真中市から遠く離れて

松本周

第一章 日光仮面(1)

第一章 日光仮面




 一本の長い線が、左右に真っ直ぐ引かれている。

 線は、暗い山の間を通り抜け、凍てついた森をかき分け、激しい流れの川を越え、風が吹きつける何も無い空間を横切り、僕を通り越して進んでいく。とてつもなく長いその線は、遥か昔から存在する。

その線の右端は光と闇に包まれていて、輪郭がはっきり見えない。大勢の人間がそこに集まっていることは分かっているが、具体的に誰が何をしているのかは全く分からない。どれほど眼を凝らしても、一人ひとりはまるで見分けがつかない。激しい光が明滅し、轟音と静寂が交互にやってくるが、その形を遠くから掴むことはできない。反対側の左端も、様子は右端とほとんど変わらない。そこに何があるのかはよく見えない。最後に海に辿り着くことは分かっているが、海岸に至る途中にあるはずの巨大な街の形は、太陽の光をビルがさえぎっていて、影しか見えない。

 その、両端がぼんやりした直線のちょうど真ん中に、僕の街はあった。平べったく、色数が少なく、車が退屈そうに道を走っていて、大体いつも雨が降っている。僕は自分の部屋の窓からその風景を眺めていた。夏は、周囲を取り囲む山の壁のおかげで天然の鍋の底と化し、永久に弱火で煮込まれ続けるような暑さで、冬は、周囲の山々から吹き下ろす寒風をまともに浴びて、耳と手が破けるほど寒い。春と秋は一瞬のうちに通り過ぎて行き、後はいつも雨が降っている。

 市の人口は約六万五千人で、この数字は僕が生まれてから三十年近くほとんど変わっていない。日本が経済的栄華を極めた時も、それが潰えた時も、僕がいてもいなくても、この数字は変化しなかった。その数は日本においては多くも少なくもなくちょうど中くらいのものだ。僕は実際に子供のころにそれを確かめた。当時日本全国に存在した七百弱の市区が人口順に並べられた表を図書館で探しだしたところ、この街はそのランク中でほぼ中位に位置していたのだ。今でもその位置はほとんど変わらない。すっかり流れの澱んだ池のように、水の総量はいつまでも変わらず、埃と泥ばかりが積もっていく。

 僕は小学生の時、この街を「真中(まんなか)市」と名付けた。「まんなかし」、その意味も、その気の抜けた響きも、この街の名にぴったりだと思った。もちろん公式の名称が、僕が名づけるまでもなくずっと以前から別にある。しかしそれは僕に馴染まなかった。もっとはっきりと、この街がどこよりも中くらいで、どこよりも特徴がなく、どこよりも冴えない、どこよりも真ん中の町だということを示す必要があると思った。その頃僕は自分にも他人にも街にも正直さを求めていた。正直であることが、人と一緒に生きていく上での基本的ルールだと思っていた。嘘をつくものとは友達にはなれないし、僕が嘘をついていたら誰も僕と友達にはならないだろうと考えたからだ。

 真中市には、日本全国の平均的な街にある大体の物が同じように存在する。特別なものは何もない。ガソリンスタンド、コンビニエンスストア、マクドナルド、喫茶店、本屋、スーパーマーケット、小学校、中学校、工業高校、女子高校、普通高校、野球場、川とその堤防、神社、漫画喫茶、自転車屋、車のディーラー、バッティングセンター、カラオケボックス、ゲームセンター、ラブホテル、ファミリーレストラン、そして何よりも、広大な水田。地球の地殻の7割が水で覆われているように、真中市の面積の7割も水田で構成されている。

 住民の性年代構成は満遍がなく、子供も若者も中年も老人も、男も女も、大体同じくらいの数が暮らしている。老人が多すぎることも、子供が多すぎることもない。流石に最近になると老人の数が増えてきたが、子供たちの声はまだ減っていない。金持ちも貧乏人もいる。僕の家の近くには古くからの地主がいて、城塞のごとき巨大な家に住んでいた。狩猟が趣味で、週末になるといつも狩りに出かける老人が主人の家だった。

 そして真中市にもごく一般的な、「あの人たち」がいた。あの人たちはいつも僕の傍にいて、僕の日常の一部だった。学校の授業が終わり、仲間とともに街を歩けばいつでもすぐに彼らに出会った。僕たちは彼らと話し、多くの時間を共に過ごした。しかしそうでありながら、僕たちと彼らの関係は微妙な距離を保ち続けていた。知り合いと言うには遠すぎ、他人と言うには近すぎる、既知と未知の間の存在だった。

 あの人たちのことは、日本に住む者なら誰もが良く知っているはずだが、どういう人たちなのかを改めて語ろうとすると、何故か表現が難しい。奇妙な人たち、と言い切ってしまうのは正確ではない。彼らの奇妙さはある程度共通しているが、ただ単に異常というわけではない。僕にとっては彼らは奇妙な人たちではなく、ただ正直な人たちだった。少し正直でありすぎたかもしれないとは思うが、僕は子供の頃から、彼らに対して敵意や侮蔑といった嘲りの感情を抱いたことは一度もなかった。真昼間からぼんやりと道端を歩いている、多くの場合奇抜な衣装を着こんだ、何をするわけでもなくただそこにいる、毒にも薬にもならない、しかしおそらく正気を失ったあの人たちが、真中市には何人も暮らしていた。セーラー服を身にまとった中年親父や、ドラえもんに出てくる「のび太」のコスチュームを着た青年や、街角で延々祈祷を続ける老婆や、空き缶を体中のありとあらゆる場所に大量にくくりつけた老人や、何の変哲もないヒーローがいた。

