5-3

 夜明けが近付いてきた頃、寝付かずに屋敷から抜け出し、女神の高台へと向かった。

 あれから間もなくして淡い金髪へと戻ったエテナはベッドで寝ている。名無野七がいなくなった途端に倒れてしまったことからすると、寝ているところを乗っ取られていたようだ。

 改めて思い返すともっと訊いておけば良かったと思うことがかなりたくさんある。しかし、逆に知らなければ良かったと感じてしまう気持ちもほんの少しある。

「あれぇ、レター、どうしたの? もしかして散歩かなぁ?」

 女神の高台には先客がいた。女神像の足元へ寄りかかる形で、台座の上に座っている。

「おい、そんなところへ座って大丈夫なのか?」

「うん? ちゃんと毛布敷いてるし、割りと暖かいよ? 隣に来たら?」

 そういう意味で訊いたわけじゃないと告げるか迷ったが、別に女神像を蹴っているのではなく、蹴られているのだからいいか、と考えることにした。

「あぁ、少しお邪魔していこうかな」

 シロは微笑みながら頷くと、毛布で一人分の場所を作ってくれた。

「それで、お前は何をしてたんだ?」

「カラドリの街を眺めてたんだよ」

 夜闇がわずかばかり白み始めたのか、おぼろげながらも街の輪郭が見て取れる。

「レター、何かあった? 浮かない顔してるよ?」

「別に……いや、あるにはあったが、まだ話したくない」

「そっか。じゃ、いつかはシロにも話してね?」

「あぁ、分かったよ。気が向いたらな」

 二人でカラドリの街並みを眺めながら、途切れ途切れの会話をした。

 こんな夜風の寒い時刻にわざわざ高台へ来る必要はないと思うのだが、もしかしたらシロも眠れない夜を過ごしていたのかもしれない。

「あっ、そういえば、どう? マリオン・ガラティアになったんだよね?」

「あぁ、全く何をさせられるのか分かってない。でも、みんな良くしてくれるよ」

「そなんだぁ? まぁ、ドロシーがいれば、よほど名ばかり領主でもやっていけるはずだよ」

 実際に現状は名ばかりなのだが、折角なので、ドロシーの負担を減らせれば、と思っている。

「そういえばさ、マリオン・ガラティアって名前は砂丘の伝承と関係がありそうだよ?」

「へぇ、そうなのか?」

「うん。マリオンがアルファー語のマリーンから来ていて、海のガラティアを指すっていう説が有名なんだけどね、それとは別に、カラドリの街でだけ広まっている昔話があるんだよ」

「アルファー語ってなんなんだ?」

「うーん、失われつつある言葉かな。この世界で最も広く使われていた言葉だっていう説もあるんだけれど、日常的に使う人はごく少数で、かなり廃れちゃった言葉だよ。単語としてはかなりの数が今でも残ってて、カタカナを使うのだとかなりの確率で、元はアルファー語だね。完全に失われることはないと思うけど、それでもかなりの言葉が失われちゃったはずだよ」

 そんな言葉があるのか、と思った。マリーンなどと聴いてもなんとなく分かるということは、ある程度アルファー語の知識もあるようだ。

「じゃ、マリオン・ガラティアの昔話に戻すね」

「あぁ、話を折ってすまなかった」

「マリオンっていう男の人とガラティアって女の人の話なんだけどね。ガラティアが街に遊びに来たのを見て、マリオンが一目惚れして、熱烈な求愛をしちゃうんだよ。最初はガラティアも戸惑ったんだけど、あまりにひたむきなマリオンの想いに押し負けてね、やがて二人は恋仲になるの。でも、ガラティアが実は海から来た半分人間で半分魚の人魚でね、海に帰らないといけなくなっちゃって――うん、まぁ、そういう話なの」

 かなりまとめて話してくれたようだが、どこかで聞いたことのあるような特に珍しくもない話のような気がする。

「それで色々あって、最終的にはマリオンとガラティアが結ばれて、可愛らしい娘達と一緒に幸せな家庭を作るっていう形で結ばれているの。どう思う?」

「どうって、何が?」

「明らかにカラドリ砂丘の伝承を意識して作られてる気がしない?」

「言われてみれば、そうかもな」

 海の女神が砂遊びをしていて、黒き龍に襲われ、はらわたを食べられてしまう。かなり内容に違いはあるが、流れとしては似ているところもあるような気がしないでもない。

「うん、それでね、対応を考えてみると、マリオン・ガラティアって名前は、海の女神と黒き龍を合わせた名前になって、はらわたは娘たちになるんだよね。さらに娘っていうのがドーリスの娘を意味するとすれば――かなり見えてこない?」

