第一章 日光仮面(2)

 彼の歌が示すように、日光仮面は古いテレビドラマの主人公、月光仮面を模した存在だった。少なくとも彼自身はそうあろうとしていた。漆黒のサングラスをかけ、白いタオルを頭に巻き、大きなガーゼマスクで顔を覆い、缶詰の空き缶の側面に穴をあけてベルトのバックル代わりにし、白いカーテンを裁縫してマント代わりに背に纏い、軍手をはめ、日夜、真中市のどこかをタイヤのすり減った自転車で走り回っている。本物の月光仮面は二丁の拳銃を所持しているが、日光仮面にはヤクザとも中国マフィアともコネクションが無かったため、残念ながら撃鉄にヒビが入ったエアガン一つを持っているだけだった。代わりに彼は金属バットを一本所持していたので、一時期はそれを武器として背負っていた。だが、ある日当然の帰結として警官に呼び止められ指導を受けると、自宅に保管しておくより仕方が無くなり、丸腰となった。それに従い、彼は正義を貫く武器として己の拳を鍛える道を選ぶことになり、自宅の前で川の流れを見つめながら、朝から晩まで延々と正拳突きを繰り返した。そして、往年の香港映画スターを思わせる気合の発声とともに拳を突き出し続ける彼の下には、やがて近隣の住民から騒音に対する非難が寄せられ、止むを得ず無言で正拳突きを繰り返すようになった。

 日光仮面、という彼の名は、彼の住んでいた場所に由来するものだった。それとも、日光仮面という名前を自ら称したのが先で、その場所に住むことになったのはその後だったかもしれない。どちらにしても僕らが出会ったころには、彼がその場所に住むようになってから既に長い時間が経っていた。そこは真中市の中央を北から南に真っ直ぐ流れ落ちる、日光川という名の川のほとりだった。その川は、清廉な印象を抱かせる名称に反し、川というには余りに汚れすぎ、澱みすぎていた。大体30メートルから40メートルくらいの川幅と緩い流れが延々続き、食用の魚は一匹も泳いでいない。時々鴨が飛来してくるが、彼らが餌を探しに水中に潜ると、水面に上がってきたときには全身が真っ黒になってしまう。戦後から高度経済成長期を経てバブルの絶頂期に至るまで、周辺の家庭や企業が排出するあらゆる種類の大量のゴミと汚物がまっしぐらにこの川に流れ込み、浄化しきれないまま積み重なって川の色を変え、臭いを変え、結果として誰もが目をそむけ足早に通り過ぎていく濁流となった。そんな川の河川敷、真中市の中でもさらに真中の場所に、日光仮面は住んでいたのだ。その住処の頭上には橋が掛かり、私鉄が西へ東へがたごとと走り続けている。橋を支えるコンクリートの柱と堤防はカラースプレーで描かれた落書きに一面覆われている。ドナルドダックやドラえもんやピッコロ大魔王が色とりどりに描かれた曼荼羅のような壁画の中に、真っ黒い文字でこう書かれている。

「日光仮面参上」

その文字を日光仮面自身が書いたのか、誰かがいたずらで書いたのかは分からない。とにかくその文字が書かれた隣りに、近所の廃材置き場から拾い集めてきたと思しき木材や、段ボールや、ブロック材を重ね合わせてできた、彼の住処があった。それは、僕らがかつて誠二の家のほど近くの空き地に建てた秘密基地の姿に良く似ていた。

 僕はその家の中に足を踏み入れたことは無い。僕だけではなく、誠二も、夏も、健一も、誰ひとりとしてそこに入った者は無かった。僕たちはただ、盛大に斜めに歪み、木材の隙間だらけのその家の扉を、外から時々軽くノックするだけだった。そうすればいつも彼は家の中から出てくる。あるいは彼が真中市の平和を守るパトロールに出かけて不在にしていれば、僕らは諦めてそこを立ち去る。