 そのヒーローの名を、日光仮面と言った。



 

 どの町にも必ずしも多くのあの人たちがいるわけではないと僕が知ったのは、この街を出て別の街に住むようになった後のことだった。僕は新しい街に移り住むたびに、その街土着のあの人たちに出会ったが、それはせいぜい数人で、あの左右に伸びた長い直線の右端に近づくごとにその人数は減って行き、最後には普段の生活の限りほとんど見かけなくなってしまった。近所のコンビニエンスストアの前で毎日何時間もシャドーボクシングをしている老人が一人いるが、彼をあの人たちに分類してよいのか僕には分からない。

 しかしそれが僕には奇妙なことに思えたのだった。僕が生まれ育った真中市は、日本のどこよりも平均的で特別な物が何もない真ん中な街であったのだから、この街にあって他の街に無いものがあるというのは、僕にとっては全く理屈に合わないことだった。僕は想像していたのだ、この街よりも10倍も100倍も人口の多い街に出ていけば、それに比例してもっと多くのあの人たちに出会うことになるだろうと。だが実際には僕はどこに行っても、ほとんどあの人たちを見つけることは出来なかった。たまに出逢っても、彼らは、その過剰な正直の発露たる外見と精神の奇抜さにおいて、真中市のあの人たちよりもはっきりとスケールダウンしていた。

 この事実に気がついた時にはずいぶんがっかりした。僕が真中市から遠く離れた場所で一人暮らしをしたいと思ったのは、新しい誰かに出会いたかったからだ。新しい友達、新しい恋人、そして新しいあの人たちに。僕は真中市のあの人たちのことを懐かしく思い出すようになり、今では考えることは、街を去る前とは全く逆転してしまっている。ひょっとしたら、真中市はあの人たちの人口密度が日本でも最も高い街だったのではないか、と。彼らは極端な場所には住むことができないのではないだろうか。あまりにも富みすぎていたり貧しすぎたり、騒がしすぎたり静かすぎたり、暑すぎたり寒すぎたりする場所には。何の捉えどころもなく、突き当りもなく、でこぼこもなく、どこへ行っても「普通」しかない真中市にしか、彼らは住むことができなかったのではないだろうか。

 僕はそんな風にも思った。だがそんな通り一遍の仮説だけでは僕自身納得がいかなかった。ただの「普通」なら、この国にはあまねく蔓延しているはずだ。川が淀んで蛍が消えてしまうのとは、森が切り倒されて妖精が消えてしまうのとは意味が違う。彼らがいなくなる理由が分からない。

 きっと、彼らを見つけることができない理由は、僕自身にもあるのだった。

 僕が最もあの人たちに近づき、同じ時間を過ごしたのは十代の最初のころまでのことだった。その頃は僕も友達も、エネルギーに満ちあふれ、恐れとか敵意とかいうものを知らず、二十四時間、精神が開放されっぱなしだった。手にとって触れられる距離にあるものは全て自分たちに関係するものであり、せき止めるものなどなく何もかもを受け入れ吸収し続けていた。

 今は違う。自分自身を省みた時、目に見えてかつての想像力は減退し、彼らの正直さから遠ざかっている。道を歩いていて、いきなり歌いだしたり走りだしたり叫んだりすることは無い。予定された動きと論理的な言葉が生活のほとんどを覆っている。それが大人になるということだと思って成長してきたのだから、誰に向かっても文句を言う筋合いはない。

 しかしそのまともさはあの人たちの正直さとは相容れない。僕は彼らのいた場所から遠ざかり、もし彼らがすぐ傍にいたとしても見つけ出すことが容易にはできないのだ。

 僕はそう思う。僕には見つけられなくても、彼らはまだどこかにいると。

 彼らはしばしば、歌を歌っていた。歌う歌は、それぞれのあの人たちによって異なっていた。プロレスラーの入場曲が一人一人違うように、彼ら一人一人にオリジナルのテーマ曲があった。大体は拍子も旋律も出鱈目な歌で、何を歌っているのか分からなかった。彼の口の中で風が渦を巻いて、呻き声と叫び声の中間のような喚き声が漏れてくる合間に、時々歌詞が聞こえるが、意味を掴むことができなかった。

 だが時々は、はっきりと歌う者もいた。



  どこの誰かは知らないけれど

  誰もがみんな知っている

  日光仮面のおじさんは

  正義の味方よ よいひとよ

  疾風のようにあらわれて

  疾風のように去っていく

  日光仮面は誰でしょう

  日光仮面は誰でしょう



 僕らはその歌を覚え、日光仮面とともに何度も歌った。これが完全に剽窃だと知ったのは、自宅で風呂に入りながら歌っているときに、父から指摘されたからだ。お前そんな古い歌どうして知ってる? 

 それから父は、その歌が本当は「月光仮面」という古いテレビドラマの主題歌で、ただ月光を日光に歌い替えただけの物であることを教えた。僕はふーんと言って、奇妙なテレビドラマもあったものだと思った。もしも日光仮面が月光仮面を真似しただけのものだとしたら、逆に月光仮面というドラマは日光仮面にそっくりだということになる。

 もしも日光仮面のようなヒーローが主人公のテレビドラマがあったとして、僕はそんなものをわざわざ見ようとは思わないだろう。サングラスをかけてマスクをつけ、ママチャリに跨って良く分からない歌を歌いながら真昼間から街を走り回っている正体不明の中年男の物語に、誰かを感動させる要素が含まれているとは思えなかったからだ。

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