、隙間だらけの屋根を見上げた時、僕の心に押し寄せてきたのは、全く、欠ける物が何もない完璧な満足感だった。壁の隙間から差し込む日の光と風の感触、そして見上げた屋根の隙間の向こうに見える青空は、僕がそれまで観たことの無い光景だった。その時も直感的に理解したし、今となっても客観的にそう思うが、僕たちが開けた、非日常への最初の扉はこの基地の中にあった。

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