 僕らがその扉をノックするのは、この街に突如現れた悪から僕らを救ってもらおうと助けを求めに来たため、ではなかった。僕たちはただ単に、野球かサッカーの試合を満足に運営するための頭数を求めていただけだった。それは日光仮面にとっては僕らに対する不満の種だったようだが、こちらとしても他に選択の余地がなくそうしていたのに過ぎない。彼の他に候補がいるのであれば、とっくにそうしている。

僕が日光仮面の家のドアをノックすると、ドアの向こうの暗闇からこう聞こえる。

「誰だ」

「裕司(ゆうじ)だよ」と僕は応える。

「繁か」

「しげるじゃないよ。中原裕司」と僕はフルネームで名乗る。

「何の用だ」

「困ってるんだ。日光仮面にすぐに助けてほしい」

「サタンの爪か。奴が現れたのか」

「いや、ゴールキーパーがいないからやって欲しくて」

「繁、私の名前を言ってみろ」

「日光仮面」と僕は言った。

「そうだ。つまり正義の味方だ。正義の味方は悪を退治するのが仕事だ。この世で最も重要な仕事だ。ゴールキーパーが仕事なのではない」

「ゴールキーパーは仕事じゃないよ。いいから早くしてよ」

 うううううむ、という唸り声が小屋の中から聞こえてくる。そしてしばらくしてドアが開き、日光仮面が現れる。彼は歌っている。必ず歌いながら現れるのが彼のルールなのだ。



日の光を背に受けて

仮面に隠したこの心

風が吹くなら吹くがよい

雨が降るなら降るがよい

愛と正義のためならば

なんで惜しかろうこの命



 たかが近所の小僧のサッカーの試合に出てやるくらいで何故命懸けなのかは全く理解できなかったが、日光仮面がいつも真剣なのだということだけは僕たちにも分かっていた。結局、僕たちが日光仮面を心底では馬鹿にすることなく付き合い続けたのも、その彼の真剣さに原因がある。中途半端ならただの道化だが、本当の真剣さというものは、徹底すると神聖さを帯び、相手を自分の世界に引きずり込むのだ。

 そして日光仮面は僕らに連れられて、河川敷近くの公園まで歩き、ゴールマウスの前に立たされる。相手チームとなる地元連中五人が既に待っており、日光仮面は僕たちのチームのキーパーとなる。五対五のミニゲームだ。また日光仮面かよ、と相手連中は言う。だが仕方がない。僕らは常に四人で、それ以上でも以下でもなく、五人目は日光仮面しかいないのだ。相手は全員上級生で、とくにフォワードは恐ろしく足が速い。健一だけは彼をも凌ぐ速さで対抗できたが、サッカーは一人でやるスポーツではないため、パスワークを駆使した彼らの波状攻撃によって僕らのチームは何度も危機にさらされる。シュートがゴールを襲う。そして、日光仮面はそれを止めることができない。彼の濃い太縁のサングラスでは視界が限られ、そして彼には致命的に反射神経が欠けていたのだ。日光仮面はボールに向かって弱弱しく手をさしのばすが、既にボールはネットに吸い込まれている。何やってんだよ、と誠二が悪態をつく。切り替えて集中しろ、と健一が檄を飛ばす。僕らはお互いの距離をコンパクトに保ち、短いパスを交換して相手陣内に攻め入ろうとするが、その高い理想に技術が及ばず、あえなくトラップミスやパスミスによって相手にボールを奪われてしまう。

 結局その試合、大差で僕たちは負けた。日光仮面はただの一本もシュートを止めることができなかった。相手チームは上機嫌で高らかに笑い合いながら去って行き、僕たちは居残ってパスとシュート練習をした。

 僕は日光仮面の方に振りかえった。彼は僕らに背を向けて、延々と正拳突きを繰り返していた。

「日光仮面も一緒にサッカーの練習しようよ」

 夏がそう声を掛けると、日光仮面は拳を下ろし、ゆっくりと僕らの方に振り向いた。そして、首を横に振った。

「君らはサッカーの練習をして、試合に勝て。私は拳を鍛えて、悪に勝つ」

 そう言うと、日光仮面は再び僕らに背を向けて黙々と正拳突きを繰り返した。



 