「ドーリスの娘っていうとネレイデスで、実際のカラドリだと、ドロシーさんたちのことか。うーん、海っていう共通点は確かにあるな」

「あんまり分からない感じかな?」

 きょとんとした黒い瞳が見つめてくる。

「あぁ、すまない。砂丘の伝承と昔話を耳で聴くだけじゃ、正直どことどこが対応してるのかって考えるだけで精一杯だった」

 シロはがっかりだと言わんばかりに大きなため息をついた。

 そしてぽつりと呟く。

「フローだったら、きっと分かってくれるのになぁ」

「まぁ、そうだろうな。というか、フルアルさんじゃなくて悪かったな」

「うん? レターはレターでいいんだよ」

「そっか、それは良かった」

 そこで会話がしばらく途切れた。空がどんどんと白んでいくのを黙って見つめていた。

「実はね、フローも人形なんだよ」

 穏やかな声音でシロが告げた。

「どういう意味だ?」

「うん? フローがシロの作った魔導人形だってことだよ?」

「人間じゃないってことか?」

 シロがゆっくりと頷く。

「ドロシーさんたちと同じだったのか?」

「うーん、それはちょっと違うかも。まぁ、人間じゃないのは同じだけど」

 信じられなかった。けれど、信じることはできないこともなかった。ドロシーたちが人形であるなら、フルアルが人形でも別におかしくはない。

「ただ、ね、人形と言っても同じのが作れるわけじゃないんだよ? 容姿だけだったら、材料さえ用意すれば全く同じものだってできる。でもね、やっぱり一緒に時間を過ごした日々だけはね、作れないの。似たようなものは作れても、過ごした経験や育んだ感覚までは再現できないんだ」

「そうか、残念だな」

 なんと答えれば良いのか分からず、呟くように告げた。

「残念じゃないよ。他の方法じゃ再現できない日々があったっていうのは、全く残念なことじゃないんだよ」

 静かに呟くように零された言葉だったが、少しだけ熱を帯びていた。

 シロが立ち上がって、数歩だけ前へ歩き、こちらを振り向く。

「もちろん僕にとって彼がいなくなってしまったことは悲しいし、寂しいけれど、そんな気持ちになってしまうほどに彼と過ごしてきた時間が大切なものだったとするなら、それはとても幸せなことだと僕は思うよ。そもそも彼は僕の人形、人形の僕――彼は僕の一部として生き続けているのさ」

 シロの声なのに、フルアルの言葉のようで、けれども、どこかいびつで、だけど、気持ちだけは痛いほどに伝わってきた。

 やがて朝が訪れた。

 カラドリの街は朝の澄んだ空気へと溶け込むように淡さを膨らませ、密やかな語らいが聞こえてきそうな、かすかな目覚めを広げつつあった。

「この街をどうしてカラドリって呼ぶのか知ってる?」

「知らないな。いや、空を飛ぶ鳥の名前じゃなかったか?」

 丁度、空飛ぶ鳥のカラドリが目に入ったのだ。

「それはそれで、シロが訊いてるのは別の由来だよ」

 ふくれっ面で抗議の眼差しを向けてくるが、シロがどんな意図で訊いたか知るはずもない。

「そう怒るなよ。別の由来って、どんなのだ?」

「カラドリはね、アルファー語のカラー・オブ・ドリーから来ているって話があるの。カラーは色彩を意味して、ドリーはドーリスのことを指しているらしいよ。ドーリスの色彩だね」

「そっか、割りとありがちな話だな」

 盛大にため息をつくシロだった。

「もういい。シロ、アトラスへ帰るよ」

「あーっと、すまない。怒らせたか?」

「ううん、そんなことない。大丈夫」

 シロはこちらを真っ直ぐに見つめ、微笑みかけてきた。

「アトラス? 本気なのか?」

「うん、そだよ。カラドリに新たなる領主が誕生したって報告しないとね。だから、ここでお別れだね」

 止める理由は特になかった。

「そっか、そうなのか」

「……機会があれば、きっとまた会えるよ」

「あぁ、そうだな」

 気の利いた言葉の一つも思いつかない。

「それじゃ、レター。いつか会う時まで」

「シロ、また必ず会おう」

「うんっ!」

 威勢のいい返事が朝の澄んだ空気を震わせた。

 歩む方向の異なるシロとは女神の高台で別れ、屋敷へと帰った。

 屋敷では、ドロシーが朝早くから庭の手入れをして、そのお手伝いをしながらライラとメリーは口げんか、エテナはベッドから落ちたのか敷き布団を占領していた。

 ここ数日の出来事からすれば、少し間抜けな朝のひと時だったが、なぜかそんな間抜けさが心地良かった。

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改変ヰオン @shirok

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