 真中市で暮らしていたあの人たちは日光仮面だけではない。僕たちは日光仮面以外の彼らとも会話を交わした。しかし、その中でも日光仮面の存在感は際立っていた。今思えばそれは、他のあの人たちと違い、彼の行為に明確な目的があったからだ。平均的なあの人たちは、行為そのもの、存在そのものが目的となって完結しており、それ以上にどこにも広がらず、発展せず、毎日は永久に繰り返されていくだけのものだった。

 日光仮面は違った。彼には目的があり、日光仮面と名乗るのも、体を鍛え続けるのも、日々パトロールに出かけるのも、全てその目的のためだった。

 彼の目的とは何か。

 それはもちろん、真中市に潜む悪を倒すことであった。

 悪と言っても、コンビニ泥棒とか、結婚詐欺とか、中高生の喫煙とか、オフィス内でのセクハラとか、信号無視といったちゃちな犯罪行為のことではない。圧倒的で絶対的な悪だ。彼は、真中市のどこかに、この世界を転覆せんと企む巨悪が潜んでいると信じていた。その悪がやがて、この街の老若男女ことごとくに対して人が考えうる全ての非道の限りを尽くし、殺し、そして日本を支配し、やがて世界にその恐怖をはびこらせる、そう信じていた。

 彼はその悪を、「サタンの爪」と呼んでいた。

彼はいつもその悪の影を追い求めていた。たとえそれがほんの僅かな気配であっても、サタンの爪の痕跡と思われるものがあれば執拗に追跡した。東である家のペットの犬がいなくなったと聞けばそこに向かい聞き込みをし、南で柿の木が食い荒らされれば一日中その木の下で張り込みをし、西の池でボートが沈めば池に潜ってボートの残骸を拾い集め、北のゲームセンターで中学生の喧嘩が起これば乱入して、手酷い傷を負いながらも圧倒的な気迫でもって両者とも叩きのめした。そして、ほとんどの場合何の成果もあげることはできなかった。

日光仮面が最も活発に活動するのは、夜だった。何故なら悪は夜の闇に紛れて生きるものであり、人の目を欺く深い闇の中にこそ、サタンの爪の秘密が隠されている、そう彼は信じていたからだ。日光仮面は夜を徹して真中市のパトロールを続けた。だが、彼が自分では全く気が付いていなかったことだが、真夜中にサングラスとマスクとマント姿で街を徘徊していれば、不審に見えるのは彼自身の方だ。彼は何度となく警察に職務質問を受け、場合によっては近くの交番まで連行された。彼は警察に向かっても、僕たちにするのと同じように自分の行為について説明した。

「この街には悪が潜んでいる。今はまだ誰も気が付いていない。しかし私には分かる。今に取り返しのつかない恐ろしいことが起こる。サタンの爪の脅威はもうすぐそこまで迫っている」

 そして、僕たちに向かっては言わないことを、警察に対して言う。

「あなた方も市民の平和を守る使命を持った公僕なら、私に協力しなさい。協力ができないのであれば、せめて私の邪魔をするのは止めなさい」

警察は、日光仮面の「家」を家宅捜索した。明らかにこの男は妄想に取り憑かれている。それだけなら良いが、この男の言う「悪」とはこの男そのものなのではないか。警察がそう考えたことに不思議はない。古今東西、悪の打倒を説く狂人が実は悪人そのものだったという事例は枚挙に暇がない。自分が頭の中に描く悪が、実際には存在しない。そうなると、悪を存在させるためには、自分が悪を演じざるを得なくなる。自分がひっそり悪を演じた後で、マスクをつけて現場に堂々と出て行き正義を果たす。ありそうな話だ。もちろん、警察も真面目に取り合ったわけではなかった。基本的にはただの狂人の妄言としか考えていなかったが、日光仮面の昼夜を問わない不審な活動が目に余ったため、一度公務として彼の実態を把握せざるを得ないと判断したのだ。令状は無いので、日光仮面の任意立会の下、家宅捜索は行われた。

 そして、意味のある物は何も見つからなかった。日光仮面が持っていたのは、フライパンや歯ブラシや洗面器やタオルや布団といった生活用具一式を除けば、壊れたエアガンと、金属バットが一本。後は彼の日記が見つかっただけだった。そこに書かれていたのは、彼の犯罪調査記録、すなわち、日光川に空き缶を投げ捨てた男や、ノーヘルで原付バイクを乗り回す高校生や、横断歩道を手を上げて渡らなかった小学生に注意を呼び掛けたことや、ハンカチやマフラーや帽子などの落とし物を警察に届けたこと、等々であった。時々は、僕たちと野球やサッカーをしたことも書かれていた。警察は、事件性なしと判断した。

 しかし、日光仮面が公共の空地に不法に住まいを構えていることだけは事実であった。警察は、直ちにこの住居を撤去して原状に復すようにと命じた。日光仮面は、分かりました、と答え、その翌日、自らの手でその素朴な木造りの住居を叩き壊して残材をゴミ捨て場に捨て、布団を背負い、その他家財を自転車にくくりつけ、いずこかへと去って行った。後には、堤防に描かれた種々雑多なキャラクターと「日光仮面参上」の落書きだけが残った。

 僕はある日、彼の住処があったはずの橋の下にやって来て、その空洞を見出した時、少なからずショックを受けた。僕以外の三人もショックを受けているようだった。だが、何故ショックを受けるのかは自分たちにも分からなかった。僕たちは日光仮面に対して敵意こそ抱いていないものの、それほど親密な情愛をもって接していたわけではなかったからだ。僕たちの誰一人として彼の言うサタンの爪の存在を信じてはいなかったし、全員が彼のことを基本的には狂人だと考えていた。友達と言うには年が離れすぎていたし、生きる世界が違い過ぎていた。たぶん、昨日まで普通に存在していたものが突然失われてしまえば、それが日光仮面だろうと学校で飼っているウサギだろうと、喪失感のようなものは自動的に生まれるのだろう。僕たちはそう考えた。そして、日光仮面はどこに行ったのだろうと考えた。真中市のどこかを今も自転車で駆けずり回っているだろう、と誠二が言った。

「日光仮面がサタンの爪を見つけるまで諦めるわけないよ」

 僕たちは頷いた。しかし、彼が今どこに住んでいるのかは、見当が付かなかった。

それからしばらくの間、僕たちは四人だけで遊んだ。健一の家でファミコンをやり、モデルガンで空き缶を狙い撃ちし、誠二の家の近くの雑木林で虫とりをしたり缶蹴りをして遊んだ。僕たちは日光仮面のことをあっという間に忘れた。

 だから、日光仮面がいなくなって数週間後、あの日光川の橋の下、以前まで日光仮面の家があったのとちょうど川を挟んで反対側の河川敷に、見覚えのある粗雑な木造りのバラックが忽然と出現しているのを発見したとき、僕は完全に不意を突かれた思いだった。僕たち四人はすぐに橋を渡り、堤防を駆け降り、隙間の空きがちな木製のドアをノックした。

「誰だ。繁か」

扉の向こうから、すぐにそう返答があった。まぎれもなく、日光仮面だった。

今までどこに行っていたのか、と僕は彼に尋ねた。

「どこにも行きはしない。日光仮面は今までも、これからも、いつまでもこの街を守っている」

 日光仮面はそう言った。日光仮面はこうして、日光川を挟んで東か西か、どちらかに住み続けることに不都合が生じれば、ほとぼりが冷めるまで間を空けた後で川の反対側に移り住む、という行為を続けてその任務を遂行していたのだった。




 日光仮面の生態について事実として僕が知っているのはここまでだが、これらの事から推測できることがある。日光仮面は単なるホームレスではなく、真中市のどこかに、本当の自分の家を持ち、金銭の収入源を持っていたのではないかということだ。

おそらくその推測は正しかったはずだ。考えてみれば分かる。たとえば、日光仮面が身にまとう各種の装備は、手作りの風合いに溢れたものだったとはいえ、決して不潔ではなかった。マスクも、マント代わりのカーテンも、軍手も、少なくとも土と泥にまみれて遊んでいた僕たちの衣服よりは、よほど清潔な白だった。あの白さが、日光川の水で洗った結果の物であるはずが無い。体臭も普通だった。充分な着替えのストックを持ち、定期的にコインランドリーや銭湯に通うことができなければ、考えられないことだった。そもそも、あんな薄汚い橋の下にただじっとしていたところで、人通りもなく物乞いもできないからすぐに飢え死にしてしまう。しかし、日光仮面が近所の畑から何かを盗んだなどという話は聞いたことが無かった。

 だとしたら、実は日光仮面は週に何日間かはあのマスクとサングラスを外し、僕たちの父親がそうしているように、社会のどこかで普通の大人として働いていたのだろうか。そうかもしれなかった。僕たちは日光仮面がマスクを外したところを、たったの一度も見たことが無かった。ひょっとしたら僕たちの知らないところで、僕たちは素顔の彼と何度かすれ違ってきたのかもしれない。僕たちのすぐ近くで、素顔の彼が生活していたのかもしれない。それとも彼は過去に事業で成功するか何かして、既に当分の間働かなくても済むほど充分な金銭を蓄えていたのかもしれない。そして本当に、毎日朝から晩まで、生活の全てを正拳突きの訓練や悪の探求に捧げることができていたのかもしれない。

 僕たちには分からない。僕たちがするどんな些細な質問に対しても、それが彼の正体に結びつくものであった場合は、日光仮面は決してまともには答えなかったからだ。彼はルールを知っていた。ヒーローは何があろうと絶対に自分の正体を他人に明かしてはいけない、という鋼の掟を。彼はそれを徹底して守った。この世にある限りその掟を破ることができるのはたった一つ、その物語の最終回だけだ。ヒーローは自身に秘密を纏わせることによってのみ、衆生の者どもよりも一段上の次元にいるよう振舞うことができるのだ。そしてそれは、少なくとも僕たちに対しては完璧な正解として機能した。日光仮面の正体がそんじょそこらの親父であると分かってしまったら、僕たちは幻滅を禁じ得ず、彼に対する興味を完全に失ってしまっただろう。

僕たちは想像したものだった。日光仮面の正体について。家族はいるのか。本当の家はどこか、そして何よりも、何故、日光仮面は日光仮面になったのだろうかと。何故、こうまで執拗にサタンの爪を追い求めているのだろうか。

 それについての考察の中では、誠二が立てた仮説に最も説得力があった。そしてそれは同時に、最も不気味な想像でもあった。

 誠二はこう考えた。勿論日光仮面は、もともとはただのごく普通の一人の男だった、と。日光仮面は結婚していて、子どももいる。正確には、かつて、いた。日光仮面は幸せなごく普通の生活を送っていた。だがある日、奥さんも子どもも死んでしまった。殺されたとか交通事故だとかではない。病に罹って死んだのだ。日光仮面は家族を救おうとあらゆる努力を尽くした。だがそれが報われることは無かった。

 葬式が終わり、一人ぼっちの家の中で、日光仮面は考え続けた。自分の幸せが理不尽に、突然に奪われたことに、彼はどうやっても納得することができない。妻子はただの病気で死んだのではない。誰かに殺されたのだ。誰かがある日どこかで拭い切れぬ毒を撒き、妻子はそれに巻き込まれたのだ。それは無差別殺人であり、許しがたい悪意の結果である。憎しみと怒りをぶつけられる対象を求め続けていた彼にとって、その直感は、彼の心にそっと寄り添い合わさるパズルのピースとなった。この街には悪が潜んでいる。その悪を、誰かが倒さなくてはならない。彼はそう考え、狂気と正義の境目の中で、日光仮面となった。

 誠二が僕たちにこう話したとき、おそらくそうに間違いあるまいと僕と健一と夏は同意した。そしてこの物語はたちまち僕たちにとっての真実となった。僕たちはそこに裏打ちを求めなかった。それが事実であろうとなかろうと、その物語の中で、日光仮面は悲壮で、滑稽で、真摯であり、その姿は僕たちが彼に抱くイメージにぴったり当てはまっていたからだ。

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